1-衆人環視の聖女
幽霊となって見知らぬ世界に流されてしまった、金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフが好きな男と、邪教にとらわれ、生贄にされそうになったいる聖女の物語。
人は死んだらどうなるのか。
人類はこの問いに対して、様々な想像を膨らませてきた。死後の世界は光に満ちてるだとか、閻魔様の裁きを受けるだとか、天国か地獄に行くだとか、輪廻転生だとか、死後の世界なんて無くて完全に無になるだとか。今日、俺はその永遠の謎の答えに行きついた。答えは彼岸だった。雲一つない真っ赤な空、果てが見えない広大な赤い海、水平線の彼方まで続く砂利の岸辺。人は死ぬと火の玉状の魂となり、ここに辿り着く。彼岸ってのは確か、超えるべき川を意味するんだったかな。しかして目の前に広がっているのは海な訳だけど、まあこの場所を表現するなら彼岸が一番しっくりくる気がした。
俺もまた死んで魂となり、ここに辿り着いた。現世でどうやって死んだのかは、正確にはわからない。自室でくつろいでいたら急に心臓に激痛が走り、一瞬の間もなく絶命した。心筋梗塞でも起こしたのだろうか。不摂生な生活してたからなあ……。
ざざん……。
彼岸には他の魂も多くいた。彼らの半分は俺のように岸辺でフヨフヨと当てもなく浮遊し、もう半分は海へ沈んでいった。魂にこびりついた死後に発動する本能──繁殖期に入った鳥が、本能的に求愛のダンスを理解するみたいな──なのか、俺は彼岸のことが何となく理解できている。彼岸の海は魂のリソースだ。ここに入ると魂は溶け込み、他の魂と混じり合って記憶も人格も失い新たな魂の原料となる。そして深海で新たに形成された魂はいくつも存在する世界のどれかに流れ着き、そこで新たな生を受けるのだ。生前、死ぬのは怖かったが、魂が溶けて個を失うことには恐怖は感じない。魂一つになった今では、何にも執着することがないからかもしれないな。もしくは、自分の断片が再び生き続けるという考え方もできるからか……。
「……」
俺は海に入る前に、もう少しこの景色を眺めておこうと思った。そうして岸辺をフラフラと漂っていると、砂利の上に腰を下ろして水平線を眺めている少年を見つけた。茶髪、パーカー、短パン……。現世で見かけるような姿そのままだ。他の魂たちと違って、火の玉みたいな形をしていない。彼は生きたままこの彼岸に辿り着いたのだろうか。
「……ん? 僕が気になるかい?」
少年に声をかけられた。返事をしようとしたが、言葉を発する口が無かった。なので体……。いや、魂を空中で上下させて意思を伝える。
「まあ、不思議に思うよね。言っておくと、僕は生身じゃないよ? 僕だって君と同じく現世で死んで、魂となって彼岸に辿り着いたんだ。じゃあどうして人の姿をしてるのかって? 魂に決まった形があると思うかい?」
あ、確かに。
「姿の変え方は、別の人に習ったんだ。その人はもう海に入って、他の魂たちと共に溶けちゃったけどね。君にも教えようか? 姿の変え方」
ふんふん。
魂を上下に動かして、肯定の意を示す。
「やり方は簡単さ。君にもできると思うよ。まずは自分の生前の姿を思い出してみて。できるだけ詳細に。そして、その姿になりたいと強く念じてみて」
「……」
生前の俺の姿……。生前の俺の姿……。
ぶわ……!
