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鶴の恩返し~恋吹雪編~

 昔々あるところに、お爺さんとお婆さんが住んでいました。


 ある日、お爺さんが山へ薪を採りに行ったその帰り道に、茂みの奥から何やら物音が聞こえて来るのに気が付きました。

 気になったお爺さんが、様子を見るべく物音がする方へと向かいます。


 そこには、猟師が仕掛けたトラバサミに掛かってジタバタともがく、一羽の鶴が居ました。


 ひたすらに鳴き声を上げ、やたらとパワフルに暴れるその様に、お爺さんは軽く引きます。野生動物が本気で暴れ回る姿は、迫力十分なのです。


 それでも、不憫に思ったお爺さんは罠を外してやろうと鶴へと近付きます。猟師の許可なく外す事になりますが、おそらく猟師も鶴を獲物とするつもりもないでしょう。


 暴れ回る鶴からの手痛い一撃に耐えながらも、お爺さんは鶴の足を挟み込んでいるトラバサミを外します。鶴も、途中からはお爺さんが罠を外してくれる事に気が付いたらしく、大人しくなりました。


 トラバサミを外してみると、挟まれていた箇所に怪我を負っているのに気が付きました。お爺さんは手ぬぐいを取り出し、包帯代わりに巻き付けてあげます。


 手ぬぐいを巻き終えると、鶴は『いやー、助かったわー』とばかり、ペコペコと頭を下げます。そして一通り頭を下げ終えると、そのまま空へと飛び去って行くのでした。






「……と言う事があったんじゃよ」

「まあまあ。それは良い事をしましたね、お爺さん」


 その日の夜。お爺さんが山で鶴を助けたと言う話を聞き、お婆さんは笑顔を浮かべて頷きました。


 その時です。出入り口の戸を何者かが叩く音が聞こえて来ました。それも、妙に軽快なテンポの付いた、微妙にイラッと来る感じの音でした。


「こんな時間に、一体誰じゃ?」

 お爺さんが立ち上がり、戸に手を掛けます。


 ガラリ、と戸を開くと、


「つー訳で、一晩泊めてくれ」

「どう言う訳なのか豪快に省いて来たな、この知らないオッサン!?」


 そこには、見ず知らずの中年男性が立っていました。無精髭に腹巻きと言う、いかにもと言った風情の中年ぶりでした。


「まあ気にしなさんな。ここはデーンと気前良く行きましょうや」

「客人の言うセリフじゃないじゃろ!? て言うか、早くも座布団に腰掛けてる

し!?」


「お婆、いやお姉さん、取り敢えずお茶頂戴」

「泊めてあげましょうよ、お爺さん。良い人みたいですし」

「チョロ過ぎるじゃろ婆さん!? お茶菓子も上等なの用意してるし!?」


 お爺さんが騒ぎ立てるのにはまるで気にも留めず、男性はお茶を受け取ります。


 結局、彼は一晩どころか次の日も、その次の日も泊まって行ったのでした。





 それから、一月が経ちました。


「姉さん。掃除終わったぞー」

「ありがとう、鶴助さん。助かるわぁ」


『鶴助』と名乗った中年男性は、意外な程に働き者でした。毎日毎日、年老いた二人のため、身を粉にして働いてくれました。


「じゃあ次は、姉さんの心の掃除をしようか。爺さん色に染まっちまった心を洗い流し、俺色に染めるために……」

「鶴助さん……」


「させるかぁっ!! 今帰ったぞ婆さん!!」


 二人の間に満ち始めた禁断の空気を切り裂くように、町へ出掛けていたお爺さんがズバァンッ! と戸を開きながら叫びます。余程急いで帰って来たらしく、ゼエゼエと肩で息をしていました。


