第六話 二.諦めない気持ち
お昼過ぎ、太陽がギラギラと輝いて、日差しはますます厳しくなっていた。
奈都美が働いている弁当屋へ向かうため、オレと住人たちは揃って商店街までやってきた。
「ほら、あそこに見えるお店がそうだよぉ。」
潤が指で示したその弁当屋は、駅西口商店街の片隅にあって、黄色い看板には「お弁当の向日葵」と書かれていた。
商店街をよく訪れるオレでも、この弁当屋に顔を出したことは、これまで一度もなかった。他の住人たちも、コンビニエンスストアばかり利用しているせいか、この弁当屋は初めてといった口振りだった。
アパートを出てから15分ほど経過し、ようやく弁当屋の前まで辿り着いたオレたち。
ガラス窓から店内を覗いてみたら、弁当の出来上がりを待つお客の姿は見当たらない。お昼のピークを過ぎていたせいもあるのだろう。
「こんにちわぁー。」
元気いっぱいに挨拶しながら、潤はお店のガラス扉を開ける。いかにも弁当屋らしい揚げ油の香りが、店内からほのかに漂ってきた。
潤の背中を追うように、オレと他の住人たちも店内へと入っていく。
「いらっしゃいませ。」
店員の男性がキッチンの方からやってくる。歳は40代から50代ぐらいで、眼鏡を掛けた恰幅のよい男性だった。奈都美の知り合いのおじさんとは、きっとこの人のことだろう。
「すいませーん、奈都美っていますかぁ?」
「はい?」
弁当ではないものを注文されて、男性は呆気に取られた顔をしていた。それでも、潤の顔を憶えていたらしく、彼は穏やかな表情を向けてくれた。
「ああ、君は確か、奈っちゃんのお友達だったね?」
「そうでぇす。奈都美、がんばってるかなぁーと思って様子を見に来ましたぁ。そのついでに、お弁当も買いに来ましたぁ。」
「ははは、そうかぁ。でも、弁当の方がついでだと、おじさんちょっと悲しいねぇ。」
苦笑している男性に、潤はあたふたしながら釈明する。
「あー、違いますぅ。弁当買うのが目的でぇ、奈都美の様子見るのがついでですよぉ。」
うろたえている潤を見ながら、その男性とオレたちは微笑していた。
「わざわざ来てくれたところ申し訳ないけど、奈っちゃん、午後休憩を取ってるんだ。」
正午の慌しい時間を過ぎたこともあり、奈都美は午後から休憩を取っているそうだ。その男性が言うには、彼女は昼食を済ませた後、「山百合河川敷公園」でサッカーでもしているかも、とのことだった。
「ありゃりゃ、またタイミング合わなかったのかぁ。残念だなー。」
「うーん。休憩中じゃ、待っててもいつ帰ってくるかわからないしネ。」
「そうね。今日のところは諦めて、お弁当を注文しましょう。」
結局、オレたちは昼食の弁当を購入するだけで、弁当屋を後にすることになった。
奈都美に会えなかったせいもあって、住人たちは少し残念そうな顔をしていた。そんなオレも、ちょっぴり寂しい思いを抱いていた。
「ひゃー、またこの暑さの中、帰るの面倒だねぇ~。」
弁当袋をぶら下げて、蒸し暑い商店街を歩いていくオレたち。そんな中、オレは弁当屋の男性が話していたことを思い起こしていた。
「そういえば、奈都美は、山百合河川敷公園にいるかもって言っていたな。」
その山百合河川敷公園について、オレは住人たちに尋ねてみた。
「えー?マサ、山百合河川敷公園知らないのぉ。この街に住んでたら、誰でも知っている場所だよぉ。」
「誰でもって言われても、オレ、こっちの人間じゃないしさ。まだ、知らないところばかりだよ。」
「あ、それもそうだねぇ。」
潤は博識ぶった言い方で、山百合河川敷公園について解説し始めた。
「ここからもう少し東の方角に進んでいくと、大きな川があるの。その川沿いにある公園が、山百合河川敷公園なんだよぉ。」
山百合河川敷公園は、アパートからだとそれなりの距離があるが、駅西口商店街からだと十数分で辿り着けるところにあるそうだ。
アパートの近くにある山茶花中央公園ほど広くはないが、その代わりに遊歩道や芝生が整備されていて、川のせせらぎを耳にしながらゆったりと散策できる、そんな風光明媚な公園とのことだった。
