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第二十二話 : Fight, or Flight, or

シリアス回二話目になります!


書いては直しでなんだか悩み中……。

 


 おれは街の中央通り、通りの中でも最も規模の大きい通りを走っていた。

 あらかた避難は終わったようで、今はギルドに向かっている。


 昨日に一昨日とバザールで賑わっていた通りは、もう人もほとんど残っていない。

 ……いや、残られてても困るけど。


 そして、この危険な環境下でも残って露店をまだ開こうとしている命知らずな人を引き止めるのが、ついさっきまでおれが行っていた仕事だった。


 魔素侵蝕は長時間魔素の濃い地帯に居ると発症する病気。防ぐ方法も限られているらしい。


 罹ると最悪、体組織が破壊され、出血こそ症状には無いものの人体が機能を維持できなくなるそうだ。

 向かうところは、死。


 フランさんもすぐに運んだからあの程度で済んだものの、あれ以上に時間が経過してしまうとどうなっていたか……。

 あまり考えたくない。


 外に居る人達がそうなってしまう前に、すぐに一本横の通りにあるエマさんの施療院、もしくは他の最寄りの院に避難させてくれとのお達しだ。


 まあもう一つ、自分自身が少しでも不調を感じたらすぐに戻ってくること、という指令も出ているのだけれど。指令というか厳命だ。

 今の所どこもおかしくなった様子はないから、まだ大丈夫だろう。


 しいて不調と言えば『ダッシュ』の使い過ぎによる疲労感ぐらいか。

 こちらは単におれのSP(スキルポイント)の低さによるものだ。

 それはそれで悲しい。


 そうして通りを北上しつつ、開業しようとする幾つかの店を必死に縋り付いて足を舐め回さんばかりの勢いで引き止め気味悪がられ、それでも紫色の薄気味悪い空の下を走っていたのだ。


 変人扱いやむなしだ。


 ……でも、人命が救えるなら……!!


 というのは置いといて。


 ついちょっと前にもこの状況で開店しようとしていた人がおり、例の如く魔素にやられて倒れ、他の人が集まっていた。

 倒れていたのは、グラサンにドレッドヘアという、およそファンタジーらしくない格好をした怪人物。周りには散乱した果物。


 どう見ても知り合いだった。

 というよりファンキーさんだった。


 そして近寄り、おっかなびっくり確かめてみると、取り敢えず無事な事が判った。

 危険な所と言えば、やはり魔素侵蝕の症状が出ていることと、サングラスにヒビが入っていたことくらいだ。

 あと、ちょっとヨダレが出てて両手に梨を握っていたことくらいだ。

 ……別の意味で危険な人物に見えたなんて絶対に言えない。


 顔を近付けると、丁度ファンキーさんの意識が戻った。


「ハッ、ここは……?」

「起きた! ファンキーさん!!」

「ボーイ……! そして、辺り一面のフルーツ……。

 つまりここは果物が一杯のアノ世……?」

「なぜおれを殺した!?」


 縁起でも無いことを言わないでほしい。


「ボーイ、後を……頼む…………ウブッ」


 それだけ呟いておれに、握りしめていた梨を意味なく渡し、ファンキーさんはまた気絶してしまった。

 代わりにこの状況下で果物屋を開けという事だったのだろうか。

 ムチャ言うな。


 その頼みはさっくりと無視して、だいぶマズい所まで症状が進んでいたようなので、周りの人に施療院にファンキーというより寧ろアナーキーな彼を運んでもらい、おれはそれを見送った。


 受け取った梨は手汗ですげえ湿っていた。


 どうしようコレ。

 梨なのにラ・フランスみたいに水っけが多いよ!


 周りに集まっていた人達は、実際にはファンキーさんの開業を引き留めようとしてくれていたらしく、避難することを薦めていたそうだ。

 何やってんだファンキーさん。


 見送る際、彼らの内の一人が気になることを言っていた。


「にいちゃん、助かったぜ。

 冒険者ギルドじゃなんかの『緊急任務(緊急クエスト)』が発表されたらしーが、こっちとしちゃまず逃げねえとな…………」


 という内容。


 これを確認したかったため、今おれは中央通りの避難誘導を終えてから、ギルドに向かって来たのだ。

 このタイミングで発表された任務とあらば、今の状況と関係が何かしらある、ハズ。


 『ダッシュ』のお陰ですぐにギルドの前に辿り着いた。

 ここも他の家々と同じように、外に面する箇所はピッタリと閉じられている。


 中に入ればやはりと言うべきか、ギルドホールも雑然としていた。


 昨日まではビールジョッキが置かれて和気藹々(わきあいあい)と騒いでいたホールの横はテーブルが片付けられ、ざっと数えるだけでも十数人はくだらない冒険者が毛布の上で苦しげな表情で呻いている。


