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第十一集  「南渡の戦  後編」

 晋安――今や総数八万に喃々とする赤蓮教徒の兵に包囲された戦場。

 この時点では、春醍が赤蓮軍の別働隊を大破せしめたという報は届いていない……というより五日ほど前に包囲が完了してからというもの、報を届ける術が無かった。城外との連絡は全て絶たれ、赤蓮教の兵は城を遠巻くようにして包囲を狭める機会を窺っているかのように見えた。


 赤蓮軍は動く気配を見せなかった。ただし彼らは始終晋安の城壁から臨める位置に在って、四六時中を読経に費やしている。つまりは赤蓮教の教義を、韻を踏みつつ唱えているのだ。十人程度ならば未だしも、それが数万の群衆の口から、昼夜の別なく唱えられ続けているとあっては、事実上城市に逼塞したところに募る心理的な圧迫感はいや増すばかりであった。あたかもそれは、象の背中に積み上げられた藁束の一束一束がやがては象の背骨を折るが如く、城市に籠る人々の精神を折るかもしれない。さらには――


 包囲が始まってから一日も経たずに王郁軍の兵は、城壁に上るのを嫌がった。戦闘を恐れたのではない。城壁の外から臨む、赤蓮軍が作り出した光景が戦慣れしていない彼らをして怖気を揮わしめたのである。太い串に刺された手足、首、それだけに留まらず串刺しにされた人体――それらの織り成す屍の杜は包囲の完成以来拡大を続け、やがては死肉を目当てにした鴉や鳶すらその上空を飛び始めるに至り、城の至近に魔界が出現したかのような恐怖を以て晋安に身を委ねる人々を怯えさせるに至った。串刺しにされた骸の森は、死臭すら風に乗せて晋安に運び、城市に籠る兵に至近にまで近づいた死を意識させた。


 朱宇貫はと言えば、死の臭い漂う城壁に、連日のように詰めている。

 軍律によれば城市には最低四人、東西南北に防御を指揮する将が詰めることになっていたが、視覚と嗅覚、さらには聴覚にまで訴えかける凄惨な光景を前に、将ですら進んで城壁に上るものは誰もいなくなった。軍律違反の罰則が僅かな減俸であることが、その傾向を促進した。ここ二週間を、宇貫は城壁の詰所に寝起きして過ごしている。

 食事すら城壁に運ばせていた。肉膾と香辛料をふんだんに加えて炒めた豚肉を盛った皿と、やはり炒めた飯を大盛りにした皿という脂ぎった献立を届ける兵が、宇貫の卓に膳を置くや死臭と脂の匂いの取り合わせに耐えられずにその場で蹲り吐き始める。それを横目で見つつ、宇貫は黙々と炒めた飯を頬張り始める。詰所の窓から臨む城壁、その一角に坐して外を眺める人影を、宇貫は肉を喰いつつ凝視した。

「外に出たそうにしているな。海狼」

「…………」

 飯を食う宇貫に声を掛けられ、海狼は城壁の天辺に胡坐をかいたまま横目で宇貫を睨んだ。それに突き放すような無言が続いた。その間米粒と滓を卓上に散らかしつつ、宇貫は犬のように眼を食らう口を止めなかった。

「宇貫見ろ、あの旗を」

「旗……?」

「あの馬鹿でっかい、血の様に赤い旗さ。張葉堅の馬印だ」

「なんて書いてある?」

 脂に塗れた掌を舐めつつ、宇貫は腹を抱えて外に出た。北に布陣する赤蓮軍の一角、やや小高い丘の頂きに海狼の言う通り、確かに赤く大きな旗が靡いている。その旗の赤地を埋め尽くさんばかりに描かれた字を、宇貫は半ば唖然、そして慄然として見詰めた。


『殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺

殺殺殺殺殺殺殺』


「『七殺詩』っていうらしいぜ? 葉堅の力作だと」

「…………」

 幽霊でも見たかのように顔を蒼白にする宇貫を愉しむように眺め、海狼は平然と言った。

「あれじゃあ降伏なんてしたくとも出来ねえやなぁ……」

 城壁に続く石段を慌ただしく踏む音が聞こえた。伝令の兵が呆然と立ち尽くす宇貫の元に跪き、言葉を発する。

「報告……魯春醍将軍からです」

「言ってみろ」

「魯春醍将軍の軍、赤蓮軍の別働隊五万を大破し晋安に急行の由に御座います」

「…………!」

 宇貫は細い目を見開いた。同時に大きな口が横向きに開いて彼は笑い、頭を上げて海狼を見遣る。

「どうだ!……さすがは俺の部下だ!」

 喜色を隠さない宇貫、その彼を一瞥の後、海狼はまるで汚いものでも見たかのように眼を逸らした。宇貫は足取り軽く石段を駆け下りる。最初は苦笑と共に、最後は寂しげな微笑と共に海狼は遠ざかりゆく宇貫を見送った。


「そうか……あいつ、またやってのけたのか」

 海狼は再び城壁の外を臨んだ。その鋭い眼差しの先、それまで巌のような盤石さを城市まで漂わせていた赤蓮軍の陣がざわめき出すのを、海狼は風の震えとして感じた。

 それまでだらしなく担いでいた偃月刀を握る海狼の手に、知らず力が籠った――あいつなら、自分と同じことを考えているかもしれないという思いと共に。



 ――城外に打って出、包囲軍と一戦交えるべきという意見は、実際に赤蓮軍が城市の外に姿を見せる前より存在した。特に王郁を擁する趙大可がその急先鋒であった。晋安に集結した四万に達する兵を以て決戦場を択び、防御柵を以て張葉堅を迎撃する――かの寧原でそれが叶わなかったのは、個々の叛乱勢力が南進する官軍を前に、統一された指揮系統無く勝手に戦端を開いたからに他ならない。

 郭玄方を始め、主だった文官らはそれに反対した。兵に疎い彼らはただ城としての晋安の堅固なるを以て、彼我の兵力は初めて拮抗し得ると考えていた。それに趙大可が四万もの兵を城の外に展開させるとあってはその分城を守る兵が手薄になるわけで、さらには大可の賭けが失敗に終わった時、晋安の陥落はより現実味を増すであろう……その懸念から、朱宇貫ですら郭玄方に与した――というより配下の兵の数で勝る趙大可に、これ以上武功を立てさせたくなかったという打算もある。


 やがて赤蓮軍が晋安の周辺にその姿を現し始め、北東二面より城市への対峙を始めるに至り、寄せてくる赤蓮軍主力を城壁で食止めつつ、包囲の薄い東門より城外に打って出て、機動的な用兵により赤蓮軍に対するという案が主流になり始める。そうなれば宇貫としても主戦場に参入し得る機会を得ることが出来るわけで、これ以上趙大可の方針に反対する論拠を彼は持たなかった。そのとき――


「わたしを外に出せ、一日で片を付けてやる」

 と声を上げた者がいる。海狼であった。彼女は言った……夜陰に乗じて騎馬五百騎を以て城外に出、包囲軍の後背まで機動する。八万に及ぶ大軍を圧し立ててきた状態で包囲陣を維持するからには、補給面でそれなりの支援が必要となる。恐らく赤蓮軍は敵陣の後背の何処かに兵糧の集積所を置き、手薄な兵力を以てこれを守っていることだろう――騎馬の速力と打撃力を以てこれを衝けば、敵は戦わずして瓦解するであろう……

