就任報告は命がけ
魔法少女になった。
十七年間生きてきて、これほど胸を張って報告できる出来事はないと思う。
世界魔法管理機構から届いた任命通知には、確かに私の名前が記されていた。
『星宮ひなた殿。貴殿を第七管区所属、正規魔法少女に任命する』
何度読み返しても、文字は変わらない。
選抜試験を三度受け、実技で二度落ち、三度目にしてようやく手にした資格だった。
「おじいちゃん、絶対喜ぶだろうなあ」
私は通知書を大切に鞄へしまい、バスの窓から外を眺めた。
祖父の星宮玄一郎は、かつて大賢者と呼ばれた人物だ。
百年前の魔界戦争では単独で魔王軍の進撃を止め、七十年前の大陸崩壊危機では地殻そのものを縫い合わせたという。
教科書にも名前が載っている。
ただし、私にとっては昔から、こっそりお小遣いをくれたり、母に隠れてアイスを買ってくれたりする普通のおじいちゃんだった。
その祖父が三年前、突然老人ホームへ入所した。
理由を尋ねても「老後はのんびり暮らしたい」と笑うばかり。
魔法を使えば家事も移動も一瞬で済む祖父が、なぜわざわざ施設に入ったのか。
不思議ではあったけれど、本人が楽しそうなので深く追及したことはない。
今日、その施設を初めて訪ねる。
バスを降りると、丘の上に白い建物が見えた。
特別養護老人ホーム『黄昏の丘』。
緑に囲まれた三階建ての建物は、写真で見たとおりの穏やかな佇まいだった。
玄関前には花壇があり、色とりどりの花が風に揺れている。
ただ、一つだけ気になることがあった。
花壇の真ん中で、小さなドラゴンが水やりをしていた。
「……え?」
赤い鱗を持つドラゴンは、じょうろを両手で抱え、真剣な顔でパンジーに水を注いでいる。
私と目が合うと、ぺこりと頭を下げた。
「お、お疲れさまです」
思わず挨拶を返してしまった。
ドラゴンは満足そうに頷き、再び水やりに戻る。
まあ、魔法使いの施設なのだから使い魔くらいいるのだろう。
そう自分を納得させて玄関へ向かった、そのとき。
「おおおおおお!」
建物の二階から、野太い雄叫びが響いた。
「今日こそ我が封印を解いてみせるぞ!」
続いて窓が紫色に輝き、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
私は反射的に杖を取り出した。
「えっ、何!? 襲撃!?」
次の瞬間、二階の窓が開いた。
「田中さーん! またテレビのリモコンを結界に閉じ込めましたねー!」
女性職員の声だった。
「違う! これは我が宿敵を封じた究極の――」
「昨日も同じこと言ってました! リモコン返してください!」
「ぐぬぬ……」
魔法陣が消えた。
窓が閉まった。
私は杖を握ったまま立ち尽くした。
「……リモコン?」
何かがおかしい。
いや、かなりおかしい。
けれど、ここまで来て帰るわけにもいかない。
私は深呼吸し、自動ドアの前に立った。
扉が開く。
涼しい空気とともに、受付から男性の声が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ。面会ですか?」
眼鏡をかけた中年男性が、書類の山から顔を上げた。
「はい。星宮玄一郎の孫です」
「ああ! 大賢者のお孫さん!」
男性の顔がぱっと明るくなる。
「お待ちしていました。私、施設長の黒田と申します」
「星宮ひなたです。よろしくお願いします」
「こちらこそ。いやあ、ちょうどよかった」
黒田さんは私の手元を見た。
「その杖、魔法少女のものですよね?」
「あ、はい! 実は今日、正式に任命されまして!」
「素晴らしい!」
黒田さんが勢いよく立ち上がる。
「正規魔法少女! しかも大賢者のお孫さん!」
「ありがとうございます!」