オレたちのいる商店街から、その山百合河川敷公園がそれほど離れていないならばと、オレは一案思いついた。
「みなさん、もしよかったら、これから山百合河川敷公園に行ってみませんか?奈都美に会えるかも知れませんよ。」
会いたい気持ちはあるものの、うだるようなこの暑さと、手に持つ弁当袋が煩わしくて、素直に賛成できない住人たち。そんな住人たちに何とか同行してもらおうと、オレは説得を試みる。
「そのお弁当、公園で食べましょうよ。公園だったら、日除けのベンチとかあるだろうし。今日は天気もいいから、ピクニック気分に浸れますよ。どうです、みなさん?」
いかにもインドア派といった様相の住人たちは、互いに顔を見合わせて相談し合っている。
服は汚れないか、虫に刺されないか、通行人に冷めた目つきで睨まれないか、といった感じで、オレは住人たちの質問攻めにあってしまった。
「とりあえず、行けば答えがわかりますから。さぁ、行きましょうよ。」
半ば強引に、オレは先頭切って歩きだした。くどくどと文句を言いながらも、オレの後ろについてくる住人たち。
奈都美がいてくれることを期待しつつ、オレたち一同は山百合河川敷公園まで足を運んでみることにした。
===== * * * * =====
商店街の街並みからさらに東へ足を進めると、オレの目の前に大きな堤防が見えてきた。その堤防は南北に果てなく続いていて、流れている川の雄大さを物語っていた。
オレと住人たちは、「山百合河川敷公園」へとつながる堤防の階段を上っていく。
「おお。結構広いですね、ここ。」
眩しいほどの緑豊かな芝生が、オレの眼下に広がっていた。その芝生の先を望むと、蛇行する散策路や川の流れがかすかに見える。
そんな風景に目を奪われながら、堤防の階段を下りていくオレたち。芝生周辺を見渡し、オレは奈都美の姿を目で追っていた。
「それにしても、この広さで人を捜すのは至難の業だなぁ。」
果たして、奈都美を捜し出すことができるのだろうか。練習を終えて、すでに立ち去っている可能性もある。暑さと焦りを感じつつ、オレは流れる汗をハンカチで拭き取った。
さんさんと降り注ぐ日差しのせいで、住人たちはバテバテ状態に近かった。このまま彼女たちを連れ回したら、この暑さで卒倒させてしまい兼ねない。
休憩できる場所がないかと、オレは辺りを見回してみる。都合よく、日陰になったテーブルと、腰掛ける椅子のある休憩場所が目に留まった。
「みなさん、あそこで休んでいてください。オレ、奈都美がいるか捜してみます。」
自分の弁当を住人たちに預けると、オレはいよいよ、奈都美の捜索を開始する。
捜索するには、公園の全貌を知る必要があるだろう。そんなわけで、オレは遊歩道にある案内図をチェックしてみた。
オレのいる堤防側に芝生ゾーン、向こうの川辺側に多目的ゾーンがあると、案内図に図示されていた。
少なくとも、ここ芝生ゾーンを見渡す限り、サッカーをしている人の姿は見えない。奈都美がいるとすれば、川辺側の多目的ゾーンだろうと判断できる。
「よし、川辺の方へ行ってみよう。」
そう言いながら、オレは川辺を目指して歩きだした。
直射日光に照らされる公園内は、この上ないぐらい蒸し暑い。体力を奪っていくのがわかるほど、今日の日差しは強烈だった。
この暑さを紛らわそうと、オレはYシャツを脱ぎ捨てて、Tシャツの胸元をばたつかせる。気持ち程度だが、さっきよりは歩きやすくなった気がした。
「ふぅー、ここから多目的ゾーンだな。」
やっとの思いで、オレは多目的ゾーンまで辿り着いた。砂場やシーソー、ジャングルジムにブランコといった遊具が並んで配置されている。
この暑さの中でも、子供たちは元気よく遊び回っていた。そのそばで、ハンカチで扇いでいるお母さんたちが、わんぱくな我が子の活発な姿を見守っていた。
「ここでは、サッカーの練習はできないだろう。もう少し奥に行ってみるか。」
そうつぶやきながら、オレは多目的ゾーンの更に奥へと向かうことにした。
遊び場から、曲がりくねった散策路へと歩いていくオレ。ここまで来ると、澄み切った川面がオレの視界に映っていた。わずかに聞こえる川のせせらぎや、流れてくるそよ風が、オレに心地のよい清涼感を与えてくれた。
