あの日の続きは甘い香り
今度一緒にお菓子を作ろう。
以前に交わしたローゼとの約束を果たそうと、今日はお菓子作りをする予定です。
やったぁ!
街で材料を買うところから始めることにして、護衛にはエドがついて来てくれた。
ローゼにエドを紹介すると、
「鴉が白くない」
とつぶやき、それに対して彼は、
「は?鴉は黒いでしょう?何言ってんのあんた。」
と小馬鹿にしたように答える。
そういえば、エドってそんな設定だったね。
ほぼ忘れていたよ!
そして、態度が悪いぞエド、と一言注意しようとしたところで、
「で、鴉の呼び名教えたのはエルリア?」
と尋ねられて息をのんだ。
しまった!私、今、エドとしか紹介していなかった!
エド=鴉なんて本来ならローゼが知っているはずない!
ローゼもごめん!というように手を合わせる。
「そ、そうなの!ごめんね、エド!」
「あんまり、よそでは言ってほしくない。でもまぁ、エルリアの信頼している人だもんね。」
とちょっと不貞腐れたように頬を膨らませた後で、しょうがないなぁっていうようにエドが笑ってくれて、ほっとする。
「ローゼ嬢、じゃあこれからよろしくね」
とエドがローゼに近づき、にこっと笑って挨拶をする。
《エルリアに気に入られてるからっていい気になるなよ?》
そう耳打ちした言葉は、エルリアには聞こえなかった
「じゃあエルリア。後ろからついていくから、なにかあれば呼んでよ。」
「ありがとう、今日はよろしくね。」
そうエドにお願いしてローゼを見ると、彼女はなんとも言えない歪んだ顔をして、これだからヤンデレは、とかクソゲーがとぶつぶつ呟いていた。顔が可愛いから余計に凄みがあって怖い!
えっと。こほん。気を取り直して。
市場で、卵やバター、小麦粉を取り揃えていく。母様のようにアップルパイも焼きたいけど、今日はローゼが簡単だよって言ってくれたクッキーから始めることにした。
しばらく歩いていると、遠くでエドが立ち止まっているのが見えた。
人通りの多い往来なので、道行く人が訝し気に彼を見ては面倒くさそうに避けて歩いていく。
珍しいな、普段ならあんな姿を晒して目立つような真似しないのに。
どうしたのかしら。ローゼに断って、エドのところまで戻る。
「エド?」
声をかけるが、反応はない。
顔を覗き込むと、まるで幽霊でも見たかのように真っ青になって、遥か先の雑踏を睨みつけていた。
「エド、大丈夫?」
再度声をかけると、彼は我に返ったように急に私を振り返る。
「……エル、リア?」
「大丈夫?顔真っ青よ!?」
エドは大丈夫、と言って私から一歩距離を置く。
「大丈夫。大丈夫だよ。エルリア。僕の主。僕が決めた主。」
小さく、そう呟く。
「……エド?」
はぁ、と大きく一つ息を吐くと、エドはいつもの笑顔を張り付けた。
一瞬で、感情が読み取れなくなる。
「平気。ほら、戻らないとローゼが心配しているよ?」
「ちょっと、エルリア?大丈夫?」
エドが指さした方を見ると、ローゼがこちらに駆け寄ってくるところだった。でも普段と違う彼が気になって振り返ると、既にそこにエドの姿はなかった。きょろきょろと見回しても、姿は見えなかった。きっとどこか隠れて見てくれているのだろう。
「ほら。行こうエルリア。美味しいお菓子作って皆にあげるんでしょう?」
「……うん。そうだね!」
エドの様子は気にはなるが、彼がそう簡単に自分の気持ちをしゃべるわけもない。機会があれば何かあったのか、また聞いてみよう。
そう思って、ローゼと買い物の続きに戻った。
**********
「で、これがエルリアが作ったやつ?」
カタールがお皿に盛られたクッキーをしげしげと眺める。
「そう!すごいでしょう?きれいにできたでしょう?」
生徒会室に集まったクリス、カタール、ギース義兄様、エドはきっとどっかにいるからっと。ギース義兄様がお茶を淹れてくださって、私が作ったクッキーを並べた。
味見はしていないが、まるで売り物のようにきれいにできたので大満足である。
「で、エルリア。なんでローゼ嬢は床に這いつくばっているの?」
義兄様に声をかけられて後ろを振り返ると、ローゼが床に四つん這いになっている。
そうなのだ。なんか、ローゼがおかしくなっているのだ。普段はとても素敵な淑女なのだが、なぜか私のクッキーを一口味見してから、ちょっと様子がおかしくなっている。
……。
いやでも、見た目だってすごく美味しそうだし、ローゼの絶対に失敗しないレシピ☆ってお墨付きだし大丈夫だってきっと。
「うそ。うそだ。私が教えてそんな味になるわけ……錬金術……悪役令嬢スパイス……ぶつぶつ」
白いを通り越して灰色の顔をしたご令嬢が髪の毛をぼさぼさにして、ぶつぶつと呟いていてさながらホラーな状況だが、気にしてはいけない。
「なんでしょうか。私のクッキーを味見してくれた後くらいから、ちょっと顔色が悪くなっちゃって。あ、でもローゼの絶対に失敗しないレシピ☆ってお墨付きだから大丈夫ですよ!今まで失敗した人いないらしいですよ!」
「へ、へぇ。」
「どうぞ!」
クッキーをずずいと三人に進めるが、まずローゼの姿を見て、それからお互いの顔を見合わせる。
「おい、エド、お前も参加しろよ!」
カタールが適当な方向に声をかける。
「え、やだ。いくらエルリアの手作りだからって、僕、甘いものにはうるさいもん。」
声だけが降ってくる。
って、あれ?食べる前からなんかディスってませんエド?
