炎帝
ヨヒアが変わり果てたペレを見つめる。美しかった姿は焼けただれ、幾重もの切り傷が身体に刻まれていた。
まるでペレの命そのものを示すかのように、身を焦がす炎帝の炎はくすぶり、今にも消えそうになっている。
ヨヒアは倒れている千手騎士へとその目を移した。千手騎士は完全に気を失ったが、まだ生きているようだった。
安心してほっと溜息をついたヨヒアは、ペレを優しく抱き上げる。ペレを抱いたヨヒアは、静かに異世界に続く門へと向かって行った。
門を抜けたヨヒアの目に、鋭い切っ先の岩山がそびえる、懐かしい風景が広がって来た。赤紫色の空には厚い雲が流れて来ており、雨が降り出しそうになっている。
(こんな形で、また帰って来ることになるとはな……)
ヨヒアは一瞬だけ感傷に浸った後で、静かに優しくペレを地面に下ろした。
ヨヒアがペレを見下ろしながら考える。
(ペレの事を思うのであれば、俺はこの世界に残るべきなのだろうか……)
だがそんなことを思うヨヒアの脳裏に、自分を認めてくれた千手騎士やフィオナの姿が思い浮かぶ。
(ペレのいる世界のためにも、俺はこの世界に残るべきなのだろうか……)
だが既に自分が貴族の立場であり、魔王軍の侵攻で深く傷ついた世界のために尽くさないといけない立場であることを思い出す。
だが思い出しながら、ヨヒアは頭を振って自分を否定した。ヨヒアがそれを言葉に変えて、口にする。
「違う。俺は、元の世界に帰りたくないんだ。帰りたくないのに、いちいち理由を探しているだけなんだ……」
ヨヒアは、ヴァイスに言われた言葉を思い出した。
お前が一番、自分のことしか考えてねえ!
「そうだな。アイツの言う通りだ……」
打ちひしがれたヨヒアが、寂しそうに呟いた。
ヨヒアが剣を抜いた。
(炎帝となり、怒りに身をゆだねて世界を越えて侵攻してきたペレは危険だ。俺は、ペレを、殺さないといけない)
ヨヒアがペレを見下ろす。そして剣を振り上げた。
だが空中に張り付けられたかのように、剣は微動だにしなくなった。ヨヒアは歯を食いしばりながら振り下ろそうとするが、腕が震えるばかりで、振り下ろすことが出来ない。
ペレを見つめるヨヒアが、ペレと過ごした日々を思い出す。
ヨヒアの視界が滲み始めた。ヨヒアは目に力を入れて涙腺を抑えながら、その剣を持った腕をぶら下げる。
「駄目だ。俺には、無理だ……」
ヨヒアがペレから目を離し、辺りを見回す。そしてすぐ近くに、ペレが次元を超えるのに使ったらしき錫杖が、地面に刺さっているのに気がついた。ヨヒアが錫杖へ向かって歩いて行く。
ヨヒアが錫杖の前に立った。
ヴァイスの持ち込んだ禁呪物。異世界の鍵。
「この錫杖から、全てが始まったんだな……」
ヨヒアが錫杖に語り掛けるようにそう言った。
ヨヒアは暫くの間錫杖を見つめた後で、持っていた剣を掲げた。そして錫杖に向けて、真っすぐに振り下ろす。
剣が正確に錫杖を絶った。錫杖は最後に「リィン」とだけ鳴ると、金属の輪を散らかしながらその役目を終えていく。
ヨヒアは錫杖を絶った剣を、近くの地面に突き刺した。
次元を開いていた錫杖を失い、陽炎が小さくなり始めた。陽炎へと向かうヨヒアが、最後にペレを振り返る。
「さようなら、ペレ。君は、生きていてくれ……」
最後にそう言ったヨヒアは、陽炎を越えて、故郷の世界を後にする。
錫杖の残骸の近くに突き刺された剣だけが、墓標のように残された。
次元を超えたヨヒアが、倒れている千手騎士の元へと向かって行く。
(ペレを思うのであれば、俺は向こうに残るべきだった。この世界にのために生きるのであれば、俺はペレを殺すべきだった。俺はどちらも選びきれなかった……)
