1 運命の出会い
「アマンダ・シェル、このどうしようもない点数は一体なんなんだ! 君の愚かさが、侯爵家の名誉をどれほど傷つけているのか分からないのか!?」
王立学院高等部の院長室に呼び出されるなり、罵声が飛んできた。
アマンダ・シェルはうなだれる。
女性にしてはやや高めの百六十五センチの背。
背中に流した黒髪、アメジストのように深い紫色の切れ上がった二重の瞳に通った鼻筋、形の良い唇──本来であれば擦れ違う人々が思わず振り返ってしまう見目の良さのはずだが、青ざめた顔色や拭いきれない影のある雰囲気が、全てを台無しにしている。
「……申し訳ございません」
「謝罪もいい加減、聞き飽きた。まったく、君は本当にあのエドガー侯爵の娘か? 捨て子ではないのか?」
「っ」
「何だね、その目は。不満か? だったらまず己の──」
「院長先生っ」
その時、一人の少女が息せき切って部屋に飛び込んできた。
ピンクブロンドの髪に、春に芽吹いた新芽のようにみずみずしい緑の瞳の女子学生。
アマンダの従姉であり、王立学院高等部二年生で同級生でもあるサマンサ・シェル、十六歳。
年齢は数か月しか違わないが、大人びて見えるアマンダと比べると、サマンサは外見を含め、幼げな印象を抱かせた。
それが庇護欲をくすぐると、男子たちはアマンダに骨抜きになっている。
教師たちからも『純真無垢』と見られていることもあってか、彼女は頼んでもいないのに周囲から助けてもらえるし、お目こぼしをしてもらえる。
サマンサ自身も、物心ついた時から自分に備わった特性をよく理解して、それを遺憾なく生かしてこれまでの人生を過ごしていた。
院長はアマンダに向けていた敵意に染まったのとは裏腹な、優しげな瞳を、サマンサへ向ける。
「これは王太子妃殿下」
「ふふ、いやですわ。まだ婚約者という立場です」
「それで、どうされたのですか?」
「アマンダを許して頂きたくて駆けつけたんです」
「しかし、彼女はまたも課題でひどい点数を叩きだしたんですよ。今日という今日は……」
「お願いします。私からきつく言っておきますので。どうか」
サマンサは深々と頭を下げた。
「サマンサ嬢、顔をお上げ下さい! そんなことをされては、私が王太子殿下に怒られてしまいます! 分かりました。今日はこれくらいに……」
「ありがとうございます」
愛らしい笑顔を向けられ、院長が露骨に鼻の下を伸ばす。
「さ、アマンダ。行きましょう」
「……ありがとうございます」
アマンダは一礼し、サマンサと共に院長室を出た。
「アハハ。お務めご苦労様」
院長に見せていた純真無垢な笑顔を一変させ、底意地の悪い笑顔をサマンサは見せる。
これが、王立学院高等部二年の首席として信望を集めるサマンサの本当の顔。
「助けて上げたんだから感謝しなさいよ」
(助けたですって?)
