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第五話 一.ボディガード

 オレの暮らす街が暗闇に包まれた、そんな月曜日の夜8時過ぎ。駅西口の繁華街にある居酒屋「串焼き浜木綿」へとやってきたオレ。

 店内では、会社帰りのサラリーマンが数人、テーブル席を陣取っている。時折、大きな声で怒鳴ったり、突然大笑いしたりして、彼らは普段からの仕事の憂さ晴らしをしていたようだ。

「マスター、簡単に串焼きもらっていいですか。」

 カウンターに一人腰掛け、オレはおつまみを注文した。

 今日オレがここへ来た理由は、おいしい料理を楽しむためではない。今晩、ここ浜木綿へ来てほしいと、麗那さんからお願いされていたからだ。

 ちょっと物騒な話だが、お店の看板娘である紗依子さんの自宅付近で、最近、痴漢騒ぎがあったらしいのだ。そのため、彼女を自宅まで無事に送り届ける役目として、オレはここまではせ参じたわけである。

「はいよ、マサくん。これサービスだよ。」

 マスターは、オレがここへ来ることを麗那さんから聞いていたようで、そのお礼のつもりか、串焼きを一本サービスしてくれた。紗依子さんも事情を知っていたらしく、オレの耳元に顔を近づけて、この後はよろしくね、と申し訳なさそうに囁いた。

「それでは、いただきまーす。」

 マスターが作ってくれた料理をいただきながら、オレはその時を待った。

 時間もゆっくりと過ぎていき、丁度オレが食事を終えた頃、賑やかだったサラリーマンたちがテーブル席から姿を見せた。

 すっかりと赤ら顔したサラリーマンたちは、紗依子さんとマスターに会釈しながら、おぼつかない足取りでお店を出ていった。

「それにしても、随分、賑やかな人たちでしたね。」

「ははは、あの連中、週に一回は来てくれるんだよ。ちょっと騒がしいけど、いつも、飲んでは食い散らかしてくれるいいお客さんなんだ。マサくんには申し訳なかったね。」

 マスターは苦笑いを浮かべていた。紗依子さんも、テーブル席の片付けをしながら微笑んでいた。

「もう少しで終わるから、マサくん、ちょっとだけ待っててね。」

 そうオレに伝えると、紗依子さんは忙しそうに店内奥へと消えていった。

 紗依子さんの勤務時間は夜9時までなので、あと10分といったところだ。平日の場合、夜9時以降ではお客も期待できないだろうから、勤務時間については、マスターから自己判断でいいと言われているそうだ。

 待機しているオレに、マスターはジンジャーエールの入ったグラスを差し出してくれた。ただ待たせるだけでは申し訳ないと、オレに気を遣ってくれたらしい。オレはお礼を言いながら、その心遣いをありがたく頂戴した。

「さてと、今日は店じまいっと。」

 そう言うと、マスターは暖簾を片付け始める。ぼんやりと灯っていた大きな赤提灯も消灯して、浜木綿が今夜の営業を終えた。

 ひっそりとした店内に一人残るオレは、ジンジャーエールを口にしながら大人びた気分に浸っていた。

「すいません、お客さん。大変申し訳ないんだけど、今日は閉店なんですよ。」

 ふと、マスターの声が聞こえてきた。どうやら、閉店間際にお客がやってきてしまったようだ。

 どんなお客かと、マスターのいる方へチラッと目を向けると、スーツを着た背の高い男性のようだった。遠目ではあったが、オレはその男性をどこかで見かけたような気がした。

「・・・でも、まだ閉店の時間ではないと思いますけど?」

 その男性は唖然とした様子だった。彼が言う通り、浜木綿の営業時間は夕方5時から夜11時までなので、彼の言い分も無理はない。

 それにしても、浜木綿の閉店時間を知っているということは、あの男性は初めて来店したお客というわけではなさそうだ。

「明日、大きな宴会の予約があって、この後、準備のために出掛けるんですよ。だから、今日は9時閉店ってことにさせてもらうおうと思ってまして。せっかく来てもらったのに、大変すいません。」

