Scene3「違法レース文化」
夕刻。
雲上港ラピュルの外縁空域は、夕焼けに染まり始めていた。
正規航路の光が整然と並ぶ一方、その外側――都市管理が及びきらない境界空域には、まるで別の世界が存在していた。
「……本当に行くのか」
ザハルが低く言う。
「観察です」
リリアナは即答した。
「文化観察です」
「その言葉、最近免罪符になってないか?」
「文化は現地で見ないと分かりません」
彼女は迷いなく頷いた。
◆
案内されたのは、空域外縁に浮かぶ小型整備プラットフォームだった。
そこには、正規港とは明らかに異なる空気が漂っていた。
改造された滑空機。
色鮮やかな個人紋章。
風防に刻まれた勝利記録。
整備士たちが忙しなく機体を調整し、観戦者たちは賭け札を握りしめている。
「……完全に非公式空港ですね」
リリアナは小声で呟く。
「というより地下闘技場だな」
ザハルが周囲を警戒しながら言った。
その時。
「観光客?」
軽やかな声が頭上から降ってきた。
二人が振り向く。
整備塔の手すりに腰掛けていた少女が、ひらりと飛び降りた。
風を裂くような軽さ。
短く切った蒼髪。
飛行服は機能重視の軽装。
背中には、小型滑空翼が折りたたまれている。
「ここ、普通の観光ルートじゃないよ?」
彼女は笑った。
「フィオ。レースパイロット」
差し出された手には、細かな擦り傷が無数に刻まれていた。
「リリアナです。文化記録をしています」
「文化?」
フィオが目を細める。
「違法レースも?」
「当然です」
迷いなく答えた。
◆
その時、空域に号砲が響いた。
数機の滑空機が、境界雲帯の向こうから飛び出してくる。
「始まるよ」
フィオが指差す。
機体は五機。
すべて異なる設計だった。
「ルールは?」
リリアナが尋ねる。
「境界航路を三周」
「監視は?」
「無い」
「衝突対策は?」
「腕」
フィオはあっさり言った。
「空は挑戦の場所だから」
その瞬間、滑空機が急降下した。
◆
レースは――狂気と精密さの境界にあった。
雲柱を掠める旋回。
上昇気流を利用した急加速。
互いの気流を読み合う空中戦。
リリアナは息を呑む。
「……凄い……」
彼女の視線は、単なる迫力ではなく、構造を追っていた。
「機体設計が統一されていない……」
「当然」
フィオが頷く。
「ここは自由設計」
「規格が無い?」
「規格を破る場所」
滑空機の一機が、他機の乱流を利用して急加速した。
リリアナは思わず前のめりになる。
「今の――」
「乱流滑走」
フィオが解説する。
「公式航路では禁止されてる技術」
「……危険だから?」
「うん」
「でも」
リリアナは空を見上げたまま言った。
「効率は高い」
フィオがニヤリと笑う。
「分かるんだ」
「文化は必ず“効率”と“危険”の間で進化します」
◆
やがて、観客席の歓声が上がる。
レースは、僅差で決着した。
勝利機が着陸し、整備士たちが駆け寄る。
その光景を見ながら、リリアナは小さく呟いた。
「……コミュニティがある」
フィオが振り向く。
「え?」
「競技だけじゃない」
リリアナは周囲を見渡す。
「整備共有。航路情報交換。技術公開」
彼女はメモを取り続ける。
「ここは“非公式研究機関”です」
「……」
「制度の外側で、技術が育っている」
フィオは少しだけ黙った。
◆
「ねえ」
フィオが言った。
「リリアナは、このレースどう思う?」
ザハルが先に口を開きかけたが、リリアナは静かに首を振る。
そして答えた。
「文明の呼吸だと思います」
「……」
「制度は文明を安定させる」
彼女は空を見る。
「でも、挑戦が無い文明は必ず停滞します」
フィオの瞳が輝いた。
「でしょ?」
「ただし」
リリアナは続ける。
「制度が無い挑戦は、文明を壊します」
沈黙。
遠くで監視艇の光が瞬いた。
◆
「……空ってさ」
フィオがぽつりと言う。
「誰のものだと思う?」
リリアナは少し考えた。
そして答える。
「まだ交渉中です」
フィオが一瞬きょとんとして――
次の瞬間、声を上げて笑った。
「面白いね、あんた」
「よく言われます」
「また来る?」
「文化がある限り」
迷いなく頷く。
その言葉を聞いたフィオは、どこか楽しそうに空を見上げた。
◆
帰路。
正規航路の光が、再び整然と並ぶ。
その隙間で、違法滑空機が夜空に溶けていった。
「……危険だな」
ザハルが呟く。
「はい」
「それでも肯定するのか」
リリアナは少し考え――
「肯定ではありません」
静かに答える。
「理解です」
そして、夜空を見つめながら続けた。
「文化は、いつも制度の外側から芽吹きます」
雲の向こうで、レースの残光が消えた。
それはまるで――
この都市が抱える、もう一つの未来の火種のようだった。




