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第五章 悪魔の仮面 ~わたしはあなたと言う女の子を気に入ったのですよ?~

 しかも狂気に満ちた笑い声は、いつの間にか懺悔するかのように震えていた。

「いつもこうだ。人を平然と傷つけるような輩が許せず、だのに粛清しようとすれば己自身が人を殺して笑ってしまう。私は悪魔に取り付かれているのだ。殺意に、憎悪に、人を傷つけずにいられぬ衝動に。こんな自分が憎い。その憎悪が更なる憎悪を生み、この負の螺旋が終わることはないのだ。こんな悪魔、いない方がよいと言うのに」

「それは違うッス」

 そして初めて、アレットは自らの意思でヤカに近寄った。

「ドイル卿……?」

「名前覚えててくれたんッスね。アレットでいいッスよ。今、ヤカは自分の心に憎しみがあるって言ったッスよね? それが悪魔であり心を蝕むものだって言うのなら、そんなの誰の心にだってあるッスよ。今し方、仲間の空もミサイル回避のために自分の旅荷物を犠牲にせざるを得ず、そこの暴徒のこと憎んでたッスからねぇ」

「バラさないでください!」

 まさかそれをここでネタにされるとは。空は愕然となり、そばで聞いていたひまりもフォローできない。

「自分はヤカの過去を知らない。知る由もない。でも分かることはひとつだけあるッス。誰の心にもあるだろう憎しみ。その正体は、『愛』なんッスよ」

「愛、だと……?」

 何を言い出すんだと言いたげなヤカだが、アレットは静かにうなずいた。

「ヤカはかつて何か大切なものを失った。ヤカ自身にとってとてもとても大切なものだった。それがあまりに理不尽な形で奪われた。それが憎しみの正体ッス。人は何かを失った時に悲しみや失意や憎しみを覚える。それは失ったものがとても大切なものだから。そもそも何とも思ってないものを失ったって何とも思わないものッス。失ったものが大切だから、それがあまりに理不尽に奪われたから、『愛ゆえの憎しみはヤカの心を蝕む悪魔となってとりついた』んッスよ」

「……っ。ふん。貴卿に何が」

「分からないけど分かるッスよ。ヤカは本当は優しいお姉さんだって。だってヤカは、猫カフェ寿司屋では猫を愛し猫に愛され、自分のために馬を飛ばして拳銃を届けてくれた。そんな人間が外道なものか。答えは断じて否である。自分は、そう答えるッス」

 そう優しい声で言うアレットに、ヤカは震える息遣いでため息をつき、そして言った。

「……私は幼い頃、もはや顔も覚えていないがよい両親に恵まれ育ち、その両親を奴隷狩りに殺され、私は拉致された」

「えっ!?」

「薄い布に巻かれ見世物にされ、体が育てば盗賊団の慰み者にされ、女体(にょたい)」を武器に騙しと盗みを働かされた。時には罪なき者を殺しもした。私のこの手も心も血にまみれている。誰も傷つけたくないのにと思う反面、殺さねば奪わねば生きられない残酷な事実がそこにあった。ならばいっそ、私の人生を変えてしまった盗賊団さえ殺してしまえばいい。私は盗賊団の寝首を掻き、体を売って路銀を稼ぎ、武器を盗んでまで冒険者になった。罪滅ぼしのために働き、私と同じ境遇の者を生まぬために盗賊団殲滅のクエストを多く受けた。そして気付いたのだ。罪を償えば償うほど、私の背後には死体ができてゆくと」

 聞けば聞くほどえげつない話の数々。

 アレットは無論、誰もが青褪める。

「私はただ沼に沈んでゆく。緋色の血生臭い沼に。何もかもに嫌気がさした先にたどり着いたヤマト風の町マグは、極楽浄土そのものだった。ここなら人を殺さず穏やかに仕事ができる。私はマグを拠点とすることを決めた。そして心穏やかに過ごしてきたのだ。……今日まで」