「エルリアの母上であるリルリア様は、見た目はすごいイマイチだが味は美味しいアップルパイがお得意ですよ?だから、きっと大丈夫!さぁ、カタール様、どうぞ?」
「はは、ならアンタもいただいたらどうだ?」
ギース義兄様がひとつ手に取ってカタールの口にいれようとするが、カタールがその手を掴む。同じようにカタールもギース義兄様の口にあーんしようとして、義兄様に止められて硬直状態が続いている。
まぁ、仲良しですわね!
だめだ。こんな絡みもオルガたちのせいで脳内でギース義兄様×カタールのBLに変換されてしまう。
しかし。
「そんなに、美味しくなさそうでしたか……。しょうがない、持ち帰ってリリアと二人で食べますわ。」
しょぼーんと項垂れて、お皿に盛られたクッキーを下げようとする。
「い、いや、エルリア!いただくよ、美味しそうに作ったね!売れそうだ、よ……」
「ああ、本当、うれそ、う、え、え?」
ギース義兄様とカタールがお互いの手のクッキーを頬張り、そして固まる。
「エル、リア?これなに入れたんだ?」
「え?ココアとか、チョコとクルミ?ナッツとレーズンとか?」
「いや、そういうことじゃなくて」
「バター、卵、小麦粉、砂糖?」
「あ、ああ、一般的なそういう……」
なにを聞きたいのだろうか?
首を傾げて二人を見ると、いつになくいい笑顔をしてくれたのでちょっと褒められたようで嬉しくなって、
「たくさん作り過ぎちゃったので、いっぱい召し上がってくださいね!」
とお皿に乗せていない作りすぎた分のクッキーの袋も机に置く。が、途端に
「ああーっと。今日は訓練に行く予定だった。おい、エド。クリス頼むぞ。」
とカタールが立ちあがる。ええー!と嫌そうな声がするが、カタールは一切気にしない。
「ああ、私も父様から言われた仕事が残っていたんだ。ごめんね、エルリア。先に失礼するよ。」
爽やかにギース義兄様がフェードアウトしていく。
「うそだうそだ。なんでだ、なにがだ、どうしてだ?私のレシピでなんでそんなことになるんだ?私のレシピは完ぺきなはずだ。これだけは前世から絶対の自信を持って生きてきたのに。孤児院のサラ(7歳不器用さん☆)だってできたんだぞ?お子様から不器用さんまで☆だれでも失敗しないレシピ☆として売り出していたのに、なぜこうなった。看板に偽りありじゃないか。もしかして私、詐欺師になってしまったのか。しかもあんな美味しそうに完ぺきな焼き上がりからのまさかのあの味。なんでだよぅ。転生してからここまで心折れたの初めてだよぅ。悪役令嬢が最終兵器すぎるよぅ。もういやだよぅ。」
「お、おい、お前も帰れよ、ローゼ。お前、精神状態やばいぞ?」
普段は強気なローゼがなにかに心折れたようにぶつぶつと呟く姿に、カタールが可哀そうなものを見る目でそっと声をかけるが、ローゼは反応しない。
おい、と肩をつつこうが叩こうが揺さぶろうが、ローゼの精神はどこか遠くにお散歩に出かけていて戻ってこない。
しょうがないな、とローゼを肩に担ぐ。普段ならそんな真似しようものなら騒ぎ立てるだろう彼女も、担がれて、なお遠い目をしてぶつぶつとなにかを呟いている。
ばたん。
皆が出ていくと、生徒会室に急に静かになった。
「なんか皆余所余所しかったですわね。そんなに美味しくなかったかなぁ?」
見た目は完ぺきな、美味しそうに並ぶクッキーを手に取って一つ口に運ぶ。ふんわりとバニラの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
がっ、ごっ!
