ヨヒアとペレ
上空は薄暗く禍々しい赤紫色に染まり、一帯は長きに渡る風雨の研いだ岩山が並び立つ。岩山の麓には草木の代わりに巨岩が転がっており、荒れ果てた荒野が広がっている。
その荒野で二人の男女が、敵対者たちに囲まれていた。
男は布の裏に鉄板を張り付けた鎧に身を包み、精悍な顔つきをした銀髪の青年。両手で剣を持ち、その切っ先を敵陣へと向けている。
女は薄黄色の上品なローブを軽やかに身に纏った、赤髪碧眼の美女。銀色の錫杖を振るい、何やらブツブツと呟いている。
囲んでいるのは赤い鱗に包まれた、人の形をしたトカゲのような者たち。リザードマンと呼ばれる種族だ。リザードマンたちは曲がりくねった曲刀と丸い盾を構えながら、二人との距離をジリジリと縮めていく。
彼らの最奥にはリザードマンをはるかに超える体躯を持つ、巨大な赤いドラゴンが鎮座していた。ドラゴンは蝙蝠のように翼となった前腕を広げ、その顎に生えたナイフほどの長さの牙を剥き、黄土色の瞳で二人を見据えている。
狭まる包囲網から一体のリザードマンが男に切りかかって来た。天高く振り上げた大きな曲刀が、近づきざま垂直に振り下ろされる。男は瞬時に剣を構えつつ身を伏せると、全身のバネをもって剣を突き立てた。完璧なタイミングで突き上げられた剣は、曲刀を持っている右手を刺し抜き、そのままリザードマンの顎元へと突き刺さっていく。男が剣を払うように抜くと、曲刀を持っていたリザードマンの右手切れ飛び、錫杖を振るっている女の足元近くへと転がっていった。
「まだ掛かるのか。ペレ!」
男は剣を構えながら、振り返らずペレと呼んだ女に叫んだ。ペレは何も答えない。足元に転がって来た右手にも気がつかずに集中し、錫杖を振りながら何かとの対話を続けている。
男は迫りくるリザードマンの口めがけて剣を突き立て、引き抜きざまの勢いのままに別のリザードマンの膝を叩き割る。崩れ落ちたリザードマンを踏み台にして跳躍し、別の敵の頭上めがけてその剣を振り下ろす。
男は奮闘し続けるが、多勢に無勢だった。流石に息を切らせ始めた男を、大きな影が覆って行く。男が見上げた瞳に、顎を開いてその息吹を込める赤いドラゴンの姿が映り込む。
男が覚悟を決めた時、背後で「リィン」という錫杖の振り下ろされる音が響いた。
ペレの透き通るような声が辺りに響く。
「契約内容を復唱する。私の周囲100キーコオ内に存在する敵対する存在の生命活動を絶て。1キーコオは私が手を広げた時の右中指から左中指までの長さである。敵対する存在とは、赤い鱗を生やした生命体を指す。契約の対価は……」
復唱を終えると共に、ペレの背後に巨大な陽炎のようなものが現われた。ドラゴンとリザードマンが動きを止め、その陽炎を見つめる。陽炎の向こう側にはこちらに向かって駆けてくる、ぼんやりとした巨大な馬のような姿が映し出された。
その巨馬は勢いのままに跳躍し、陽炎を抜けてその姿を現した。男の前にいたドラゴンの背後に、地響きと共に降り立つ。
男が更に首を上げてドラゴンの背後を見つめる。そこには全身が白銀の鎧で覆われた、八本の脚をもつ巨馬が鼻息を轟かせていた。ドラゴンを更に越えた体躯をもって聳え立ち、驚くほど長い灰色のたてがみがたなびかせている。
巨馬がその太い首を伸ばして天を仰いだ。たてがみもまた天高く舞い上がる。
次の瞬間、たてがみが細かく枝分かれしたかと思うと、それぞれが意志を持つかのように動き始めた。男がたてがみと思って見つめていた物は、全てが灰色の腕だった。巨馬の首から生えた無数の腕が、剣や槍といった武器を手にしている。巨馬がその首を勢いよく振り下ろすと共に、一瞬で加速した無数の腕が一帯の敵へと押し寄せていく。
無数の腕はそれぞれが意志を持っているかの如く、素早く精妙に動いた。武器の切っ先が最短を走り、リザードマンたちの目を、心臓を、口の奥を同時に刺し抜いていく。
ドラゴンは無数の刃で翼膜を散り散りに裂かれ、両目を潰され、その奥にある脳幹を切り刻まれた。
巨馬がその首を上げると同時に武器が死体から引き抜かれ、ほぼ同時にすべての敵が無言のままに倒れた。ドラゴンもまた叫び声ひとつ出せず、その場に崩れ落ちる。
辺りに勝利を誇る巨馬の嘶きが轟いた。
男が大きくため息をつくと、後ろを振り返ってペレを見つめた。ペレは何てことない様子で錫杖を上げると、足元に転がっていたリザードマンの腕を蹴りながら言う。
「ご苦労様、ヨヒア」
ヨヒアと呼ばれた男が剣を地面に杖のように突き立てると、軽く体重を掛けながらペレに声をかける。
「今回は危なかった。その魔法、もっと早くしてもらえると助かるんだけど」
ペレが自慢げに錫杖を地面に突き、不敵な笑みを浮かべながら答える。
「召喚魔法は都度契約になるから、どうしても時間が掛かるのよ。まあ助かったんだから、文句を言わないでよ」
ヨヒアが頭を掻きながらペレを見つめる。ペレはヨヒアの目を見つめると、唇を少しだけ動かし微笑みを向けた。ドキリとしたヨヒアがすぐさまその目を逸らす。ペレがそんなヨヒアの様子を楽し気に見つめていると、ヨヒアの背後で地面が鳴り、巨大な地響きが轟いた。ヨヒアとペレの頭上を、巨馬の影が横切っていく。跳躍した巨馬は陽炎へと飛び込み、その姿を一瞬で消した。
ヨヒアがその壮麗な姿を見送っていると、体が突然支えを失ったかのようにふらついた。慌てて足元を見ると、杖代わりにしていた剣が消えている。ペレの足元に転がっていたリザードマンの手が握っていた曲刀も、同じように消えていた。
ヨヒアがペレを見つめると、ペレは悪戯が見つかった子供のようにその目を逸らしながら言う。
「契約の対価が、一帯の武器だったのよ」
ヨヒアがペレを見つめながら少しだけ悲しそうに言う。
「俺の剣も?あの剣、結構いいヤツだったのに……」
ペレが錫杖を肩に立てかけて、両手で拝むように謝りながら言う。
「ちょっとそこまで契約を詰める時間が無くて……ゴメンね」
ヨヒアがそんなペレの様子を見て、少しだけ笑った。
「まあ、いいや。必要経費だろうし。なんにせよ俺たちは助かったんだ。ありがとう、ペレ」
礼を言われたペレは、少しだけ顔を赤らめると、クルリとその踵を返した。




