なによりも大事で、大切なもの
幼馴染のカタール視点から始まります
エルリアがクッキーを手作りした日。クリスがその手製のクッキーを袋いっぱいに持ち帰ってきて、一緒に食べようと誘われ意を決して席に着く。
『エルリアに言ったよ。』
そう、伏し目がちにクリスが言った。
なにを言ったのかなんて、聞き返す必要がないくらいには、俺たちは意思疎通が図れているらしい。
その瞬間は、エルリアのクッキーの味すらしなくなった。
ただ、そうか、と答える。
出会ったお茶会からずっと、二人を見てきた。
俺の未来を予言するように言った彼女の期待を裏切りたくなくて、そして、隣にいるクリスに勝ちたくて、ずっと努力してきた。
エルリアが大切かと言われたら、それはもちろんと答える。
そして、クリスが大切かと言われたら、それももちろんと答える。
どちらが大切なのかと聞かれると、俺は──
**********
「最近、クリスとローゼ、仲が良いな。」
そう言ってエルリアを見ると、ひどく寂しい顔をしていた。
「お前、ローゼとなにかあったのか?」
エルリアに、探りを入れる。
彼女には、戦争の噂の件も、ギースから伝わったローゼの素性も何も、伝えてはいない。
クリスが、エルリアには話さないと決めたからだ。俺は俺の主であるクリスに従うしかできない。
少しずつ、周りの環境が変わっていく。
ギースが噂を探るために学園を不在にし、エドは行方不明になっている。
そして、ローゼ。
彼女はなにを考えているのか。
急にクリスに近づくようになった。初めて会った時の強気な態度はなりを潜めて、しおらしくクリスに笑いかける。
ロゼニア伯爵になにか吹き込まれているのか、なんなのか。
クリスも、ローゼがなにか知っているのではないかと探りを入れるために、彼女と親しくしている。
俺から見れば、狐と狸の化かし合いに見えるが。
ちょっと困ったように眉を下げるエルリアが、もう一度クリスたちに視線を移す。
さぁ、と風が吹く。
ひどく乾燥した空気が通り過ぎる。
その風にエルリアの髪がなびいて顔にかかるが、彼女は気にした様子もなく二人を見つめている。
ずっと今まで見ていたはずの、いつものエルリアなのに、どこか違う。なんだ?
こちらに意識が向いていないのをいいことに、エルリアをじっと注視する。
そこで、気がついた。
彼女の瞳が、クリスを見る目線が、俺を見る目と違う色をしていることに。
ずっと幼馴染だった。俺たちに向ける視線はいつだって、同じ色をしていたのに。
「エルリア、クリスは……」
──あいつは、別のお姫さんと結婚することになるかもしれないんだぞ。
──あいつに、恋なんてするなよ。
そう言いそうになって、口を噤む。
「いや、なんでもない。」
そういって、風になびいてぼさぼさになった髪を撫でる。
そうすると、嬉しそうに笑うから、やっぱり好きだななんて思ってしまう俺は、単純なんだろうな。
*********
「カタール」
中庭でクリスとローゼの語らいが終わるのを物陰に隠れて待っていると、そう声をかけられて振り向く。
「クリス。どうだ、首尾は。なにかわかったか?」
ふるりとクリスが首を振る。
「こっちもエルリアに探りを入れたが、なにも知らないようだった。」
「そうか。」
そうして、クリスがそっと目線を俺から外す。
ギースからは、ローゼの素性の一件以降は目立った情報はない。
戦争の噂はあるが、どこから流れたのかなんの意図なのかは巧妙に隠されているらしい。
火のないところに煙は立たないと言うが、あちこちに小さな煙があがるのに、そこを回っても燻っている火は見当たらないというのだ。
「……なぁ、クリス。」
「ん?」
「本当に、エルリアに言わなくていいのか?」
そう聞くと、クリスが先ほどのエルリアのようにちょっと困って眉を下げて微笑む。
「うん。いいんだ。もしエルリアとの婚約が破棄になるならなるで、こういったことに巻き込むべきではないと思うし。まぁ、どうなるかもわからないしね。不安にさせたくない。」