すごい衝撃が顎に来た。硬い!
そして味がよく分からない!甘いんだけどなんか酸っぱいし、生っぽい気もするけど焦げた味もするし、すげぇ複雑奇怪な味がする!総評するとつまり不味い!
美味しそうな見た目だからこそ、食べた後の衝撃がひどい!!
「自分で作っておいてなんだけど、美味しくないこれ!」
「そう?君が作ったものならなんでもいけるけどなぁ。」
いつの間にか、クリスがひとつ手に取って食べていた。平然と噛み砕いて飲み込む。いやいや、王子様の肥えた舌にこれはだめだろう。
「ああああ!クリス!やめた方がいいよ!お腹壊すよ!」
かじりかけのクッキーをクリスの手から奪おうとして、ぎゅっと手を握られた。
「エルリア」
「ん?」
「好きだよ。」
え?
クリスのアイスブルーの瞳に、私の惚けた顔が映った。
「好きだよ、エルリア。」
握られた手に、力が入れられる。
「好きだ。」
「なん、で、そんな急に。」
強く握られた手が、微かに震える。それが、自分の手が震えているからなのか、握りしめた彼の震えなのか、私はよくわからなかった。
「だって。エルリアは雰囲気なんて作ったら言わせてくれないだろう?あの婚約破棄の時みたいに逃げちゃうじゃないか。」
前科をあげられて思わず、うう、と唸る。
「エルリア、好きだよ。」
何度も、まるで自分に言い聞かせるように、クリスが言う。
「あの時に、言うつもりだったんだ。エルリア、君が好きだよって。一緒にこれからずっと、未来を歩んでほしいって。」
握られた手に、そっと唇を落とす。その手を払おうとしてクリスの真剣な目に躊躇う。
「エルリア。大好きだよ。」
クリスが俯く。
「本当はかっこよく、『ずっと君を守るから』なんて言えたらいいんだけど。……君の方が、私よりずっと強いって知っているから。」
情けなくてごめんね、とクリスが苦笑いする。
「あげられるものなんて何もない私が、君にばかり望むのなんてズルいかもしれないけれど。それでも、そばにいてほしい。私が私として立っていられるように。強くあれるように。その瞳で見ていてほしい。共に、未来を歩んでほしい、エルリア。」
クリスが、優しく微笑んで、まっすぐに私を見て、大切そうに私の名を呼んで、夢見るように柔らかく未来を語る。その声は甘くて、熱を持って、私を溶かそうとする。甘い甘い香りに酔いそうになる。
「好きだよ。」
「……わかったから、もう。」
俯いて、そう言う。そんな言葉が欲しいんじゃないだろうなと思ったが、彼はなにも言わずにしばらく私の手を握っていた。
クリスの言葉が頭の中をぐるぐると回って、いっぱいいっぱいになる。自分が耳まで赤くなっているのはわかっていたから、恥ずかしくて顔を上げられなかった。
だから、気がつかなった。
彼が、ひどく寂し気に私を見ていたことを。
見ていたら気がついたはずなのに。
なにかに悩んでいることを。
握られたクリスの手はひんやりしていたけれど、火照った私にはその温度がちょうどよかった。
できることなら、私の手の熱でクリスの手も温まればいいのに、そんなことを頭の片隅で思う。けれど、彼から手が離されるまでずっと彼の手は冷たいままだった。
「エドが、ちょっかいをかけてこないのは珍しいね。」
手を離して、ちょっと誤魔化すように言う彼の後ろから、名前を呼ばれたエドが声をかける。
「邪魔してほしかったんですか、王子様」
おっと。
どこから現れましたの貴方。びっくりだよ!
「……いや、言えてよかった。ありがとう、エド。」
クリスは、口の端を上げてエドに素直に感謝を言う。でも、どこか冷ややかな態度に小さな違和感を感じる。
「もし、今後なにがあっても、信じてエルリア。」
え?
「私がずっとそう願っていたこと。」
「はいはい。時間切れですよ。王子様。カタール様から頼むって言われているんですから、行きますよ。」
そうエドから言われて腕を取られても、クリスはいつものようには文句を言わずに従っていく。
積み重なった小さな違和感がなににつながっているのか、私は気がつくことができなかった。
この後のお話ですが、一話の中で視点が変わる場合があります。混乱することもあるかと思いますが、どうぞご了承ください。