さっきまでは無かった感覚が俺を襲った。目と耳を得たからか視界と聴覚がより鮮明になり、世界をよりクリアに感じる。そして何というか、肉体的な感覚が戻ったというか……。
「これは……」
そして声も発せた。生前の俺の声だ。
「ごめん、僕の言葉不足だったね。姿を想像する時、服も想像した方がいいよ」
視線を下に向けると、俺は全裸だった。えっち。
「えーっと、服、服、服……」
生前の外行きの服装を想像すると、灰色のTシャツと長ズボン、スニーカーを身に纏った。ちなみにトランクスの色は灰色だった。
「へえ、こりゃあ面白い。教えてくれてありがとうな、少年」
「どういたしまして」
俺は自分の腕を舐めてみた。何とも言えない味がした。味覚もあるみたいだ。次にその舐めた腕の臭いを嗅いでみた。何とも言えない臭いだ……。
「もしかして、味覚と嗅覚があるか試してる?」
俺の奇行に対し、少年が推測する。その通りだ。
「自分自身や魂同士では味覚と嗅覚は機能するけど、世界に対しては機能しないよ。魂は物質と干渉できないからね。俗に定義されてる幽霊だと考えればいいよ」
「なるほど、それはわかりやすい」
幽霊は物質に干渉できない。味覚も嗅覚も、物質による化学反応だからなあ。あれ? それじゃあ世界を光学的に認識したり、会話ができるのはどうしてなんだろう。それに……。
「触覚はあるんだが、どうも変だな……。服を着ているって感覚はあるんだが、地面に立ってるって感覚がない……。靴越しに地面の硬さを感じないというか……」
「そりゃあそうだよ。さっきも言ったけど、今の君は幽霊みたいなものだもん。幽霊が物に触れるかい?」
「触れず、すり抜けるな」
「今の君は無意識に地面に立っているように振舞ってるけど、正確には空間上に魂の位置を固定してるだけなんだ。……って、この説明で伝わるかな? 今の僕だって、岸辺に座ってるように見えるけど、これは単なるポーズなんだよ」
空間、固定、ポーズ……。まあ、言いたいことはわかる。
「言われてみればそうだよな。幽霊は物に触れられないんだから、地面に立つもないもんな。ってことは……」
俺は意識し、自分の体を浮かせてみた。さっき火の玉型の魂だった時、上下運動したみたいな感覚で……。
ふわ……。
「うお! 浮いた! やっぱ幽霊だから、宙に浮けるって訳か!」
こりゃあ面白い!
「へえ、君、応用力あるね」
「すげえ、すげえ! これ、無限にどこまでも行けるじゃん! 幽霊だから、腹が減ったり眠くなったり、疲れたりもしないよな? この海の向こうには何があるんだ?」
俺は少し高くなった目線から、海を見つめる。どこまでも続く空の赤と海の赤が、水平線の彼方で混ざり合っている。
「うーん……、僕はお勧めはしないかな。海の方へいくら飛んでも海が続いてるだけだし、どんなに高く飛んでも空が続いてるだけ。陸地方向もそんな感じ。あと、地面をすり抜けて地下へ潜っても、真っ暗な地中が永遠に続いてるだけだった」
「実践済みか……」
急に萎えたな……。俺は高度を下げ、意識して地面に降り立つ。
「生前の肉体を再現する応用で、自身の姿を変えたり、服を作る応用で物を作ったりすることもできるよ。まあ、千年もしない内に飽きちゃうけど」
「そっかあ……」
生前、俺は金が欲しかった。意識を集中し、手の平に百万円を生成してみた。紙幣の質感とずっしりとした重量感が手に伝わる……。まあ、今の状態で金がいくらあったって意味無いんがよなあ。俺は札束を宙に放り投げた。紙幣はバラバラになって紙吹雪のように舞い、数秒して消滅した。
「体から離れると消滅するんだよ。何秒かして」
「そうみたいだな……」
俺は意識を集中し、金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフに姿を変えてみた。
ざざん……。ざざん……。
それから長い長い時間が流れた。昼も夜も無いこの彼岸では、大よそ時間というものが存在しない。肉体が無いので腹時計も機能しない。ただ感覚的に、何となく長い時間が流れた気がした。それは数十年か、数百年か……。その間、彼岸の岸辺には少年と金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフが並んでいた。ああ、海と空が赤い……。
「……それ、お兄さんの趣味なの? ニッチだね」
長い長い沈黙の後、少年が口を開いた。
「何も感じないな……。生前の夢が叶ったってのに……。金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフになってやりたいことが沢山あったのに、そんな気が起きないんだ……。だが、悲しさや虚しさは無い。不思議だ……」
「三大欲求ってのは生きるために肉体が持つ本能みたいなものだからね。物質としての肉体が無い状態じゃあ、性欲も無いよ」
「考えてみればそうだな」
俺は生前の姿に戻った。魂になったら何でもできるじゃん! そんな全能感はあったが、一瞬だけだった。幽霊っぽいことができるから何だというんだ。こんな何もない世界ですることはないし、もう……。
「少年は入らないのか? 海」
「僕は待ってる人がいるからね。いつ来るかわからないけど」
「そうか、達者でな」
「いってらっしゃい、お兄さん」
俺は海の方へと歩いていった。足が水に浸かったが、波は起きない。水の冷たさも感じない。そのまま頭の上まで入水した。息は苦しくない。と言うか、死んでいるんだから呼吸も何もないか。水の中でも目が開けられる。赤一色の光景が広がっている。舌にあたる部分を水が通過するが、味は感じなかった。このまま溶けるように沈んでいって……。
ずお!