レポートの宿題さえ満足に出せないのは一体誰のせいだと思っているのか。
「あと、これ」
サマンサは鞄から取り出した分厚いテキストを乱暴に投げつけてくる。
「論文課題が出てるからやっておいて。今日はカイニス様に誘われて、観劇なの。だからそんなどうでもいいことをやっている暇とかないの。頼むわね」
「……」
「返事は?」
鋭く睨み付けられ、アマンダはびくっと震えながら、「……分かったわ」と蚊の鳴くような声で応じる。
「じゃ、頼むわね」
サマンサは鼻歌まじりにそそくさと去って行った。
誰からも好かれる優等生と褒め称えられるサマンサ。
一方、陰鬱な印象を周囲に与えるアマンダ。
同じ侯爵家の血を引きながら正反対の二人。
しかしサマンサが優等生でいられるのは全ての課題をアマンダが、教師たちも舌を巻くほど完璧にやっているからだ。
そのせいで自分の課題にまで手が回らない上に、侯爵家の屋敷では使用人のようにこき使われているせいで、授業中に眠らなければならず、成績は下降の一途をたどっていた。
ずしりと重たいテキストを抱えながら立ち尽くす。
通りがかった生徒たちがくすくすと馬鹿にした笑いを向けてくる。
ひどい目には何度も遭っているはずなのに、いつまでも馴れるということがない。
「……っ」
悲しみに胸が締め付けられ、涙がこぼれそうになってしまう。
アマンダは下唇が充血するくらい噛みしめ、涙がこぼれないように顔を上げた。
心なんてなくなってしまえばいいのにと、どれだけ願ったか分からない。
それでも心は常に血を流し続ける。
♦
帰宅したアマンダは庭の一角にある物置小屋へ向かう。
すでに日没の時間帯。季節は春と言っても風にはまだ冬の名残があり、思わず首を縮めてしまうくらい寒い。
夏は蒸し暑く、冬は凍り付くように寒いそこが、アマンダの居場所。
猫の額ほどの広さの室内には傷だらけの机とギシギシ軋むベッド、扉のがたついたワードローブ、作り付けの棚があるばかり。
棚においてあるポーションを、手のあかぎれに垂らす。
「っ」
痛みに表情を歪めた。
ポーションは小さな怪我の治療のために使われる薬。
魔法が当たり前のように存在しているこの世界においても、回復魔法というのは存在しなかった。
アマンダは小屋の窓から母屋の三階を見る。
ここから見えるのが、サマンサの部屋──かつて、アマンダが使っていた部屋。
アマンダは元々、侯爵家の令嬢として何不自由ない生活を送り、親や使用人たちからたくさんの愛情を注がれて育っていた。
幼い頃に母を亡くしてはいたが、父のエドガーがいれば寂しくはなかった。
心優しく賢いエドガーは、アマンダの自慢だった。
しかしその父を病気で亡くし、侯爵家を継いだ父の弟であるオーランド一家がこの屋敷に移り住んできてから全てが一変した。
部屋を奪われるだけではない。
ドレスや装飾品、それまでアマンダのために揃えられていたものがサマンサに奪われ、最後にはこの物置部屋に追いやられた。
長年働いてくれていた使用人たちはアマンダへの仕打ちに憤り、抗議をしてくれたが、片っ端からクビにされ、ついに味方は一人もいなくなってしまった。
それでも腐らず勉強に打ち込み続けているのは、大きな目標があるから。
部屋の片隅に置かれている粗末な箱を引っ張り出す。
中にはたくさんのメモ書きが詰まっている。
これはエドガーが残したものである。
エドガーは新進気鋭の魔法学の学者として、アカデミーで教鞭を執るほど優秀な人物だった。そのエドガーが研究していたのが、古代の人々が使っていたと伝わる魔法陣。
幼いアマンダを連れて各地を回り、遺跡に残された魔法陣の断片的な記録を蒐集していた。
『お父様、どうして魔法陣を勉強するのですか? 魔法なら魔力がある人なら呪文を唱えれば、使えるのに』
そんな質問をしたことがあった。
魔法陣は過去の遺物であり、詠唱魔法こそ最新の魔法──それが世間の常識だった。
エドガーはアマンダを膝に乗せながら、これまで一緒に蒐集した魔法陣の記録を眺めた。
『確かにその通りだ。だけどね、今は大勢の人たちが魔法の恩恵を受けることができないだろう。詠唱魔法は素晴らしいけれど、生まれながら強い魔力を持っている人でなければ十分に使いこなすことができない。だからほとんどの人は魔法を使うことができない。人口が増え、国が大きくなっているのに、魔法の恩恵はいつまでも一部の人たちに独占されたまま。でも古代の人たちは違ったんだよ。古代語と特別な文様を組み合わせることで、素晴らしい魔法の恩恵を誰もが受けることができていたとパパは考えている。魔法陣の技術を現代に蘇らせることができたなら、きっとこの国、いや、世界中の人たちがもっと幸せになれるはずなんだ! パパは、そのために研究をしているんだよ』
『すごい! 私もお手伝いするわ!』
『アマンダが手伝ってくれるなら、きっとうまくいくなっ!』
アマンダはエドガーに教えられながら、古代語を習得していった。古代語はすでに失われた言葉だったが、魔法陣と共に遺跡に断片的に残っていた。エドガーはそれを整理し、手製の辞書を作った。
アマンダは、エドガーと一緒に魔法陣でたくさんの人たちが幸せになれる未来を想像した。
エドガーが魔法陣に関する論文を発表すると、学術界は騒然とした。
論文の内容が本当であれば魔法文明はさらなる飛躍的な発展を遂げるだろう、と。
エドガーは国王の面前で魔法陣の実験を行うことが許された。
しかしそこで悲劇が襲った。病魔が父の体を蝕んでいたのだ。
魔法陣の準備中に吐血して倒れた父は意識が戻らないまま、数週間後に亡くなってしまった。
『魔法陣だと? 愚かな。兄上はこんなものを調査するのにどれだけの金をつぎ込んだんだ? 昔から変わっていたが、本当に穀潰しだな!』
葬式の夜、叔父はそう吐き捨て、これまでエドガーが丹念に集めた文献を処分した。
アマンダは必死に止めたが、相手にもされなかった。
辛うじて手元に残ったのが、父の魔法陣に関するメモ書き。
アイデアを盗まれないよう全てが古代文字で書かれたメモ書きを丹念に読み解き、ようやくエドガーが本当に国王に見せたかった魔法陣の復元に成功した。
(お父様の代わりに私が魔法陣の素晴らしさを世間の人たちに知らしめるのよ!)