 マスターの丁重なお断りに、その男性はついに諦めたようだ。彼はそれ以上食い下がることなく、暗闇の中へと立ち去っていった。

 そんな会話のやり取りを見ていたものの、オレは最後まで、あの男性をどこで見かけたか思い出すことはできなかった。

「いやぁ、タイミングが悪かったなぁ。」

 マスターは引き戸のカギをしっかりと掛ける。お客を追い返してしまい負い目を感じていたのか、彼は顔を強張らせながら店内奥へと走っていった。

 店内の奥から、マスターと紗依子さんの話し声が聞こえてくる。どんな話題なのかまでは、さすがにオレの耳まで届かなかったが、楽しそうな話題でないことは判断できた。

「・・・どうしたんだろう?」

 それから少しして、バンダナとエプロンを外した紗依子さんがようやく姿を見せた。

「マサくん、お待たせ!」

 相変わらず、紗依子さんはエスニック柄の色彩豊かな衣装を身にまとっている。どこかの民族がぶら下げるような首飾りが、溶け込むほどに彼女の衣装とマッチしていた。

 重たい腰を上げたオレは、紗依子さんに誘導されるように、店内奥の勝手口へと歩いていく。

「マサくん、申し訳ないけど、サエちゃんのことよろしく。」

「了解です。痴漢が出てきたら、蹴散らしてやりますよ。ははは。」

 肩肘を張って強がってみたオレ。その勇ましさに、マスターと紗依子さんは拍手しながら喜んでいた。本当のところ、できることなら痴漢には遭遇したくないと、オレの胸中が情けなくつぶやいていた。


 =====  * * * *  =====


 夜9時を回り、酔っ払いたちが姿を消しつつある繁華街。平日の夜ともあって、派手なネオンを落とす飲食店も少なくなかった。

 オレと紗依子さんは逸る思いで、そんな賑やかさを失っていく繁華街を歩いていた。

 紗依子さんの自宅は、繁華街から歩いて20分ぐらい先にある住宅街にあるそうだ。築15年は経過して、古めかしい1DKのアパートだと、彼女は苦笑しながら話してくれた。

「今日は本当にごめんねー。遅い時間なのに、お見送りさせちゃって。」

「いや、気にしないでください。その分、マスターから串焼きサービスしてもらったし、おまけに飲み物まで。今日は、そのお礼みたいなもんですから。」

 やっとのことで、オレと紗依子さんは静まり返った住宅街へと辿り着いた。

 警戒しながら、道路沿いの電信柱や壁に目をやるオレ。痴漢出没注意を喚起する看板が見当たらないところからして、まだ警察関係者は動いていないようだ。

 痴漢騒ぎが発生しているにも関わらず、自転車に乗った女性や、家路へと急ぐ一人歩きの女性とすれ違ったりした。もしかして、ここ近辺に住んでる人は、そういった事件に慣れてしまっているのだろうか。神経を尖らせながら、オレはそんなことを考えていた。

「・・・そんなことよりも、ホントに静かだなぁ、この辺って。」

 この閑散とした住宅街を歩いていく間、オレたちはいろいろな話で寂しさを紛らわした。

「そういえば、紗依子さん、つい最近まで海外に行っていたそうですね。麗那さんから聞きました。」

「そうそうそう!わたしね、この前まで、ガラパゴス諸島に行ってたのよ。」

 紗依子さんのテンションが急上昇する。水を得た魚のように、彼女は自らの旅行記を語りだした。

「あのねー、珍しい木があるって聞いて、それをぜひとも写真におさめようと思って行ったの。ところがねー、行った場所が、とんでもない山奥でね。道は獣道しかないし、途中、食虫植物がいるやら、珍獣が出てくるやらで、もうてんてこ舞いで。」

 ブレーキの壊れた自動車のように、紗依子さんは止め処なくしゃべり続ける。

「山のふもとから、70度ぐらいの勾配の崖にその木があったのよ。わたしもガイドしてくれた人も、岩肌に絡まった蔦にぶら下がって、ようやく写真撮ったんだけど、現像に出してみたら、真っ黒だったのよー!散々な思いをして帰ってきたわ。」

