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婚約者が外弁慶なボクを殺人犯だと疑ってるんだけど  作者: 御仕舞


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22/22

D-3 . 悪魔の名前を当ててみろ


 あれから一年が過ぎた。

春の花々が咲き乱れる帝国宮殿の廊下を歩きながら、ふと去年の秋を思い出す。

金色に染まった庭園で交わされた約束の言葉。

ダイモンと呼ばれた瞬間の驚きと微かな喜び。

水晶の瞳と夕陽に輝く笑顔。


 今ごろレムは何をしているだろうか?


 冬が終わり、春が訪れた。

帝都は雪解け水の流れる音とともに命の息吹を感じさせる季節になっていた。


 あの秋の日以来、アレス殿下は時折物思いに耽ることが増えた。

窓辺に立つ背中はどこか遠くを見つめているようで、政務の合間に時折見せる穏やかな表情。

それが誰を想ってのものか、オレには痛いほど分かっていた。


 殿下も未練を断ち切れずにいる。

オレの想いも年月を重ねるごとに深くなっていくばかりだった。

レム。

その名を思うだけで胸が締め付けられる。

最後に見たあの笑顔。

結婚の約束。

全てが鮮烈に記憶に焼き付いている。


「ダイモン」


 ある朝、殿下が突然声をかけてきた。

書斎机の上には積み上げられた書類。

だがその目は書類ではなく虚空を見つめていた。


「レムは、今ごろ何をしているだろうか」


 オレは黙って視線を落とした。

答えるべき言葉が見つからない。


「手紙でも出せればな」


 殿下の声には珍しく弱さが滲んでいた。


 その日は珍しく業務も手早く終わり、殿下は早めに自室に戻った。

私だけが残された執務室で、窓の外を見つめる。

夕暮れの茜色が雲を染め上げる中、あの場所に今もレムがいる。

同じ空の下にいるというだけで、不思議な安心感を覚えた。






 翌朝、宮殿が騒然となった。


「陛下より急ぎのご命令です!」


 伝令兵の声が廊下に響く。


「至急御前にお集まりください!」


 異例の招集に嫌な予感がした。

アレス殿下と共に謁見の間に向かう途中、大臣たちの不安げな会話が漏れ聞こえてきた。


「カナン王国からの報せだと…」

「王女の件で何かあったらしい」


 謁見の間は厳かな雰囲気に包まれていた。

皇帝陛下は玉座に深く腰掛け、硬い表情で我々を迎えた。

周囲には重臣たちが立ち並び、緊張感が漂っている。


「アレスよ」


 陛下の声は低く重い。


「カナン王国より報せがあった」


 殿下の背筋が伸びた。


「第二王女が、亡くなられたそうだ」


 皇帝陛下の隣に立つ宰相が一歩前に出て、羊皮紙を広げる。

宰相が朗々とした声で読み上げる。


「カナン王国より使者を通じて伝えられた事実は次なる通り。『本邦第二王女レム殿下、昨年事故により逝去。葬儀は既に完了せり』」


 顔から血の気が引いていく。

レム?だって、まさか…。


「王女…?レムが…?」


 宰相は更に続ける。


「さらに申し伝えることに曰く、『帝都滞在中のアレス皇子殿下が王女を頻繁に訪問なさった事実、国家間不信の種とならんことを憂慮する』とのことだ」

「なっ…!」


 アレス殿下が一歩踏み出そうとするが、オレには薄々わかっていた。

やはり、見張られていたか。


「殿下、あなたはレムに『ダイモン』と名乗りましたね。政治的火種になるのを恐れ、だからこそ偽名を使われたのではありませんか」

「違う、俺は、俺は…」

「偽名で近づいた王族との親密さが暴かれれば、それは帝国の『懐柔工作』と解釈されても仕方がない。カナン王国を弱体化させるための策略と」


 陛下の厳しい言葉に、レムの死という衝撃で、反応することすらできない。


「カナン側はあくまで遺憾表明に留めているがな」


 父親として、それとも今日はもう使い物にならないと判断されたのか、アレス殿下は退出を促された。

陛下の言葉が遠くで聞こえる。

殿下は立ち尽くしたまま動かない。


「遺体は既に荼毘に付され、小規模な家族葬が執り行われたとのことだ」


 あの王国で王女が亡くなりながら葬儀も簡素に?


