序章
『もし、お前のやったことが意にそぐわぬことであったら、神は容赦なくお前のやったことを取り消す。
救え、心のままに… 』
佐久間象山(ドラマ仁より)
「村長っ!そりゃほんとか?」
「あぁ、薩摩と長州が倒幕、倒幕言ってるらしい」
「なんとまぁ将軍様に弓弾くとは、こりゃおかしな世の中になってきたねぇ」
ペリー来航を発端に始まった尊王攘夷運動、倒幕の勢いを止められぬ徳川慶喜は大政奉還を表明、しかし是が非でも武力討幕を目論む西郷は虎視眈々とその時を狙っていた、江戸幕府はこれに備え戦国時代から続いた兵農分離を放棄して農民からも兵を募った。
それは辺鄙な山奥、貧しい集落にも届いた、農具以外持った事もない百姓に鍬や鋤を捨て鉄砲を持たせようと言うのだ、時代は刀や槍による白兵戦から銃撃戦と姿を変えていた厳しい鍛錬の上に成り立つ剣術とは違い昨日まで野良仕事をしていた百姓であっても鉄砲を持たせれば容易に戦闘員として戦場に立ち戦果を上げれるのだ、そんな百姓達が銃撃隊として従軍してゆく時代、幕末。
数日後、村から五人が農兵として従軍、一月後の召集が言い渡されるとその中の一人泰夫、母一人子一人の二人暮らし、春には祝言をあげ貧しいながらも三人での生活を期待していた矢先にこの仕打ちであった、泰夫は頭が地につきそうな程打ちひしがれて役場を後にすると村へと向う帰途についていた、秋の収穫を終えた田畑は耕され春待つ状態、決して肥えた農地ではないが村民の胃袋と年貢を納めるには十分であった、その田畑と山裾の間に蛇行する山道をトポトポ歩いていると泰夫は村の鎮守の祠の前に差し掛かった、鎮守の祭りには幼き頃より欠かさず参加していたもののあまり信心深くないにも関わらず何か思い出したように今更ながら手を合わせて願を掛けを始めた。
「母と孝江、三人いつまでもこの村で幸せに暮らせればそれでいいんです」
祠の前を通った際には高かった陽もいつの間にやら傾くと今にも山の稜線に隠れてしまうそんな長い時間を賭して泰夫は願いを唱え続けていた見上げると木々の隙間からは棲家へ戻る烏の一群が通り過ぎてゆく。
すると上空を飛び行く烏の鳴声に混じり何かが倒れる音がした、音がしたのは手を合わすこの祠の裏辺り、そこには洞穴があり村では古くからこの洞穴に入ると神隠しに遭うと言い伝えがあった、入口は板で塞がれ所々には封印のつもりか呪符が数枚貼られそれとなく神隠しの雰囲気を醸し出していた、泰夫は手を合わしたまま恐る恐る音がした祠の裏を覗き見た。
「獣でも住んでいるのか?」
泰夫はそう言うと祠の裏へ廻り板の隙間から洞穴の中を覗き込んだ、板の隙間からは暮れゆく陽の光が差し込み中は明かりと影が縦縞に並んでいた、すると二間ほど奥に明らかに洞穴には似つかわしくない物が見えた全体像は分からないが見える部分は黒く長細い、その先には扇の様な物が付いており逆に続く部分は壁の影で見えない。
「あぁ祭りの纏か、ここに置いてあったんだな、まぁここなら取られる心配もないし鎮守様の裏なら都合がいいってもんだ」
早々の御利益を期待していた泰夫は自分なりに納得した振りをしたものの何処か期待を裏切られたそんな心中であった、泰夫は再度祠の正面に周りお辞儀をすると山道へ戻って行った、いつの間にか陽はとっぷりと暮れて微かに稜線が赤みを帯びているだけだった、すると前方から土を掛け上げる音が暗闇の中から聞こえてくるではないか泰夫はちょっと怖くなったがその音の主は行燈を抱えている様でそれは陽が落ち未だ戻らぬ泰夫を心配した孝江だった。
「泰夫さん、遅かったね何かあったんじゃないかって心配になって」
「すまん孝江、俺は⋯ここには帰れんと思う、俺と一緒になっても後家さんになるだけだ祝言の約束はしたが⋯」
孝江は寂しげに語り出した泰夫の手を黙って取ると村へと誘った、既に辺りは闇に包まれ行燈に照らされる拙い視界のみであった、しかしそこへぼんやりと映し出される幾多の場所には数々の思い出があった道すがら思い出話に花を咲かせ2人交わす会話が永遠に続けば良いと互いに思いながら歩いていた、だがその願いも行燈の灯りと同じく拙い、目の前に村の灯りが見えてくると泰夫は現実に引き戻されその逃避だろうかふと祠での出来事を孝江に話した。
楽しげに聞き入る孝江であったが行燈に照らされるその表情はみるみる神の御技を信じる門徒の様に変化すると到頭最後には行ってみましょうと言い出したのだ最初こそ戸惑った泰夫であったが来た道を戻り又ここへ帰ってくる、その刻を考えるとそれも悪くないと受入れ鎮守の祠へ戻る事にした、来た道を戻り先程では話し足りなかった事を継ぎ足しながら祠へ向かった。




