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雪華の恋  作者: 小津 カヲル


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10/10

旭陽の春

 母が亡くなってからの時間は、あっという間だった。気づけば四十九日の法要が営まれる日を迎えていた。

 葬儀と同様、要さんは代理人をよこしてくれた。直接のお別れは出来なかったけれど、彼が母を決してないがしろにしていない事を知る私たちは、彼が一番良いと思う方法を選んでくれたと信じている。

 喪服に身を包むのも、これでしばらくは区切りとなろう。母は潮田さんが用意してくれた墓に入る。私の父は、父の親族の墓に入っているため、その方が私の負担が少ないと申し出てくれた。


 母に似あう白いユリの花が供えられた墓石の前に立つ、私と潮田さん。そして仕事を抜け出してきてくれた颯真がいる。新しい仕事のこと、それから営業らしい流行りの話題などを話すので、しばらく見ていなかった潮田さんの笑顔が見れた。賑やかな彼がいてくれて、きっと母も喜んでいてくれてると思う。


「来てくれてありがとう、颯真」

「ああ、気にするな」


 住職と話をする潮田さんを待つ間、私たちは寺の縁台に並んで座る。

 寒さはまだ残っているが、日差しは間近に迫る春を感じる。雪が多かったこの冬のなごりを、融かしてあちらこちらに土をのぞかせている。雪は水となって大地に染み込み、命の芽吹きとなる。膨らんだ梅のつぼみが、否応なしに過ぎてゆく時を感じさせた。


「俺さ、食らい付いていこうと思うんだ、本郷部長に」


 唐突に聞かされたその名に、現実に引き戻された。


「今、正念場だと思う。あの人は少なくとも、新しい事業でその地位を盤石なものとする気だ。今まで聞いていた人柄とはちょっと違って驚いたけど、ああ、出来る奴ってこういう奴のことを言うんだって思ったんだ。だからお前のことは関係なく、俺は本郷部長と仕事がしたいと思う」

「……うん、いいと思うよ。颯真は颯真のしたいように。私のことを気にして遠慮なんかしないでね」


 父親との確執のために就職先に選んだ南陽興産。だけどそこを出て、父親の、本郷の呪縛から抜け出た要さんなら、きっと今まで以上に活躍するだろうと私は思う。実際に、そのような要さんの変化を噂で耳にする。あの気配りと優しい物腰は部下だけでなく取引相手にも好評ではあったが、それに攻めの営業が加わり注目されていることを。

 私はそんな彼と仕事を共にできる颯真を、少しだけ羨ましく感じながらも、未だくすぶる感情を持て余す。


「なあ、伊織。もし、もし本郷部長がまだお前のことを好きだったら、お前どうする?」


 颯真の言葉に、驚き言葉を詰まらせる。けれど私たちは互いに納得してこの結果を受け入れている。私は整理がつかないけれど、だからといって……。


「そんな事ない。要さんはきっと、もうちゃんと切り替えてる。私みたいにぐずぐずしてるわけないよ……意地悪だね、颯真は」

「そっか、ごめん」


 それから戻ってきた潮田さんと共に、私たちはお母さんの眠る墓地を後にした。








 四月になり、一年前の私のように真新しいスーツに着せられた新入社員を見かけるようになった。

 短いようで、色々あった一年に想いを馳せていれば、先輩の佐伯さんに容赦なく仕事を振り分けられた。いい区切りだからって、スパルタに思い切り振れるのは止めて下さい。


「伊織ちゃん、甘いわよ。課長のしごきはこんなものじゃなかったんだから」

「課長……って、か、本郷部長のことですか?」

「そう。私も追いつきたくて、小娘のくせに食らい付こうとやっきになったの。でも追いすがっても追いつかなくて、本当、大変だったわ」


 佐伯の遠くを見るような目、そして懐かしさの中にほのかに混じる笑みに、私はようやく悟る。彼女もまた、彼を心で追い求めていたのだと。己のあまりの鈍さに、鈍器で殴られたような衝撃だった。

 そんな間抜けな私を振り返り、佐伯さんが苦笑いを浮かべている。


「とんでもない人を、追いかけちゃったって思ってたけど、それでも楽しかったのよ。だってそれは私だけの幸せな気持ちだもの。たとえ課長には届かなくてもね」

「……佐伯さん、わたし」


 情けない顔でいる私の胸元を、佐伯さんはその細くて綺麗な指で一押しする。


「届かなくても、想うのは自由。そうじゃない?」


 その微笑みはいつものよりもずっと晴れ晴れとして、そして美しいと思った。

 私は溢れる涙を堪え切れず、ただ何度も頷く。彼女は恐らく知っていたのだ。私が、要さんが、この一年間誰を見ていたのか。気づいてさえしまえば、容易に想像できる。彼女は要さんの些細なサインも見落とさず、仕事の補佐を的確にこなしていたのだから。

 みっともなくも職場で泣きだした私は、それからしばらくの間は先輩にダメ出しをされた二年目社員。彼女は後輩をついにいびる、お局のレッテルを貼られることになった。ただし営業二課限定だが。そんなレッテルが二課のみで止められ流出を防げたのは、ひとえに佐伯さんの力だったけれど。