「あまりに唐突で公式な弔問の機会もないまま」


 殿下がゆっくりと振り向いた。

その青白い顔には明らかな衝撃が刻まれていた。

言葉が続かない。

オレは拳を握り締めた。

爪が掌に食い込む痛みだけが現実感を保つ唯一の手段だった。


 謁見の間を辞した後、殿下は自室へと向かった。

オレも黙って後に続く。

扉が閉まると同時に殿下は膝をつき、両手で顔を覆った。


「レム…」


 私は扉の近くに佇み、ただ見守るしかなかった。

胸の中で嵐のような感情が渦巻いている。


 レムが死んだ?

なぜ?

何があった?


 記憶の中の可憐な笑顔が脳裏を過る。

水晶の瞳。震える声。拙いハンカチ。

そして、最後の約束。


「信じられない…」


 殿下の声は震えていた。


「手紙の一通でも書いておけば……」


 オレは壁際に立ち、拳を握りしめた。

部屋の空気が重く澱んでいるように感じられる。


「カナン王国は一体何を隠しているんだ?」


 殿下が顔を上げた。その瞳に怒りの炎が宿っていた。


「詳細を調べなければなりません」


 オレは冷静を装って進言した。

内心では狂気にも似た衝動に襲われていたが。


「外交ルートを通じて正式な調査を」

「必要ない」


 殿下の声が冷たく割り込んだ。


「俺が直接行く」


 一瞬言葉を失った。


「ですが殿下、それはあまりに危険です!」

「関係ない!」


 殿下の声が怒号に変わった。


「オレはレムを救えなかった!」


 その瞬間だった。

殿下の理性が完全に吹き飛んだ。

膝から崩れ落ちるように床に倒れ込み、両手で頭を掻きむしった。


「レム!レム!!」


 叫び声が部屋中に響き渡る。


「なぜ死んだ!なぜ俺を置いていった!」

「殿下…落ち着いてください」

「落ち着けるものか!」


 涙が頬を伝う。

頭が割れるように痛む。

視界が歪み、幻覚のようにレムの姿が見えた。

あの庭園で咲く薔薇に囲まれた笑顔。

銀髪が風に揺れている。


「レム…」


 嗚咽が喉を塞いだ。

堪えなければ。

オレには嘆くことすら許されない。






「陛下、お話があります」


 三日後、アレス殿下が決断を下した。

皇帝の執務室の扉が開かれ、ダイモンも中に入ることを許可される。


「レム王女との交流は俺が独断で行ったこと」


 殿下の声は凛としている。


「非難はすべて俺に向けられるべきです」


 皇帝は書簡を一瞥し、深い皺の刻まれた額に指を当てる。


「だが世間はそう単純に解釈しない。『ダイモン』という名前そのものが罠として機能してしまう」

「だからこそ!」


 殿下が一歩踏み出す。


「公式には『ダイモン』という若者が個人的な同情から王女を支えていた、と発表します」


 ダイモンの喉が詰まる。


「本当のお前を隠すのではない。だがレムの死は事故によるものと確定され、我々帝国は『友邦国の不幸に心を痛める』という形で通す。その際」

「護衛騎士ダイモンは、殿下の命に従い王女の境遇を探るついでに親しくなった、と」


 皇帝が結論づける。


「その物語であれば、帝国の責任追及を避けつつ、お前の名誉も損なわない」


 ダイモンは拳を握り締める。

事実ではない。

かつて、自分に向けてではないが、『ダイモン』と呼んでくれた名前は、今や外交の道具となりさがり、彼女の死は政治的な幕引きに利用されようとしている。


「…わかりました」


 ダイモンが低く応じると、アレス殿下の視線がわずかに和らぐ。


「レムの冥福を祈るためにも、これが最も穏便な解決手段だ」


 執務室を出て、何気なく窓越しに見下ろした広場では、カナン大使館への弔電発送式典が行われていた。

白い旗が翻り、楽隊が葬送曲を奏でる。

その光景を見つめながらダイモンは思う。

あの庭園で感じた切なさも愛しさも、決して嘘ではなかったと。

だけれど、話さえできず、認識さえされないまま、永遠に出会うことさえできなくなった。

彼女の笑顔を見たかったのに。


 春の風が窓辺のカーテンを揺らす。

殿下も物思いに耽るように、レムから貰ったハンカチを手に取り、光にかざした。

金色の糸で縫い込まれた小さな百合の花。

彼女がどれほど時間をかけて縫ったか、感じ取れる。

痛みを感じているのは一人ではないことに、奇妙な負の連帯感のような気持ちに陥った。

亡くなった少女を想っているのは同じで、殿下はオレの名前を名乗ったのだとしたら、彼女がハンカチを渡したのも、結婚を約束したのもオレだということにならないか?