千手騎士の元で歩みを止めたヨヒアが、自分の手のひらを見つめる。故郷にも、この世界にもルーツを持たない、魔族の手を。
「結局、どこまで行っても、俺は半端者だな……」
ヨヒアは自分をあざ笑うかのように、一人呟いた。
パラパラと額を打つ雨粒によって、ペレは目を覚ました。爛れた皮膚と切り傷にしみる雨の苦痛にさいなまされながら、起き上がったペレが辺りを見渡す。
「ここは元の世界。いつの間に私は、戻って来たの?」
頭をさすっていたペレが、気を失う前の記憶を思い出し始めた。
「そうだ。千手騎士を殺す前に、変なドラゴンに邪魔をされたんだ。何だったんだ、アイツ!」
怒りが戻って来たペレの、消えかかっていた炎帝の炎が、再び勢いを取り戻し始めた。降り注ぐ雨が蒸発して白い煙となっていく。
立ち上がったペレはバラバラになった錫杖と、その傍らへ突き刺された剣に気がつく。ペレが錫杖の元へと歩いて行く。
「これじゃあ、もう使えない。誰の仕業?この剣の持ち主?何で剣を置いて行ったの?」
ペレが地面に突き刺された剣を眺めているうちに、何かに気がついた。
「この剣には、見覚えがある。ヨヒアが持っていた剣だ。千手騎士に奪われた、あの剣だ」
ペレの頭の中で、点と点が繋がっていく。
「もしかして、あのドラゴンは、ヨヒア!?私が助けに行ったのに、私を殴ったの?何で、何で……」
ペレが剣を見つめる。ヨヒアが捨てた剣を見て、ペレが確信をした。
「ヨヒア、もしかして、貴方も私を捨てたの?」
ペレの炎帝の炎が燃え盛り始めた。炎に照らされた剣は、それを肯定するかの如く、赤く、鈍く輝き始める。
「みんな、みんなどこかへ行ってしまう!みんな私を置いて行く。ヨヒアも、ヴァイスも!」
ペレが膝から崩れ落ちる。剣の前で這いつくばったペレの、青さの残る瞳から溢れ出た涙が、地面を濡らした雨に混じっていく。
「私は、ただ、誰かに、一緒に居て欲しかっただけだったのに……」
ペレは雨の中、ただ一人、うずくまり続けていた。
うずくまり、地面を見つめていたペレが、顔を上げて立ち上がり始めた。燃え盛る炎の中で浮かぶ双眸が鋭く輝き、流れ出た涙が炎に飲み込まれていく。
「許せない。許さない!ヴァイスも、ヨヒアも、私を捨てた!ごみのように、私を捨てた。アイツら、絶対に、絶対に、絶対に……」
ペレの赤い炎帝の炎が、黒く染まり始めた。炎が更に強くなり、強くなりつつある雨が到達する前に蒸発していく。
この世界に伝わる炎帝の伝承では、以下のように謳われている。
「炎帝の願いを叶えてはいけない。願いを叶えられた炎帝は、満足して火を失っていく。火を失った炎帝は、燃え尽きた灰のように崩れ、その命を落とす。だから、炎帝を思うのであれば、炎帝の願いを叶えてはいけない」
それを知るヨヒアは、剣をその場に残した。ペレの願いを、断ち切るために。
ペレの赤黒い炎を受けて、残されたヨヒアの剣も、赤く、黒く輝き始めた。
ペレを捨てた二人の男。ヨヒアとヴァイス。
二人の男の裏切りが、ペレを完全なる炎帝へと導いた。
赤黒い責め苦の炎を身に纏い、破壊の化身であるドラゴンへとその身を変えるペレは、この世界で君臨していく。
炎を司るドワーフたちの神として、
爪と鱗を持つリザードマンたちの神として、
自分を捨てた男たちへの怒りをその胸に秘めながら、
捨てられた悲しみをその瞳に秘めながら、
憎悪を糧に、炎帝は今でも、その身を焦がし続けていると言われている。
[FIN]
ご完読頂きありがとうございました。
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※前作は「冥府魔道」になります
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