滅相もないです、はい
その日の放課後、朝霞が駅への道を歩いていると、
「朝霞」
と後ろから声がした。
こ、この声はっ、と朝霞はビクつきながら振り返る。
ひーっ、十文字先輩っ!
「珍しいな。
帰りに一緒になるなんて」
ほ、ほんとうでございますねっ、と心の中で思いながら、朝霞は、キョロキョロと周囲を見回していた。
なんとなく、助けを求めてしまったのだ。
せ、先輩と二人だけで駅まで歩くとか無理ですっ、と思いながら。
その様子を見ていた十文字は、
「……なんだ。
俺と歩くのは嫌なのか」
と威圧してくる。
「め、滅相もないです、はい」
と小さく言いながら、朝霞は十文字の少し後ろをトコトコと歩く。
な、なんの話をしようかな。
先輩も沈黙してるしな……と思った朝霞は、あ、と気づいて、スマホを見た。
「どうした?」
と十文字が振り向く。
「いえ。
そういえば、お母さんが帰りに買い物してきてって言ったの思い出しまして」
と言いながら、朝霞はメモの画面を開く。
上からこちらを見た十文字の目にそれが入ったようだった。
酢。
塩。
萌えるゴミ袋。
「……萌えるゴミ袋」
「このスマホ、かなりの確率で、『萌える』んですよ……」
意味がわかればいいやと特に変換しかえることもなく、放置しているのだが。
その繰り返しにより、学習して、より萌えてしまっている気がする。
「お前が普段から、おかしな言葉ばかり覚えさせるからだろう」
「いやいやいや、違いますよーっ」
と言ったあとで、朝霞は思い出して語る。
「でも、この間、ネットで商品を注文したとき、オプションでつけてもらえるものがあって。
ご希望の色を備考欄に書いてくださいってあったから、白でお願いますって書いたつもりが、あとでよく見たら、
『白でお願いしますわ』
ってなってたんですよ~」
「……お前、スマホにも乙女ゲーム入れてんだろ。
スマホが勝手に学習してんじゃないのか?」
そんなことないですよー、と言ったあとで、
「あ、でも、関西弁かもしれないですよね。
『白でお願いしますわ~』って」
「お前のスマホ、いつ、関西に行ってきた……」
というしょうもない会話をしていたのだが。
ちょうど向こうから、他校の男女が仲良く歩いてきた。
カップルかなあ、と思って彼らを見た朝霞は、はっとする。
もしや、こっちもそう思われてたりっ。
それだけで、ちょっとウキウキしかけたのだが、十文字がちょうどそそのタイミングで訊いてきた。
「そういえば、100年の呪いの夢はどうなった?」
「は?」
いや、100年の呪いじゃなくて、100年の恋なんですけど、と思いながら、朝霞は言う。
「いや、特に進展してないですけど。
ドレス着せてもらったくらいで……」
すると、十文字は駅の方を見て、溜息をつき、
「まあ、勝手にそんな呪いをかけられても困るよな」
と言ってきた。
朝霞は足を止めかける。
そ……それはあれですか?
私と恋に落ちるのはお嫌だというお話ですか?
私などに好かれたくないというお話ですか?
夢の中の王子と同じくらいフリーズした朝霞を見下ろし、十文字は、
「どうした?」
と訊いてくる。
「ど、どうもしません……」
特に深い考えはなく、おっしゃっているのでしょうか、王子、と朝霞は混乱したまま思う。
「お、電車だぞ、朝霞」
とちょうど駅に入ろうとする電車が見えたらしい十文字が朝霞を急かそうと、ふと、手を握りかけた。
だが、その無意識の行動の意味に気づいた十文字はすぐに手を下ろしてしまう。
「行くぞ、朝霞」
……やはり、お嫌いなんですか? 先輩。
私のことがお嫌いだから、手を繋がなかったんですか?
そんなことをずっと考えながら、朝霞は夜、王子とともに、穴を掘っていた。
ドレスを着たまま。
今日はどうしても一緒に掘る、と主張し、何処からかともなく出してきたツルハシでガツガツ岩肌を叩き始める朝霞を見て、
「……どうした、朝霞」
と王子が問うてくる。
朝霞はそちらを見ないまま、
「いや、ちょっとしたストレス解消ですっ」
と言って、またツルハシを打ち込んだ。
「そうか」
と王子も負けじと掘り始めたそのとき、ガラガラと岩肌が崩れはじめた。
カンテラの明かりを見えなくするほどの眩しい光がそのわずかな隙間から差し込んでくる。
「朝霞っ。
なにかがっ」
「王子っ、もう一息ですっ」
二人で、ケーキ入刀のごとく、ツルハシとシャベルをその隙間に打ち込んだ。
……眩しい。
バキッと最後の硬い岩壁が割れ、崩れ落ちたそこから、燦々と差し込んできたのは、外の光だった。
単に外に抜けてしまったようだ、と思いながら、朝霞たちは洞穴から草の上へと踏み出した。
目の前に巨大な城がそびえている。
どうやら、城の裏手に出たようだった。
裏木戸を開け、ゴミを持って出てきた城の使用人の女が森の手前にいる朝霞たちを見て、ぺこりと頭を下げる。
そのまま、ゴミを捨てに行ってしまったようだ。
鳥のさえずりを聞きながら、朝霞は呟く。
「……城がありますね、王子」
「そのようだな……」
「まさか、この洞穴の先に宝石があると言うのは――」
「……城に宝石があるという話だったのか?
俺たちは莫迦なのか?」
そう王子が呟いたとき、
「回り回って帰ってきたと思うかもしれませんが」
と真横で声がした。
わっ、と二人で叫んで、飛んで逃げる。
真横に肖像画のエリザベス一世のような格好をした紀和一世が立っていたからだ。
「回り道をして、たどり着く、ということが大事なのです。
なにも挫折することもなく、王位に着くよりも、きっと、お前は、大きななにかを得たことでしょう。
これを――」
と紀和一世は、駄菓子の飴玉かと思うような巨大なダイヤモンドの指輪を王子に渡す。
王子は頷き、朝霞の方を向いた。
「朝霞……」
王子は朝霞の前にひざまずき、その手をとって口づける。
夢とも思えないほど、リアルにその柔らかな唇の感触を感じて、ひいーっと叫びそうになったとき、王子は立ち上がり、朝霞になにか言おうとした。
「まっ、待ってくださいっ」
と朝霞は叫んでいた。
「何故だ、朝霞。
俺が嫌いなのか?」
「そっ、そうではありませんっ。
そうじゃなくて……っ」
そういうことがあるとですねっ。
「朝霞ーっ。
いつまで寝てるのーっ」
目が……
目が覚めるからですよーっ、と叫んだときには覚めていた。
朝、溜息をつきながら、おのれの手を見つめ、玄関を出ようとした時、廣也が言ってきた。
「どうした、朝霞。
あかぎれか?」
いや、今、初夏なんだけど。
「ハンドクリーム持ってきてやろうか?」
と朝霞の手をつかみ、訊いてくれた廣也はちょうど来た佐野村を見、
「ちょっと待て、朝霞の手にクリームを塗ってやるから」
と言って、
「またか……」
と言われていた。




