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電脳遊客  作者: 万卜人
第十回【暗闇検校】の正体の巻
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「して【暗闇検校】と申す悪党は、完全に死んだのじゃな? すると、これで、そちの事件は解決とあいなったのか?」

 火盗改方頭の、榊原源五郎の屋敷である。俺と玄之介、晶は源五郎の前に座っていた。玄之介は畏まって、事件のあらましを報告していた。

 玄之介の、几帳面とさえいえる細かい報告に、源五郎は何度も頷き、聞き入っている。

 目の前に玄之介が書き上げた報告書を広げ、膝に扇子を立てて軽く目を閉じている。


 俺は長時間は、座っていられず、よっこらしょと立ち上がると、縁側に出て空を見上げた。

 今日も江戸は日本晴れで、抜けるような青空に、白い雲が流れている。電脳空間では、天候には、あまりバラエティがない。

 晴天では、一週間ローテーションで、必ず同じ位置に白い雲が浮かぶ。注意深い【遊客】なら、それが八日前に見た雲と同じ形だと看破するだろう。


 俺は玄之介を振り返り、口を開いた。

「ああ。俺がこの目でしっかりと、【暗闇検校】の最後を見届けたよ。もう二度と、あんな騒ぎは起こらないだろう」

「重畳である。三人とも、ご苦労であった。おお、そうじゃ! 吉弥と申す芸者も、そちらと共に活躍したと聞いておる。いずれ、お上から、お褒めの言葉が賜るであろう!」

 源五郎は上機嫌であった。

 何しろ、町奉行所と協力し合ってであるが、江戸全域に蔓延る、悪党を一掃したのである。歴代の火盗改方頭としては、前代未聞の大手柄であった。

「それでは、お頭。拙者は、これにて……」

 玄之介が四角く型通りに頭を下げ、源五郎が頷いたのを見て、俺は廊下に出た。軽い足音が追ってきて、晶と玄之介の二人が俺に並ぶ。

「どうしたのよ? 何だか、ご機嫌斜めね」

 晶の軽口に、俺は「ふむ?」と曖昧な返事をした。玄之介は晶に同意して、尋ねかけた。

「左様、鞍家殿は、あまり嬉しそうでは御座らんな! 何か、屈託でも?」

「そんなんじゃ、ねえよ……」


 俺にも、自分の気持ちは判らない。【暗闇検校】の事件が解決して、晴々とした気分になっても良さそうであるが、なぜか俺は憂鬱なままだった。

 源五郎の屋敷を出て、江戸の町を歩くと、あちこちから槌音や、鋸などで木材を加工する音が聞こえてくる。人足の、威勢の良い掛け声がして、焼失した商家や、長屋の再建が始まっていた。

 江戸の町人は、大火事という災難に、逞しく立ち上がろうとしていた。


 それを見て、俺の胸に感慨が湧き上がる。

 本当に、江戸の町に悪党は必要なのか?

 晶が、前方を指差し、歓声を上げた。

「あっ! 新しい江戸写し絵が掛かっているわ! 今度、見に行かなくちゃ!」

 芝居小屋には、演目の巨大な看板が掛かっている。通りすぎる町人たちは、看板を見上げ、興味深そうに眺めている。

 芝居小屋の前に一人の侍が立っていて、晶の声に振り返った。

 ぽっちゃりとした身体つきの、若い侍である。

 晶の兄、大工原激だ。

 手に、何か絵草紙を持っている。激は絵草紙に熱心に見入りながら、こちらに近づいてきた。俺に向かって、会釈する。

「どうも、鞍家さん。色々、お世話になって……」

 俺は答えてやった。

「こっちこそ。君の報告で、荏子田多門らの集団自殺が防げた。礼を言うよ」

【暗闇検校】によって捕えられていた激は、現実世界に帰還した後、すぐに警察に俺の報告を届けたのである。

 安楽死装置を仕掛けていた荏子田多門は、作動する寸前に警察によって装置を停められ、集団自殺を図ったとして拘束された。もちろん、他の荏子田多門と共に集団自殺しようとしていた連中も、同じである。

 荏子田多門は、裁判所通達により、一年間の仮想現実接続を禁止された。こちらの江戸でも、荏子田多門は永久に入府を禁止され、江戸所払いの刑を宣告されている。

 激は、手元の絵草紙を捻くっていると、俺の視線に気付き、恥ずかしそうに懐に仕舞った。

 兄の仕草に、早くも晶が食いつく。

「ね、ね! 何を買ってきたの?」

 激は困ったような顔を見せたが、それでも素直に妹に絵草紙の表紙を見せてやった。

 激の買い求めたのは『南総里見八犬伝』の最新刊であった。もちろん、アニメ絵風の、絵草紙である。

 江戸では、アニメ絵草紙が大流行おおはやりである。絵師として入府した【遊客】により、江戸にアニメ絵が導入されて以来、様々な講談や、軍記物が新しい絵柄で売り出されている。ほとんどが、【遊客】の手により描かれているが、ぼつぼつ江戸町人による、アニメ絵の絵草紙も表れていた。