「あ、あら、お爺さん、お帰りなさい。早かったですね」

「微妙にガッカリしとるのはワシの気のせいと言う事にしておこうか。喉が乾いたから茶をててくれ」


 不機嫌そうに、お爺さんが言いました。


「ああ、帰ったか爺さん。……それで、どうだった?」

 鶴助が片笑みで尋ねます。結果を見透かしているような言い方に、お爺さんは軽く鼻を鳴らしながらも、


「……ああ、高値で売れたわい。それも、完売じゃよ。一体何なんじゃ、お前さんがった布は?」

 賞賛と疑問の入り混じった呟きを口にします。


 朝方、鶴助から「これ織ったから、町行って売ってみ?」と布を手渡された時、お爺さんは目を疑いました。これほどまでになめらかな手触りと気品ある光沢を持った布は、初めて見たからです。


 実際、町へ行ってこの布を売りに出したところ、人々から絶賛の声が続出し、あっという間に完売してしまいました。


 結果お爺さんの手元には、大金が残りました。嬉しいと言うよりも、むしろ戸惑いの方が強く感じられました。


「まあ、良いだろ。それよりも頼んどいた通り、糸買って来てくれたか?」

「……この通り、買って来たわい」


 腑に落ちないところはあるものの、この様子では聞いたところで教えてはくれないでしょう。風呂敷に包まれた糸を差し出しながら、お爺さんは言いました。


「おう、ご苦労さん。じゃあまた布を織ってやるから、部屋借りるぞ。織ってるところは絶対に覗くなよ。いいか、絶対だぞ」


 そう念押しして鶴助は、機織はたおり機を置いてある部屋へと歩を進め、ピシャリと障子戸を閉じてしまいました。






「……ううむ、やはり気になるわい」

 鶴助が部屋に篭って一時間。すっくと立ち上がりながら、お爺さんは言いまし

た。


「お爺さん、そんなに気になりますか? 鶴助さんの歌」

「そっちじゃなくてだな、婆さん。……いや、そっちも相当に気になるが」


 規則正しい機織りの音に混じって聞こえて来る自作ソングに、お爺さんは顔をしかめます。しかも、聞き取れる歌詞の内容が『これが許されない愛だとしても』やら『風が散らせどなお咲き乱れる恋心』やらで、お爺さんの心にさざ波を立てまくるのでありました。


「とにかくじゃ。鶴助が織った織物の出来は半端ではない。第一、何故鶴助はワシ等の家に居座る? 色々と助かっとるは事実じゃが、そもそもの動機が分からん」

 抱き続けていた鶴助への疑念を、お爺さんは吐露します。


「まず知りたいのは、何故あいつが機織りをするのを見られたくないのか、じゃ。こっそりと覗いてみよう」

「確かに気になりますね。まあミステリアスなところも良いですが、あたしも知りたいですわ」


 お爺さんを追うように、お婆さんも立ち上がります。向かう先はもちろん、鶴助が機織りをしている部屋です。


(婆さん、大きな声を出すんじゃないぞ)

(ええ、分かっています)


 ヒソヒソ声で確認し、お爺さんはそっと障子戸を開けます。指一本の幅程の隙間から、二人が片目を覗かせ――


(な……っ!?)

(つ……鶴助さん!?)


 予想だにしない光景が視界に写り、お爺さんとお婆さんは思わず息を飲みます。


 機織りの前に居たもの。それは人間ではなく、一羽の鶴でした。


 鶴は己の羽毛をクチバシで抜き取りながら、それを糸の間に挟んで織り込みま

す。その合間を縫っては器用に口を動かし、自作ソングを歌い上げています。


 その声は、間違いなく鶴助のものでした。


(まさか、鶴助の正体が鶴じゃったとは……。取り敢えず、覗いとるのがバレん内に、立ち去ろうか)

(ええ、そうですね。それにしても、鶴の姿も魅力的ですね……)