「……それで、どうなるというのだ?」

 趙大可の側より声が上がった。そんなことまでわざわざ説明しなければわからないのかと、海狼は明らかな不快感をその端正な顔に浮かべた。

「張葉堅は兎も角、多くの赤蓮兵はやる気を失くして逃げるだろう。あんたらはそいつらを追って止めを刺せばいい」

「成程……」と、宇貫はその鯰の様な顔に同意の色を浮かべた。「……葉堅はどうする?」

 それを待っていたように、海狼は笑った。

「あたしが殺る」



 ――結果として、海狼の策は採用されなかった。当初の策に違わず投機性が高いと見做されたこともそうだが、誰も此処晋安において、他の誰かが突出した武勲を立てることを望まなかったのである。眼前の敵を撃退する以上に、集団内での地位を維持することに、晋安の誰もが労力を割いていた感があった。趙大可の兵を主力とする軍が城外に出る機を窺っていたその最中に、包囲陣を掻い潜って春醍からの使いが入り、彼に預けた別働隊――というより晋安が陥落し宇貫が再び野に投げ出された際、再起を図るために城外に隠匿していた兵力――が、赤蓮軍の別働隊と戦いこれを打ち破ったという報を宇貫は知らされる形となった。


 宇貫もまた、大可に従う形で手持ちの兵を整えている。城ひいては戦場を離れ、北上中の春醍と合流することを彼は考えていた。当然、郭玄方や趙大可の前で口に出すべきことではなかった。自然、悪戯でも思い付いた子供の様な笑顔で彼の足は海狼の元に向かい、海狼はと言えば怪訝な目付きを隠さずに宇貫を見遣る。

「海狼、俺と一緒に来んか?」

「葉堅のところまで連れて行ってくれるのか?」

「いや、別のやつのところまで……だ」

「阿春か?」

 海狼の無感動な顔に、呆けたような感情が顕れた。そこに畳みかける様に宇貫は言う。

「お前さんが来てくれれば事はずっと簡単に済む。赤蓮教徒共の囲いを解くのだ。少しばかり険しい道も取らんといかんだろうからな」

「吶喊か……寧原の時と同じだな」

 海狼はにやりと笑った。胡坐からすっくと立ち上がり、偃月刀の長柄を軽々と回して握る。

「葉堅を殺って、阿春に会う」

 直後に何かが弾けるような音が城外から響き、そして城壁の下で悲鳴が生まれる。

「何だ!?」

「北だ! 葉堅が仕掛けて来た」

 呆然とする宇貫を尻目に、海狼は軽々と城壁から飛び降りた。城壁の向こうで弾ける音が連続し、その度に北の城門が騒がしさを増していく。



 晋安の北を襲った混乱の源は、火砲であった。

 外見からすればそれは、大の大人二人程度で抱えて運べそうな程に小さい、装飾用の生花を挿すに足る深さと口径を有する青銅製の大きめの花瓶でしかない。実際、叛乱が起こるよりずっと前から赤蓮教の工房において供物用の花瓶として大量に作られたこれらの正体は、事あるを予想し巧妙に偽装された小型の火砲であった。一門だけならばその効果は薄いが、十門単位でまとまった使用を為された際、赤蓮教軍の火砲は中小規模の城市に限りその城門を破る程の破壊力を発揮し得るであろう。

「放て!」

 刀を振り上げた指揮者の命に従い、薬室に点火した火砲が次々と火を噴く。炸薬の発火により筒内より飛び出したのは拳大の鉄球。だがその速度と重さは、樫の木板を括っただけの、図体だけは大きな城門を穿つのに十分な威力を有していた。

「――――!!?」

 門扉を貫通した砲丸を受け、その向こうで城市の防備に当たっていた兵、そして住民が昏倒する。重量を有する鉄球に当てられ生身の肉体が只で済むわけがなく、門扉の周囲に飛び散った手足と首、そして臓物の端が散乱する。凄惨な戦闘に対する免疫が乏しい故に、主に住民を介し恐慌が生まれ、市中に拡がって行く――

「――反撃しろ! 弩を使え!」

 いち早く北の城壁に陣取った朱宇貫が叫ぶ。装填に手間を要する半面、射程に優れた上に弾道も安定した弩は、城壁の陰から砲に携わる敵兵を狙い撃つのに高い効果を発揮する。その上に宇貫は射手の他、矢を番える兵を別に配することで迅速な射撃を可能にさせていた。この辺り、彼の非凡なところではある。放たれた矢を受け、城壁の外では苦渋の叫びが連鎖を始めた。それでも未だ健在な砲が破壊の砲丸を放ち続け、門扉の破壊を加速度的に速めていく。一度門扉を破壊され城壁に穴を穿たれれば、後は死を恐れぬ赤蓮教徒が突っ込んできてそれで終わる。そして砲側とて城壁からの反撃に無抵抗という訳では無く、砲列の傍に在って砲を守る弓兵が城壁に向かい応戦を始め、果たして北の城門を巡り死傷する兵の数は比較級数的に増していった。撃ち合いが始まったのだ。


「西門から出て葉堅を討つ!」

 攻防戦の開始を受け、次に動いたのは趙大可であった。先ずは彼直属の騎兵三千が勇躍西門より躍り出る。その後から僅かに遅れ、残余の兵二万七千が続く。秩序だった進撃では無かった。むしろ勢いを重視したが故に統制を故意に無視した観がある。大可出陣の報は程なく宇貫にまで達し、宇貫は海狼の名を呼んだ。

「海狼!」

「あいよ!」

「俺の兵を与って南門から出ろ。目標は東の陣だ」

「何だよ。葉堅じゃねえのか?」

「楊鳳は教主の血縁だ。阿呆でも人望は葉堅に劣らん。討てば相当の大金星だぞ」

「あんたの手持ちの騎兵の数は?」

「二千程……それ以外の騎兵全ては春醍に預けてあるのでな」

「じゃあその二千を借りる。それで十分だ」

 言うが早いが、海狼は脱兎の如く城壁から飛び降り、陣に続く石段を駆け下りた。天女を思わせる軽やかな挙動に目を奪われつつ、宇貫は言った。

「上手くやれよ……女!」



 実のところ、門扉の堅牢さは赤蓮軍北陣を与る韓亥の予想を越えていた……というより火砲の威力が、門扉を破壊し切るのに不十分であったのだ。さらには連射を続ける内に、砲身の過熱に耐えられずに破裂した砲が出るに辺り、彼としては多少の予定変更を自ずと促されることになった。