彼が、大切なエルリアを守りたくて隠しているというのは分かっていたけど。
それが本当に彼女のためになるのか?そう言いたい気持ちを、心の中に留める。
今は、クリスが優先だ。彼がそうしたいというなら従うべきだ。
既に不安定になっているのに、これ以上クリスの心労を増やしてはいけない。
「そうか。」
それだけ言って、彼の頭にぽんと手をのせると、子ども扱いはやめろ、と手を払われた。
うん、クリスよりエルリアの方がかわいいな、やっぱり。
「なぁ、カタール」
「なんだ?」
そう尋ねると、彼は微笑み俺の顔をまっすぐに見据えて言う。
「もし、私が婚約破棄したらお前が幸せにしてくれるんだよな……?」
そう、淡々とした口調で言葉を口にする。
誰をなんて聞かなくてもわかる。
そして、彼がどれだけたくさんの感情を飲み込み、その言葉を紡いだのか考え、胸が痛んだ。
「……なに言っているんだよ、お前。」
先ほどよりもっと強く、彼の頭を撫でて髪の毛をぐしゃぐしゃにする。
だからやめろって、そう彼が困ったように言うが、今度は手を払われることはなかった。
**********
「こんにちは、紅の守護騎士様」
そう呼び止められて、振り向く前にあの男か、と分かってため息が漏れた。
「お呼びしただけでため息って、ちょっとひどくないですか?」
振り向くと思い描いていた通りにルークが立っていて、彼は肩を竦める仕草をする。
「グランベル皇国のルーク=エヴァンだったな。ギースからお前のことは聞いている。」
そう言うと、彼は少しだけ首を傾げて尋ねる。
「ああ。彼に教えた情報は、役に立っていますか?」
「ありがとう。役立たせてもらうよ。」
そう静かに言うと、それはよかったです、と小さく笑む。
「それで、何の用だ?また情報でも教えてくれるのか?そもそも、戦争があるかもしれないっていうのに、使者のお前がここにいていいのか?」
「え?戦争?そんな噂があるんですか?」
と手を広げて大げさにルークが驚いて見せる。
「……。」
そのあまりのわざとらしさに、無言で呆れていることを伝える。
「流石にわざとらしかったですか。こほん。まぁ、私なぞはどうせ辺境のしがない伯爵家の三男坊ですからね。もし戦争が起きても、切って捨てられてお終いですから。別に皇国にとってはなにも痛手はありませんよ。ただ、もし使者を殺されたとなっては開戦のきっかけを与える口実になってしまうでしょうけど。」
「……それで?お前はそうまでしてここにいて、なにがしたいんだ?」
こいつの目的が分からない。
ギースに情報を漏らして、なんの得があるというのか。
「さて?」
真意を探ろうと糸目の奥の瞳を睨みつけるが、彼は飄々として何も得られるものはない。
沈黙が流れる。
「ところで。あの情報、エルリア様にはお伝えしていないんですね。」
そう言われて、ピクリと眉が跳ねる。
「……お前、エルリアに言ったんじゃないだろうな。」
「言ってませんよ。ただ、貴方方はちょっとエルリア様に対して過保護すぎませんか?目隠しして、美しいものだけを与えることが、彼女のためになるとでも?あのままでは彼女は強くならない。」
そうきっぱりと言われて、思わず顔を顰める。それは俺も考えていたことだ。
「そう指示したのは、クリストファー殿下でしょうか。」
無言でいると、ルークが一つ息を吐く。
「守りたいというお気持ちはわかるのですが、彼は守り方を知らない。背中に庇うだけが、やり方ではないでしょうに。」
それには思わず同意してしまう。
エルリアは決して弱くはない。ただ背に庇われてよしとするような女ではない。
「そういう意味では、まだ貴方の方がエルリア様にあっているのでしょうかねぇ。」
そう言われて、ふとクリスの言葉を思い出す。
──もし、私が婚約破棄したらお前が幸せにしてくれるんだよな……?
