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君に二度恋して、そのあとは

婚約者のクリス視点から始まります

 






 窓を開けると、冷たい風が吹き込んだ。

 寒いな、と思うが、その冷たい風が自分を律してくれるようで、何度か冷たく新しい空気を吸い込み窓を閉める。




 がらり



 開けられた扉の方向を見ると、糸目の男が笑んで立っている。

 舌打ちをしたい気持ちを、微笑みに隠す。


「……ずいぶん、我が国で派手に動き回ってくれているようだな。ルーク=エヴァン」


 むしろ優しく聞こえるように、彼にそう嫌味を言う。


「お久しぶりです、クリストファー殿下。再びお会いできましたこと、恐悦至極に存じます。」


 だが彼は気にしたそぶりも見せずに、手を胸に当て恭しく礼をする。

 裏でこいつが()()()を画策しているのはわかっているのに、その目的がつかめずに結局ここまできてしまった。

 いつも私の傍らで守ってくれていたカタールがいないことが、ひどく心許なく思える。

 けれど。


「私の目の前に現れたのは、お前の計画の算段がついたからなのかな?」


 無感情に口元を上げて微笑み、そう彼に問いただす。


「私の“計画”?なんです、それ」


 それに対して、ルークも口元を歪ませて面白そうに首を傾げる。

 エルリアが見ていたら、間違いなく『狐と狸の化かし合いだね、大変そう』と肩を竦めて見せるだろう光景だ。

 ルークが、私達の目の届かぬところで彼女と出会い、私達が不在の時を狙って彼女に話しかけていたこと。ギースからの報告で、それはわかっている。

 ただ、今の状況を作り出したのが彼なのか、それとも皇国の思惑なのかが読めない。

 ルーク。お前は、なにがしたい?なにが欲しいんだ?


「目的は、エルリアか?」


 この程度の揺さぶりに乗ってくれる男ならば、容易いのだが。 

 そんなこともなく、ルークは、はて?と言って首を傾げておどける。


「それとも、ルークらしく単身で敵陣に乗り込んで私を打つつもりだったのかな?」


 チェスの戦車(ルーク)のように。

 物語の終わりに、敵陣で活躍する戦車(ルーク)

 単独で(キング)を取れる駒。

 そう言うと、ルークがきょとんとした後で口元を上げる。その顔を見て、そのつもりはなかったのだと確信する。


「ふふ。そうですね。クリストファー殿下。貴方の、」


 そう言って一歩、ルークが私に向かって歩みを進める。

 彼が私を害するつもりはないのがわかって、彼が近づこうとするのを許す。



戦車(ルーク)も」

 ギースも


歩兵(ポーン)も」

 エドも


僧正(ビショップ)も」

 ローゼも


騎士(ナイト)も」

 カタールも


 一歩一歩と近づく彼の薄く開いた瞳を見つめる。無感情に、微笑んで。

 父様(おう)がするように、相手が自滅するのを待つように。


「全部とりはらって、(キング)をチェック、メイト。」


 とん、とルークが人差し指で私の胸を軽く刺す。

 相手の思いを探り合うように、互いの視線が交差する。


 ふっ、そう鼻で嗤う。


王妃(クイーン)はどうした、戦車(ルーク)?私の一番の女神は?」


 やはりお前の狙いは、エルリアか?

 彼は少しだけ眉を顰めて刺していた指を引っ込める。 


「……なんて、そんなことするわけないじゃないですか。」


 ルークがはは、と笑って一歩下がる。


「私、皇国(うち)の強欲王や皇子と違って日和見の平和主義者なんですから。」


 いやだなぁとおどけるルークを見据え、


「用件はなんだ」


 そう優しく、告げる。

 ルークが肩を竦めて、こちらの国はせっかちさんが多いですねぇ、などとのたまう。

 ふん、おどけるのはお前に分が悪いからか?


「うちの皇子からの御伝言を。『戦争を回避するために必要だというのなら、クリストファー殿下(あなた)が彼女との婚姻を望むのなら、ローゼ嬢を皇家の血を継いでいると認めてやる。』だそうです」


 その言葉を、無感情に受け入れる。


「よかったですね、ローゼ嬢(おひめさま)と結婚すれば戦争回避できるようですよ?ね、王子様?」


「貴様が仕えるのは第三皇子だろう。彼にそんな権限はあるのかな?」


 ルークが皇国の第三皇子に付き従っているのは調べた。()の国の皇家の中で、一番皇帝(おう)に近いとされる男。だが、それ故に(おう)から疎まれているのではないのか?


「おや、よくお調べで。ええ、彼は皇帝陛下に気に入られておいでですから。彼が言うのなら叶えられると思っていいですよ。」


 なるほど?彼の国の内情をあっさりと吐く。第三皇子の皇帝(おう)への足掛かりは万全なのか?では、なぜ彼の手足であるルーク(おまえ)がここにいる?


「今、戦争をしてそちらになにか得はあるのかな?」


 あくまでも噂である戦争の情報を、今ここで交渉の手に使う意味は?