 おれは忙しく走り回るメガネさんを見付け、悪いと思いつつも呼び止める。


「係員さん!」

「はい、何でしょ……、貴方は!?」


 こちらに気付き、大丈夫だったんですかと駆け寄ってきた。

 そして律儀に、お早うございますと前置きする。


「姿を見かけなかったので、どこかに避難したか、既に倒れてしまったものと……」


 今姿が見えない冒険者は、そのどちらかの状態に置かれているとギルドは考えているそうだ。


「係員さんも無事だったんですね」

「はい、私は昨日からの当直でしたから」

「それで、『緊急任務』、ってヤツが出たって聞いたんですけど……」


 一瞬驚いたような顔になったメガネさんだが、おれに横を指し示す。

 入り口のすぐ横だ。


 そこには大きく張り紙がしてあり、こう書かれていた。



 ----------------


 緊急調査任務:『北の湖の水質調査』

 受注可能階級:銀Ⅴ以上


 首都センティリアの街中で、魔素濃度の急上昇を確認。首都北の高原に存在する湖が、魔素を多く保有する強力な魔物によって汚染された結果であると考えられる。

 水源である湖に魔素が流入したため、川から魔素が都市に移って充満している、というのが皇宮の見解である。

 原因となる魔物の存在を調査し、可能ならば討伐・排除せよ。ただ、魔素侵蝕の症状を鑑みて、受注条件は上記に加えて亜人、あるいは獣人であることが――――


 ----------------



「望ましい……。依頼者、センティリアル皇宮…………」

「そうですね。皇宮からの正式な依頼となります」

「この『亜人・獣人』って言うのは?」


 高い受注可能ランクの条件に加えて、変な項目が入っている。

 メガネさんは忙しい中、それでも丁寧におれの疑問に答えてくれた。


 亜人(デミヒューマン)とはエルフやドワーフの方達の事を差し、獣人(ビーストマン)猫人族(キャットマン)犬人族(ドッグマン)等の種族であるとのこと。


 要はネコミミやイヌミミの付いた人のことだろう。


 彼らは比較的魔素の濃い地域や特殊な環境下で生きる一族を先祖に持っており、結果、通常の人間ヒューマンから少し変化した種族らしい。

 付いている耳や尻尾などは、先祖が身体に魔素の影響を受けた結果生まれたものだそうだ。


 話すと長くなるらしいが、今回重要なのは彼らデミヒューマンやビーストマンが、『魔素過剰環境下に適応できる』という事。


 それでも性質はあくまでヒトであるため余りに濃度が高いと動けなくなるが、ある程度の濃さであれば何事もなく行動できるようだ。


 ……たった今ギルドに人が駆け込んで来たので横に避けたのだけれど、よくよく見ればその女性はウサ耳が付いていた。獣人だ。

 背に負った普通の外見をしている少年はぐったりしているのに対し、彼女は何事もないようだった。

 獣人が魔素に強いというのは本当なのだろう。

 ちなみに、その二人はすぐにヒーラーの所へ運ばれていった。


 メガネさんの説明をまとめるとそんな感じだった。

 皇宮政府もその特徴を見込んで依頼を出したのかも知れない。


 確か、街の両サイドは川で囲まれていたな。

 あの川が高原の湖から来るものならば、この街は流れる魔素に挟まれた格好だ。

 街の両側から、高濃度の魔素が蒸散して街を覆っているのだ。


 ハッキリ言えば逃げ場のない状況。

 ならば、魔素に強い人間を集めて、原因を叩いてしまう事が最善策ではある。


 でも。


 その皇宮は今何をしているのだろうか。

 原因元も加害者もそれぞれ場所は北の湖、魔物の被害によるものと判っているのに、アクションは起こさないのだろうか。


 人種の説明については淀みなく話してくれたメガネさんだが、この質問には答えづらかったようで、


「それが、宮殿の方からはこの依頼が来たのみでして……。

 あちらでも討伐隊を組むとの事でしたが、今の所何も声明が出ていないため、ギルド(こちら)でも編成を進めています」

「なるほど…………」


 もしかしたら、宮殿の方も混乱しているのかもしれない。

 あるいは、魔素にやられて騎士の人達も倒れてしまったのか。

 今は判らない。


 ただ、一つ言えることがあるとすれば。


「すると、自分達の身は自分で守る、しかないのか……」

「……そうなります」


 カッコつけてはみるものの、つまりはもう行政機関が国民を助ける望みは薄いということ。

 ある意味では無政府状態になってしまったのだ。


 すると、こちらはどうすれば良い?