そう言われて、何も言えなかった。
『ああ』
とも、
『お前が幸せにするんだろう』
とも。
「カタール様は、クリストファー殿下とエルリア様、どちらが大切なんですか?」
「どっちも。」
意識がそれていて思わず反射的にそう答えたところ、ルークが面白そうに口元を緩める。
「どちらも?」
「ああ。大切な主と幼馴染だからな。二人に手を出すようなことがあれば、問答無用でお前をこの国から追い出すからな?」
静かに、けれど本気が伝わるよう殺気をのせて言葉を紡ぐ。
「主と幼馴染ですかぁ。歪な三角関係は、いつか綻びますよ。」
はは。
思わず笑ってしまう。
そんなこと。
「お前に心配されるようなことではないな。」
お前に言われなくても、わかっているさ。
ルークに対してわざとらしく笑んで見せる。
はぁ。
大きく息を吐いて、彼が両手を上げる。
「今日のところは、退散します。なかなか貴方は手ごわい。」
結局何しに来たのか。
ルークはさっさと踵を返して帰ってしまう。
**********
依然として情報がつかめずにいたある日の放課後、廊下で一人、エルリアが立ちすくんでいた。
「おい、どうした、エルリア。」
そう声をかけるが、エルリアは真っ青な血の気の引いた顔で、遠くを見ていた。
「……ローゼが、皇国の王族の血を引いているって」
そう呟くのを聞いて、顔を顰める。
「……誰から聞いた?」
ルークか。
あの糸目を思い浮かべながら尋ねると、彼女は信じられないものを見るように、俺を見た。
「し、っていたの?カタールも、知っていたの!?」
そう掴みかかられる。
しまった、と思うが後の祭りだ。
「エルリア。落ち着けよ。」
「落ち着け!?これが落ち着いていられる!?なに?なにが起こっているの!?知ってるんでしょう、カタール!」
内心で舌打ちする。
エルリアに要らんことをふきこみやがって。
さて、どうしようか。クリスの指示なくエルリアに情報を漏らすには得策ではない。
「エルリア。誰から、何を聞いた?」
「……なんにも、教えてくれないの?」
俺の質問への回答はなく、彼女は青い顔をしてそう呟く。
「なんで、クリスは、クリスも、知っているんだよね?」
「……。」
「その無言は、肯定だよねカタール。」
そう言われても、なにも答えずに胸元に掴みかかった彼女の手をそっと取る。
「エルリア」
「ギース義兄様も、エドも、ローゼも。皆おかしかった。クリスだって、急に告白してきたり、おかしい。ねぇ、カタール。教えてよ、なにが起こっているの?」
そう、瞳に涙を溢れさせて見つめられて、思わずそのまま抱きしめる。
彼女は思ったよりずっと小さくて俺の体にすっぽりと収まる。すっかり冷えていた体を温めるように、ぎゅっと手に力を込めた。
「大丈夫だから、エルリア。今は言えないけど、ちゃんと答えられるようにするから。いったん、落ち着けよ。」
しばらく黙っていたが、エルリアは最後にはわかった、と小さく返事をする。
そのまま、彼女の髪をそっと撫で続け、彼女が落ち着くのを待つ。
「落ち着いたか?」
「……うん。」
エルリアは小さく頷いて、俺からそっと体を離そうとしたところ、
「ずいぶん、お前たちは仲がいいんだな。」
と小さな呟くような、聞きなれた声が聞こえて、振り向く。
廊下の遠く先で、クリスが虚ろな表情で立っていた。
クリス、誤解するなよ、そう言おうとして、
「クリス!違うの、これは!」
と今抱きしめていたエルリアが、焦ったようにクリスに向かって珍しく大きな声を上げる。
その目が。
その視線が。
明らかに幼馴染へと向けるものでなくなっていることに、お前は自分で気がついていないのか、エルリア。
気づかぬうちに、歯ぎしりをした。
急に胸にこみ上げてきた嫉妬心が勝手に俺の体を突き動かし、エルリアの体を再度胸に引き寄せる。
「クリス、取り込み中だ。」
そう言うと、クリスは目を見開いた後で小さく笑う。
「……ああ、そうか。そうだな。悪かった。」
そう言って、彼は踵を返して歩いていく。
「カタール!ちょっと!離して!」
「エルリア。俺じゃあ、だめなのか?」
追いかけようとするエルリアの肩を掴んで、振り向かせる。
「なにを……」
「俺だって、クリスと同じだけお前と一緒にいた。それでも。お前は、あいつじゃないとだめなのか?」
目を見開いて俺を見るエルリアに、そっと呟く。
「好きだよ、エルリア。」
そう言うと、彼女は零れるんじゃないかというほど大きく目を見開いた後、泣きそうに顔を歪ませて俯く。
本当は、知っているんだよ。クリス、エルリア。
なぁ、クリス。
エルリアを頼むって言われて、はいそうですか任せられました、なんて俺が言えるわけがないだろう?
