断章 小休憩
「……凄まじい、話ですね」
私は一気に語り終えた老人に、それしか言うことができなかった。
ヘルヘイムが倒壊して数十年。私はヘルヘイムの脅威を知らない。この街が、如何に死と隣り合わせにあったのか、想像することは難しい。
それでも、その凄絶なまでの命のやり取りと、その中を駆け抜けていった英雄ユリウスの姿は、老人の言葉からありありとうかがい知ることができた。
「すこし、疲れたな」
老人はため息交じりに言うと、傍にあった紅茶を一口のんだ。すっかり冷めてしまっているだろうそれをうまそうに嚥下して、かちゃりとソーサーにカップを置く。
パチン、と暖炉の火が音を立てた。
「その、ヴァルター隊長の死が、英雄ユリウスの大きな転機となったのですね」
問いかけると、老人はなんとも言えず複雑な顔をした。
「英雄……英雄、か」
まるで知らない言葉をなぞるように繰り返すと、静かに首を振る。
「いや、あの男が英雄、というのは少しばかり、大げさに過ぎますな」
「ですが、魔王を倒す一歩手前まで行った当代最強とも言える人です」
「ははは、物はいいようですな」
私の反論を、老人は苦笑とともに一蹴する。
「本当にやかましい男でした。やれカネがないの、やれ腹が減ったのと。あれが死後英雄なんぞと言われて祭り上げられていると知ったら、当人は顔を真赤にしてよせよせやめろと大騒ぎでしょうな」
「生前は、ずいぶん気さくな人柄だったのですね」
「さすが、記者さんはうまい言い回しをなさる」
その言葉は、世辞と言うには軽く、嫌味と言うにも軽い。
「若い頃はよく、デンケンさんのスープに世話になったものです。あのときはわしもあいつもとにかく金がなかった。いや、金の使い方があまりうまくなかったというべきでしょうな」
「デンケン氏のスープ……お話の中にも何度か出てきましたね。覚えていらっしゃるということは、よほど美味しかったんでしょうか」
からかい半分の私の言葉には、いやいや、という苦笑が返る。
「それが今にして思えば何がそんなに美味かったのかよくわからんほど、質素というか、無愛想というか、贅沢でもなんでもないスープでしてな。少しの肉と野菜が、塩で味付けされただけの」
「それが、どうして?」
「……なぜでしょうなぁ」
遠い目で、老人は虚空を見つめる。細められた目は、どこか懐かしげで、そして寂しげだった。
「帰ってきた、という味がしたんでしょうな」
「帰ってきた、ですか」
「デンケンさんは、とにかくあの雰囲気に似合わんほど世話を焼いてくれました。傷を追えばお座りなさいとガーゼを取り出し、腹が減ったと飛び込めばお座りなさいとスープを出してくれる。知らんうちに、あの人の傍らはわしとユリウスにとってヘイムレストそのものになっておった」
壮絶な戦いの中で、今日も生き延びたという実感。
私にはどうしても遠く感じるその実感を、デンケンという納棺師が形作っていたのだと、老人は言う。
「話が少しばかり、よそへずれましたな」
咳払いをして、老人は照れくさそうに頷く。
「おっしゃるとおり、ヴァルター隊長の死はユリウスにとって大きな転機でした。死んじまったらしまいだとうそぶいていた男が、変わるには十分すぎる喪失だったんでしょう」
「具体的には、どんなふうに?」
「『関係ない』という言葉を、使わなくなっていきましたな」
死んじまったらしまい、関係ない。
その言葉は確かに、私が資料などで知る英雄ユリウスの言葉とは縁遠い。
仲間とともに世界の危機に立ち上がり、魔王に挑んだ英雄。
話の冒頭を聞き始めた当初は、これは本当にユリウスの話か、と何度か問いただしたくなったほどだった。
それが、変わった。
兄弟子、ヴァルター隊長の喪失によって。
そして、デンケン・セッツァー氏との交流も、その変化の軸となったのだろう。
「教えてください。英雄、……いえ、ユリウスさんとデンケンさんの、その後のことを」
「わかりました。ですがその前に」
ぽん、と手を叩いて、老人はお手伝いの女性を呼ぶ。
「お茶のおかわりをくれんか」
「わかりました」
厨房へ去っていった女性を見送って、老人は口を開く。
「あれは、ヴァルター隊長の葬儀から数ヶ月。ユリウスは更にレベルを上げ、安定して下層を探索できるようになってきた頃のことでした——」