しばらく歩いていると、川辺のすぐそばにある、数平方メートルぐらいの小さな敷地を見つけた。コンクリート張りの水門設備らしき建物が、生い茂った雑草の隙間から露出していた。
「あれ、誰かいるな。」
その敷地内に、一人の女性が立っていた。短く整えた髪形に、スポーツ選手のようないでたち、その後ろ姿は間違いなく、オレが捜していた奈都美だった。
「奈都美、こんなところにいたのか。でも、ここで練習を・・・?」
感づかれないように摺り足で、オレは奈都美のもとへと近づいていく。雑草の影に潜んで、オレは彼女の様子を伺った。
「・・・よし、今度こそ!」
気合を込めるように、奈都美は声を振り絞った。
そんな奈都美の足元には、使い古したサッカーボールが転がっている。そして、彼女の立つ位置から10メートルほど先に、積み重なった木箱が置いてあり、その木箱の上には空き缶が数個並んでいた。
「ふぅー・・・。」
大きく深呼吸をし、胸に手を宛てる奈都美。瞳を閉じて、彼女は祈るように天を仰いでいる。
次の瞬間、目先にあるターゲットを睨みつけると、奈都美は数歩後ずさりして、右足を大きく振りかぶった。
「それっ!」
掛け声を上げて、奈都美はサッカーボールを蹴り飛ばす。
サッカーボールは弧を描きながら、積み重なった木箱目掛けて飛んでいく。狙い通りにボールは木箱を吹き飛ばし、空き缶がぶつかりながら宙を舞った。
「おお!」
思わず興奮してしまったオレ。サッカーボールにカーブをかけて、目標に命中させるテクニックは相当なものだろう。
ところが、奈都美はその場でひざをついてしまい、引きつるような叫び声を放った。
「どうして・・・?どうして、当たらないのよ・・・!」
ひざまずきながら、奈都美は小柄な体を小さく震わせている。悔しがるように、グローブをはめた両手で地面を叩きつけていた。
止め処なく流れる汗が、一滴また一滴と地面に滴り落ちる。その汗には、奈都美の悔し涙も混じっていた。
「よし、もう一回だ・・・。」
ほぞを噛んで這い上がると、奈都美は日焼けした腕で目頭を拭う。
奈都美は崩れ落ちた木箱を積み上げて、転がっている空き缶を木箱の上へと並べていく。
「もしかして、奈都美が狙っていたターゲットって・・・、空き缶の方だったのか?」
奈都美は深呼吸しながら、再び天を仰ぐ。数歩下がって、右足を振りかぶり、彼女は思いっきりサッカーボールを蹴飛ばした。
ターゲット目掛けて飛んでいったボールは、無情にも、肝心の空き缶に触れることもなく、木箱の端っこをかすめただけだった。
「くっ・・・、ダメか!」
無念の表情を浮かべながら、奈都美は激しく地団駄を踏んでいた。そんな彼女の鬼気迫る迫力に、オレは完全に言葉を失っていた。
木箱と空き缶の配置を整えては、奈都美は繰り返すように、サッカーボールを蹴りだす準備を始める。彼女はきっと、納得がいくその時まで、あのボールを蹴り続けるのだろう。
そんな奈都美に声を掛けられず、オレはこの場から歩き去っていく。離れていく間にも、彼女の悔しがる声がオレの耳にこだましていた。
===== * * * * =====
切なさを引きずったまま、オレは「山百合河川敷公園」の芝生ゾーンまで戻ってきた。
いつの間にか、時刻は午後1時を過ぎている。早く合流しようと、オレは住人たちの待つ休憩場所へ足を速めていた。
あまりの蒸し暑さと空腹のためか、オレはよろめきながら歩いている。行き場のない憤りに、苛立ちすら覚えていた。
アフリカのサバンナのような公園を彷徨うこと十数分、やっとの思いで、オレは休憩場所まで帰ってくることができた。
「ただいま戻りました・・・。」
「随分遅かったわネ。暑かったでしょウ?」
汗びっしょりのオレに、ジュリーさんがペットボトルのお茶を差し出してくれた。そのお茶は、弁当屋で弁当と一緒に買ったものだった。
キャップを捻って、オレは勢いよく喉元に流し込む。お茶はすっかり生暖かくなっていて、残念にもおいしいとは言い難い味だった。