「うお、何だ!?」
急に体が海流に飲まれて……! いや、魂は物質を透過するんだから、そんなことは起こらない! 空間に魂の位置を固定、体勢を立て直して……! いや、できない! どうしてだ!? 俺の魂は何かの力の干渉を受け、きりもみしながら暗い海底へと引きずりこまれていった……。
◆
気が付くと俺は、何処かの広い空間にいた。高い天井、林立する石柱、床面積はサッカー場の二倍くらいありそうだ。どこかの神殿の祭儀場か? 窓も明り取りも無く、何となく地下って印象を受ける。光源は等間隔に並べられた燭台の蝋燭の炎のみで、全体的に薄暗い。俺は中心部にある小高い祭壇の上に居た。床を見下ろすと赤い装束を纏った大勢の人たちが整然と並び、祈るように手を組んで祭壇を見つめている。この状況からして、信者と呼ぶべき人々だろう。なにこれ? ヤバい宗教団体か何か? こわーい……。
「……」
俺は今、何百という信者が注目する祭壇の上に立っている。しかも生前の姿をして。しかし、信者たちは何の反応も示さず、ずっと祭壇を見つめているだけだ。
「モード、金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフ」
金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフになってみたが、それでも誰も微動だにしない。やはり、俺の姿は彼らには見えていないようだ。これだけの人数がいて、誰も金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフが趣味じゃないなんてことはないだろう。確率的に有り得ない。
ぽふん。
生前の姿に戻った。その際、何となく煙のエフェクトを生成してみた。祭壇の四方には階段があり、そこから真っ直ぐに道が伸びて四方の壁にある扉へと繋がっている。階段を降り──生前の癖で、無意識に足を使って階段を降りた──、手頃な信者の一人に話しかけてみる。
「金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフは好きですか? 金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフは好きですか? 金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフはいいですよね?」
「……」
反応はない。やはり姿だけでなく、声も聞こえてないみたいだ。信者の肩に触れようとしてみたが、俺の手は透過した。どうやら俺はこの世界で、何にも干渉できない幽霊として存在してるらしい。はて、どうしてこんなことに……。普通だったら彼岸の海で魂が溶け、新たな魂として新たな世界で生を受けるはずだったのに……。もしかして、溶ける前に魂だけでどこかの世界に放り出された? そうとしか考えられないが……。
ぎぃ……。
正面の扉が開き、一人の少女と一人の男が姿を見せた。少女は金髪碧眼のロングヘアで、エルフを思わせる整った顔立ちをしていた。小柄な体躯からして年齢は十かそこらだろうが、胸囲はその年齢に見合わない豊かさがあった。今見える範囲だけで見ると、耳が長くないこと以外は俺が理想とする金髪碧眼ロングヘアで白スクニーソのロリ巨乳エルフにかなり近い見た目だ。そして彼女は白い一枚布を巻いた服を着ていて、足は革靴だった。どことなく、古代ローマ人みたいな服装だ。あれはトガって言うんだっけか。そしてその少女の横を歩くのは、他の信者よりも上等そうな装束を纏った三十代後半くらいの男だ。装束の豪華さからして、神官かな? そいつは服の上からでもわかるような恵体で、暴力的な威圧感を放っている。そんな男がまるで絶対に逃がすまいとするように、少女にピタリと張り付いて歩いていた。少女も少女で目を伏せ、処刑台にでも行くような足取りで歩いてるし……。