「実に素晴らしい!」
少し大げさなくらい喜んでくれる。
私は照れくさくなった。
「まだ新人なので、これから頑張らないといけないんですけど」
「いえいえ。十分です。十分すぎます」
黒田さんは私の手を両手で握った。
「ちなみに、月曜日と水曜日と金曜日は空いていますか?」
「え?」
「いえ、何でもありません」
何でもない顔ではなかった。
獲物を見つけた肉食獣のような目だった。
「おじいちゃんはどこですか?」
「ああ、星宮さんなら談話室ですよ。ご案内します」
黒田さんに続いて廊下を歩く。
壁には季節の飾り付けがあり、掲示板には行事予定が貼られていた。
『月曜日 入浴』
『火曜日 書道』
『水曜日 入浴』
『木曜日 音楽療法』
『金曜日 入浴』
普通の老人ホームと変わらない。
そう思った直後、掲示板の隅に小さな張り紙を見つけた。
『施設内での大規模召喚魔法は禁止です』
その下には赤字で追記されている。
『特に食事前は禁止』
「……何があったんですか?」
「いろいろありまして」
黒田さんは遠い目をした。
談話室へ入ると、十人ほどの入所者が思い思いに過ごしていた。
テレビを見る人。
新聞を読む人。
車椅子でうとうとしている人。
そして、空中に浮かぶ巨大な水晶玉を囲んで将棋を指している二人。
「王手じゃ」
「待て、今の一手は未来視で確認したじゃろう」
「証拠はあるのか?」
「おぬしの第三の目が開いておる!」
「これはものもらいじゃ!」
……見なかったことにしよう。
「おじいちゃん!」
窓際の席に祖父を見つけ、私は手を振った。
「おお、ひなた!」
祖父は新聞を置き、嬉しそうに立ち上がった。
白い髭。
穏やかな笑顔。
背筋は少し曲がったけれど、私の知っている祖父そのものだった。
「よく来たのう。今日は何かあったのか?」
「ふふふ。実はね」
私は鞄から任命通知を取り出した。
「じゃーん!」
祖父の目が丸くなる。
「おおっ!」
「魔法少女になりました!」
「おおおおおっ!」
祖父が両手を上げた。
「ついに! ついに我が孫が!」
「うん!」
「世界の守護者となったか!」
「まだ新人だけどね!」
「よくやった! よくやったぞ、ひなた!」
祖父は私の頭を撫でた。
子どもの頃と同じ、大きくて温かい手だった。
「ばあさんにも見せてやりたかったのう」
祖父が少しだけ目を細める。
数年前に亡くなった祖母は、私が魔法少女を目指すことを誰より応援してくれていた。
「うん。きっと喜んでくれてるよ」
「そうじゃな」
祖父は頷き、それから急に胸を張った。
「よし! 祝いじゃ! 皆の者、今日は我が孫の魔法少女就任祝いじゃ!」
談話室のあちこちから拍手が起こる。
「おめでとう」
「立派になったねえ」
「昔はあんなに小さかったのに」
「いや、初対面ですよね?」
最後の人には思わずツッコんでしまった。
祖父は上機嫌で椅子に座り直した。
「黒田君! 最高級のお茶を頼む!」
「はいはい。いつものほうじ茶ですね」
「最高級と言っておろう!」
「今日はおやつの時間に羊羹も出ますよ」
「それはよい!」
威厳はどこへ行った。
しばらくして、職員さんがお茶を運んできた。
祖父は湯飲みを手に取り、満足そうに香りを楽しむ。
「うむ。よい茶じゃ」
ところが、隣に座っていた小柄なおばあさんが眉をひそめた。
「あら、少し冷めているわね」
上品な紫色のカーディガンを着た女性だった。
白髪を綺麗にまとめ、背筋を伸ばして座っている。
「そうですか? 淹れ直しましょうか?」
職員さんが尋ねる。
「いいえ、そんな手間をかけなくても大丈夫よ」
おばあさんは微笑んだ。
「ちょっと温めればいいだけだから」
その瞬間、祖父の表情が変わった。
「待て、エレノア」
