第14話 ビギナーズラック
「……貴様……」
ダンテの言葉を挑発と取ったのか、ダンテの対面に立っている男子学生が怒りのあまり声を震わせる。
それほどダンテの態度と言動は度し難かった。
いくつもの殺意が矢となってダンテに突き刺さる中、ダンテはそんなことを全く意に介さず、今しがた借り受けたラケット――木で輪を作り、そこに腸で作ったガットを格子状に張った後、革を巻いた取っ手を取り付けた道具――をしげしげと観察している。
「おや、誤解させたのなら申し訳ない。私の領地ではこんな遊びをしたことが無くてね」
ダンテはラケットをひっくり返してみたり、ためしに振ってみたりしながら、臆することなくそう言ってのけた。
実際ダンテはこの球技を生涯で一度もやったことはない。
彼のいたスラムでは、布を固く丸めたボールをぶつけ合ったり蹴り合ったりする程度のことはあっても、道具を使って厳格なルールのもとに競い合うなど試そうとすらしなかった。
「はっ、テニスすら知らないのか、君は」
童顔の学生があざ笑う。
確かにテニスという競技があることすら知らないというのは、貴族の中でもめったにいない。
それ以前に、知らなければそれを口にせず、傍で見て覚えるか、事前に調べておくのが普通だ。
ダンテの言動は、常識以前の問題だった。
「なるほど、テニスと言うのですね」
ダンテが挑発でなく本当にテニスの存在を知らないと理解した人々のダンテを見る目は一変した。
コート内にいた四人はせせら笑いを浮かべ、悪意に満ちた視線を交わし合い、アンジェリカを含めた女性陣は一気に失望へと変わる。
そばで様子をうかがっていたアルですら作戦の失敗を確信してしまう。
今、ダンテの評価は地に落ちただけでは飽き足らず、地面を這いつくばっていた。
「じゃあテニスのやり方を教えてやろうか?」
「いえ、見ていたので大体は分かりますよ。ボールを相手コートへ打ち返せばよいのでしょう」
「よく知ってるじゃないか。ならラケットの使い方は教えなくていいな」
男子学生たちはもはやダンテのことを子どもの様に扱っていた。
もはやダンテは敵ではないと侮り、どう可愛がってやろうかなどとすら考えていそうだった。
「よし、じゃあ私だけで稽古をつけてやろう」
「ええ、ありがとうございます。ぜひ」
最初にダンテへ突っかかって来た、童顔の男子学生だけがコートに残り、他の3人は顔に下卑た笑いを浮かべながら観衆と混ざる。
ダンテの無様な醜態を見学しようとでもいうのだろう。
「では、私からでいいですね」
「いつでも」
ダンテは地面に転がっていたボールを手に取ると、コートの端へ移動する。
童顔の学生が構えるのを待ってから、下手でもってボールをゆっくり打ち上げた。
動物の腸に空気を詰めて作られた楕円状のボールは、放物線を描いて宙を飛ぶと、センターラインを越えて童顔の学生のところにまで届く。
「よーし、きちんとサーブができるなんてうまいじゃないか」
「いえいえ」
童顔の学生は余裕の笑みを浮かべながら、ダンテと同じく下手で打ち返す。
それをまたダンテが打ち返し……ぽーん、ぽーんと眠気を誘う音を響かせながら、しばらくラリーが続く。
二人の間にはある程度の真剣さこそあれど精神を削り合うような緊迫感はない。
試合ではなくただの戯れでしかなかった。
「慣れてきましたのでもう少し速度を上げても大丈夫ですか?」
十数回ほどラリーを続けたところでダンテがそんな提案をする。
しかし、童顔の学生からすればそれは失笑物でしかなかったのか、しししっと意地の悪い笑い声をあげながら首肯した。
彼にとってはダンテは遊んであげている相手であり、速度を上げたところでたいしたことはない。
周りも同様のことを感じていたのか、馬鹿にするようなヤジが飛ぶ。