 殿下がハンカチを胸ポケットにしまうのをじっと見守る。

式典に出向くための装いをした殿下と、視線が交錯した瞬間、微かに頷く。

それは「任せた」という意思表示なのか、あるいは「すまない」という謝罪なのか。







 カナン王国への調査は不可解なほど行き詰まっていた。

正式な外交ルートでの問い合わせに対し、カナン側からは形式的な回答のみが返ってくる。


「事故死による急逝」

「小規模な家族葬」


 定型文が繰り返されるだけだった。


「遺体の状態確認は?」

「許可できないとの一点張りです」


 諜報部からの報告に殿下の眉間の皺が深くなる。


「まるで壁にぶつかっているようだ」


 オレは沈黙を保ったまま窓の外を見た。

帝都の春はもう遠く去り、蒸し暑い夏が迫っている。三年前のあの秋の庭園の記憶が鮮明に蘇るたびに胸が痛んだ。








 殿下が十五歳を迎えられた祝賀行事の最中だった。

突如として発表されたカナン王国第三王女シャヘルとの婚約。

広間が沸き立つ中、殿下の表情は一瞬で凍りついた。


「レムの妹…」


 殿下が小声で呟く。その声には複雑な感情が絡み合っていた。


夜半過ぎ、殿下の部屋を訪ねると蝋燭の光の中、書類の山に埋もれるように座っていた。


「明日、父上に直談判するつもりだ」


 殿下の決意は固かった。

私も静かに頷いた。


 皇帝陛下の居室は威厳に満ちていた。

金箔の装飾が月光を受けて煌めく中、陛下の声音は鋼のように冷たかった。


「不満があるというのか」

「納得できません。なぜ今になってシャヘル王女との婚約が」

「彼女は既に亡き人だ」


 陛下の言葉が殿下の言葉を切り捨てる。


「皇族としての責務を果たせ」


 父子の対話は決裂した。

殿下が退出しようとしたとき、陛下が低い声で付け加えた。


「カナンとの関係をさらに深める好機だ。個人的感情で国益を損なうことは許さん」


 その言葉に殿下の肩が震えた。


 宮殿の回廊で殿下が立ち止まる。


「ダイモン」


 月光が窓から差し込み、殿下の横顔を銀色に染めている。


「俺は…」


 言葉が途切れた。

そして突然、殿下は両手で顔を覆い天井を仰いだ。


「何もかも…」


 オレはただ見守るしかなかった。

三年前の秋から積もりに積もった感情が溢れ出している。

水晶の瞳を持つ少女との思い出。

彼女の死。

そして代わりに現れた妹王女との縁談。


 殿下の声が虚空に溶け込む。廊下に沈黙が降りる。

そして月光の中、一つの決断が固まるのを感じた。

殿下の背中が次第に正される。

静かな声で、


「シャヘルとの婚約を受け入れよう」


 その言葉に、胸の奥で何かが砕ける音がした。

三年前の秋、あの庭園で交わされた約束。