「あの子、連行されてる? まさか……」
祭壇、信者、伏し目がちな少女……。嫌な想像が脳裏をよぎる……。
がちゃがちゃ……。
「ん?」
いつの間にか祭壇の上に三人の信者が登っていて、何かを設置していた。再び祭壇の上に戻ると、その全容が明らかになった。二メートルはありそうな木のアーチの頂上部にロープが結ばれ、垂れた先端は輪っかに……。これは絞首台? いや、絞首台なら足元の床がパカンと開く台も一緒じゃないと……。そうこう考えていたら、少女と神官が祭壇に登った。そして神官が少女の両手を上げさせ、ロープの輪に拘束する。彼女はつま先立ちで吊るされてしまった。
「これより、邪神降誕の儀式を執り行う!」
神官が両手を上げ声高らかに、そう宣言した。邪神降誕……。ここって邪教なのかよ……。それじゃあ状況からしてこの子、生贄にされちゃうじゃん。自分の中の良識に従うなら、少女を助けたい。彼女、明らかに自分から進んで身を捧げるみたいな雰囲気でもないし。だけど今の俺は身一つどころか、体さえ持ってない……。どうすることもできない……。だからって見捨てることもできないし……。
「……」
祭儀場を埋め尽くす信者たちは無言のままだったが、その視線は確かな熱量を帯びていた。
「ああ、邪神様! 邪神様! これはまるでアナクスナムール! この少女を生贄に捧げます! 貴方様に敵対するエレア教の聖女です! 今夜! 今夜! アナクスナムールのようだ! 女神エレアに制裁を!」
生贄? エレア教? 聖女? 女神? 情報が多すぎる。ここの邪教とエレア教ってとこが敵対してて、生贄にするために敵対勢力の聖女を攫ってきたのか? あと、アナクスナムールって何!? って言うか、どうして俺はこいつらの言葉が理解できてんだ? 明らかに日本語じゃないのに、頭では意味が分かるというか……。
ちくっ……。
一瞬、心臓の辺りに痛みを感じた。生前は不摂生な生活をしてたからなあ。心臓の血管が狭くなってるのかも。生前の体になって、そんなところまで再現されたのか……。まあ、これ以上死ぬことはないから健康面での心配はないけども……。
「アナクスナムール! アレクトラーフィ!」
アレクトラーフィって何!? 宗教用語!? と思ったのも束の間、神官が聖女の装束の端を引っ張った。すると白い装束はシュルリとほどけ、それまで隠していた躰を露わにした。やはり一枚布を巻いて服にしていたらしく、床に落ちた装束は一枚の長い布になった。聖女は生まれたままの姿となった。靴を除けば一糸纏わぬその姿が、数百人の衆目に晒される。聖女は顔どころか耳まで真っ赤にし、歯を食いしばって必死に涙をこらえていた。生前の俺だったら衆人環視というシチュエーションと背徳感で興奮していただろうが、性欲が無くなった今となっては別に何も感じないな。いや、純粋に彼女が可哀想だと思う。聖女の裸体を子細に描写し、記憶に留めておく必要もないだろう。
「アレクトラーフィ! ウユツールル! アゲアッハ!」
神官がまた訳のわからないことを叫びながら、聖女のへその下、小麦色の茂みの上あたりに平手打ちをかました。スパンキングするとこ、そこ?