 笑いながらその顛末を聞く紗香は、社員食堂の注目を集めていた。


「ああ、お腹痛い。笑いすぎちゃった」

「笑いごとじゃないよ、全然気づかなかったなんてサイテー」

「やっぱり気づかなかったんだ?」

「って、紗香は知ってたみたいな口振りだけど」

「うん、そうじゃないかと前から思ってた」


 食べかけのクリームコロッケを落としそうになった。


「でもさ、佐伯女史も良い事言うね、うん。想うことは諦めることないよ、伊織。私もそうするから」

「……え?」

「ここで言うのもなんだけど、少し前から何度か会ったことがあって、伊織には悪いかと思ったんだけど」

「え、何?」

「まあ落ち着いて……伊織の幼馴染、いいなと思って」

「え、え? えええ」


 紗香の少し横を向きながらの、こちらをうかがうような表情を見て、ちょっと……いや、すごく嬉しくなる。


「そう、なんだ」

「うん、そう」

「応援、する」

「ふふ、ありがと」


 紗香らしからぬはにかんだような笑みを見て、人の縁の不思議を感じる。

 颯真と紗香。どちらも私の大切な友人の二人が、並んでいる姿を見る日がくるのを、心から待ち遠しい。紗香はきっと、これまでの颯真との事を知っているからこそ、言い辛かったに違いない。だけど彼女は迷いながらも、私に伝えるだけの気持ちをその胸に育んできたのだ。それは佐伯さんの想いとも通じる気がした。

 ならば私も、想い続けてもいいのだろうか。求めさえしなければ、想っていても罪にはならないのだろうか。

 少しだけ、胸に温もりが戻ったように感じた。






 四月の中ごろを過ぎ、私は休暇を取って墓参りに来ていた。

 お母さんの月命日には、しばらくは出来るかぎり来るつもりだ。潮田さんにも会える口実ができる。


「実は、玲子が亡くなる前に、少しづつ書きとめたものがあってね」

「書きとめた? 潮田さんがですか?」


 線香を炊く潮田さんに、二人で書きとめたメモのような手紙の存在を知らされる。


「玲子の頼みで、思い出せる事を書き出す手伝いをしてね。その手紙とあるものを、玲子が亡くなったら颯真君に預けるようにと頼まれたんだ」

「颯真に?」


 私ではなく颯真に。その真意が分からず、手紙の内容が気になる。


「颯真君に託した手紙は、時期がくれば必ず要君の手に渡ると信じて。玲子は幼い頃から見て来た颯真くんを、信頼していたようだ」

「え、あの潮田さん、言っている意味が。要さんへの手紙なら、代理人の方に渡せばよかったんじゃ?」

「それでは意味がないんだ。颯真君はいわば君のための父親代わりなんだから」


 潮田さんが微笑む。玲子も考えたものだね、そう呟きながら。


「それで、昨日私のところに颯真君から連絡があったんだ。その玲子の手紙を要君に渡したと。だから今日は来られないけれど……ああ、やっぱり。来たね」


 私から視線を外し、潮田さんが微笑んだのはずっと後ろの方だった。

 つられるようにして振り返れば、そこには背の高い黒いスーツに身を包んだ、要さんが立っていた。その手には、白い花束。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。お悔やみ申し上げます」

「よく来て下さいました、要さん」


 私の目の前で二人は穏やかに頭を下げてから、お母さんの墓前に手を合わせる。私も二人に続いて手を合わせるが、そばにしゃがむ人の事ばかりが気になってしまう。

 祈り終えた要さんは、以前と少しも変ってない。そんな優しい目で見下ろされたら、求めていけないものまで欲してしまいそうになる。


「今日は、姉に報告があって来ました」


 要さんが黒い喪服の内ポケットから取り出したのは、封筒だった。すぐにそれが母の手紙だと分かった。


「どうするか、気持ちは定まりましたか、要君」

「はい」


 要さんが私を見つめる。ドキリと胸が鳴り、それから逃げるように顔を背ける。潮田さんがそんな私に、追い打ちをかける。


「私は少し外すから、伊織ちゃんは彼から手紙の内容を聞きなさいね」

「潮田さん、まって」


 要さんが潮田さんに会釈すると、潮田さんは住職と話があるからと、私の願いは聞き入れることなく去ってしまった。否応なしに向き合うことになった要さんとの距離。私は怯える。蓋をすることを諦め、想い続けた恋で身を焦がす辛さに。


「伊織、僕はもうあきらめることを止めにする。今、姉さんにそう伝えた」


 要さんが何を言っているのか分からなかった。そして差し出された封筒を受け取り、その中を確認する。

 潮田さんの丁寧な字で書かれた紙が数枚。そしてもう一つは用紙が違う紙。そこに書かれた文字を目でなぞり、私は驚き、彼とその紙、そして骨となって眠る母の墓へと視線を虚ろわせる。


「伊織と姉さんは血が繋がっていない。だから僕とも当然、血縁ではありえない」

「私、お母さんの娘じゃない、の?」

「姉さんの手紙には、君のお父さんと別の人との子供だと書かれていた。だがそちらは証明されてはいない」


 再び見下ろしたそこには、遺伝子、親子、パーセンテージ、数字の羅列と無情なまでに書かれた、親子関係にないという言葉が並ぶ。


「戸籍では養子ではなく実子になっている。色々と手を尽くして調べさせている所だ。だが伊織、僕は決めた。出来うる限りの方法を使って、きみを迎えに来る。だから待っていてくれないだろうか」

「要さん……でも」

「姉さんが黙っていたのは、伊織との母娘というつながりを捨てたくなかったからだ。だけど娘の幸せを願って最後にこれを残してくれた。潮田さんはその気持ちをくんで時期を見計らってくれた。そして柴崎が、伊織を託しても良いと認めて手紙を渡してくれた。それなのに自分だけが何もせず、伊織を諦めるだなんて出来るわけがない。道を、探そう伊織」


 差し出された手を、再び掴んでいい日がくるなんて思わなかった。

 歪む視界に、春の日差しが眩しくきらめく。


 消えてと願った想いが、その日、確かに芽吹くのを感じた。


 雪は融けて、春になった。





 雪華の恋 完

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