それが今、別の形に変容していく瞬間を目の当たりにして。


「ただし条件がある」


 殿下の声が鋭さを取り戻す。


「シャヘル王女の来訪に合わせて正式に調査団を編成する。レム王女の死について徹底的に調べるんだ」

「承知しました」


 その夜、殿下の瞳に新たな決意の光が宿ったように見えた。

過去と向き合うための覚悟。

そして未来へ踏み出すための道筋。月光が二人の影を長く引き伸ばす中、新たな運命の糸が紡がれ始めていた。








 帝都の中心に位置する迎賓館の大広間は緊張感に包まれていた。

豪華な調度品が並ぶ空間で、アレス殿下とカナン王国第三王女シャヘルの対面が執り行われる。

各国の要人たちが列席する中、オレは殿下の斜め後方に控えていた。


 入口が開き、カナン王国特有の薄紫色のドレスを纏ったシャヘル王女が現れた。

その瞬間、殿下の呼吸が止まったように見えた。


(レム…!)


 心の中で呟いた声が聞こえるようだった。

顔立ちはよく似ていた。

色は違うが紫水晶を思わせる瞳も、整った鼻梁も。


「帝国皇太子殿下にご挨拶申し上げます」


 シャヘルの声は冷たい金属のようだった。

完璧なカーテシーを披露しながらも、その目には一切の敬意が感じられない。


「シャヘル王女、お越しいただき光栄だ」


 殿下が礼儀正しく応じた。

しかし彼女の次の言葉が室内の空気を一変させた。

皮肉を込めた微笑みに周囲の貴族たちが息を飲む。


「まぁ、帝国との友好のためですもの。お気になさらないでくださいませ」


 その瞬間、殿下の顔から血の気が引いた。


「カナンの文化は豊かだと聞き及んでいるが、どうだろうか、帝国はあなたからどう見える?」

「文化的遺産に歴史の重みが付与されていないせいか、わたくしの目には帝都は眩しすぎますわ」


 殿下は冷静さを取り戻そうとする。

大広間の空気が凍りついたように感じた。

シャヘルの放った言葉に周囲の貴族たちが息を詰まらせている。

殿下は表情を変えぬまま、


「カナンは歴史ある王国だから、我々の国が成り上がりの新参国のような印象を持つのだろうか。籠りきって、生産性のない経済活動を行う国よりも、毎日目まぐるしく発展性に優れていると自負しているよ」


 その声には微かな怒りが含まれていた。

殿下が内心呟いているのが手に取るように分かる。

確かに顔立ちはレムを彷彿とさせる。

しかしその眼差しに宿るのは警戒心と打算。

レムが持っていた純粋さとは正反対だった。


 併合という言葉が再び胸を抉る。

百年前、勢いに乗った我が帝国軍がカナン王国を制圧した歴史。

だが彼らの血族魔法、代々王家に受け継がれる特殊な魔術と古王国としての威信を考慮し、『属国』という緩やかな支配体制を選択した。

その象徴がこの婚約だ。


「血族魔法だと?」

 