「……さぁ?」


 誤魔化すルークに少し困ったように微笑みかけてやると、彼は一瞬目を開いてからまた先ほどのように嗤う。


「そして、私がローゼと婚姻を結ぶことでお前たちが得られるものはなんだ?」


 本気で、両国の和平だけを考えているわけではないだろう?それならば、ここまで回りくどいことはせずに皇国の姫君をこちらに嫁がせれば済む話だ。


「さて。なんでしょうね?」


 はは。本当に、


「話にならないな。」


 ふ、と息を吐いて微笑む。


「いいじゃないですか。王子様はお姫様と愛を育み、国も平和になる。貴方が心配しているエルリア様には、立派なカタール様(ナイト)がついているじゃないですか。安心して、任せたらよろしいんですよ。」


 そう言われて、抱き合っていた二人の姿が浮かぶ。一瞬、息を止まる。

 今まで有利に運んでいたはずの交渉に、小さく亀裂が入る。

 エルリアとカタールが手を取って、私から離れる?


「よく考えたらよろしいですよ。取捨選択は大切です。」



 ──貴方は、一国の王子なんですから

 ──国のことを第一に考えないと。



「では、確かにお伝えしましたよ。これで、失礼いたします。」


 そう一礼してルークが軽やかに、だが足早に去っていく。








 **********






 国のことを考えろなど当たり前のことを、ルーク、お前なんぞに言われなくてもわかっている。

 いつだって、王子として国のためになるよう行動して(やって)きた。

 

 ローゼが何を考えているのかは知らない。もしかしたら、彼女の父であるロゼニア伯爵や皇国に踊らされているのかもしれない。

 でも彼女の手を取れば。いやローゼではなくとも皇国の姫であればいい。

 例え戦争がただ単なる噂であっても。

 皇国との間に婚姻を結ぶことは、決して無駄にならない。

 細い縄のような今の我が国と皇国との関係が、密に結ばれる。

 エルリア、君が幼い頃に言った言葉。隣国との関係の回復に努めると言ったあの言葉が、私を強く縛りつける。

 君の言葉に背中を押されて、ここまで走ってきた。だったら、私は君ではない、他の女性の手をとるべきなんだろう。

 


 それでも。



 思わず歯噛みする。




 ──それでも、エルリア。

 君だけは、どうしても手放したくなかった。





 そっと外を眺めると、ちらちらと雪が静かに舞っていた。

 彼女に初めて出会ったお茶会の日も、こんな雪がちらつく日だったか。

 そう思って、窓を開けて曇天の空を見上げる。

 

 初めて出会った日。あのお茶会の日。

 王家自慢の大輪のバラが美しく咲き誇り、温室の中は子供心にはきついと感じるくらい甘くて強い香りが漂っていた。


 正直に言うと、エルリア。

 あの日の()は、君に二度恋に落ちたんだ。


 君の名が呼ばれて、ああ、あの良くない噂のご令嬢か、と冷めた気持ちでいた。

 けれど。

 シルクのような美しい髪を肩で揺らして君がこちらを振り向いた瞬間、僕は息を飲んだ。

 エメラルドのようで、見ようによっては美しい青空のような瞳が僕を見据え、一瞬ののちに、その瞳が潤んでいく。

 彼女の白い頬がゆっくりと赤く染まっていく。

 つまらなそうにしていた彼女が僕に心奪われて変わっていく様子に、心がざわついた。


 それは紛れもなく、一目惚れだった。


 熱を帯び潤んできらきらと輝く彼女の瞳の中に閉じ込められた僕は、ひどく狼狽えた顔をしていた。


 美しい彼女の瞳に映る、僕が言う。

 おい、お前は王子だろう?自覚を持てよ、と。

 

 良くない噂のある目の前の彼女は選んではだめだろう?

 そう、自分を叱責する彼女の瞳の中の自分を見つめて、唇を引き結ぶ。


 その判断は正しい、とその後の彼女の行動で自分の芽吹きかけた気持ちに蓋をする。


 彼女への熱を消そうと。

 一瞬でもエルリアに恋した気持ちを忌々しく思うように心を戒める。

 戒めた僕は、彼女を嘲笑う。

 鬱陶しいな、そう思って手を払って。

 そうして彼女が頭を打ち急に笑い出したときには、心配になった。

 別に彼女を、ではない。

 彼女からなにを要求されるのかを、だ。

 舌打ちしたくなる失態だ、とその時は本気で思った。


 けれど、彼女はすっかり変わっていた。

 僕に触れられるのも見られるのも嫌だというように、さっさと挨拶をして立ち去ろうとする。


 なにも要求されないならそれでいいじゃないか。そう自分の心が言う。


 けど。


 このままにしたくなかった。

 彼女を引き留めたかった。



「ねぇ。ねぇって。」



 そう声をかけても反応しない彼女の手をそっと握る。その手は温かくて、なぜだか泣きそうになった。

 僕を映さない瞳に、無性に腹がたった。


 ねぇ、僕を見なよ。

 僕を見て、さっきみたいに瞳を輝かせてよ。


 鬱陶しいと手を払ったくせになんて自分勝手な。そう思うが、どうにも支配できない感情が心の中で騒ぎ立てる。



 ──そして、彼女がまっすぐ僕を見据えて言葉を紡ぐ。



『多くを学び、才気あふれ、隣国との関係との回復に努め、国民からも愛され、国を統べるに相応しい方となりましょう』



 と。

 僕はそうなるのだと、信じ切った瞳で。

 ……その美しくて強い瞳に、僕は二度目の恋をした。

 カタールに軽口を叩きながらも、脳裏から彼女の瞳が離れない。





 **********






 ばたばたと足音が響く。

 こんな風に廊下を駆けるような人は、彼女しか思いつかない。


「いた!クリス!ようやく会えた!」


「……エルリア。」


 ああ、やっぱり。

 