「やむを得ん……ちと早いがあれを使うか」

 呟き、傍らの配下に目配せする。自然、刃の様な笑みが浮かぶ。尚も砲撃を続けるよう命じつつ、韓亥はもう一人の配下に聞いた。

「東門の攻勢はどうなっている?」

「楊鳳様の手勢多数城壁に取り付くも、守り手に阻まれ苦戦の由にございます」

「砲を使わなんだのか?」

「それが……戦功を焦る余り無断で突出した者数え切れず」

「ケッ……!」

 韓亥は舌打ちした。使えないやつという憤りよりも、むしろそれ見たことかという嘲りの方が勝る素振りであった。別働の魏六新もそうだが、日頃から厳正な規律を以て縛らないから兵が勝手なまねをする。その点うちの首領はちゃんとわかっている――ただし首領の場合、規律より外れた者を、苛烈な肉刑を以て遇する愉しみの方が勝っていたのかもしれないが。

「申し上げまぁーす! 馬上より御免!」

 騎馬が滑り込むように韓亥の眼前に飛び込み、馬上から息荒く兵が告げた。

「別働隊を率いし張葉堅様、城西を出た王郁軍と戦端を開いた由に御座います!」

「かかったな……!」

 韓亥は笑った――今日の戦は勝てると思った。そこに別の兵が表れ、更なる攻勢の準備が整ったことを告げる。

「そうか。あれの用意が成ったか」

 すかさず、韓亥は砲の指揮官を呼んだ。

「砲の目標を転じる。城壁だ」



 北に布陣する――否、している筈の――張葉堅を打つべく西門より打って出、反時計回りに北上を始めた趙大可の進撃は、討つべき北陣を目前にしたところで止まった。

 何故かというに目指す張葉堅は、彼らのすぐ近くにいたからである。正確にいえば、張葉堅は晋安城の北西の小高い山の陰に二万に及ぶ一軍を潜ませ、大可の軍を目前に捉えた瞬間に突撃を命じた。突撃を急ぐ余り伸びきった戦列の側面。丁度人間でいえば脇腹に当たる部分を、拳となった張葉堅の軍は衝いた。

「殺せ! ()べて殺せ!」

 突進する騎兵の先頭を駆り、銀龍の仮面が吠える。手に握る長大な得物を振り上げ、配下の騎馬に加速を命じる。

 処刑用の大刀に長柄を付けた専用の得物たる「虎殺戟」、その傍らで風を受けて棚引く「七殺詩」の旗――その刃、その緋を見出した途端に恐慌が生まれ、大可の騎兵たちの過半はそれだけで戦意を喪失した。大可の兵は今や山羊の群、急襲に成功した葉堅の兵は、逃げ惑う山羊を追う狼の群であった。眼前に迫った敵騎を自ら撫で斬りにしつつ、葉堅と彼の軍は敵中を抉るように敵陣の先頭へと迫る。急追の形であるが故に殺戮と蹂躙は加速し、その先に今や北に向かい逃げ惑うばかりの趙大可の姿が見えた。

「ひ――!!?」

 最初に、将を守らんと轡を翻した騎馬が討たれた。彼らが稼いだ時間も僅かなものでしかなかった。葉堅の突き出した戟の刃が馬の脚を斬ってそのまま大可を抜き去り、脚を縺れさせた馬から大可は烈しく転倒した。そこに、葉堅に続く騎馬多数が容赦なく地上の大可に槍を突き立てる――何度も、何度も。

「趙大可は討ち取った! 残余の兵は皆殺せ! 殺して吊るせ!」

 残敵の掃討をある程度まで進めたところで、葉堅は自軍に兵の再編を命じた。陣形を整えて向かう先は南。晋安を時計回りに進み、今度は南門から出て西、楊鳳の陣に向かったという敵の別働隊を討つのだ。



 その南門――二千に及ぶ騎兵の群は、外へ向かい門を潜るや、一斉に東へと方向を転じた。上空よりその様を俯瞰すれば、素早い動きで獲物に迫る毒蛇をその一群は思わせた。獲物の位置に、楊鳳が率いる寄せ手三万がいた。

 なし崩し的に攻城が始まった結果として主力は城壁の近くに張り付き、そのすぐ後に控える予備兵力――楊鳳のいる本営は彼らから置いてきぼりにされたような観があった。彼を守る兵の数は三千余りと、迫り来る二千の刺客に対しなお数的優位を保っていたが、二千の騎兵は晋安を大回りに進み、その結果として本営の右後背にまで回り込んでいる。まさに獲物を襲う蛇を思わせる、絶好の位置取りであった。襲撃のその瞬間まで、楊鳳軍は襲撃者の接近には気付かなかった。

「いい位置だ」と、風を受ける馬上から、群を束ねる海狼は言った。

「――――!?」

 蹄の立てる響き、青龍偃月刀を振り翳して突進する騎馬一騎――騎馬の群を従えて直前に迫るそれを目の当たりにした瞬間、複数の兵が絶叫と共に薙がれて斃れた。無防備な後背からの勢いに任せた騎馬の突進は、それが生じた瞬間に楊鳳軍に百単位の死者を産み、その先頭には偃月刀で孤を描きつつ兵を掃う海狼の姿があった。

 守るのが軽装備の歩兵とあっては、陣でも組まない限り鉄騎の奔流を圧し止めることなど不可能に近い。陣中を駆ける騎兵に薙がれ、衝かれて斃れる兵。尚も生き残った兵が持ち場を捨てて逃げ回る内に陣は崩壊し、馬上の海狼の眼前にさらなる活路を与える。

「楊鳳ぉーっ!!」

 声を荒げる海狼の眼前、馬に飛び乗ろうとして何度も失敗する将の姿を前にして、海狼は更なる突進を命じた。本営を守ろうと食い下がる兵を左右に斬り拓きつつ、騎兵の群は海狼を先頭とした巨大な鏃となって本営を蹂躙する。防ぐ手立てはもはや無かった。逃げるか、踏み止まって戦うかのふたつのみが存在を許された選択であった――否、海狼の疾さはそれに直面した楊鳳に選択を許さぬほど急であった。

「覚悟おぉぉぉぉぉ!!」

「――――!?」

 衝き出された偃月刀の尖端が剣を執り応戦しようとした楊鳳の首を割く。噴水の如き出血、勢いに任せて円を描いた偃月刀に弾かれるようにして空を舞う首――放物線の頂点に達し落ちて来たそれを海狼は馬を加速して追い、偃月刀を突き出して奪る。

「楊鳳討ち取ったりぃぃぃぃぃ!!」

 声を張り上げて駆けつつ、海狼は楊鳳の首級を天高く衝き上げた。一気に伝播した大将の死は一軍の統率すら崩壊させる。その後には一方的な蹂躙が待っていたかに見えた。

「敵襲! 後背より敵襲!」

 悲鳴に近い声が聞こえる。馬上から顧みた後背、晋安の南側から大量の砂塵が舞うのを海狼は見る。やがてそれがあの緋い、禍々しい「七殺詩」を伴っていることに気付くや、海狼は忌々しげに顔を歪めた。

「葉堅か!? 早い!」



 晋安の北門でも、異変は起こっていた。砲撃と矢が城壁の方向に集中し、城兵がその対処に忙殺されている最中、異形の物体が三つ、緩慢な速度で城門に向かい進み出る。鉄球の直撃を受けて崩れかかった上楼、その城壁の陰から寄せ手を見下ろした宇貫は、込み上げてくる苦渋に口元を歪ませた。