「どうだったぁ?奈都美は見つかったの?」
潤がそう尋ねながら、オレの顔をハンカチで扇いでくれた。暑さで生気をなくしているあかりさんも、オレの捜索結果を聞きたがっているようだ。
ゆっくりと呼吸を整えて、オレは住人たちに残念な結果を報告する。
「・・・見当たりませんでした。」
そう一言漏らし、オレは首を横に振った。住人たちは一様に、残念そうな顔色を浮かべていた。
「それじゃあ、仕方がないわネ。バッドタイミングばかりで残念ヨ。」
「ホントだねぇ~。暑いからさぁ、もう帰ろうよ。早くシャワー浴びた~い。」
「それじゃあ、行きましょうか。」
撤収とばかりに、空っぽになった弁当を片付け始めた住人たち。
「あれ、ちょっと待ってください。みなさん、お弁当、空じゃないですか。」
「ごめんネ。待ってる間、あまりにもハングリー、お腹すいちゃったから、食べちゃったヨ。」
謝るようにジュリーさんがそう答えると、潤とあかりさんも、うんうんと首を縦に振っていた。
「ずるいなぁ、オレが一生懸命歩きまわっている間に。もう少し待っててくれてもよかったじゃないですか。」
疲れと空腹がピークに達したのか、オレはへなへなとその場に崩れ落ちてしまった。
「マサ、言っておくけど、わたしが食べようと言ったんじゃないヨ!潤が、待っててもつまんないから、お弁当食べちゃおうって言ったんだからネ!」
潤をチラッと見て、ジュリーさんが言い訳を始めると、反論するかのごとく、潤も黙ってはいなかった。
「あぁー、ジュリーひどーい!あたし、そんな言い方してないもーん!それに、お腹が空いちゃって我慢できないって言ったの、あかりだったよぉー!」
びっくりしたような顔をするあかりさんも、冗談じゃないわと言い返す。
「ちょっと潤!わたしはお腹が空いたことは認めるけど、我慢できないなんて言ってないわ!」
言いだしっぺが誰なのか、住人たちのなすり合いは続いていく。所詮は水掛け論、彼女たちは止め処なく言い争っていた。
ワーワー、キャーキャーとわめき声が耳をつんざく中、オレは溜め息交じりで椅子へと腰掛ける。そして、弁当を広げておかずを一口頬張った。
「・・・うまい。」
弁当のおかずとごはんを口いっぱいに詰め込んだオレ。そのおいしさに、オレの空腹感が満たされていく。だけど、悔し涙を流していた奈都美の歪む表情が、オレの心の中に引っかかっていた。
「奈都美、どうしてあんなに追い詰められているんだろう・・・?」
おいしい弁当はオレのお腹を満たしても、オレの気持ちまで満足させてはくれなかった。
===== * * * * =====
翌日の朝、オレはいつもより早く目が覚めていた。時刻は朝6時前、外はまだ薄明かりだった。
どういうわけか、オレはここ最近、眠りの浅い日が続いている。いろいろと考え事をしたり、受験勉強のプレッシャーなど、そういった精神面の疲労がオレの睡眠を妨げているのだろうか。
「・・・麦茶でも飲もう。」
カラカラの喉を潤そうと、オレはリビングルームの冷蔵庫へ向かう。
オレは抜き足で廊下を歩いていき、リビングルームの前までやってきた。ドアをそっと開けると、さすがは早朝だけに室内はもぬけの殻だった。
冷蔵庫から麦茶を取り出して、グラスへと注いでいくオレ。その麦茶を一気に飲み干すと、オレの渇いた体が息を吹き返した。
「ふぅ・・・。さて、これからどうしようかな。もう一眠りするか、それとも掃除を始めるか。」
そんなことを考えながら休憩していたら、リビングルームに優しい朝日が差し込んできた。今日もいい天気を予感させる、そんなさわやかな日差しだった。
「このまま寝ちゃうと、寝坊しそうだし、ここの掃除から始めようか。」
そう独り言をつぶやきながら、オレはモップを手にして掃除を始めた。
このアパートに来てからと言うものの、オレは毎日のように掃除や片付けをしている。そのため、掃除テクニックがかなり身に付いてきた。
二十歳の若者が喜ぶテクニックとは言えないけど、きちんと管理人の仕事をこなしている自分が、ちょっとだけ誇らしく思えた。
「あれ、マサくん?」