 そう、思う。


 足音が彼女だったことに、そう思ったのではない。



 彼女の姿を見て。


 こみ上げる気持ちに、やっぱり、と思う。


 彼女の姿を見た、それだけで。

 ただ、それだけで私は初めて出会った時と同じように、君の美しさに息を飲む。 

 

 何度だって君に恋をする。




「えっと、色々話したいことがあるんだけど、まずこの前カタールの……」


 そう言われて、小さく首を振る。


「言わなくていいよ、エルリア。」



 私は私のやり方で、君への誓いを守ろう。


 君が信じてくれた私を、貫こう。


 君が、『隣国との関係の回復に務め、国民からも愛され、国を統べるに相応しい方』と言った私になれるよう頑張るから。


 だから。

 だから、エルリア。

 お願いだから。 

 せめて。君からは。



 ……君の口からだけは聞きたくないんだ。 


 ……君が、他の誰かの手を取っただなんて。



 弱くて、ごめん。

 こんなだめな私で申し訳がないけど。

 



「エルリア、」




 彼女に近づいて、その手を取る。

 彼女の手は、ずっと窓を開けて冷え切っていた私と同じくらい冷たくて。

 触れた感覚がまるでなかった。


 初めて出会った日に握った君の手は、あんなにも温かかったのに。


 最後にもう一度、彼女に触れたかった。

 けど。

 冷たくて、触れているのに触れられない彼女の手が、まるで今の自分に言い聞かせているようで、笑う。

 お前は、もう二度と彼女には触れられないのだと、そう言われているようで。

 こみ上げる気持ちを圧し殺して。

 君へと向かうすべての心を殺して。

 伝えないと。





「……君との婚約は、なかったことにする。」




 ──愛しているよ、エルリア


 その言葉は、紡がれることはなく、心の奥底に仕舞いこむ。





「……さよなら、エルリア。」




 ──どうか幸せでいて。






 そう言ったときのエルリアの表情がどうだったか、その後になにがあったのか、私は記憶になくていつの間にか自室で立っていた。

 耳に、彼女の寂し気に私を呼ぶ声が残っている気がした。








 **********








 クリスが、無感情に微笑む。

 その顔は、よく貴族たちとの化かし合いで使っている表情だ。


 けれど、私には一度だってそんな表情見せたことなかった……


 違和感が私を覆うより前に、彼が言葉を紡ぐ。




「……君との婚約は、なかったことにする。」



 ……え?

 ……な、んで?


「……さよなら、エルリア。」



 クリスが微笑む。



 だって。

 だって、この前好きだって……

 そばにいてほしいって……

 共に、未来を歩んでほしいって……



「……クリ、ス」



 彼の瞳を覗く。

 アイスブルーの瞳はしっかりと私を映しているのに、彼はまるで私なんていないように、どこか遠くを見ているようだった。


「クリス……」


 もう一度、彼の名を呼ぶ。

 そこに、がらりと扉が開けられ見ると、ローゼが立っていた。



「ロー、ゼ」



 そう呼ぶと彼女はそっと目を反らして顔を背けた。






 ……ああ、そうか。



 すとんと心に落ちる。



 クリスは、ヒロイン(ローゼ)を選んだ。

 悪役令嬢ではない、ヒロインを。





 

 そうして気づいた後は、心の中が真っ暗に染まっていく。体から、力が抜けていく。

 心が、押しつぶされそうになる。


 「……っ、!」


 嫌だ、そんな言葉が漏れそうになり、口を抑える。


 まだ、だめだ。

 一言、一言でいい。

 クリスに伝えないと。

 うまくできない呼吸をなんとかして。彼に、ちゃんと!

 唇を噛む。

 息を吐いて。

 私を映さない、彼の目を、見つめる。






「……今までありがとう、クリス。」





 ──あのね、遅くなっちゃったけど。 


 ──私ね、クリス。貴方が、







「……そして、さようなら。」







 ──クリス。……貴方のことが……











 心の気持ちも、もうそれ以上紡げなかった。


 涙が流れるのをなんとか耐えて、それだけ言って覚束ない足を叱咤してローゼの脇を駆け抜ける。




 彼女のミュゲの優しい香りが、まるで凶器のように私の胸を刺す。





 だめだ、立ち止まるな。

 今立ち止まったら、もう一歩も動けなくなる。






 走る間、私の頬には幾筋もの涙が流れていた。












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