「んっ……!」
上げそうになった悲鳴を必死にこらえる聖女。ん? 聖女の下腹部には平手紅葉ではなく、ハートと子宮の形をミックスしたような濃い桃色の紋様が残った。あの一瞬で刺青を? そんな訳ないか。
「ウユツールル、ウユツールル。ああ、邪神様、邪神様……! その名を口にすることもテユルテムな高貴なお方よ……。貴方の残滓をこの聖女に埋め込みました。イウツユルハイアーラです。ああ、アナクスナムール……。そこにおられるならば聖女の命を糧とし、聖女の体を器として、今ここにご降誕あれ!!」
……。
神官は天を仰ぎ、大仰な文言を述べたが、何も起こらなかった。しばしの沈黙が、祭儀場を埋め尽くす。
「なぜだ? なぜ何も起こらない? 時間、場所、設備、状況……。全てが完璧だったはずなのに……。アレクトラーフィ! ウユツールル! アレクトラーフィ! ウユツールル!」
どうやら邪神降誕の儀式は失敗だったようで、神官はわなわなと身を震わし、宗教用語を叫んで怒り狂った。本当、どういう意味なんだ、ウユツールルって。さあ、用が済んだならその子を開放してくれ。それで、早く服を着せてやってくれ。
「なぜだ! なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ! アゲアッハ!」
「おい!」
儀式の結果に納得がいかなかった神官は、再び聖女の下腹部に平手打ちをかました。しかも、さっきよりも強く。俺は声を上げ、制止しようと神官の肩を掴んだが、どちらも干渉することはなかった。
「アゲアッハ! アゲアッハ! アゲアッハ! アゲアッハ! アゲアッハ! アゲアッハア!」
神官は怒り半分、悪あがき半分で聖女の紋様に平手打ちを続けた。いや、最早平手打ちではなく掌底になっている。「パァン!」ではなく、「どっ」と重い音が響いてるし……。
「はあ、はあ、はあ……。グッシールダム!」
神官は肩で息をし、何やら侮蔑の意味が込められてそうな言葉を吐いた。
「こいつは……、また部屋に閉じ込めておけ……。はあ、はあ……。こんなのは、もう用無しだ……!」
彼はそう言い残すと、のそのそと祭壇を降りていった。そして脇に控えていた信者の一人が聖女の手を縛っていたロープを解く。それと同時に彼女はその場に崩れ落ち、隠すべき部分が極力隠れるように自身の身を強く強く抱いた。そして床に落ちていた、さっきまで自分の服だった一枚布に左手を伸ばしたが、寸前で信者にその手首を掴まれ、力づくで持ち上げられた。聖女は左手を上げた状態で立たされる。右腕だけでは隠しきれない。そのまま服を着ることも許されず、信者に手を引かれて祭壇を降りる。途中で何回も転びそうになりながら。そして待ち構えていたのは、左右に信者たちが立ち並ぶ、人海モーセみたいな道……。もう聖女の羞恥は限界を超えており、体ではなく右手で顔を覆いながらその道を歩いていった。
◆
信者は聖女の手を引いて廊下を歩き、階段を上って、上等な扉の前まで辿り着いた。信者はその扉を開けて聖女を乱暴に中に放り込み、鍵をかける。
「……」
俺は何もできず、フヨフヨと宙を浮いてここまで着いてきただけだった。無力だ。無力すぎる……。俺が生身の肉体と大量の煙幕やら催涙ガスやらを持っていたなら、聖女をあの場から救い出せたかもしれないのに……。いや、流石にあの人数を相手にするのは無理か。
「ひっぐ……。ひぐ……」
扉越しに、聖女のすすり泣く声が聞こえてくる。彼女が心配だ……。何もできないからって、何もしないのはどうもなあ……。扉をすり抜け、部屋の中に入ってみた。
「え、これは……」
敵対宗教の聖女を閉じ込めておく部屋なんだから、てっきり牢獄みたいな室内を想像していた。しかし実際の室内は広くて豪華で、高級ホテルの一室を思わせた。テーブルを囲うソファ、煌びやかなシャンデリア、奥にある扉はトイレか風呂だろうか。天蓋付きのベッドには真っ白なシーツに布団、大きな枕。流石に窓はなかったが、壁には真っ赤な山脈を描いた絵画が飾られていた。あ、思い返したらあの神官、聖女を邪神の器にするみたいなことを言っていたな。器となる肉体だから、丁重に扱ってたのか。それじゃあ、さっきみたいな乱暴は……。いや、神官は、聖女はもう用済みとも言っていた。邪神の器じゃなくて、敵対勢力の聖女という立場になったからあんな……。
