10.視察2
「はい、君の分」
ライアンから試飲用のカップを受け取ると、用意されていた椅子には座らず幹にもたれ掛かる。『普通の令嬢はこんな立ち飲みみたいなことしないんだけどね』と隣で同じように背を預けながら、ライアンが苦笑いする。
俺も最初は家に着くまで頑張ろうと意気込んでいたが、初っぱなからバーンには見抜かれるしロイとの精神的疲労で続行不可能だ。
「もう今日は怒られる覚悟だよ。アンさんに」
ははは……と渇いた笑いがもれる。せめてアリアが男だったらもうちょっと上手くやれたかもしれない。
「――なんでアリアだったんだろうな」
ふと、思ったことが口からこぼれる。独り言のような小さな呟きにライアンは答えた。
「さぁ?……なにか意味があるのかもね?」
僕は君と出会えたこと、悪くないと思ってる。ロイの件も含めて……『感謝してる』と珍しく真面目な口調で話す彼に『俺もお前がいてよかったよ』と、自然に言葉が出た。
ライアンはふっと一瞬笑うとカップを口につける。俺も同じように口に含めば――――まるで、塩水のような味だ。
「……はっ?」
なんだこれ。確かにちょっとしんみりムードになったけど。いやいや、そんなんで味が変わるわけないだろ。
脳内がフル回転したまま視線がカップに残る液体に集中する。じぃっと覗き込んだままの俺にライアンが気付き、どうしたのかと声をかけた。
その時、遠くの方で銃声が響く。同時に、微かにだが叫び声も聴こえた気がした。
まさか……アイツらになにかあったのか!?
「悪い、ちょっと見てくる!」
考えを中断した俺は、カップをライアンに押し付けると音が聞こえた方へ走り出した。
「えっ……ちょ、おい!」
馬車を降りた場所まで戻ると、辺りを見回してロイが去っていった方を確かめる。
(こっちだったか)
方向を確認して、一度止めた足を再び進めようとした瞬間―――ヒュンッと、まるで蛍みたいな……何か光るものが追い抜いていった。その光は途中で直角に曲がる。まるで意志を持っているかのようだ。
(?なんだあれは)
暫く立ち竦む……っが、気を取られてる場合じゃなかったと気付く。スカートをたくしあげ、光の残像を追うように再び走り出した。ついさっき見たニヤついた顔のロイが頭に浮かんで、あんな奴でも無事でいてくれよと心から祈る。
木々の間を抜け森の中を進んでいくと、人の喚く声とグルルル……と獣の唸る声が聞こえてきた。
(!いたっ)
「ロイ、大丈夫か!?」
「はっ!?おま……なんで」
目の前へ飛び出した俺に、銃を構えたままロイの目が見開かれる。取巻きの1人で確か……マイクだったか?足から血を流し気絶している。
ロイのそばには狼のようなモンスターが倒れていた。先ほどの銃声で倒したのだろうか。
「止血を!ロイ、なんか縛る物持ってないか?おい…チッ」
反応が悪いロイに思わず舌打ちしてしまう。
もう一人も無反応だ。おい、まさか立ったまま気絶してるとかじゃねぇよな?
ロイの腰に下がった剣を引き出し、自分のスカートへ切れ目を入れて引き裂く。破けた布でマイクの足をキツく縛り止血する。とりあえず今はこれしか……
「!?うわ……っあ、ぁ」
もう一人の取巻きショーンが小さく呻く。
振り返ると、仲間の合図で寄ってきたであろう狼が5体。
今にも襲いかかりそうな勢いだ。
(マズいな……)
突然勢いよく走り出した2匹がジャンプしたタイミングで突風を起こして木に打ち付けた。ずるずると地面に落ち動けなくなる。しかし、残りの奴らはまだ臨戦態勢のまま逃げる様子はない。
「おい、お前らもなんか使えんだろ!」
俺の叫びにショーンが手のひらを狼達に向け火の球を飛ばすが、威力が弱すぎてほとんど効果がない。
ロイも銃を射つが、震えて照準が定まらず弾の無駄遣いだ。
残りは3体……そのうち1体は多分ボスだろう。他より明らかに体がデカイ。確実に倒していかないとこっちが殺られる。
「落ち着け。弾なくなるぞ」
「わかってるよ。くそっ」
ロイは震える手を落ち着けようと一度下げた。
その間にも1体がこちらに向かってくる。しかし倒された2体で学習したのか、とび跳ねることなく衝突する勢いでつっこんでくる。
(!!どうする?どうすれば!?)
―――突然、横からの水圧に弾きとばされた。
「いきなり走っていくからびっくりしちゃったよー」
先ほど自分が来た方向から、ライアンが現れた。
「君は令嬢なんだから大人しく守られてないとダメじゃないかな?こんな危険な場所に自ら突っ込むなんて」
ゆったりとした足取りに、笑顔を貼り付けて近づいてくる。守るように目の前で立ち止まるライアンに、もう大丈夫だという安心感は―――起きなかった。
貴族らしく優雅に佇む後ろ姿に“狼に襲われる”というこの危険な状況とは別の……恐怖を感じたから。
「とりあえずコレを片付けないとね」