 ヤカは血にまみれた双剣を腰の鞘に納める。

「ドイル卿。マグの町が好きならまた来るがいい。私は旅に出る」

「どこへ!?」

「貴卿のいないところだ」

 ヤカは乗ってきた馬を一瞥し、馬と共に去ろうとしていた。

 その背中は悪魔のような恐ろしさはなく、むしろ今にも霧と化して消えてしまいそうなほど儚げであった。

 そんなヤカが馬具の(あぶみ)に足をかけようとした、その時。

「……約束、忘れるなッス」

「ドイル卿?」

 アレットは、重く神妙な声でヤカに言った。

「マグで待ってるッス。絶っ対ぇー酒飲みかわしに来てやっから」

 約束を破ったら許さない。そう伝えるアレットに、両足でしっかり立ってアレットに向くヤカは尋ねた。

「こんな悪魔でもか?」

「ヤカと言うお姉さんを、自分は気に入ったんッスよ」

「……そうか」

 ヤカの表情はうかがえない。だが、ヤカは「ふっ」と静かに息を吐いて今度こそ馬にまたがり風のように去ってゆく。

 結局返事は聞けなかった。ヤカを見つめる神妙な表情のアレットは、何を思うのだろう。

 そしてアレットもまた踵を返し、「あいつらの荷物、もらってくッスよ」と言って暴徒たちの馬から荷物を乗せ換えてゆく。


 次のジグラスに向かう道。

 窓の縁に左肘をかけ、けだるそうに右手だけで運転するアレット。そんな彼女にどんな言葉をかけるべきか、あるいはどんな話で盛り上がろうか、空もひまりもたまに視線を交わしてはうつむく。

 ある農村に立ち寄り、村役場直営の食堂で腹ごしらえ。食事はどれも、ボリュームがある割にお値段はお手頃と言うリーズナブルなもの。村民のみならず物流関係者も多く利用することもあって、とてもにぎわっている。それでも心ここにあらずと言った様子でアレットはヤマト式ラーメンをすすってゆく。

 そのまま出発すると思いきや、アレットは近くの牧場へ。その牧場では羊毛や毛編み物などを販売しており、当然多くの羊や牧羊犬がいる。ふれあいコーナーもあり、羊にじかに触ることもできるとあって、通りがかりの旅人や冒険者に人気の様子だ。

「……いつまでもしみったれてちゃいけないって、分かってるんッスけどねえ」

 やっと口を開いたと思ったら、やはりどこか困り口調。

 それでも、空とひまりは黙って彼女の言葉を聞く。

「自分、海の向こうの『アルビオン諸島連合王国』出身なんッスが、そこで凄惨な事件が起こったんッス。娼婦、また娼館の利用客が次々に惨いやり方で殺される事件が。『切り裂きジャック』を名乗るその犯人である新聞記者は、幼少の頃に両親ともどもとある女性から性的暴力を受け、両親は自殺、娼婦を根絶やしにしようと言う強い憎しみから人殺しになったらしいッス。それをヤカと重ねてしまって……。ホント、人の悪意は人の人生を崩壊させ、悪魔にすら変貌させ、また新たなる悲劇をもたらさせる。自分はゲロ吐いてアルビオンから逃げ出したって言うのに。それでももう迷わない。逃げたりなんかしない。ジャックやヤカのような人を作らないために、探偵として、そして冒険者の仲間として、これからも旅をしていきたいッス」

 羊を撫でるでもなく、見物するでもなく、アレットは告白のような独り言のような言葉だけを紡ぐ。

 そして、尋ねる。

「こんな自分でよければ、一緒にいてくれるッスか?」

 そんな困り顔のアレットに、空が答えた。

「アレットがヤカに言った言葉を借りるのであれば、わたしはあなたと言う女の子を気に入ったのですよ?」

「空……」

 もうこれ以上の言葉は必要ないと、空はふっと笑って笑顔でアレットを車にいざなった。

「……そッスね。心配かけたッス。空、ひまり」

「うむ。いつも通りのアレットでいてくれれば、拙者も空もそれでよいのでござる。さあ、出発でござるよ」


 出発後。

「あのー、気がかりなのですが」

「何ッスか、空?」

「今更ですが、荒くれ集団の荷物を黙って持ち去ってよかったのでしょうか」

「ま、空は旅荷物をダメにされたんッスし、弁償してもらったと思ってもらっとくッスよ。……つかホントに今更ッスね」


 旅は、続く。

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