 何が出来る?


 思い出せ。


 そもそもおれは、日本からやって来たんだ。

 この世界とは違って魔物はもちろん居ないが、ジャパンだって負けてはいない。


 火山、津波、台風、そして地震…………。

 発生する天災を挙げればキリがない。


 むしろ、なんでキミらそんなヤバイ場所に住んでるのと外人に聞かれちゃうレベル。

 それでも住み心地は良いんだから不思議だ。


 その日本に居た時は、どんな風に災害に対応していたっけ?


 ええと、大きな地震が来た場合は……?


「あー…………」

「どうしましたか?」


 ゼンマイ式と巷でウワサの頭を必死に回転させていると、メガネさんに不審げな顔をされる。


 まあいいか、取り敢えず聞いてみよう。


「このギルドだと、もう対策はしているんですか?」

「対策と言いますと?」

「ほら、外に出ているだけで今は危険でしょう?

 避難誘導とか何かはしているのかな、と」


 再度不審げな顔をされてしまった。

 さっきよりは若干、疑問に思っている部分が強いみたいだ。


 まだ手は打っていないのかもしれない。

 ……それなら丁度良い、かな?


 言うべきことを整理する。


「なら、まずは他のギルドに連絡は取れますか?」

「はい? まあ、亜人種の方に向かって頂ける様に依頼すればどうにか……。

 でも、どうして連絡を?」


 現代のように電話で連絡、みたいには流石に行かないようだ。


 だが、ここは連絡が取れるだけ僥倖と考える。


 おれは、ホールの横手、冒険者が集まっている所を見てから、無理を承知で頼んでみた。



「ギルドを、一般の街の人にも開放して欲しいんです」



 ……本来ならギルドはその仕組みから、所属していない人には入るのにある程度の制限がある。

 だが、今回ばかりはそうも言ってはいられない。

 閉鎖的なままでは外部の人が避難できない。


 いや、むしろ出来るなら積極的に動いて欲しい。

 なにしろ治療施設である施療院は、もう既にキャパシティオーバーを起こしかけているのだから。


 外に居ると危ない、建物の中に留まっていなければならない、すると恐らく、ここで街の人はそれぞれ自分の家で待機状態に落ち着くだろう。


 それが、一番マズい(・・・・・)