「衝車か……!」

 破城槌を吊るした車であった。それが兵に押されて城門に向かって来る。獣皮と木製の盾で外を覆った衝車は、城壁から降り掛かる矢など物ともせずに前進を続ける。衝車の前進を援護すべく撃ち掛けられる砲弾が上楼の柱と屋根を穿ち、崩していく。飛び交う矢に捉えられた城兵がばったりと斃れ、あるいは城壁から外に転がり落ちていく。衝車が城門の前に達すれば、衝車は中の兵の手により容赦なく破城鎚を朽ち掛けた城門に叩き込むであろう。すでに砲撃により強度を失った城門は、次には数度の鎚撃で敗れ、その瞬間に勝敗は決するであろう。


「…………!」

 息を呑んでその様を睨む宇貫の傍らに、頭を抱えつつ配下の兵が駆け寄って来る。

「宇貫様! 準備整いました!」

「すぐに落とせ! 急げ!」

 藁束であった。米俵ほどの大きさのそれを、城壁の兵二三人掛かりで城門の方向に次々と落とし込む。藁束自体は衝車の前進を妨げるものでは無かった。しかしどんどん落とされるそれが衝車の傍にまで達した時、衝車の中では困惑が広がり始めていた。

「油……?」

 漂って来る匂いに、衝車の兵は我が鼻を疑った。只の藁束では無かった。廃油とタールを染み込ませた藁束。それを衝車の兵が目前に見出した時には全ては終わっていた。数本の火矢がその場に集中し、次の瞬間には衝車をも飲み込む程の火の海がその場に生まれる。

「――――!!」

 炎の塊と化した衝車から、やはり炎に纏わり付かれた人影が右往左往しつつ飛び出し、矢を受けて斃れた。燃え盛る炎と動かす者の無くなった衝車は、後続する未だ健在な衝車らにとって前途を塞ぐ障害物でしかなく、それは攻勢そのものの頓挫を物語っていた。


「小癪な……!」

 韓亥は呻いた。炎に煽られた気流が、城壁に向かい射上げる矢の軌道すら乱し始めている。むしろ守り手の初速に優れた弩が当初の勢いを取り戻し、砲側の赤蓮兵を蹂躙し始めていた。

「申し上げまぁす!」

 騎馬が駆け寄って来る。それも東側から、人馬ともに傷付いた騎馬だ。兵は転がるように馬から落ち、韓亥の前で這い蹲るようにして拝礼し告げた。

「楊鳳将軍、戦死! 東側のお味方壊乱の由に御座います!」

「楊鳳が!?」

 色を為す韓亥の前に、さらにもう一騎が寄って来た。旗印から葉堅の直属と判った。

「張葉堅将軍、楊鳳将軍を討った敵軍を追撃、これと交戦中!」

「……混戦だな」

 呟くや、韓亥は傍らに控える配下を以て攻城の中止と後退を全軍に命じた。と同時に手持ちから兵五千を割き別命を下す。それは張葉堅の援護であった。


 

 東門――

 海狼は楊鳳の陣を蹂躙した後、城壁沿いに元来た道を辿る積りであった――が、今の彼女は押し寄せる敵騎と戟戈を交える只中に在る。偃月刀のひと薙ぎで二騎の敵を斃して続けても敵の数は尚も減らなかった。

 何より、数に十倍する新手の敵騎が北の陣より自軍の後背まで時計回りに運動してきたことが海狼の目算を狂わせていた。と同時に、自分とは異なる方向に向かった趙大可が、彼らの攻勢を受け敗れたことを彼女は同時に悟った。要するに趙葉堅にとって全ては掌の上であったのだ。結果として葉堅は総仕上げとばかりに自軍の後背より攻め寄せ。北に布陣する赤蓮軍により行く先を塞がれた自軍は挟撃の憂き目に遭おうとしている――

「――――!」

 偃月刀を揮う海狼の眼前で、二騎が忽ち屠られた。大刀の前に血飛沫が上がり、胴を裂かれて落馬する味方。長柄の大刀を衝き出し向かって来る銀色の龍面を、海狼は不条理に対する怒りを込めて睨む。

「――――!」

「――――!?」

 上段と下段、異なる方向から、それも同時に向けられた刃がその先端で克ち合い止まった。その後には疾風の様な偃月刀と大刀の交叉と衝突が連鎖し火花を散らす。得物の裁きから鍔競り合いまで互角――

「女……長生きできんぞ!」

「ほざけっ!」

 共に毒付き、再び刃の交叉が連鎖する。海狼が馬の前脚を跳ね上げ、上段のさらに上から偃月刀を振り下ろす。龍面の下、悪鬼の如き形相で葉堅はそれを受ける。馬の脚を薙がんと葉堅が突き出した大刀を、海狼は巧みに馬を跳ねさせて回避し、更に数合が弧を描き交差する。互いの揮う刃が克ち合う度に火花が生まれ、弾ける殺気が波動となって空気を揺らした。しかも互いに決め手を欠き続けた。それでも二騎は相手の肉を削ぎ、斬り落とさんと刃を揮い続けた。

「――北より敵の増援!……五千はいるぞ!」

「――――!?」

 友軍の悲鳴、それを受けた海狼の驚愕――そこに生じた均衡の微かな揺らぎを葉堅は見逃さない。海狼を斬らんと葉堅が大刀で描いた弧は馬上の海狼から僅かに逸れたが、彼女の駆る馬の肉を深く削いだ。

「――――!」

 馬が啼いて倒れ、海狼は馬上から血を吸った地面へと叩き付けられる。馬上の優位を得た葉堅が、眼光を弑虐の悦楽に歪ませ、大刀を海狼に振り下ろす。素早く偃月刀を拾い、跪きながら海狼は三度までも弾みを付けて振り下ろされた大刀を受けた。だが四度目に衝き下ろされた大刀の刃が海狼の上腕を掠めて裂き、海狼は苦痛に顔を歪ませる。灼けるような痛みに耐えかね、偃月刀を執り落とす――

「終わりだ」

 黒い影が伸び、慄然としてそれを見上げる海狼の眼前でそれは大刀を振り上げる張葉堅の姿と化した。そこに何処からともなく剣が弧を描いて飛び、葉堅の馬に突き刺さって留まる。

「――――!?」

 馬が啼き、跳び上がった馬上から葉堅は大刀を取り落とした。そこに疾風の如くに迫る蹄の響き――

「海狼!」

「あ……!」

 この戦場にいる筈のない男が、馬を駆り海狼に手を延ばして来る。拒む理由は無かった。馬上から乗り出した半身ごと突き出された手を海狼は咄嗟に掴み、満身の力を込めて馬上に跳び上がる――城壁への疾駆の末、殺すべき相手を奪われた男の姿があっという間に遠ざかって行く。彼らを追おうとした敵騎が複数、城壁から注がれる矢束を受け、敢無く斃れていく。

「阿春!?」

「その呼び方! いい加減止めろよな!」

 手綱を握る魯春醍、その彼の背中に縋る海狼の眼が、当人も予期しない至近で交叉した。城壁の直前で轡を転じた先で、新たな局面が張葉堅の軍を襲っていた。

「――大変だ! 兵糧が!!」

 黒煙は晋安の北でも上っていたが、それと太さと高さでも負けないほどの黒煙が葉堅軍の遥か後方から上っている。そこは明らかに彼らの主だった野営地であり、兵糧の集積場の位置であった。