 動揺を抑えながら、二人は静かに立ち去ろうと――


「……『例え爺さんと刺し違えてでも、姉さんへの愛を貫き通してみせる』……」

「じゃあやってみろやコラァッ!!」

「鶴助さん……っ!!」


 ――しましたが、出来ませんでした。お爺さんは憤激の突き動かすままに、お婆さんは感涙が頬を濡らすままに、障子戸を開け放ちました。


「なぁっ!? 絶対に覗くなよって言ったのに、何開けてんだよ!?」

 完全に不意を突かれた様子で、鶴助が叫びます。慌てた拍子に翼をバタバタとあおがせ、床に散っ

ていた羽毛が宙に舞い上がりました。


「うるさいわ! ……まあ色々と言いたい事もあるが、それは置いておくとして。どう言う事じゃ鶴助。何故、正体を隠してワシの家にやって来たんじゃ?」

 深呼吸で強引に怒りを吐き出し、お爺さんは尋ねました。


「……まあ、この辺が潮時だな。爺さん、これに見覚えはないかい?」

 そう言って鶴助は、脇に置いてあった手ぬぐいをお爺さんに差し出します。


「これは一月前、ワシが怪我した鶴へ包帯代わりに巻いた手ぬぐいじゃないか。お前、まさか……?」

「そのまさかだよ。俺は、その時あんたに助けて貰った鶴なんだ。あの後すぐに鶴ネットワークを駆使して、爺さんの住所を調べたんだ。恩返しをしないと鶴がすたるって思ってな」

「でしたら何故、鶴助さんは人間の姿で家に来たのですか?」

「それは、人間の姿の方が手伝いとかしやすいからだよ姉さん。料理とか洗濯とか、鶴の翼じゃやり辛くってしょうがない。機織りは、羽毛を使いたいから鶴の姿に戻ったんだよ」


 一通りの真相を語り終えた鶴助は、大きく溜め息を吐き、


「……まあ、俺が鶴だって事がバレちまった以上、俺はもうこの家には居られな

い。今すぐに出て行くよ」

 寂しそうに言いました。


「そんな、鶴助さん!? あたしは鶴助さんが人間だろうと鶴だろうと、構いやしませんのに!!」

「ありがとうよ、姉さん。だけどこれは、鶴業界の掟なんだよ。『自分が人間に化けられる鶴だとは気付かれてはいけない。気付かれた時は、それ以上その人間の近くに居てはならない』……ってな」


 そう言って鶴助は二人の間を通り抜け、出入り口へと進みます。そして、戸をカラリと淋しげに開け、夕日の元にその身を晒しました。


「恩返しはここまでだ。じゃあな、二人共」

 お婆さんが止める間もなく、鶴助は翼を広げ、羽ばたかせます。


 そのまま鶴助は、暮色に染まる西の空へと向かって、飛び立って行ってしまいました。


「鶴助、ありがとう。お前の恩返し、決して忘れんからな」


 泣き崩れるお婆さんの肩を優しくさすりながら、お爺さんは夕日に重なる影を何時までも、何時までも見送るのでした。






 翌日。


「つー訳で改めてよろしくな、爺さん姉さん」

「……どう言う訳か、キッチリ説明して貰おうじゃないか」


 平然とした様子で二人の前に立つ人間の姿の鶴助に向かって、お爺さんは眉間にシワを寄せてそう言いました。


「いや何、鶴業界抜けて来た」

「抜けられんの!?」

「そりゃ、退界手続き取ればな。……それよりも」


 鶴助は、両目に涙を湛えるお婆さんへとその視線を移し、


「これで、鶴業界の掟に縛られる事もなくなった。だから俺は、またこの家に厄介になるよ。今度は爺さんの恩返しのためなんて言う下らない建前なんかじゃなく、姉さんを幸せにするために、な」

「鶴助さん……っ!!」

「テメェ覚悟は出来てんだろうなコラァッ!?」


 心のままに鶴助にすがり付くお婆さんの声と、怒声と共に鶴助に殴り掛かるお爺さんの声が、朝焼けの空へ溶けて行きましたとさ。


 めでたし、めでたし。


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