父がなせなかった夢を叶えることが、アマンダの悲願になった。
♦
数日後、アマンダは急ぎ足で帰宅する。
(いよいよ魔法陣の試運転だわ)
父のメモ書きから復活させたのだ。
侯爵邸の門が見えてきたその時、通りから絹を裂くような悲鳴が響き渡った。
「ひき逃げだ!」
誰かが指さすほうを見れば、すごいスピードで馬車が遠ざかろうとしていた。
「誰か助けて! お願いします! お医者様はいらっしゃいませんか!? 誰かああああああああ……!!」
取り乱した女性の腕には、血を流してぐったりした女の子。
今から医者を呼んでも間に合わないし、女の子の様子を見る限り、ポーションでどうにかできる状態ではない。
周囲の人々は気の毒そうな顔をしながらも、目を逸らす。
アマンダは小屋へ駆け込むと、チョークで床へ魔法陣を描く。
(この魔法陣を使えば、マナを収束させられるはず!)
マナというのは魔法を使うために必要なエネルギー。
主に自然界の植物などから発生するものだ。
一般的な魔術師でもマナを手足のごとく自由自在に操ることは難しいと言われている。
完璧に操れるのは、魔術師の頂点に立つ、宮廷魔術師になれるほどの才能がある人たちくらい。
しかし父の推測では、魔法陣を使えば、宮廷魔術師でなくてもマナを操作することが可能なはず。
そしてアマンダが再現した魔法陣にはその効果がある。
アマンダはポーションを魔法陣の中央に置く。
マナには生き物の心身を強靭にする力があることは広く知られている。
だからこそマナを身体により多く吸収できる魔術師はそうでない人間に比べて長寿で、見た目もずっと若い。マナの濃度が濃い場所で育つ植物はそうでない植物に比べて病気に強く、成長速度も速いことも分かっている。
理論的には、マナによってポーションの効果を劇的に上昇させることができるはずだ。
ぐったりした女の子の顔が脳裏を過ぎる。
(助けて上げるからね!)
お願い。うまくいって。
魔法陣に手を置き、魔力を流して起動させる。
精緻に描かれた古代文字のひとつひとつ、規則性を持って組み合わされた幾何学模様が神々しい光を放った。
色とりどりのマナが螺旋を描きながらポーションへ収束していけば、ポーションが輝く。
ポーションは通常、春先の若葉のような薄い緑色をしているが、今はそれが夏の新緑のような深みを帯びていた。
アマンダはポーションを掴むと小屋を飛び出し、通りに出た。
「どいてくださいっ!」
野次馬たちを押しのけたアマンダは、もう泣き叫ぶ気力もなくなり、ただ我が子を抱きかかえながら啜り泣く女性に駆け寄る。
「お子さんを見せて下さい!」
「あ、はい……」
女性はアマンダの勢いに、我が子を差し出す。
(お願い! この子を助けて!)