 後方からの出火を目の当たりにした途端、海狼に蹂躙されてもなお、王郁軍を圧殺するに足る数の兵を有していた筈の葉堅軍が浮足立つのが、海狼には鳥肌を立たせる程に鮮やかなまでに判った。あの忌々しい張葉堅の姿はとうに見えず、やつの率いる兵は戦を放棄し一斉に晋安の北、一部は大火の方向に転じ始めている。それを背後から襲うように、東から来た兵が王郁軍の旗を奉じ突進を続けている。

「兄者ぁーっ!!」

 追撃隊から離れ一軍の騎馬が春醍の元に迫って来た。騎馬を束ねる男には見覚えがある。この阿春の弟分とか言う山賊だ……と海狼は春醍の背にしがみ付きつつ思った。男は春醍の前で手を組んで一礼し、追撃に掛かる友軍を顧みる。

「兄者の目論見通りですな。連中、念仏よりも食い物の方が惜しいと見える」

「兵糧は全て焼き払ったか、念のため王儀どのに今一度質してくれないか?」

「すでにその旨伝令を送っております」

「さすがは隗雲だ。ただ……」

 春醍は馬上のまま、東の涯を臨んだ。兵糧の集積所を焼く炎はさらに勢いを増し、それは禍々しいまでの野火の拡がりを見る者に思わせた。

「……やっぱり、勿体無かったかな」

「いえ……葉堅のような悪鬼を祓うのに必要な生贄でさぁ」

 魯春醍と隗雲、ふたりは顔を見合わせ笑った。そこに、砂塵を蹴立てて伝令の騎馬が迫って来る。

「申し上げます! 袁隷どの兵三千を率いご到着!」

「え?……袁隷?」

 隗雲は言葉を失い、春醍は咄嗟に晋安の北に目を凝らした。よく見れば、追撃軍の中に聳える軍旗の中に「袁」の字も混じっている。更に別の騎馬が群を為して春醍の元に馳せ、その先頭、羅王儀が春醍を拝礼しつつ馬を寄せてくるのが見えた。

「春醍どの、こちらにいらっしゃいましたか?」

「御苦労さま。奇襲の首尾は?」

 王儀はにっこりと笑った。

「上々でござる。三日もせぬうちに赤蓮軍は糧絶え、晋安から立ち退きましょうぞ」

「袁隷どのが来られたようだが……」

 王儀は顔を曇らせた。

「袁群からの急行軍で御座います。どうしても海狼どのをお救いすると言って聞かず……」

「誰が助けられるか! あんな馬鹿に!」

 春醍の背に縋りつつ、海狼が声を荒げた。驚き再び海狼を顧みた春醍の眼と、海狼のきっとした眦が重なり、同時に春醍はあることに気付く。

「海狼、怪我をしているのか……?」

「だからなんだ?」

 言うが早いが春醍は下馬し、海狼にも降りるよう促した。次には傷を見せるよう促し、手ずから襟布を裂いて腕に巻き付けんと試みる。

「阿春……?」

「縛るぞ……少し我慢しろ」

「…………」

 黙々と腕に布を充てて縛る春醍を、海狼は痛みを堪えつつ、困惑しきった顔をそのままに凝視し続けた。不意に東門が開き、今度は友軍兵士の奔流が城市の内より晋安の北に向かって溢れ出す。勢いに身を委ね、思い思いに執った武器を以て敵を殺さんと駆ける兵の流れ。秩序も何もあったものでは無かった。海狼をそのままに春醍は馬に飛び乗り、隗雲と王儀を顧みる。

「さあ、我々も北に向かうか」

「追撃に加わりますか? 春醍どの」

「いや……兵に退くよう命じに行こう。ぼくらの仕事はもう終わりだ。これ以上無駄な労力を使うことは無いだろう」

「同感」と隗雲。

「右に同じく」と羅王儀。

 春醍は満足気に頷いた。三人の男子は気心の知れた友人のように馬を並べ、一気に北へと駆けていく――彼らの戦を終わらせるために。


「…………」

 遠ざかりゆく後姿を半ば陶然として見送る海狼、何時しか戦場を離れていた袁隷が、彼女に向かい奔る馬上から顔を綻ばせている。跳び下りる様に下馬し駆け寄って来た貴公子然とした男を、海狼は毒虫でも見るような眼で遇した。

「海狼どの、怪我をされたのか? 大変だ。手当てをしなくては」

「あたしに触るな! 下種!」

 衝き出す様に延びた長い脚が、飛び掛からんばかりに迫って来た袁隷の顔面を正面から蹴り上げる。体格面で春醍よりずっと恵まれている筈の袁隷を派手に弾き飛ばす程に、その力は強かった。



 後世に言う晋安攻防戦は終わった。まる一日を要した戦の後、晋安の近傍より退いた赤蓮軍はなおも六万の兵を有していたが、その時点で彼らは既に攻城の継続に必要な兵糧の過半を喪っていた。飢えが蔓延したが故に集団としての秩序は崩壊し、その後には南に向かい三々五々元来た道を戻る、かつては一軍の兵であった流民の群が生じた。赤蓮軍の将、特に攻城戦で海狼に討たれた楊鳳が配下の横領を恐れて兵糧の集積所を一箇所に絞っていたこと、そこを別働隊の魏六新を破り北上してきた魯春醍に衝かれたことが赤蓮軍潰走の誘因となった。王郁軍の追撃よりも飢餓に対する恐怖が、赤蓮軍を支配する信仰に勝り、それ故に彼らの撤退からはあるべき秩序が霧散してしまっていた。


 王郁軍は勢いを取り戻した。武官の一翼を担った趙大可がこの戦で戦死したが故に、王郁軍の指揮系統は自然、もう一翼を占める朱宇貫が束ねることとなった。山賊とは言っても、元は農民上がりであったからこそ趙大可は士大夫層の占める王郁軍指導部に重用されたのであり、その彼が死んだ今、指導部をして今後の叛乱を拡大するに際し朱宇貫の存在に説得力を持たせることとなったのである。宇貫をして流民上がりの成り上がり者、と悪し様に言う者は、少なくとも廟議の場に在ってはいなくなることを今次の戦の結果は意味した。


 指揮系統が一本化された以上、朱宇貫は香南の戦況に際し存分に腕を揮うことが叶うようになったわけで、この際彼が下すべき命令もまた決まっていた。即ち王郁軍は秩序を以て赤蓮軍を追い、これを攻撃せよ、というわけで、晋安を出た王郁軍はそれなりの規模を保った複数の軍に別れ、各方面より赤蓮軍の追撃に移ることとなった。


 餓えたりと雖も赤蓮軍には未だ十分な数の兵があり、頭目の張葉堅も健在である以上、決して無傷というわけにはいかないであろう……と、追撃軍の最後尾にあって魯春醍は考えたものだが、その観測は先鋒軍が次々と戦果を上げているという報に接するに及び、拍子抜けといった風に霧散してしまった。特に日が経つにつれて一層その傾向は顕著なものとなった。聖籍の時代より飢えた兵、戦意の無い兵が勝った験しは、中原には一例とて無いのである。追撃戦は掃討戦、そして流民狩りにまで忽ちその様相を変えていった。むしろ逃げる力も無く道端に行き倒れる者もまた多かったのである。


