イグニッションスタート
唸りをあげて、蒸気機関車が荒野を走っていた。
車輪が継ぎ目を踏むたび、ガタン、ガタンと規則正しい振動が床を伝う。吐き出された白い蒸気が、煙突から長く尾を引いて、空へ流れて消えていった。地平線まで途切れることのない、乾いた大地。赤茶けた土と、剝き出しの岩肌が、どこまでも続いている。陽は高いのに、世界そのものが古い写真のように褪せて見える。
最後尾のデッキに、男がひとり立っていた。
屋根もなく、床と腰高の柵だけの、車両から突き出した小さな出窓のような場所。男は柵にもたれ、外へぐっと顔を突き出している。流れていく景色を、惜しむように眺めている――ように見えた。
次の瞬間、男の喉が鳴った。
胃の中はとうに空だった。それでも、込み上げてくるものはある。柵を握る手に力がこもり、背がぐっと丸まる。脂汗の浮いた青白い顔が、もう景色どころではないと語っていた。
新大陸由来の、全く未知なる物質。それによって技術革新が相次ぎ、世界はいま魔導革命の只中にあった。その英知は、しかし人類に新たな問題ももたらしている。
つまりは、乗り物酔いである。
旧大陸から海を渡って十日。そこからこの汽車に揺られて、さらに数時間。男にとっては何もかもが初めての新大陸であり、そのすべてが、まず胃から来た。
腰には、東洋の刀が一本。右腕には、継ぎ目の覗く無骨な小手。それだけが、ぐったりとうずくまるこの情けない東洋人を、わずかに普通でない誰かに見せていた。
「兄さん。景色がそんなに気に入ったかい」
背後から、軽い声が降ってきた。
男は顔を上げる気力もないまま、わずかに首だけを巡らせた。白いスーツに、同じ色のハット。仕立てのいい身なりに人懐こい笑みを浮かべた、伊達男が立っている。三十がらみといったところか。こんな辺境行きの汽車にはおよそ不釣り合いな、垢抜けた装いだった。隙のない優男ぶりだが、その笑みの奥に、ふと刃物めいた匂いが差す。
そして何より、目を引くのは背中だった。人ひとりを担ぐほどもある、ばかでかいライフル。とても片手間に背負う代物ではない。
声の軽さと、背中の重さ。男はその不釣り合いを、ぼんやりと眺めた。
「おっと、自己紹介がまだだったな。俺の名はルチアーノ。幸運を呼ぶ男、ラッキー・ルチアーノだ。覚えときな」
名乗りもまた軽い。男は気だるげに口を開いた。
「トウヤ。……コノエ・トウヤだ。よろしく……うぷっ」
最後まで言い終わらないうちに、また喉が鳴る。ルチアーノが小さく笑った。
「兄さん、その調子でよくここまで来たな」
呆れ半分、心配半分といった声だった。ルチアーノはトウヤの腰のものへ目をやり、口の端を上げる。
「しかし、まさかそんな骨董品の剣一本で、新大陸に……ワールズエッジへ乗り込もうってかい?」
骨董品。刀を一瞥しただけで値踏みを済ませた言い草だった。トウヤは答えない。
「それとも別に、切り札か――獲物でもあるのかい」
言いながら、ルチアーノの視線が刀から滑り、床に置かれた一抱えほどのハードケースへ移る。釣られて、トウヤの目もそちらへ動いた。
「いや。それは自分のじゃ――」
言いかけた言葉が、途切れた。
はるか後方の地平線に、土煙が立っていた。
最初は陽炎かと思うほどの、小さな揺らぎ。だがそれは、みるみるうちに大きくなっていく。近づいてくる。それも、唸りをあげて走るこの蒸気機関車よりも、なお速く。
やがて土煙の中に、影が見えた。ひとつ、ふたつ――数えて十あまり。いずれも、地を這うように疾る大型のトカゲに跨っている。背の上の人影は、手に手に銃を握っていた。
「ちっ。列車強盗か」