祖父が低い声で言う。
「その魔法は――」
「大丈夫よ。昔はよく使っていたもの」
エレノアと呼ばれた女性が、人差し指を立てた。
指先に小さな光が灯る。
綺麗な金色の光だった。
私は思わず見惚れた。
とても精密な魔力制御。
熟練の魔術師にしかできない技術だ。
けれど、その光の奥に、何か異常なものを感じた。
熱い。
いや、熱いどころではない。
魔力の密度が、常識を超えている。
「……あの」
私は恐る恐る尋ねた。
「何の魔法ですか?」
「太陽の熱を少しだけ借りるのよ」
「へえ、太陽の――」
私は一度頷いた。
そして、言葉の意味を理解した。
「太陽!?」
窓の外が真っ白になった。
空に巨大な魔法陣が広がり、建物全体が震え始める。
壁の温度計が一気に上昇した。
二十五度。
三十度。
四十度。
「ちょっと待ってください!」
「あら?」
「お茶を温めるんですよね!?」
「そうよ?」
「どうして恒星のエネルギーを直接引っ張ってくるんですか!」
「だって、火の魔法より早いでしょう?」
「規模がおかしいんです!」
天井のスプリンクラーが作動した。
水が降り注ぐ。
談話室が一瞬で水浸しになる。
「おお、雨じゃ!」
将棋をしていたおじいさんが喜んだ。
「干ばつを救うぞ!」
「救わなくていいです!」
おじいさんが両手を広げる。
「大陸全土に恵みの雨を!」
「やめてえええ!」
私は杖を振り上げた。
「防護結界、展開!」
金色の障壁が談話室を包む。
新人魔法少女として、初めての実戦だった。
相手は魔物でも悪の魔術師でもない。
お茶を温めようとしているおばあさんだ。
こんな任務、試験には出なかった。
「エレノアさん! 魔法を止めてください!」
「あらあら、元気な子ねえ」
「褒めていただいてる場合じゃありません!」
光がさらに強くなる。
私の結界が悲鳴を上げた。
魔力量が違いすぎる。
このままでは破られる。
「おじいちゃん! 助けて!」
「うむ!」
祖父が立ち上がった。
頼もしい。
やはり大賢者だ。
「ひなたよ、よく見ておれ!」
「うん!」
「これが大賢者の真髄じゃ!」
祖父の足元に、七重の魔法陣が展開された。
空気が震える。
空間が歪む。
私は息を呑んだ。
世界を救った伝説の魔法。
その一端を、今ここで見られるのだ。
「天地開闢、万象――」
「おじいちゃん?」
「創世の理を我が手に――」
「ちょっと待って」
「原初の混沌より――」
「待って待って待って!」
私は祖父の袖を掴んだ。
「何する気!?」
「太陽の熱を相殺するため、新たな恒星を創造する」
「もっと大変なことになってるから!」
「案ずるな。小さめにする」
「恒星に小さめとかないから!」
「直径は地球の半分ほどで――」
「十分大きいわ!」
祖父は不満そうに口を尖らせた。
「せっかく孫に格好よいところを見せようと思ったのに」
「今は格好よさより安全を優先して!」
私は必死に考えた。
エレノアさんの魔法は、太陽の熱を湯飲みに集中させようとしている。
ならば、魔法そのものを止めるのではなく、対象を変えればいい。
私は杖を構え直した。
「魔力干渉、対象座標変更!」
光の流れがわずかに逸れた。
エレノアさんの指先から伸びる金色の線が、湯飲みを外れる。
よし。
これなら――。
次の瞬間。
談話室の中央に置かれた観葉植物が、眩しい光に包まれた。
「……え?」
葉が伸びた。
幹が太くなった。
鉢が割れた。
天井を突き破り、巨大な樹木が空へ向かって成長する。
枝が窓を押し広げ、根が床を持ち上げた。
「なんでええええ!」
私は叫んだ。
祖父が感心したように頷く。
「見事じゃ。太陽の恵みで生命を成長させたのじゃな」
「違う! ただ避けただけ!」