 その進撃の途上、春醍は魯哀、呉楊の二将と合流する。別れた当初は五千程であった彼らの兵力は、赤蓮軍の投降者を加えて一万近くにまでその数を膨らませていた。その様に接し、春醍は閃いて言う。

「命じる。行き倒れた兵を葬り、未だ息のある者は介抱してやれ」

 果たして、元赤蓮兵の多くは安堵した。全軍の意図が追撃にある以上、彼らはかつての同胞と殺し合いをさせられるのではないかと内心で怯えていたのである。空き地に大きな穴を掘り、そこに骸を幾つも重ねて埋めた後に墓標を一本立てて経を上げるだけという簡素さではあったが、それでもこの処遇は元赤蓮兵の心に強く響いた。

「魯春醍という将には、慈悲の心がある」

 自然、春醍に対する投降が相次いだ。元赤蓮兵の中には、友軍の投降への手引きを春醍に申し出る者もいて、晋安を出た時には三千にも満たなかった春醍の兵は、袁隷の領地に向かう頃には二万にまで膨らんでいた。追及して来る他隊をも加えれば、三万にまで達するかもしれない。諸将は、追撃に参加している袁隷に従った羅王儀を除けば、全員が生きて春醍の元に揃っている。海狼は――彼女もまた、偃月刀を執り追撃に加わっている筈だ。


 野営の陣を張ったところに、訪ねて来た者がいる。その名を聞き、春醍は寝入ろうとしていた寝台から驚きのあまり滑り落ちかけた。

「春醍様、大功をお挙げになった由、お祝い申し上げます」

「…………」

 拝礼した袁優華の美貌を、春醍は汚れた顔もそのままに唖然として凝視する。優華は微笑み掛け、春醍を陣の一隅に誘った……そういえば此処は袁家の土地なのだ。案内された先では既にささやかな宴席が用意されており、すでに魯哀、隗雲、呉楊が春醍を待ち構えていた。

「兄者、先にやってますよ」と隗雲が笑っている。優華に進められるがまま春醍は座り、優華はその傍らに座った。それがさらに春醍を驚かせた。春醍が疑念を挿し挟む余地を与えないかのように、優華は春醍に酒を満たした柄杓を差し出す。

「春醍様、おひとつ」

「…………」

 渋々といった風に差し出した盃に、美酒がなみなみと注がれる。躊躇いがちに口を付け、ちびりちびりと飲み始めた春醍を、優華は微笑と共に見詰めていた。春醍が少しずつ盃を傾け、一杯を飲み干したところで魯哀が聞いた。

「春醍どの、葉堅は追わぬのですか?」

「葉堅の首は宇貫が取ればいいよ。最初からそういう手筈だ」

「朱宇貫に葉堅の首が取れるのかねえ。やっぱ兄者でないと」と呉楊。

「香南の平和のためにも取ってほしい所だけど……そればかりはわからないな」

 春醍は首を傾げた。盃に手ずから二杯目を注ごうとしたところで、優華が目で止めた。嫌みの無い睨み方だが、これに弱い自分を春醍は今更のように自覚する。優華は心得た様に二杯目を壺から掬い、春醍の盃に注ぐのであった。その後も自分で酒を注ごうとしては優華に睨まれて止め、何時しか魯哀たちも意味ありげな笑みと共にその様を愉しみ始めている。ただ春醍だけが知らず、優華が注ぐ酒を黙って飲み続けていた。

 戦場での話しの中で幾度か酒が進み、春醍は熱い息を吐きつつ言った。

「……この戦が終わったら、玄方どのに袁家の差し出した家財の半分だけでも返して貰える様頼む積りだ。暫くは戦も無いだろうし。これ以上兵を養う当ても無いからな」

「ご懸念無く。それは我が兄袁隷にやって頂きます」

「…………!?」

 きっぱりと優華は言い、それがこの場の男たちを驚かせた。いぶかしむ様に優華は春醍を睨み、そして更に言う。

「私どもが財を預けしは兄上が王郁軍に加わったからでは御座いません。王郁軍の陣中に貴方がいたからです」

「おれ……!?」

 戸惑い、春醍は思わず声を上げた。すでに優華の眼差しが、一寸早く春醍の顔を刺している。

「お嫌ですか? 他人に自分の未来を買われるような真似をされるのは」

「…………」

 春醍の顔から酔いも感情も完全に消えていた。そのような事を言う女性とは、春醍は許よりこの場の男たちは皆考えてもいなかったのだ。優華の言葉はさらに続いた。

「私どもは弱きゆえに、強き者に未来を託さねばなりません。強くとも先立つものの無き者にそれを与え、未来を同じくせねば生きていくこともままならないのです。ただしこれだけは胸に留めておいて下さいましね。この天下の大半は、己が未来さえ買うこともあたわぬ程弱き者で成り立っているということを」

 そこまで言って優華は俯いた。女だてらに差しでがましい口を吐いたと、彼女は明らかに後悔していた。しかし優華を咎める口を、春醍を始めこの場の男たちは持ってはいなかった。

「優華どの……貴方の意見は正しい」

 と隗雲が言い、呉楊も頷いた。魯哀が春醍を顧み、聞いた。

「春醍どのは、これからどうなさいますか? つまりはこのまま王郁様に付いていくか否か、ということですが」

「それは……」と春醍は口ごもる。実のところ彼にはこうやって改めて聞かれるまで、一顧だにしたこともない疑問であった。舗装された道の如く用意された戦に勝ち続けた結果として、春醍はこうして立っている。自ら戦を求めることなど、彼には未だ想像の外であった。

「おれは嫌だな。あんな仁義の無いやつに付いて行くなぞ……それでも……」と隗雲が言い、続けた。

「……兄者がやつに付くというのなら、おれも兄者に付いて行くぞ」

「おれもだ。兄者の下にいれば、こうやって生きて美味い酒が飲めるからな」と呉楊も笑った。

「いやな奴……でも皇族だ」と、春醍は呟く様に言った。かつて大桑国の高祖 王世民も、前王朝最後の皇帝を担いで勢力を伸ばし、最終的には彼より禅譲を受ける形で大桑国を建てた。春醍の場合、そのような野望を抱く以前に、皇帝の一族を担ぐに足る胆力など持ってはいなかったし、持とうと努めたこともなかった。何よりも進んで王律を担ぎたい者はこの叛乱軍中に腐るほどいるではないか?