黙々とモップ掛けをしているオレに、一人の住人が声を掛けてきた。
「あ、麗那さん。」
リビングルームのドアに手を掛けて、麗那さんは唖然とした顔をしていた。こんな朝っぱらから、オレが掃除していたのでびっくりしたのだろう。
麗那さんはお出掛けなのか、薄手のチュニックを羽織り、丈の長いショートパンツを履いていた。軽めのナチュラルメイクが、彼女の愛らしさをより一層引き立てていた。
「今朝、ちょっと早く目が覚めちゃって。そういう麗那さんも、今日は随分早いですね。もしかして、これからお出掛けですか?」
「そうなの。今日は、朝から撮影でね。現場が東京じゃないから早めに行かなきゃなの。」
朝早くの仕事はお肌に悪いと、麗那さんは悩ましそうに嘆いていた。
「そんなわけで、これからマネージャーが車で迎えに来てくれるの。それまで、ここで時間潰そうと思って。」
麗那さんは普段、都内の事務所まで電車で通っていて、マネージャーと合流した後、スタジオやロケ現場まで車で移動している。
一方の帰りは、撮影が長引くことがほとんどなので、マネージャーにアパート付近まで送ってもらっていると、オレは以前、麗那さんからそう聞いたことがあった。
「今日もいい天気になりそうだね。」
ゆっくりとテーブル椅子へ腰掛けると、麗那さんは窓からこぼれる朝日を眺めていた。オレもモップ掛けの手を休めて、彼女の向かい側のテーブル椅子へと腰を下ろした。
「あ、そうだ。」
何かを思い出したような口振りをする麗那さん。
「マサくん、昨日ね、紗依子から連絡があったの。」
「え?」
オレは無意識のうちに、あの不審者のことを思い浮かべてしまう。紗依子さんにまつわるあの一件は、まだ未解決のままだったからだ。
「紗依子がね、近いうちにランチでもどう?って誘ってくれたの。マサくんも一緒にってね。」
「え、オレも一緒にですか。」
麗那さん曰く、紗依子さんはこのたびの一件で、オレに何かお礼をしたいと考えているそうだ。そこで、ささやかながらも、昼食をごちそうする話が出てきたという。
日時や場所といった詳しいことは、改めて麗那さんへ連絡が来るということだった。
「そのお誘い、嬉しいですけど・・・。でも、まだ解決してないわけですし。」
沈痛な面持ちのままうつむくオレ。やり切れない思いで、二の句が継げないでいた。
事件の発端となったのは、紗依子さんの元交際相手だった医師の付きまといだった。つい先日、彼女を見送った際に、オレはその医師に顔を見られてしまった。もしかすると、それが原因となって事態が悪化してしまったかも知れない。
そのことで思い悩んでしまうと、オレは紗依子さんの心遣いを素直に受け入れることができなかった。
「マサくん、あなたが悩んだりすることじゃないのよ。あなたは探偵でもないし、刑事でもない。解決しなければいけないのは、わたしたち第三者じゃなくて、むしろ紗依子本人なの。」
オレの胸中を察してくれた麗那さんは、穏やかな眼差しでオレを気遣ってくれた。
「マサくんがもう真相を知っていること、紗依子に話したの。だから、そのお詫びも兼ねて、あなたをごちそうしたいって言ってたわ。だからマサくん、紗依子の気持ちも察してあげて。」
気が咎める思いに迷ったが、麗那さんと紗依子さんの気遣いを無駄にできず、オレはお誘いを受け入れることにした。
「そういうことなら・・・。わかりました。」
麗那さんは小さく微笑んで、ただ一言、ありがとうと囁いた。そのお礼は、紗依子さんの気持ちを代弁したかのようだった
そんなオレたちの会話を断ち切るように、麗那さんの携帯電話から着信メロディが流れた。それは、マネージャーがアパート付近に到着したことを知らせていた。
「それじゃあ、行ってきます。帰りは少し遅くなるから、よろしくね。」
「行ってらっしゃい。気を付けて。」
麗那さんを見送ったオレは、明るい日差しが差し込む窓を開け放った。今日も予想通りの青空が広がっている。リビングルームの時計は、朝7時を告げようとしていた。
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