森の奥で蠢くもの
あれから、数日が経っていた。
舞台は荒野から、森の中へ移っている。木漏れ日が、地面にまだらな光を落としていた。戦闘はもう終わっている。あたりには、大小さまざまな生物の死骸が転がっていた。数日分の、狩りの手応えだ。
トウヤが刀を鞘に納める。一瞬、目を閉じた。再び開くと同時に、抜刀する。
空気を、斬り裂く音。
渾身の一撃に近い鋭さだった。かつてブラッドベアに合わせた、あの力を込めた抜刀。それが――今は、自然に出せている。構えることもなく、気負うこともなく。トウヤは刃をしげしげと見た。何かを確かめるように、刀身をいろいろな角度から。
「なにをしておるんじゃ」
リィズが不思議そうに訊く。トウヤはすぐには答えない。刃を見たまま。
「なんか、妙に調子がいい。むしろ、良すぎて……感覚とのズレがある」
「あー」
リィズが、思い当たる節があるように相槌を打った。トウヤが視線で続きを促す。
「妙に、身体が軽かったり。反射のキレが、良かったり。いつもの感覚と、ズレてはおらぬか?」
「そのとおりだ」
「今までの経験と、感覚が合ってなくて気持ち悪い……お前とキスした時以上だ」
ポツリと呟いたトウヤの言葉にリィズの動きが、止まった。
「なんじゃとー!? よりにもよって、乙女の接吻を気持ち悪いじゃと!?」
ライフルを構え、銃口をトウヤに向ける。
「いや、待て」
トウヤが、珍しく焦った。
「そういう意味じゃない」
「アアン?」
銃口を下げない。それどころか、ライフルの銃口でトウヤのほっぺをグリグリと押し付ける。
「どういう意味じゃ?」
「契約した時だ」
銃口を押しのけようとするが、ピクリとも動かない。結構な力を込めているはずなのに、大地に根を張った巨木に手をかけているような感覚だった。
「お前と契約しただろう。あの時も、身体の感覚がガラッと変わった。経験と感覚がズレて、気持ち悪かった。今のは、あれ以上だって意味だ」
リィズが銃口を、ようやく下げた。
「……ふん。ならよし」
すれ違いが、解消する。だが、リィズはふと思いついたように、銃口をまた少しだけ持ち上げた。
「で、ついでに訊くがの……キスの感想は?」
にやりと笑うリィズにトウヤは刀を鞘に納め、視線を逸らした。
「……ノーコメントだ」
「アアン!? なんじゃその答えは。減点じゃ減点」「逃げおったな、こやつ」
リィズが咳払いを一つして、話を戻した。
「とにかく、急速に適応が進んでおるということじゃな」
軽く笑う。
「順調に、新世界に馴染んでおる。ハンターへと、足を踏み始めておるのぉ」
どこか、感慨深そうだった。
「なるほど、そういうものか」
もう一度、刀を振る。今まで会った生物や人間を思い出しながら。キッド、狼の群れ、ブラッドベア、数日で狩った森の生物たち。一つ一つの手応えを思い出すように、刃の角度を調整するように。
しばし、素振りを繰り返す。リィズはそれを放っておいた。大事なことだとわかっている。こうなったらしばらく自分の世界に入る男だ。邪魔をしない。近くの倒木に腰掛けて、待っている。
やがて、トウヤが満足したように刀を鞘に納めた。
「もういいのか」
リィズが倒木から立ち上がる。
「ああ、ある程度は掴んだ。あとは、実戦で――」
「待て」
低い声だった。さっきまでの軽口とは、温度がまるで違う。短く、鋭い。
トウヤは言葉を切って足を止めた。振り返らずとも、リィズが何かを察したのがわかる。
遅れて、自分でも気づいた。
音がない。森の中だというのに、鳥の声も、虫の羽音も、さっきまで当たり前にあった生き物の気配が、根こそぎ消えている。
どちらからともなく、背中を合わせた。ほとんど同時だった。
森の奥で、音が生まれた。
カチ、カチ、と硬いものの触れ合う音。最初はひとつ、遠くから。二人とも動かない。静寂の中に、その音だけが響いている。
「お主が実戦で調整とか言うたせいではないのか」
「いや、さすがにそれは言いがかりだろ」トウヤは前を見据えたまま返す。「そんな、戦いを喜ぶ戦闘狂みたいな言い方は」
どの口が、とリィズは思ったが、口には出さなかった。今はそういう場合ではない。
声は低いまま、警戒は解いていない。
カチカチが増えていく。左から。右から。背後からも。二人を囲うように、音の輪がじわじわと狭まってくる。
ひとつひとつは小さい。だが四方八方から重なって、やがて森全体が鳴っているように聞こえ始めた。数が、多い。
「ほれ、たっぷりと調整相手がいるようじゃの」
「おかわりを喜ぶような趣味は、ないんだが」
木々の隙間から、最初の一匹が姿を現した。黒く節くれだった脚、鈍く光る甲殻。細部に違いはあれど、それはどこにでも見かけるアリだった。
ただし、中型犬ほどの大きさを除けば。
カチカチと鳴っていたのは、その顎だった。
二匹目が別の方向から。三匹目は頭上の枝の上に。そこからは、堰を切ったように増えていく。
かさかさと下生えを鳴らしながら、次から次へと一斉に動き出した。