俺はエルリアも大事だけど、同じだけ、いや下手したらそれ以上にお前が大事なんだよ。
お前が傷つくことを知っていて、どうして俺がエルリアを手に入れられるんだよ。
それくらいわかれよ、馬鹿。
エルリア。
お前、いつも言ってたよな。カタールが言うなら、分水嶺だね、もうここまでだねって。
クリスとローゼが並んでいたとき。
あの時に見せた、クリスへ向けたお前の視線に幼馴染以上の色が乗っているのを見た時。
あの時にはもう、この話は終わっていたんだよな。
今更好きだなんて言っても、お前を困らせて悲しませるだけなんだよな。
本当は、言うべきじゃないって、わかってたんだよ。
でも、それでも。
お前を諦めたくなかった。
足掻いて、なんとか振り向かせたかった。
主であるクリスの婚約者でも。だれより信用してくれるクリスがお前を好きでも。
でも。
終わりにしなきゃな。
せめて、告白だけはちゃんとさせてくれよ。
そう思って、取り込み中だなんて言ってクリスを傷つけてまで、お前に告ったけれど。
そんなつらそうな顔するなよなぁ。
これ思った以上にきついなぁ。
結局さ。
俺はお前たち二人が、二人ともが。
心から本当に大事なんだよ。大切なんだよ。
二人が笑っていられること以上に、大切なことがないんだ。
エルリアに俺の気持ちを気づかせたくてせまってみても、クリスにエルリアを俺にくれよと挑発してみせても。
誰より三人で、ずっと仲良しの幼馴染でいたかったのは、俺なんだよ。
……でも、エルリア。
三人ずっと仲良しの幼馴染なんて関係から、お前を解放してやらないとな。
クリスが好きなんだろう?
そんな言葉だけは、言ってやらないけどさ。
「エルリア。ごめんな。もう幼馴染なんてもんから俺は降りるよ。後は、自分の好きにしたらいいよ。」
そう優しく微笑む。
「ありがとう、エルリア。」
そう言って、掴んでいた彼女の手をそっと放す。
エルリアが、俺に縋りつくような視線を送るが、それはずるいよ、エルリア。
そう思って苦笑する。
ついさっき好きだと言われた相手に、応じるつもりもないくせに幼馴染であることを強要するのはさすがにちょっときついものがあるよ、エルリア。
そう思って、
「さよなら、エルリア」
と彼女の耳元で囁いて、その視線から逃げるように廊下を歩いていく。
**********
「面白いことになってますね。」
ちっ、大きく舌打ちをする。
振り返って、その胸ぐらを掴んで壁にたたきつけると、ぐっ、とルークが低く呻き声をあげる。
「お前だろう、エルリアに要らんことを吹き込んだのは。」
「さて、なんのことやら。」
「ローゼのことだ。誤魔化すなよ?」
「なんの証拠があるんです?そもそも、私今日エルリア様にお会いしていませんよ?」
じっとルークの目を見つめる。
ちっ、もう一度舌打ちして掴んだ手を乱暴に放して、背を向けて歩き始める。
「……この件は、正式に抗議を入れさせていただきますよ。」
その背に、そう声をかけられる。
皇国との戦争の噂がある今、俺の使者に対する行動は大きく問題視されてしばらくの謹慎を申し付けられた。
最初はカタールを動揺させようと画策するも、返り討ちにあったルーク。最後はカタールが自滅しているのを舌舐めずりして近寄っていきましたね。
カタールは物語ではけっこう騒いでますが、実際にはすごく冷静です。
彼が、冷静になれなくなるのはクリスとエルリアにだけ。
良い男なんです。