 災害時には、人が孤立してしまうことが何よりも危険なのだ。

 それだけで音信不通、安否不明と同義。


 だから提案。


 それぞれの組織が独立せず、連携して動く。

 つまり、ギルドを施療院と同じように一般に開放して街の住人を収容し、避難させる。

 出来ればこの冒険者ギルドだけでなく、街にある他のギルドや大型施設も稼働させてほしい。


 ただ街中を動くのは危険だし、獣人(?)の人たちにも手伝ってもらわなければならない。

 そうするとやっぱりある程度の人員と、情報共有が必要にはなるけど……。



 そう言い終えてから、眉間にシワを寄せて考えこむ係員さんを見る。

 討伐隊以外に少ない人員をさらに割くのは……、と難しい表情だ。


「いや、彼の案はなかなかいのではないか?」


 ――と。

 横から声が入りこむ。


 そちらを見れば、杖を付いた老人が立っていた。

 杖はあるものの背筋は張っているし、足腰も迷いがない。


 ……この人も冒険者なのだろうか。

 そのお爺さんの登場にはメガネさんも予想外だったようで。


「なっ!? そんな立ち上がって、ご加減は宜しいのでしょうか?」

わしのことはどうでもええ。

 君、今の意見は自分で考えたのかな?」


 何やら目を細めておれに訊く老人に、はい、と答える。

 エマさんの提案です、などと言うことは絶対に出来ない。


 これはおれが考えた、思いついてしまった事だから。

 あくまでも発言の責任はおれにある。と、思う。


「ただ、ムリな事を言っているなってのは自分でも思ってます。

 それでも、施療院の状態を見る限り、……もうだいぶ限界かと」


 そもそもおれの意見をギルド側が聞く必要はないのだ。

 あくまでこちらは被雇用者、しかもギルド内のランクは『銅Ⅰ』、最低ランク。


 だからおれに出来るのは、頼む事のみ。


「お願いします」


 頭を下げる。


 フランさんのお祖父さん、テルムさんはつい昨日、人々は絶対に助け合って生きていかねば、と言った。

 それを信じたい。

 少なくともおれは、それを信じる。


「ふむ、ふむ…………」


 お爺さんが、窓から外の方を見る。

 厚張りの窓は今はしっかりと閉じられ、木戸がガラスを窓枠まで覆っていて外の景色は見えない。


 だが、何を見ているかなんて誰だって判る。

 なぜって、もう外を見ても魔素以外は通りに存在しないのだから。

 街の人を無差別に病に侵す猛毒以外は。


 そうして少し考えて、こちらに顔を戻す。

 ――と、今度はメガネさんの方を向いた。


「そこの眼鏡の君、ここは一つ儂もうて良いかな?

 儂からだと伝えれば、上の階でヒマしている『鋭利な牙(シャープ・タスク)』や『緑彩』、ひょっとすると『スチールドッグズ』も文句言いながら働いてくれるじゃろうて」

「……へ!? いや、確かに貴方が頼めば大体のPTパーティは動くでしょうけど!」

「さあ、済まないが伝えてきておくれ」


 初めこそ驚いていた係員さんだったが、そう言われて気を取り直し、では行って参りますとギルドの階段を慌ただしく登って行った。


 今出てきた名前は、恐らくどこかの冒険者PTのことだろう。牙とかドッグとか聞こえたから、もしかすると獣人のメンバーで構成されるグループなのかもしれない。


 そして残されるおれと、謎のお爺さん。


「ええと、助かりました!」

「いやいや、丁度良かったからな」

「……丁度良かった?」

「若者がこうして走り回っているのに、こんな老人がただ寝そべっているのも心苦しくての。

 これ幸いと、君の意見に便乗しただけじゃ」


 そう言われても、こちらとしては大助かりだった。


 あのままおれと係員さんだけの話し合いが続いていたら、さっきのおれの提案は実行されなかっただろう。

 おれの階級ランクは言わずもがな、係員さんだって上からの通達、あるいは『緊急任務』の内容を優先しなければならなかったから。


 その点で、一声でメガネさんを動かし、幾つかのPTを動かせる(らしい)このご老人の助け舟は有難いものだった。

 ……まだどなたなのかも知らないけれど。 


 名前を聞こうとしたが、それよりも早くお爺さんの方から尋ねられてしまった。


「で、他に儂に伝えておくことはあるかな?

 あまりに無茶な事でなければ、こちらで引き受けようじゃないか」

「そうですね……、他のギルドには、魔素に強い人たちってどの程度居るんでしょうか?」

「ふむ、鍛冶ギルドにはドワーフが多いからな、それなりの数にはなるからの」


 ああ、それならスミドさんもそのドワーフ軍団に勘定されてるんだろうな。

 親方も恐らく無事か、良かった……。


 ほっとはしたが、それならおれは自分の務めを果たさなければならない。

 おれは、もう少し踏み込んだアイデアを伝えることにした。


「それなら、伝言式で連絡体制を作りましょう。

 最初はこの冒険者ギルドから人を送って他のギルドに話を伝えてから、後は他のギルドに居る亜人・獣人の方達に連絡要員に回ってもらうんです。

 ……これなら冒険者の彼らは、その後スグに『緊急任務』に参加できます」


 ただし情報の劣化を考えて、どこか一つの場所を決めてそこを本拠点にし、新しく発生した情報は真っ先にそこに伝えて、データの管理を一括で行ったほうがいいだろう、とも言っておく。


 これは伝言ゲームなんかをやったことのある方は覚えがあるかもしれない。

 あれはなかなかどうして、難しいモノなのだ。


 例えば五人が縦に並んで英単語の一つを伝えるくらいならば、内容は後ろまで上手く伝わるだろう。


 でも、その人数が十人、五十人と増え、内容も英単語などではなく、英文まるまる一つを伝えろとなったらどうだろうか?