 その絵草紙を目当てに、【遊客】も集まってきていて、今までの豪傑、英雄、女剣士などの割合は、少なくなってきている。

 写し絵を上演している小屋の周りには、アニメ絵草紙を目当てに【遊客】が集まっていて、絵草紙屋が軒を連ねている。

 それらを、きらきらとした目で眺めていた晶が、不意に大声を上げた。


「ねえ、あたし、絵草紙を描いてみたい!」


 晶の発言に、俺たちはキョトンとして顔を見合わせた。

 嬉しそうな顔になったのは、兄の激だ。

「そりゃ良いなあ! まるで同人誌みたいじゃないか!」

 晶は「わが意を得たり」とばかりに、大いに頷く。

「あたしも、現実世界で同人誌の経験があるのよ。岡っ引きの仕事は、これから暇になるでしょ。だから、やってみようと思うの!」

 俺は肩を竦めた。


 やれやれ……。どんな絵草紙ができあがるのやら……。


 目を転じると、遠くから巨漢の山賊か、相撲取りかと思える大男が近づいてくる。大男の周囲には、数人の芸者風の女たちが纏わりつくようにして歩いていた。

「伊呂波の旦那!」

 大男が、辺りに響き渡るような大声を上げ、片手を上げて振り回す。真っ黒な顎鬚を蓄え、のしのしと歩いてくる姿に、周りの町人が慌てて身を引いた。

 晶が、大男の顔を見て、眉を顰めた。

「あんた……もしかして?」

 大男は、にこにこと笑顔を見せた。

「そう、あちし! 吉弥改め、吉兵衛と申す。以後、お見知りおき願いたい」

 晶は、驚きのあまり、仰け反っていた。

「吉弥姐さん! ど、どうして……?」

 吉弥改め、吉兵衛と名乗った大男は、困ったように項を掻いた。

「あれから、あちし、完全に本来の自分に戻っちまって……。それで、あの活躍で、男の自分として生きて行くのも、良いんじゃないかと思い出してね。それで、こんな格好にしてみたんだ。そうしたら……」

 周囲に纏わりついていた芸者らしき女たちが、漣めくような笑い声を上げる。

「吉ちゃんが、こんなになって、吃驚したのはもちろんだけど、改めて見ると、中々男らしいわあ。それに、芸者の経験もあるから、あたしたち女心も判ってくれて、一緒にいると安心できるの!」

 一人が色っぽく説明しながら、吉兵衛の腕をつねる。

「吉ちゃん! 浮気したら承知しないから!」

 抓られた吉弥は、「痛え!」と叫んだ。だが、結構これで嬉しがっているのか、擽ったそうな顔をしている。

 そんな吉弥を見ているうち、俺の胸に一つの考えが纏まり始めていた。

【遊客】たちを引き寄せるため、悪党が本当に必要なのか? もしかしたら……。


 ふうむ?


 周りの女たちから、一人の女が、俺を熱心に見詰めているのに気付いた。

 俺は、一瞬にしてその女が、【遊客】だと見抜いた。【遊客】同士だけが感じる、感覚で、言葉では説明しようがない。

 俺の視線に気付き、吉弥……吉兵衛が思い出したように説明した。

「ああ、紹介するのを忘れていた! これはあちしの……いや、俺の……」

 言い淀んだ吉兵衛に、晶がパンと手を叩く。

「もしかしたら、吉弥姐さんが現実世界で残った、本当の……?」

「猫奴と申します」

 女は、言葉どおり、猫類のような瞳をしている。

 よく見ると、瞳孔が猫のように縦になっていた。顔つきも、猫を思わせる、逆三角形の顔立ちだった。

 真っ赤な口紅を引いた唇から、舌がちょろりと覗く。ぺろりと、自分の唇を舐め、じいーっ、と俺の顔を見詰めてくる。

「うふん……。吉兵衛に以前から聞いていたけど、あちし好みの良い旦那だねえ……」

 するり、と一歩前に進み出る。ぴとっ、と俺の側に身を擦り寄せ、囁きかけた。

「今晩、お暇?」

「うわっ!」


 俺は飛び退いた。

 姿形は、確かに浮世絵から抜け出てきたような徒っぽい良い女だが、猫奴の身動きに、俺は以前の吉弥を見て取っていた。

 そそくさと、俺はその場から一人、歩き去っていた。

「ちょっと! 旦那!」

 背後から、猫奴が叫んでいる。

 俺は一切、振り返らず、その場から一瞬でも早く離れたいと足を速めた。

 頭の中では、これからの江戸について、アイディアが渦巻いていた。

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