「……って、普通に流されてたけど、何だよ邪神とか聖女とかウユツールルとか。とんでもない世界に流されちまったな、俺……」
そんな独り言も、誰にも聞かれず……。
「うぅ……」
聖女は嗚咽を堪えながら床を這い、ベッドによじ登った。そして布団の上で自身の下腹部の状態を確認している。刻まれた濃い桃色の紋様の上から、神官の掌底による赤紅葉が痛々しく上書きされていた。
「光よ、癒せ……」
ん? 下腹部を抑える聖女の手から光が発生し、赤紅葉がものの数秒で消え去った。あの光が傷を癒した? 俺は幻でも見てるんだろうか……。
「光よ、邪悪なる存在をこの世から抹消せよ……」
さっきとは違う文言だ。今度は聖女の手から青白い光が生じ、それが下腹部の紋様を消し去った。
「う、う……。うあぁぁぁあああん!!」
聖女はまっさらになった下腹部を見て安堵の表情を見せたが、それはほんの一瞬だった。直後に彼女は布団に潜り込み、泣いた。音量的な意味ではなく、聞くに堪えない悲痛な大声で。さっきの祭儀場での出来事を思い出しているのかもしれない。十代の少女が、あんな衆目の中……。もし男である俺が同じ目に遭ったとしても、間違いなく心に傷が残っていただろう。
「うあああああああ……」
って、よく考えたら俺も俺で常識外れなことをしてた! 裸で大泣きする少女の部屋に忍び込んで……。はあ、何やってんだよ、俺……。とりあえず、部屋の外に出よう。
「……死にたくない」
壁をすり抜けて部屋を出ようとした時、聖女の消え入りそうな声が耳に入って俺は動きを止めた。
「私、こんな所で死にたくない……」
用済みになった敵対勢力の聖女……。この後どうなるかなんて、目に見えて明らかだ。殺されるか、拷問されて殺されるか、凌辱されて殺されるか……。
死かあ……。生前の俺はそんなこと、微塵も考えずに生きてたなあ。というか、いつ死ぬかなんて考えながら生活してる奴の方が少数派だろう。いつ訪れてもおかしくないし、いつか必ず訪れる死……。それが今、彼女の目の前に構えているのだ。そりゃあ怖いよなあ……。
「大丈夫、俺が何とかする」
そんなことを言っても誰にも伝わらないと、頭ではわかっていた。しかし、俺の魂がそう言った。聖女に伝えたいと、強く願って。
「え、誰? 誰か居るんですか?」
「え?」
聖女が予想外の反応をした。え、誰って、この部屋には彼女と俺しかいないが……。彼女は布団を抱いて躰を隠し、きょろきょろと室内を見回している。俺の姿は見えてないようだけど、まさか……。
「あー……。もしかして、俺の声、聞こえてる?」
「いやぁああああああ!! 誰か居るぅうううううう!!」
聖女は今日一番の声で叫んだ。
「うるせえぞ!! クソ聖女が!!」
突然、扉の向こうから男の野太い怒声が飛んできた。聖女が叫んだタイミングで、偶然居合わせたのか?
「……っ!」
聖女は反射的に口を抑え、黙りこくる。一方で男は部屋に入らず、扉の前から大声でさらに続ける。
「神官様たちの協議の結果、後日、ダメもとでもう一度儀式をすることになった! それでも失敗したら、お前は本当に用済みだ! 死ぬまで公開拷問することになった! 女に生まれたことを後悔するような、最悪の責め苦を味合わせてやる! 覚悟しとくんだな!」
男はそう言い残し、粗暴な足音を立てながら去っていった。
「……ぅ。ぅぅ……」
口を抑えたまま、顔を青くし、耳は真っ赤にし、涙を流す聖女。今の彼女の心の中は、絶望と羞恥と急に怒鳴られた恐怖が渦巻いてグチャグチャになっているようだ。さっきの男は「後日、ダメもとでもう一度儀式をする」と言っていたから、彼女が今日すぐにどうこうされることはないだろう。
「大丈夫、俺はあんたの味方だ。安心してくれ。今は訳あって姿を見せれないが、必ず助けるから」
「……っ!」
聖女は目を白黒させながらも、コクコクと頷いた。一瞬だけ彼女と目があった気がしたが、きっと声がした方向を見ただけだろう。
俺は壁をすり抜けて部屋を出た。
「さて、何をどうやって助けたものかねえ……。いや、どうやっても何とかしないとな」