ルチアーノの声から、軽さが消えていた。荒事に慣れたハンターやスタッフを乗せたこの汽車を、真正面から襲おうという連中だ。
「舐めやがって」
先頭を駆けるのは、ひときわ大きなトカゲだった。その背に乗る男が、ピストルを天へ掲げる。合図ひとつで、後続が左右に割れた。獲物を挟み込むように、隊列が広がっていく。烏合の衆の動きではない。
ボスは、若い。まだ二十歳そこそこ――追ってこちらを見据える男と、さして変わらぬ歳に見えた。
その若いボスと、目が合った。
気がする、ではない。確信した。これだけの距離があり、互いに動いているというのに、視線が、まっすぐに噛み合った。
ボスが銃口をこちらへ向ける。当たるはずのない間合いだった。
口の端が、わずかに歪んだ。
撃った、ように見えた。
弾道は見えない。音すら遅れて届く。だがトウヤの体は、考えるより先に動いていた。床へ伏せる。
次の刹那、背後で湿った音がした。
振り返ると、ルチアーノの白いスーツの胸に、赤い染みが滲んでいた。本人すら、何が起きたのか飲み込めていない顔だ。トウヤはその腕を掴み、強引に引き倒す。
たった今ルチアーノの頭があった位置に、二発目が食い込んだ。柵の木がささくれて弾ける。
まるで、狙い澄ましたように。同じ場所へ、二度。
「……どこが、幸運な男だよ」
追いついた強盗たちが、左右から銃撃を浴びせ始める。トウヤはルチアーノの脇に手を入れ、引きずるように車内側へ後退した。手近にあった一抱えのハードケースを、盾の代わりに引き寄せる。弾が当たり、固い音を立てて跳ねた。妙に頑丈な代物だった。
遮蔽の陰で、ルチアーノの傷を検める。胸を貫かれている。だが――内臓も、骨も、無事だ。急所という急所を、ことごとく逸れていた。これだけ撃たれて、この男はまだ生きている。
「……確かに、幸運な男だな」
その時だった。
盾にしていたハードケースの蓋が、内側から勢いよく跳ね上がった。
「パンパンパンパンうるさいわー! 眠れぬじゃろがー!」
中から飛び出してきたのは、メイド服を着た小柄な少女だった。砂と硝煙にまみれたこの荒事の場には、あまりにも不釣り合いな装いだった。状況を、まるで理解していない。寝起きの不機嫌そのままに、頬を膨らませて喚いている。
脇すれすれを、弾がかすめた。
「ぬぉおおお!?」
少女は悲鳴を上げてケースの陰に引っ込み、頭だけをそろりと突き出した。
「な、なんじゃ。何が起きておるのじゃ」
威勢のいい第一声が、嘘のようなビビりようだった。だがその目は、すばやく周囲を舐めていた。やがて倒れて血を流すルチアーノを認めた瞬間、メイドの少女はためらいもなく駆け寄っていく。
そして、その背に負われたばかでかいライフルへ、迷いなく手をかけた。
「おいおい」
トウヤが思わず口に出す。止めはしない。だが少女は、剥ぎ取る手を一切止めないまま、こちらを見て言った。
「使えるものは使わんとな」
ライフルを引き抜き、肩へ担ぐ。
「今のこの状況、これは盗みではない。戦術的判断じゃ」
言い訳はする。だが手は止めない。
「ふむ」
メイドの少女は一言呟くと、しげしげと大型ライフルに目をこらした。銃身を撫で、重さを確かめるように軽く揺すり、頬を寄せて狙いの感触を測る。やがて満足げに頷くと、人ひとり分はあろうかというその得物を、小柄な体でやすやすと構えてみせた。
そして、地を蹴った。
軽々と、列車の屋根へ跳び上がる。人ひとりが飛べる高さではない。トウヤは束の間それを見送り――やがて、なんとなく後を追った。同じように、屋根の上へ飛び乗る。
夜にもう1話あげます




