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「魚は、嫌い?」
ハルくん、質問が唐突な気がしますが……じゃなくて! 手!
手、つないじゃってる!
「あ、何でも食べられ、ます」
半分パニックになってる私に、
「食べ物じゃなくて、今からあそこ行くんだけど? 平気? 気持ち悪かったりしない?」
ハルくんは、くすくす笑いながら言った。
私たちが向かう先には、海浜公園の奥、海に向けて突き出した建物。
「水族館なら全然、大丈夫……というか、ハルくん、手が……」
「え? ああ。いや?」
いやじゃないけど、免疫がない! 真っ赤になってるだろう私に、
「なんかすごい新鮮な反応なんですけど……」
ハルくんも、なんだか照れたようにそっぽを向く。
それでも、水族館までは手をつないだままで。
恩返しの言葉を盾に、ハルくんは、入館料をさっさと払ってしまった。
「今日は、お礼だから。なのに、俺の行きたいとこについてきてもらっちゃったし」
ハルくんは、気にせず奢られて、と言う。
『今日は』とか言われたら、次があるのかと期待してしまう。でも、たぶん、不慣れな私に気遣わせないための、ハルくん流の言い方なんだろう。
平日の朝ということもあって、水族館は空いていた。まるで、貸し切りみたい。
入り口すぐの大水槽は、圧倒的な迫力で、水族館なんて小学校以来入ったことがなかった私は、目を奪われた。
言葉もなく、大水槽に見入る私。
小魚の群れがキラキラと光り、ジンベイザメがゆったりと目の前を横切って行く。
「気にいった?」
ハルくんが優しい顔で言った。
「うん」
「そっか」
少し嬉しそう。そのままハルくんは、水槽に視線を戻した。
揺らめく水と泳ぐ魚たち。しばらくなにも言わず、眺めていた。
「なんだか、ほっとする」
ハルくんが呟いた。その横顔が、なんだか切なくて。
「ハルくん?」
呼んでみた。
「ん?」
返事をくれる。
隣にいて、返事をくれて、奇跡みたいな瞬間。なのに。だから、欲張りになってしまう。もっと、ハルくんを知りたい。
「次、行こうか」
「うん」
ごく普通に差し出された手をとる。
そのまま手をつないで、館内をゆっくり見て回る。大水槽の後は、テーマ別の展示水槽が並んでいた。
でも、もう、私の中は、魚たちより、ハルくんのことばかり。
「どうして、今日?」
照明の落ちた、夜の水槽コーナーに差し掛かって、思いきって聞いてみた。
「休講だったから? チャンスかなって」
「こんなに、してくれなくても……」
「サボる口実かな? ちょっと今、サークルにも居づらくて。今日はバイトも入れてなかったし。ごめん、俺の都合だから。気にしないで」
それに、長谷川さんなら、なんとなく……気を張らないでいられるかな、なんて。そっと私の手を離して、ハルくんは、少し自嘲的に笑った。
「サークルって……大野さん?」
私は、言わなくていいことを言ってしまう。
「ああ、知ってたんだ」
大野さんがハルくんを追いかけて同じテニスサークルに入ったこと、それから、大野さんが玉砕したと言う噂。
「玉砕って、ひどいな……。付き合ってたんだけど」
ハルくんは、仕方なさそうに言った。
「え? 大野さんと、付き合ってたの?」
ハルくんの思いがけない告白に、胸がぎゅうっとなった。
あからさまなアピールは、女子からみると鼻につくところもあったけど、大野さんはそれだけ必死だったかもしれない。華やかなタイプだし、もちろん二人が付き合っててもおかしくない。
でも、過去形……?
「うん」
なんだか続きは聞きたくないかも。
「……振られた。自分を見てくれない人は嫌だって」
さらりとハルくんは言う。
『ハルくんは、誰も好きにならない』学祭の時に、大野さんが言ってた台詞が、胸の中でこだまする。
「ハルくんは、誰も好きにならない?」
思わず機械的に言ってしまった。
「うん、そうかもね」
ため息のように、ハルくんがこぼした。
「だから」
後に続く言葉は、もっと聞きたくなかった。ハルくんは、きっとわかってる。友達にもわかりやすいと言われた私の気持ちなんて。
「恩返し、なんでしょ?」
私が先に言った。
ごめん、と言いそうなハルくんを、
「謝らないで?」
と制して、
「今日は一緒にいてくれるんでしょ?」
私は無理やり笑顔を作った。
ちゃんと、笑えてるかな? ハルくんは、薄暗い照明の中で目を凝らすように私を見ていたけど、
「もちろん」
と答えてくれた。