 紗依子さんはその後も、過去に行った冒険のような旅行話をいろいろと語ってくれた。オレの予想以上に、彼女はタフな女性のようだ。

 生き生きとした表情の紗依子さんを見ていると、オレまでもが心躍る思いだった。だけど、それと同時に、女性一人の冒険を不安視する思いもあった。

「でも、そんなサバイバルな旅行ばかりじゃ、ご家族やお友達に心配されるんじゃないですか?」

「えへへ、当然だよね。いつも両親には内緒で旅行してる。だから、お土産を現地から送っちゃうから、帰ってから散々怒られてるわ。麗那からも、いつもお説教されてる始末だし。」

 そう言いながら、紗依子さんは困ったような顔をしていた。でも、彼女は反省する様子もなく、今すぐにでも旅立ちたい気持ちをオレに訴えかけているようだった。

「ねぇねぇねぇ、今度は、マサくんのこと教えてよ。」

 紗依子さんはわくわくしながら、オレの身の上話について根掘り葉掘り尋ねてきた。付き合ってる女の子はいるのか?とか、好きな女の子はいるのか?といった女性らしい質問ばかりだった。

「い、いませんよ。オレは受験生ですからね。女の子のことなんて、考えてる余裕ないですから。」

「えー、そうかな。色恋に、受験も勉強もないと思うよ?」

 オレだって一人の男の子だし、女の子のことを考えていないわけではない。こういう質問には、オレはいつも受験勉強を盾にして、そういった恋愛感情を意識しないようにしているだけなのだ。

「それにオレ、単身で東京に出てきたわけで、もしも、地元に好きな女の子いたら、離れ離れになって、寂しいというか、そういう感じになるから。」

「ふーん、なるほどねー。」

 顎に指を宛がって、紗依子さんは何やら考えているようだった。そんな彼女の様子を、オレは無言のまま伺っている。

 わずかな沈黙を破って、紗依子さんはいきなり問いかけてきた。

「それじゃあ、マサくんは、好きな人とか恋人が、自分のもとから離れてしまうことになったら反対する?」

 興味津々な顔をして、オレからの回答を待ちわびる紗依子さん。

 そういう経験をしたことがないので、オレはどう答えたらよいか迷ったが、その立場になったと仮定して答えることにした。

「オレだったら、頭ごなしに反対しないと思います。その相手から、離れる理由とか目的とか聞いてから、反対するかどうか考えますね。」

 オレの回答に同感したのか、紗依子さんはオレの腕を掴んで喜びを表現した。

「そうだよねー!やっぱりさ、相手の話をちゃんと聞いてから反対するもんだよねー!マサくん、いいこと言ってくれるわ。」

「あ、でも、一般論というか、オレの場合なら、ですけどね。」

 いきなりの質問にこの言動、もしかすると、この話は紗依子さんにとって身近なことなのではないだろうか。

「紗依子さん、ひょっとして、そういう経験があったんですか?」

「は!?」

 目を大きく開いた紗依子さん。彼女はぎこちない笑顔で否定する。

「ははは、ち、違うわよー。わたしも、一般論として聞いてみただけ。やだなぁ、もう。」

 明らかにごまかしているような口振りだったが、オレはお叱りを受けたくなかったので、これ以上詮索しないことにした。

「あ、ここの角を曲ったところよ。」

 紗依子さんが一軒のアパートを指差す。楽しい会話をしている内に、オレたちニ人はアパートまで到着していたようだ。

 ここまでの道のりで、特に怪しい人物にも遭遇せず、不審なことも起こらなかった。無事に辿り着くことができて、オレはホッと胸を撫で下ろしていた。

「言った通り、ボロボロのアパートでしょう?家賃だけで選んじゃったんだよねー。フフフ。」

 紗依子さんの住むアパートは、外壁が少し黄ばみかかっていて、ニ階へ通じる階段は至るところが錆付いている。薄暗い蛍光灯に照らされた通路と、傷み始めた木製のドアが、古めかしさをより一層強調していた。