 殿下が尋ねると、シャヘルは鼻で笑った。


「まさか帝国の皇太子ともあろう方が存じ上げないとは」


 彼女は胸を張り、傲慢さを隠そうともしない。


「我らカナン王家には、先祖代々受け継がれてきた稀有なる祝福であり呪いでもある『血族魔法』が存在するのですわ」


 その言葉に広間の貴族たちがどよめいた。

殿下は半信半疑だったが、噂程度に聞いていた特殊な能力。


「祝福であり呪い?」


 殿下が低く呟いた。

レムも持っていたのだろうか。

いや、彼女は「役立たず」と言われていたと聞いた。


「聞いてみたかったのだが、なぜあなたに血族魔法が発現した?確か、それは王位を継ぐものに受け継がれると文献で見たが」


 殿下が慎重に言葉を選んでいるのが分かる。

血族魔法の特性は古文書に断片的に記されているだけだが、基本的には王位継承者が受け継ぐべきものとされているはずだ。


「そうですわね」


 シャヘルが優雅に扇子を広げながら答えた。


「ですからわたくしは常に謎めいた存在ですの」


 彼女の視線が一瞬だけ鋭くなる。


「お父様も困惑していますわ」


 断片的な情報が頭の中で組み合わさる。

レム王女が隠された理由。

シャヘルが秘匿されていた事実。

そして不可解な死。


「それと、もう一つ聞きたいことがあるのだが」

「まあこれ以上にですの?まるで、尋問のよう。わたくしに興味がおありになるのは理解しましたわ」

「レム姫は、あなたのお姉様では?」


 沈黙が落ちる。

シャヘルの瞳が細められる。


「レム…?そのような人物は存じ上げませんわ」


 彼女の声は冷たかった。


「わたくしの知る限り、カナン王家の王女は今はもうただ一人、このわたくしシャヘルだけです。上のお姉様は国内貴族と縁付いておりますわ」


 シャヘルは嘘を吐いている。

オレは確信していた。


「さて、このような堅苦しい挨拶はこのくらいにして」


 彼女の声が僅かに柔らかくなる。


「お庭を案内いただけません?帝国の庭園には興味がありますの」


 殿下は微笑んだが、その目には警戒心が宿っていた。


「喜んで」


 私たちは広間を後にし、春の香り漂う庭園へと向かう。

シャヘルの背後で彼女の侍女が意味ありげな視線を送っていた。

庭園の噴水が陽光を浴びて七色に輝く中で、殿下が突然足を止めた。


「ダイモン」


 小声での呼びかけに応じて彼に近づくと、殿下は耳打ちした。


「この婚約には何かある。レムの死とシャヘルの存在がどうにも繋がらない」


 オレは殿下に賛同するように大きく頷いた。

風が木々を揺らし、木漏れ日が殿下の横顔を照らす。シャヘルが振り返り、


「綺麗な景色ですわ」


と微笑む姿が遠く見えた。


 三年前の記憶が鮮明によみがえる。

あの日、アレスがレムを抱きしめた庭園も、このような温かな日差しに満ちていた。


シャヘル王女の仕種。

扇子を閉じる時の微妙な角度。

歩幅の一瞬の乱れ。

噴水を眺める瞳の動き。


 まるで鏡だ。


 脳裏に浮かぶのはアレスが求婚した日の水晶の瞳。

震える唇。

今この瞬間、シャヘルが見せる一挙手一投足はレムそのものだった。

髪の色は異なる。

性格も冷徹を装っている。

だが…


「これは素晴らしい造りですわね」


 シャヘルが噴水の彫像に触れながら微笑む。

完璧な貴婦人の振る舞い方からの、小さな違和感の連続。

指先の微妙な動きが記憶と重なる。


「ダイモン様もいかがかしら?」


 シャヘルが扇子で軽く頬を叩きながら振り返った。

その角度で光に透ける瞳孔の形状までが…。


 確信が全身を駆け抜ける。

髪の色は変えられても、瞳の色は変えられても、


「何か?」


 シャヘルの視線が鋭く刺さる。

警戒心を含んだ微笑み。

ダイモンは微かに目を細めた。

あの日、レムが涙を堪えながら必死に作った笑顔と同じ表情筋の使い方だった。


「失礼しました」


 平静を装い一礼する。


 ダイモンだけがわかるのだ。

なぜ誰も気づかないのか、それこそ、愛を誓った殿下にすら。


 レムは生きていた!!


 どんな理由があったのかはわからない。

髪色や纏う雰囲気や顔立ちや性格がいくら変わろうと、彼女はレムだ。

なのに、殿下はレムであるシャヘルに気付かず、疎ましげな態度をとる。


 そもそも現れた時期もおかしい。

シャヘル王女は、レムが亡くなってから現れた。

それまで影も形もなかったのを、秘匿されてたの一言で済むものか。

帝国の間諜が無能で、王国の守りが鉄壁だとしても、人一人が生きる痕跡がなかったのはおかしい。

レムがいなくなった時期に、レムがシャヘル王女に成り代わらなければならない、何かが起きたのだ。


 だとしたら。

 だとしたら?


