夏休みの勉強会 その二
「唯久、勉強の息抜きに組み手に付き合ってくれ」
昼の休憩から一時間、瑠衣先輩がいきなり立ち上がった。
「体を動かしたいなら、姉貴一人でやってくればいいだろ?」
「一人はつまらないから嫌だ」
「子供か!」
二人の喧嘩を何となく眺めていると、千歳がくいくいと俺のシャツを引く。
「さっきから思ってたけど、先輩ってちょっと子供っぽいね」
「とにかく自由な人なんだよ。一緒に組み手をしていても関節禁止のはずなのに関節決められたりするし」
関節を外されたこともあるし、閉め落とされたこともある。
そのおかげで強くならないと殺されそうで、毎回死ぬ思いで稽古をしている。
「その時に感触を楽しんでるの?」
「感触?」
何の話かわからないが、千歳から何やら怒りの波動を感じる。
「私も唯久くんを見習って格闘技の本を見るけど、大分エッチな技多くない?」
「ああ、そう言うことか」
ようやく合点がいった。
確かに関節技とかは密着する技が多いもんな。
それで俺が瑠衣先輩に抱き付かれて喜んでるって思ったのか。
嫉妬してくれるのは嬉しいけど、瑠衣先輩との組み手で感触を楽しむ余裕は一切ない。
「一つ言っておくけど、瑠衣先輩に関してはそんな幻想は捨てた方がいい」
「どういうこと?」
「本気で技をかけられたら、感触とか言ってる場合じゃない。死の覚悟が必要だ」
俺の今までの経験として、感触だなんだと楽しめるのは初心者だけだ。
慣れた人がかける関節や絞め技はそんな余裕は一切ない。
「胡ノ宮も興味があるのか? それなら私が少し稽古をつけてやろう」
「ちょっと瑠衣先輩!」
「姉貴、千歳さんに何しようとしてんだよ!」
「お願いします」
必死に止める俺と猿弥を無視して、千歳は頷いてしまった。
流石に初心者の千歳に大技をかけたりはしないだろうけど……、相手は瑠衣先輩なんだよな……。
やる気を出している二人は止まりそうもなく、俺と猿弥は千歳が無事に生還できることを願うしかない。
†
千歳と瑠衣先輩が戦うことになった場所は、猪川家の地下だった。
リビングの端に、なぜか床下収納のように扉が設置されており、その下にはシェルターのような空間があった。
もうこの家に突っ込むことはやめよう。
最終的に家がロボットになって巨大生物と戦い始めてもおかしくはない。
「さて、流石にハンデは必要だな。私は魔法を一切使わない。千歳は好きに魔法を使ってくれ。決着はそこの二人が判断する。問題はあるかな?」
「私が圧倒的に有利ですけどいいんですか?」
勝負が始まる前から二人の間に火花が見える。
千歳がここまで敵意をむき出しにするのは珍しいな。
「唯久の話だと、千歳は戦闘するタイプじゃないらしいし問題ないよ」
「他にはどんなこと言ってましたか?」
「一途で目標に真直ぐ進める優しい娘、だから俺は千歳が安心して走れるように守ってやりたいんだ。だったかな」
「えへへ、そうですか」
「瑠衣先輩何言ってんの!?」
少し前の緊張感はどこに行ったんだよ。
千歳も千歳でニヤニヤしてるし。
「唯久、お前意外と気障なんだな」
「うるせえよ、お坊ちゃま」
それを言った時は瑠衣先輩にかなり問い詰められたから言っただけだ。
本心なのは否定しないけど、そんなこと言うつもりは一切なかったんだよ。
「そんなわけで、こっちも本気でやりたいんだ。魔法まで使ったら殺しちゃうからな」
「そういうことなら、私も負けたくはないです」
二人はようやく戦う構えを取った。
瑠衣先輩はいつも通り体全身の力を抜き、体を左右に揺らし攻撃の準備を始める。
体をゆっくり動かし、初動を隠しながら緩急をつけ反応をわずかに遅らせる。
俺もようやくその動きに慣れ始めてきたところだ。
それに対して千歳の構えは酷い。
見よう見まねのボクシングスタイル。
顎を守るように拳を構えてるけど、素手でやる構えじゃない。
言うならば隙だらけ、顎でもボディでも打ち放題。
その上、体が強張っていて体力も無駄に使っている。
「唯久はどう見る?」
「今のところは先輩有利、後は千歳の魔法次第だな」
千歳が使うのは操作の魔法が多い。
最近は創造にも手を出しているし、創造したものを操作して追い込む遠距離の戦いができればそれなりに戦うことはできるかもしれない。
「それじゃあ、行くよ」
ゆらゆらと揺れていた瑠衣先輩は急にピタリと止まる。
千歳はその止まったこと注目し身構えるが、それはやっちゃいけないことだ。
案の定、瑠衣先輩は一気に千歳との距離を詰める。
「耐えて見せろ」
これもハンデのつもりなのか、瑠衣先輩は一言声をかけてから掌底を突き出す。
その掌底は、千歳が咄嗟に作り出した出来損ないの壁を余裕で貫通する。
千歳が後ろに跳んだことで直撃は回避できたが、砕けた壁が千歳を襲った。
「この程度か?」
「まだまだ、です」
出来損ないがよかったのか、千歳へのダメージは少ない。
ダメージを受けイメージが消えたらしく、壁が空気のように霧散する。
勝てないと思っている相手と向き合う疲労は確実にあり、一度の攻防で千歳の呼吸は大きく乱れる。
「それじゃあ、遠慮なく行かせてもらうよ」
一度左右に揺れてからの加速、瑠衣先輩は俺と戦う時と同じ動きを始める。
そして瑠衣先輩の一撃は地面を殴る。
「えっ?」
わざと攻撃を外したのかと思ったが、なぜか瑠衣先輩が一番驚いた。
何らかの魔法を使ったのは確かで、瑠衣先輩も動揺から珍しく距離を取ろうと後ろに下がるが、先輩は足を滑らせたのかスリップして転んでしまう。
「ああ、そういうことか。そう言えば聞いてたよ、君は操作が得意なんだっけ?」
「はい」
「種がわかれば、同じ轍は踏まない」
今のは魔法なのか?
操作ってことは先輩の体を操ったのか?
前に聞いた時は他人の体を操るのは難しいって言ってたけど、できるようになったのか?
瑠衣先輩の目が変わり、本気を見せる。
脱力からの加速、振るう剛腕はまた外れ床を叩く。
それが失敗に終わると、腕を軸に回転蹴りを繰り出すが、千歳に触れる直前に速度が落ち、千歳に避けられる。
そこからまた距離を詰めるが、瑠衣先輩の攻撃は全て千歳に当たらない。
完璧な操作魔法だと思ったが、瑠衣先輩の攻撃は段々と千歳に近づいていく。
先輩の攻撃がついに千歳の顔を掠る。
その瞬間に千歳は距離を取らずに先輩に接近する。
そして形のなっていないパンチを繰り出すと、先輩は吹き飛び壁に激突する。
「ぐはっ」
激突した衝撃で、肺の中にある空気が口から一気に吐き出される。
俺でも滅多に取れない一撃を千歳が最初から成し遂げた。




