エピローグ
年末、朝霞が大掃除していると、千沙希が階段を駆け下りてきた。
来年、中二になる朝霞の長女だ。
「おかーさん、おかーさん。
これなに?
おかーさんの?」
と言うその手にはあの乙女ゲームが握られていた。
「もう~っ。
自分の部屋、片付けなさいって言ったのに~。
なにしてたの?」
と朝霞は言うが、千沙希はまったく聞いておらず、そのパッケージを眺めながら、
「へー、100年の恋に落ちる乙女ゲームかあ」
と言う。
朝霞は、ふふふ、と笑い、
「ねえ、その王子様、お父さんに似てない?」
と言ってみたのだが、千沙希はマジマジとパッケージを見つめ、
「いや、上条先輩に似てる」
と呟いて、ゲームを持ったまま、二階に上がって行ってしまった。
「……誰だ、上条先輩って」
「あ、お帰りなさい。
買い出しありがとうございます~」
と棒立ちになって、階段を上がっていく娘を見送る十文字晴の手から、朝霞は勝手に、よいしょ、と買い物袋をとる。
「誰だ、上条先輩ってっ!」
「千沙希ー、克也ー、ご飯よー」
はーい、と二階から二人の声がした。
除夜の鐘を聞いて、年越し蕎麦を食べ、子どもたちが寝静まったあと、朝霞がリビングでまだテレビを見ていると、晴が何処からか戻ってきた。
「ふふふ。
あいつが枕許に置いてたから、取ってきてやった」
と言うその手にはあのゲームがある。
「……かわいそうに、千沙希。
あーあ、うちのお父さんが、こんな父親でなくてよかった」
と言ってやると、晴は、
なにっ? と言う。
「だって、私もお父さんにあのゲーム取り上げられてたら、晴さんとうまくいってなかったかも。
夢に王子が出てこなかったから、あんなに晴さんを意識することもなかったかもしれないし」
うっ、と詰まった晴は、
「……あとで戻しておいてやる。
だが、ちょっとやってみないか?」
と言ってきた。
えっ? と朝霞が言ったとき、晴がパチンとリビングの照明を落とした。
テレビの明かりだけが部屋に残る。
晴はゲームをやるとき、暗くするのが好きなのだ。
特にアドベンチャーゲームや、シミュレーションゲームをやるとき。
映画館のような感じになるかららしい。
朝霞は、ついにあのゲームをやってみた。
だが、長い歳月を経て、ようやく、ゲームのオープニングを見たことよりも、晴と並んでこのゲームをやっていることの方が、なんだか感動だった。
「こんな風に、二人で一緒にゲームをするとか、子どもが生まれる前みたいですねー。
昔はホラーのアドベンチャーゲームをひとりが攻略本見て、ひとりが操作してって、夜通しやってたりしてましたけどねー」
と朝霞は笑って言ったが。
黙って画面を見つめていた晴は、
「……お前、俺にこんなくさいセリフを言わせてたのか」
と言い出す。
いやいやいや。
これはゲームで、あれは夢。
私の夢の中では、王子は黙々と夢に向かって、穴を掘っていましたよ。
所詮、私の夢ですからね、と心の中で言い訳しながらも、なんだか乙女の願望を覗き見られたようで、恥ずかしく、思わず、うつむいたとき、晴が言ってきた。
「……言ってやろうか」
ええっ!? と朝霞はコントローラーを握ったまま、晴を二度見した。
だが、晴はそのまま黙って、ゲーム画面を眺めている。
……あの~、言ってはくれないのですか?
と朝霞が少し寂しく思っている間に、ゲームはスムーズに進み、かなりラブラブな感じになってきた。
いつも王子は頰を赤らめて、現れる。
なんだか新鮮だ、と思っていると、いきなり、ロマンティックなキスシーンになった。
花咲き乱れる城の庭園。
おおっ、豪華なスチルだ、と思っていると、唐突に晴が、
「……このようにやってやろうか?」
と言ってきた。
ええっ⁉︎
いやいやいやっ。
子どもたち、まだ起きてくるかもですしねっ、と何度も二階の方を窺いながら朝霞は赤くなって思う。
画面の中では、王子が姫の手をとり、言っていた。
「俺は、お前に起こされて、100年の恋に落ちるためにここで眠っていたのかも」
うっとりするような声で言う王子を見ながら、
「あまいな」
と何故か、晴はゲームの王子様と張り合う。
「なにが100年の恋だ。
あまいな、お前の初恋の王子様は」
いやいやいや、私の初恋はあなたですよ、と思う朝霞の側に手をついた晴は、ちょっと照れてゲーム画面の方を見た朝霞の耳許でささやく。
「俺の勝ちだな。
俺の方がお前を愛している。
俺なら、100年経ってもお前を愛するよ――」
「……先輩」
と当時の気持ちになって、思わず、そう呼ぶと、
「久しぶりにそう呼んだな」
と笑い、晴は、そっと口づけてきた。
初めての、あの登校路でのキスよりずっと長く。
晴は朝霞を強く抱きしめると、朝霞の手から、コントローラーを外させた。
画面の中では王子が微笑み、今、目の前では、晴が自分を見つめている。
うとうとと、まどろむ朝霞は夢を見た。
当時はまだ、少年の雰囲気を残していた王子が立派な大人の男になり、あの通学路に立っている。
王子は朝霞の手をとり、晴そのものの声で言った。
「オタク姫。
起こした姫がお前だったから、私は100年の恋の呪いにかからなかったのだ。
それは、私が、お前を見た瞬間。
100年の呪いがかかる前に、永遠の恋に落ちたからだ――」
朝霞は笑う。
いや、やっぱり、この人、呪いにかかっている、と思いながら。
「晴王子。
やっぱり呪いにかかってますよ。
ゲームより、くさい台詞を言う呪いに――」
そう言いながら、朝霞は背伸びし、ちょっとだけ自分から晴に口づけてみた。
完