「マサくん、今日はどうもありがとう。楽しかったわ。」

「いいえ、オレの方も楽しかったです。また機会があれば、声を掛けてください。」

 きしむ音を鳴らしながら、錆付いた階段を上っていく紗依子さん。彼女はニ階にある自分の部屋へと向かった。

 オレは手を振って、部屋の中へ消えていく紗依子さんを見送った。

「さーて、のんびり歩いて帰りますか。」

 きびすを返して、オレは来た道とはまったく反対の道へと足を向ける。

 なぜかというと、せっかく見知らぬエリアへやってきたので、オレは探検しながら帰ろうと考えたからだ。きっと、紗依子さんの話に触発されて、オレの中の冒険心が掻き立てられてしまったのかも知れない。

 そんなわけで、オレはちょっとした探検へと旅立つのであった。

「・・・あれれ。」

 ところが、歩き始めて数分後、オレは完全に方向感覚を失っていた。明るい内ならまだしも、夜闇の中では、見覚えのある交差点や建造物も違って見える。

 後悔したくない一心で、オレは自力でこの窮地を脱しようと試みたが、迷路のような道路を通り抜けるたびに、オレは真っ暗な異空間へと引き込まれていく。このままでは、取り返しのつかないところまで行き着いてしまう気がした。

「・・・だめだ、諦めよう。」

 孤独感という恐怖に苛まれて、オレはついにギブアップ宣言をする。やむなく、オレはもう一度、紗依子さんのアパートまで後戻りすることにした。

 とてつもなく、無駄な時間を過ごしてしまったオレ。この時間を少しでも受験勉強に充てていれば、とても実りのある貴重な時間だったのに。オレはそんなことを思いながら、やるせない気持ちでいっぱいだった。

「はぁ、やっとここまで戻ってこれたぁ。」

 いくつもの細い路地を引き返して、オレはやっとの思いで、紗依子さんのアパート付近まで戻ることができた。残る最後の曲がり角を折れると、見覚えのある古めかしいアパートが見えてきた。

「あれ、アパート前に誰かいる・・・?」

 紗依子さんのアパートの前に、黒い人影が映った。警戒しながら立ち止まり、オレはその人影を凝視する。

「間違いなく、誰かいるな。アパートを覗いているみたいだ。」

 その不穏な人影は、アパートの前にひっそりと佇んでいる。暗がりの中ではっきりしないが、ニ階のどこかを見つめているようだ。まさか、紗依子さんの部屋を見ているのか・・・?

 怪しい人影を監視しながら、オレは次なる行動をどうするか考えていた。警察に通報しようにも、アパートの前に立っているだけでは犯罪にはならないし、警官が到着するまで、あの不審者が留まり続ける保証もない。

 だからといって、このまま何もせずに、あの不審者を逃してしまうのも得策ではない。もしかすると、例の痴漢かも知れないのだ。

 しばらく考え込んでいると、オレの存在に感づいてしまったのか、その不審者は素早く身を翻して、その場から歩きだしてしまった。

「わ、どうしよう。とりあえず、後を追いかけてみるか。」

 オレは恐れることも忘れて、不審者が向かった曲がり角へと駆け出した。

 アパート前の曲がり角を折れて、オレは薄暗い路地を走り抜ける。ひたすら追いかけて、住宅街の中の小さな十字路までやってきたが、オレは不審者の姿をこの目で捉えることはできなかった。

「見失ってしまったか。逃げたってことは、やっぱり痴漢だったのか・・・?」

 人の気配がない十字路に立ち尽くすオレ。痴漢かどうかは定かではないが、不審な人物は間違いなく存在したのだ。

 ここまで走ってきたせいか、オレの背中は汗でびっしょりだった。緊張のあまり身震いが止まらず、オレの鼓動は激しく高鳴っていた。

ご意見、ご感想など、お気軽にお寄せください。

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