ポーションを女の子にふりかければ、みるみる傷が塞がっていく。
「え、う、嘘だろ?」
「あれはポーション?」
「あんな大怪我でも治せるのか?」
周囲の人たちがざわめく。
「ん……う……ぁ……」
女の子がぱちりと目を開ける。
「マ、マ……?」
「あ……! ミーア、良かった! 良かったわ!」
母親が泣きながら我が子を抱きしめる。女の子は一体何が起こっているのか分からず困惑しながらも、「ママ、泣かないで」と嬉し泣きする母親の頭を撫でる。
(やった……)
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
頭を何度も下げる母親を前に、アマンダはほっと胸をなで下ろした。
♦
青年が馬車に揺られ、夕日に照らされる大通りを進んでいた。
艶やかな銀髪に、琥珀色の瞳。顔立ちを含め、常人離れした高貴さと気高さをまとう青年は、ディートハルト・ステイナー公爵。
二代前の当主が国王の弟に当たり、彼が臣籍に降った時に設立されたステイナー公爵家の当主である。
ディートハルトが若干、二十五歳ながら公爵家の当主なのは、両親が相次いで病によって身罷ったため。素晴らしい魔法の使い手であると評される一方、人間味がないと言われることもしばしば。
仕事を淡々とこなし、その結果がどれほどうまくいっても喜ばず、まるで人造人間のようだと陰口を叩かれたこともあった。もちろんそれを耳にして尚、ディートハルト自身、全く気にしなかったが。
彼は今、魔物退治からの帰りだった。
騎士団では手に負えず、かと言って、少数精鋭の宮廷魔術師たちではそこまで手が回らないため、討伐依頼がディートハルトにはたびたびもたらされた。
というのも彼自身、公爵家の当主になるまでは宮廷魔術師の筆頭でもあった。しかし当主になるにあたり、領地経営と宮廷魔術師の両立を図ることが難しいと判断して辞職したのだ。しかし時折こうして国王の命で魔物討伐の務めを果たしたりしていた。
そんな彼が感情を宿さぬ眼差しで流れる景色を見るともなしに見ていると、ゾク……全身の鳥肌が立つ。
(この感覚は何だ……?)
魔術師の本能が、強力なマナの収束を察知した。
日常で使うことがまずありえないような、強力な詠唱魔法の使用時にも似た異常な魔力だ。
その時、外が騒がしくなった。
「轢き逃げだ!」
そんな悲鳴が聞こえた。
同時に、向かいから猛スピードで迫ってくる馬車が見えた。
「止めろ」
ディートハルトは車から降りると、馬車の前に立ちはだかった。
「邪魔だ、どけえええええ!」
御者が叫ぶ。
「凍結せよ」
呪文を唱えると同時に、馬車が一瞬にして凍り付く。
馬車を追いかけていた衛兵が追いつき、御者を捕まえた。
「魔術師様ですか! あの、どうかお助け下さい! 馬車に轢かれた女の子が大怪我を負っているんです!」
「案内しろ」
近くにいた通行人の呼びかけに応じて、駆け出す。
(あの人だかりの中か)
そこへ屋敷から学院の制服をまとった少女が飛び出してくるのが見えた。
少女が手にしているのはポーション。
(ポーションで大怪我の治療は無理だっ)
しかし少女は迷うことなく人混みの中に飛び込んでいく。少しして野次馬たちが歓声を上げた。
(何だ……?)
ディートハルトが人混みをかきわけると、母親の腕の中で子どもが元気に笑っていたのだった。
少女の手にはポーションの空き瓶。
しかしディートハルトの繊細な魔力器官は、空き瓶に残留している強力な魔力の残滓を捉えていた。
それは馬車の中で察知した異常な魔力と全く同じもの。
少女は母親と子どもに別れを告げると、屋敷へ戻っていく。
(あれはシェル侯爵家の屋敷?)
ディートハルトは、少女の後を追った。
♦
アマンダは清々しい気持ちで小屋に入る。
女の子を救えたことが嬉しいだけではない。
魔法陣がその力を発揮してくれたことが嬉しく、誇らしい。
「──それは魔法陣、か」
「っ!?」
振り返れば、美しい銀髪の麗人が立っていた。
その人はこの国の誰もが知っている、ディートハルト。
魔法で数多の魔物を平らげる、冷酷無比な魔術師だ。
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