「皇族なら、王律がいるじゃねえか」

「――――!?」

 物陰から不意に言葉を投げ掛けられ、宴の輪が凍りついた様に思われた。しかも、言葉を投げ掛けられただけでその主がすぐに判る……というのも尋常ではない話だ。宴席の場となった林の、古木の陰、木肌に背を預けた海狼が身を乗り出し、鷹の様な眼を春醍に向けて笑わせていた。

「よう阿春、冷やかしに来てみたら、もう祝勝会をやってるって聞いてな」

「海狼……傷はもういいのか?」

 海狼は笑い、堅袖を脱した。顕わになった上腕にはなお湿布が巻かれていたが、それはもはや傷の深刻さを感じさせるものでは無くなっていた。堅袖を拭ったまま海狼は宴の輪に踏み入り、気を効かせた魯哀が彼女に席を空ける。その瞬間、袁優華の化粧と育ちに裏打ちされた芳しい色香とは趣の大きく違う、男性の本能により訴えかける、女生来のすえた匂いが宴席に漂い始めた。優華はと言えば、さも当然のように宴席の輪に入る海狼の挙動を、その円らな眼を怒らせて見守っている。

「この女が……海狼」

「阿春、何だその女は?」

 と、海狼は優華を見返した。

「袁隷どのの妹、優華どのだ。今日の宴を用意してくれた……」

「ああ……あの阿呆の血縁か」

 意地の悪い笑みを浮かべ、海狼は優華に言った。

「おまえの兄貴には正直迷惑してるんだ。顔を合わせる度に一緒に酒はどうだ玉は好きか錦を買ってやるとか、挙句の果てには下手な詩を書いて一夜を共にしたいとか碌でも無いことを抜かしてはあたしを釣ろうとしやがる……あれが跡取りだって? てめえの家はどうなってんだ?」

「あなたのような野垂れ死に確定の侠客に心配されるほど、袁家は落ちぶれてはいないわ……!」

「…………!」

 優華の言葉は激発を意味するものでは無かった。むしろ努めて口調を抑えたことにより、却って彼女の語尾には抑えきれぬ憤懣の烈しさが込められた形となった。海狼にとってそれが思わぬ反撃であったことは、春醍らが絶対見ることの無いと思い込んでいた海狼の狼狽を、彼女がその端正な顔に顕わにしていることから明らかにそうと察せられた。

「てめえ……殺されたいらしいな」

 席を蹴ろうとした海狼の袖を春醍は引いた。殺意すら重なった憤怒が春醍を向き、それでも春醍は平静として海狼に頭を振った。烈しい怒りがゆっくりと融けていく海狼の顔に、むしろ優華の方が目を見張っている。

「阿春……」

「海狼……今日はおれの顔を立ててくれ」

 優華を一瞥し、海狼は荒々しく鼻息を吐いた。憤怒が無表情……そして何かを思いついた様な微笑に転じた。海狼は春醍から空の盃を奪い、それを春醍に付き出した。

「阿春、注げよ」

「春醍様、私が……」

「おまえには言ってない。あたしは阿春が注いだ酒が飲みたいんだ」

 豚の肩肉に手を伸ばしつつ海狼は言い放った。戸惑う優華を春醍は目で制し、黙って酒を満たした柄杓を盃に注ぐ。それを海狼は一気に飲み干した。

「阿春、注げ」

 春醍は黙々とそれに従う。完全に白け切った宴の中で、優華が吐き捨てるように言った。

「……あなたは、春醍様のことを家来の様に思っているのですね」

「何とでも言えよ」

 海狼は塊大の豚肉を既に喰らい終えている。傍目から見ても呆れる程、あるいは快い程の喰い付きぶりであった。再び注がれた美酒の満ちた盃を、彼女は愛でるように眺め、今度は半分まで飲んだ。

「阿春、飲め」

「…………」

 突き出された盃の向こうで、海狼が眼を鋭くしている。周りの男たちが狼藉を咎めるには、据わった眼から発する海狼の気迫は余りに烈し過ぎた。

「――――」

 盃を黙って受け取り、春醍は残りを干した。海狼の口元が歪み、そこに刃の様な笑みが浮かんだ。

「さてと……戦の続きをやるかな」

 席から立ち上がり、海狼は颯爽と踵を返した。宴の場を出る間際に海狼は春醍を一瞥し、春醍も顔から表情を消す。

「優華どの……」

「…………!」

 春醍は優華に目礼して海狼の後を追った。春醍を呼び止めようとして失敗し、優華は黙り込んでしまう。その後には顔を抑えて啜り泣く彼女と、為す術を失い困惑する男たちが残された。



 海狼は林の奥に向かい、春醍は彼女を追い林を歩いている。

 正確に言えば、宴の場を出た時点で海狼の姿を春醍は見失っている。ただ彼なりに感じた気配と勘に任せるがまま、春醍は林の中を歩き続けていた。暫く歩いていれば、あいつは必ず姿を現す――そのような打算が、今の春醍にはある。

「…………」

 もう少しあるけば林を抜ける――見渡す限りの様子からそう察し始めたとき、過ぎった大木の陰から延びた手が春醍の襟を掴む。次の瞬間には春醍の背は大木に圧し付けられ、眼前には息を弾ませた海狼の顔が迫っていた。


「おい阿春……まさかあんた、このままでいいと思ってるんじゃないだろうな?」

「このまま?……何のことだ?」

「そうだよな……思う処があるのなら、こうやってのこのことあたしの後を付けて来ない筈だものな」

 海狼は声を顰めた。

「阿春、王郁のことが嫌いなんだろ?……いや、言い方を変えてやるよ。気に食わねえんだろう?」

「…………」

 春醍は不機嫌そうに眼を逸らした。そこに、からかう様な薄ら笑いを海狼はした。

「……じゃあ、王律を担いで王郁を蹴落とすしかないな」

「何を言う……!?」

「阿春、肚を決めろ。あんたも、あたしも、そして王律も香南という盤上に並べられた将棋の駒だ。あんたも含め、生きている限りもう誰も盤上からは降りられない。降りられないからにはどんな手を使ってでも生き残らなきゃならねえ……あんたが王律を駒として使う限りあんたも王律も長生きできる。そんな寸法さ」

「王律どのには、生きて盤上から降りてもらう。おれが万難を排してでもそうさせる……!」

「じゃあ王郁は?」

「王律どのの御身が安堵され次第、おれは叛乱軍を抜ける……その後の叛乱軍など関知できるか」

 海狼の薄ら笑いに、殺気にも似た陰性の凄味が混じる。春醍の言葉が躊躇うのを、海狼は明らかに見逃さなかった。

「頭の回らん子供の様な顔で、出来た大人の様な意地を張りやがる……阿春……あたしにはあんたがどうして今までそれで生きて来られたのか判らねえ」

「海狼……それがおれの天命だからだよ」

「――――!」

 海狼の顔から薄ら笑いが消え、殺気のみが眦に残った。

「本気で言ってるのか? 王律もろとも首を刎ねられるのが落ちだぞ」

「これ以上王律どのを巻き込まずに済むのなら、おれは死んでもいい」

「お前ひとりの首で済むのなら、それでもいいだろうな」

「…………?」

 春醍は海狼の言葉の意味を図りかね、海狼はそこに付け入るかのように、さらに躯を圧し付けた。烈しい気迫の前では胸板に圧し付けられる海狼の胸の感触など、覚えていられよう筈も無かった。