「いやあ、若い魔法使いは発想が柔軟じゃのう」
「褒めないで! 天井がない!」
巨大樹木の枝から、なぜかリンゴが落ちてきた。
将棋のおじいさんがそれを拾う。
「うむ。よい実りじゃ」
「食べないでください!」
騒動は、黒田さんが談話室に駆け込んできたことでようやく終わった。
「皆さん!」
その一声に、入所者たちが一斉に振り向く。
「またですか!」
誰も答えない。
「昨日は廊下が異世界につながり、一昨日は食堂に雪山が出現し、今日は何ですか!」
黒田さんは天井を突き破った大木を見上げた。
「……森?」
「すみません」
私は頭を下げた。
「私が魔法を逸らしたら、植物に当たってしまって……」
黒田さんは私を見た。
そして、静かに首を横に振った。
「いいんです」
「え?」
「建物が残っているだけ、今日は上出来です」
何を基準にしているんだろう。
「それに、星宮さん」
「はい」
「あなたがいなかったら、今頃この施設は蒸発していました」
黒田さんは真剣な表情で言った。
「本当にありがとうございます」
その言葉に、私は少しだけ胸が温かくなった。
魔法少女になって初めて、人を守れた。
方法はかなり不格好だったけれど。
「いえ。私もまだまだです」
「そんなことありません」
黒田さんは私の両手を握った。
「素晴らしい判断力でした」
「ありがとうございます」
「魔力制御も申し分ありません」
「いえ、それほどでも」
「そして何より、入所者の方々にきちんとツッコミを入れられる」
「……はい?」
黒田さんの目が光った。
「星宮さん」
「はい」
「もう一度お聞きします」
嫌な予感がした。
「月曜日、水曜日、金曜日は空いていますか?」
「……どうしてですか?」
黒田さんは、満面の笑みを浮かべた。
「当施設では現在、臨時職員を募集しております」
私は祖父を見た。
祖父は視線を逸らした。
「おじいちゃん?」
「いやあ、ひなたも立派になったのう」
「おじいちゃん?」
「ばあさんも喜んでおるじゃろうなあ」
「話を逸らさないで!」
そのとき、談話室の奥からエレノアさんが声をかけてきた。
「ひなたちゃん」
「はい?」
「さっきはごめんなさいね。お茶を温めるだけのつもりだったのに」
「いえ、もう大丈夫です」
「お詫びに、あなたにも温かいお茶を淹れてあげるわ」
「お気持ちだけで十分です!」
エレノアさんがにっこり笑う。
「今度は別の太陽を使うから」
「太陽を変えればいいって問題じゃないんです!」
私の叫び声が、天井のなくなった談話室に響き渡った。
こうして、私の魔法少女としての輝かしい第一日は終わった。
……はずだった。
帰り際、黒田さんから一枚の紙を渡された。
『臨時職員採用申込書』
勤務日、月・水・金。
主な業務、入浴介助。
備考欄には、赤い文字でこう書かれていた。
『夜間魔法事故発生時、オンコール対応あり』
「……ちょっと待ってください」
私は紙を見つめた。
「これ、魔法少女の任務より危険じゃありません?」
黒田さんは笑顔で答えた。
「慣れれば大丈夫ですよ」
その背後で、祖父が小さく呟いた。
「慣れれば、のう」
「おじいちゃん、何か知ってるよね!?」
祖父は答えず、窓の外を眺めていた。
その視線の先には、先ほどのお茶の騒動でも動じず、静かに編み物を続けている一人の女性がいた。
祖父と同じくらいの年齢だろうか。
彼女がふと顔を上げると、祖父は慌てて新聞を広げた。
上下逆さまだった。
「……?」
私は首を傾げた。
そのときは、まだ知らなかった。
世界を救った大賢者が、この施設に入所した本当の理由を。
そして、その理由が、魔王軍よりも厄介な騒動を引き起こすことになるなんて。
もちろん、知る由もなかった。