誰もかれもがダンテのことを完全に舐めきっていた。
――ダンテの目論見通りであるとも知らず。
「しっ」
ダンテの口から鋭い息吹が漏れ、それと同時に彼の体が陽炎の様に揺らぐ。
瞬きする間にボールの下に潜り込んだダンテは、初めて直上からラケットを振り下ろす。
ラケットは風切り音を上げながらボールを叩き――。
「え?」
童顔の学生がつぶやいた時には、既にボールは地面を転がっていた。
もちろん、彼の足元を。
油断しきっていた童顔の学生には、ダンテの放った強烈なスマッシュに反応すらできなかったのだ。
ダンテは悠然と一礼してから自信たっぷりの笑みを浮かべ、
「おや、もう少し遅くした方がよろしいですか?」
と言い放った。
もちろんこの挑発を受けた童顔の学生は怒り心頭に発すると、地団太を踏みながらダンテに指を突きつける。
「き、君は初めてと言ったじゃないか。嘘をついたな!!」
「嘘などついていませんよ。やり方や競技の名前を知ったのもこの中庭に入ってですから」
ダンテは一言も嘘をついてはいない。
実際にやり方を知ったのもアルに聞いてからだし、名称も学生の口から聞いたのが初だ。
ダンテはただ見たことがあっただけ。
「存外簡単な競技ですね」
ダンテは2週間以上前から己の部屋に引きこもり、勉強に励んでいたが、その際、外を見渡せる窓際に座って行っていた。
もちろんそこから学校の中庭を見渡すことはできはしなかったが、寄宿舎の前で時折テニスで遊ぶ学生たちの姿ならば見ることができたのだ。
ダンテはそれによって大体のやり方を覚えていたし、有効な動き方を想定してもいた。
更にダンテは二階の窓へと瞬きする間に登るほどの身体能力や、平然と二階から飛び降りれるほどの脚力にバランス感覚をも持っている。
ダンテにとって学生のする遊び程度、造作もないことだった。
「そ、そんなことはないっ!」
学生は慌ててボールを拾い上げると、渾身の力を込めてサーブを行う。
ボールの速度は今までの比ではなく、流星の様に速く、真っすぐに飛ぶと、コート右隅を強襲した。
「やります……ねっ」
恐らく本気を出したと思われるボールに、ダンテは悠々と追いつくと鋭くラケットを振る。
バシッという、それまでとは比較にならないほど強い音が大気を揺らす。
逆襲したボールが来た時以上の速度で童顔の学生の下へと帰って行った。
「くっ」
もはや先ほどまでの緩い空気などどこかに消えてしまっていた。
全力のサーブを出した後で体勢が崩れていた童顔の学生は、苦し紛れにラケットを前に突き出し、なんとかボールを打ち返す。
勢いを失ったボールは、弧を描いてダンテのコートに戻っていき――。
「はっ!」
センターラインを越えたあたりでダンテが思い切りラケットを叩きつける。
もはや目にもとまらぬ速度になったボールは、反応すらできなかった学生の横を通り抜けてから地面に落ちた。
「レディ、楽しんでくれていますか?」
ダンテは変わらない笑みと余裕をもってアンジェリカへと問いかける。
しかし当のアンジェリカは、あまりの状況変化に思考が追い付いていなかったのか「ええ」と生返事をするだけだった。
「ま、待てっ! 今のは油断していただけだ。次からは本気を出してやるっ!!」
童顔の学生は、ダンテが初心者だからとおごり高ぶっていたため動きが悪かったのも事実だ。
一方、ダンテは基礎能力こそ高いものの、本当に初心者であるため、長引けばボロが出てくることもあるだろう。
もっとも、それだけのハンデがあってようやくいい勝負になるだろうとダンテは考えていた。
「ええ、期待しておりますよ」
ダンテは大きくうなずくと、コートの中心で腰を落としてどんな球が来ても返球できるように身構えた。