「阿春、さっきまで一緒に一杯引っ掛けていた連中はあんたの何だ? 配下だろうが」

「配下じゃない……同志だ」

「あいつらはそうは思ってないぞ。しかも朱宇貫も、郭玄方もそうは思ってない」

「何が言いたい?」

「あんたには、王律に対する以上にあいつらに対する責任があるんだ。あの馬鹿どもはあんたが正面の戦に勝ち続けているから、安心してあんたの下で悠長に酒など飲んでいられるんだ。そしてあんたらが酒をかっ喰らって時を食い潰してる間に宇貫は追撃の先頭に立って、それこそ必死で赤蓮教どもを殺しまくってる……阿春、これが意味するところがあんたには未だわからないのか!?」

「…………!」

 春醍は言葉を失った。海狼の真意が理解できなかったためではなく、むしろその逆であった。込み上げてくる戦慄を抑えようとして、春醍は思わず顔を引き締める。それを見て、海狼の口元にいま一度薄ら笑いが浮かぶ。

「阿春、宇貫はいま、点数を稼ぐのに必死だ。少なくともあんたが南渡で殺したのと同数の敵兵を殺さないと、武将としての帳尻があんたとは合わなくなる。だから焦ってる。その一方で今のあんたは宇貫よりも一歩先にいる。いまあんたが戦うべき場所は何処か、わかるよな?」

「晋安に行かないと……」

 薄ら笑いが、海狼らしくない爽やかな微笑に転じた。その変わり様に、春醍は思わず目を見張る。袁優華とはまた趣の異なる、だが心に刻まれる美しさだった。

「……まあ、あたしに言わせりゃあ今の宇貫は意味の無い戦いで必死に虚しい勝ちを漁ってる有様だ。でもあんたは勝つべき時に勝つ男だからこそ光る……晋安でも勝て。そして手下とあんた自身を守れ」


 海狼の拳が春醍の胸を軽く圧した。それから徐々に突き出した腕を伸ばし、名残惜しそうに海狼は春醍から離れる……その次には脱兎の如くに身を翻し、彼女は長衣をはためかせつつ駆けて行った。

「海――!」

 呼び止めようとして手を延ばし、声を上げかけて春醍は止まった。明らかに春醍自身の後を追って、こちらに迫って来る気配の存在を察したからであった。

「兄者ぁーっ!!」

 隗雲であった。彼が春醍の元に着いた時には、海狼は既に影も形も無くなっていた。怪訝な表情を隠さずに林の周囲に視線を巡らせ、隗雲は春醍に聞いた。

「海狼のやつは……?」

「足が速いやつだ。ぼくでもとうとう追い付けなかったよ」

「そうですか……」

 と応じつつも、隗雲はなお訝しげに鼻をひくつかせている。そこはかとなく漂っていた甘い香木の匂いが自分の身体、それも先刻まで春醍に組み付いていた海狼から発していたものであったことを悟り、春醍は心から困惑した。隗雲もまた困惑するも、やがて何事か心得たかのように咳をし、表情を引き締めて春醍の前に立つ。

「兄者、騎煩生どのがお見えです」

「騎煩生? 何故?」

 騎煩生、という名を持ち出された瞬間、春醍の脳裏から海狼の姿は掻き消えた。

「さあ……晋安からの使い、とか」と、隗雲も首を傾げている。

 連れたって宴の場に戻る途上、隗雲が躊躇いがちに言った。

「優華様は、お帰りになりましたが……」

「後でお詫びに行かないとな……」

 と、春醍は呟くように言った。それがよいでしょう……と、隗雲も心得た様に頷く。


「春醍将軍! 武勲おめでとう!」

 戦場に場違いな官服姿が、盃を掲げて春醍を待っていた。手ずから美酒を掬った盃を春醍に渡して騎煩生は笑う。香南に来てからこの方ずっと着ている筈なのに、煩生の官服姿は未だ様にはなっていなかった。春醍にはそう見えた。そこに持ってきて、威厳を付ける積りか鼻先に薄らと生やし出した煩生の髭が、春醍にはむしろ間の抜けた印象を受けた。

「南渡で一軍を全滅させた上に、赤蓮軍撤退にも一役買ったんだものな……同郷として鼻が高いよ」

 何杯目かの酒を盃で壺から掬い上げ、煩生は盃を呷る。その彼に対しちびちびと酒を啜り、春醍は言った。

「それで……何の役目で来たのかな? 煩さん」

「…………」

 感情の無い言葉を受け、煩生の表情が変わった。だが謹厳を装っても芯の軟さはさすがに隠せず、それが騎煩生という人間の顔の上で点滅している――やはり、こんな血生臭い仕事が似合う人間ではないのだ――春醍は、心から煩生の境遇に同情した。

「……玄方先生がお前と話がしたいと言っている。赤蓮軍を撃退した後のことについて……だ」

「それは朱宇貫も交えての話か?」

「違うよ。数ある武官の中で、先生は春醍とのみ話をしたいと仰っておられる」

 春醍は目付きを変えた。見据えた先で煩生の眦が不審に歪み、そして軽く仰け反るのが春醍には判った。煩生に対する憐みの心がさらに募った。

「煩さん、先ずは先生に申し上げてくれ……王律どのを晋安より解放し、元の静かな暮らしを与えるようにと」

「それは……おれの一存じゃどうにもならない」と、煩生の語尾が震えている。

「先ずは先生にそうお伝えしてほしい。話は先生の回答次第だ」

 煩生の顔から血の気が引いている。言い換えれば狼狽――玄方の威厳を前にしても取引を持ち掛けられるような事態を、彼が想定していなかったことは明らかであった。

「だいいち……おれにはおまえの言っていることが判らん。何故王律どのを晋安から逐う必要がある?」

「王郁どのがいるじゃないか。神輿はひとつで十分だ。ふたつは多過ぎる」

 わざとらしく、春醍は眦を険しくした。対する煩生の口調からは、完全に余裕が失われてしまっている。

「春醍……おまえ変わったな……何というか、言うことに迷いが無くなった」

「返事は早馬で頼む。煩さん、いい返事を待ってるよ」


 騎煩生は、逃げる様に去った。その間際、春醍は隗雲らが春醍の傍に寄り、ずっと春醍自身と煩生のやり取りを窺っていたことに気付いた。誰もが例外なく眼を険しくして煩生を睨み、魯哀に至っては軽く腰の刀に手を掛けている。あの時煩生が恐れていたのが自分だけでは無いことに、春醍は内心で安堵した。

「春醍どの、あの煩生という者、信用できるのですか?」と魯哀が聞く。

「信用できるよ……信用できる」

 自分に言い聞かせる様に、春醍は言った。ただしその表情に柔和さは無い。

「隗雲……おれは愚かな男なのだろうか?」

「兄者?」

「おれは王律どのには迷惑をかけたくない……だから王律どのを担がない。これでいいのだろうか?」

「兄者は甘い。だが兄者の甘い分をおれ達が補えばいいんだ」

「隗雲……」

「今まで兄者はずっと正しかったんだ。だからおれ達も兄者の意に沿えるように頑張る。兄者はこれまで通りの、優しい兄者でいてくれればそれでいい」

「…………」

 手で顔を覆い、春醍は萎れる様に俯いた。隗雲たちの厚意に感謝するのと同時に、既に去った煩生に対する悔悟の念が、春醍の胸中に渦巻いている。

 煩さん……済まない――その心の中で、春醍は友を思って泣いた。




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