 ダイモンに悪魔が囁く。

遠大にはなるが、レムを手に入れる計画が頭の中に浮かぶ。


 駄目だ!

悪魔の囁きに耳を傾けてはいけない!

オレは殿下の嘆きも、後悔も、悲哀も知っている。


 …だけど、殿下はシャヘル王女を疎ましく思っている。

疎ましく思っているのなら、オレが奪ってもいいのでは?

殿下がオレの名を奪い、ダイモンとしてレムと交流したように。

本来の持ち主に返るだけだ。


 悪魔は囁く。

忠誠も家族の愛も将来も初恋の相手すら差し出した。

なら、もう返済の時ではないか。

忠誠も信頼も騎士の夢も、返してもらう時が来たのだ。


「これを」


 殿下が疎ましそうにさっさと庭園を歩いてしまう中、残されたシャヘル王女は、王国とは違うバラを見つめている。

オレは棘のないバラをシャヘル王女に差し出す。


「…これは?」

「王国のバラも素晴らしいですが、帝国のバラも良いものでしょう?棘のないバラですが、美しさは変わりません」


 シャヘル王女は無垢な瞳で、バラを差し出すオレを見上げる。


「バラはバラです。棘があってもなくても、美しい」

「…そうね」


 恐る恐るというように、シャヘル王女はバラに触れ、受け取る。

背筋に痺れるような快感が走る。


「ダイモン、わたくし、あなたと初めて会った気がしないのだけれど」


 困惑を隠そうと、シャヘル王女はバラに視線を落とす。

オレは、オレに巡ってきた機会を逃すことはできなかった。

先ほどまでの苦悩など、悩んだフリでしかなかった。

とっくのとうに、オレは決意していたのだ。


 悪魔に魂を売ることを。


「覚えてないのですか?オレたちは、アレス殿下を挟んでですけど、幼馴染だったんですよ?」

「幼馴染…。でも、今日初めて会うと陛下は仰っていたわ」

「王国へ視察した時は、周囲に内緒にしていたからね。姫も驚いたんじゃない?オレたち、身分を隠していたから」

「…そう、かもしれないわ」

「そうだよ、でも名前は本当だった。ダイモンって覚えてない?」


 姫の態度や話で、理由はわからないが、記憶を無くしていることを察した。

狼狽える獲物を前に、涎を垂らす肉食獣のように、罠に獲物がかかるのを待つしかない。


 あの時の殿下の口調を真似するのだ。

語り口調はどこまでも優しく、穏やかに。

そして、親しげに。


「ダイモン…」


 そうだよ、姫。

オレの名前を呼んでくれ。

もっと、もっと。

オレたちは出会うべくして出会い、運命も悪魔もオレたちを祝福しているのだから。


「…なんとなくだけど、知っている気がするわ」


 地獄に落ちようとも、ただ一つ、少女の永遠の愛が欲しい。


「嬉しいよ」


 自然とこぼれる笑みに、頬を薄く赤らめ、控えめに笑う姫。

そうだ、これが正しい。

最初からオレと彼女が出会い、姫と騎士になり、結婚を誓ったんだ。


 あとはアレスに罠をしかけるだけだ。

アレスに告げるだけでよかった。

シャヘルはレムが死んだ後急に現れた王女だったと。秘匿されていたとしてもおかしい。

シャヘルはレムの死に関係していると。



 幼い頃に読んだ童話を思い出す。

悪魔が女を誘惑し、女は悪魔と契約してしまう。

契約の対価として魂を要求され困った女に悪魔が囁く。

名前を当てる遊びをしようと。

名前を当てることができたら、魂をとらないという。

さて、女は悪魔の名前を当てることができたのか。




 ダイモンは、レムを手に入れるために全てを賭けて、悪魔に魂を売った。

姫を再び手に入れたいのなら、王子様。


悪魔の名前を当ててみろ。







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