 結果として、内容は上手く伝達できなくなってしまう。

 送電線が家まで電気を流すうちに電力が落ちてしまうように、情報だって欠けていってしまう。


 これが情報の劣化だ。


 このことが、間に幾らかの障害を挟んで話を正確に送るのは難しいという事を示している。

 たとえ忘れないよう紙に書いてそれぞれが送るとしても、そこに焦りなどの要素が入ってしまえば間違う可能性は高まる。

 あと、この世界の識字率がどうなのかも判らないし。


 だから、伝言ゲームをばか正直にやるのではなく、『情報の中心拠点』を置く。

 司令部ヘッドクォーターを設置する。


 五人が縦に並ぶのではなく、真ん中に一人、四方に四人を配置するのだ。

 これならば、末端から中心に情報を伝えるのに一手、中心から周りに伝えるのも一手で済む。


 考え方はインターネットなどのウェブ(クモの巣)型に近い。


「なるほど……。それならば、このギルドを中心に置く方が良いかもしれんな、ほぼ街の中心にある分うってつけじゃろう」

「それで良いと思います」

「了解した。他には?」


 頼もしく頷いてくれる。

 たどたどしい説明になってしまったが、しっかり把握してくれたようだった。


「特にこれっていうのはもう……。

 ……あ、グリーンベアさんとかレッドフォックスさんってこっちに居ません?」

「む? ベアとフォックスか。二人とも寝込んどるよ。今はエドの奴が看病しておる。

 ベアの方は、エマさんに治療して欲しい、なんて言っとったなあ」

「状況の割にあいかわらず過ぎる……」


 どうやら彼らは知り合いのようだ。


 そして動物コンビ、意外と元気あるなおい。

 病気で倒れといて元気そうってのもアレだけど。


 と、そこで。


「戻りました! 先の3PTに加え、あと2つ程のグループのメンバーからご協力を戴けるそうです」

「おお助かる、意外と大所帯になったな」


 若干息を切らし気味のメガネさんが戻ってきた。

 特に眼鏡は曇っていない。


「ただ、これだけ伝達の方に回ってしまうと、討伐隊の編成が……」

「それは問題なかろう、後で人が集まったら説明しよう。

 まあ、彼の意見じゃがな」

「は、はあ……?」


 こちらを見て、お爺さんが一つ頷く。


 よし、なんだかんだで話はまとまったようだ。

 これなら、街で孤立した人が居たとしても助けられるだろう。


 しかし、良く考えると一言で5つのグループを動かせるなんて、この人は何者なんだろうか?

 まるでご老公だ。


「じゃあ、後のことはこちらが仕切ろう。

 君は院に戻って、報告の方をお願いできるかな?」

「判りました」


 素直に同意する。

 用事が済んでいる今、ここでギルドにおれが残る意味はあまり無いだろう。


 討伐隊に参加するにも、ランクが余りに低いし。


 ……だから、それが最善の行動、だと思う。


「それじゃあおれは戻ります。

 係員さん、と…………」

「『じいや』でも『じい』でも構わんよ」

「お爺さん、今回は本当に助かりました」

「…………」


 なんか不服そうな顔をされてしまった。

 何故だ。


「……まあええ、外はくれぐれも気を付けてな」

「体調に異変があったら、こちらにすぐ戻ってくるんですよ。

 ギルドの連携については、なんとかやってみます」

「はい、お願いします」


 口々に身を案じてくれる中、では、とドアを開けてまた薄暗い外に出る。


「じゃあなヒカリ君、後は任せとくれ」


 そうしてお爺さんの言葉を背にドアを閉めると、外は不気味なほど静まりかえっていた。

 紫色の瘴気も心なしか濃くなっており、思わず口元を手で抑えてしまう。


 早く戻ろう。こんな所で倒れても仕方がない。


 ………………。


 あれ?


 そういやお爺さんに自分の名前、言ったっけ?









「戻りました!」


 施療院に入り、真っ先にエマさんの元へ。

 彼女は入り口すぐ近くの人を診察していた。


 一旦手を止め、こちらにやって来る。


「ヒカリ君! どうだった外の方は!?」


 言外に、ずいぶん遅かったけどどうだった、という意味も込められている気がする。


 ちなみに完全に話し方が砕けている気もする。

 まあそこは気にしない。


 確かに、本来の仕事は『通りに残っている人をここに誘導する』ことだけだったし、それにしては帰りが遅くなってしまっている。

 まずその事を話す必要があるだろう。


「通りに残っていたのは、こう……チリチリした髪の浅黒い人で最後でした」

「ああ、その人ならさっき運ばれてきたわね」


 だいぶ例えが雑だったが、なんとか伝わったようだ。

 いや、多分ファンキーな人って言っても伝わるんだろうけど。


 じゃあ、次の本題だ。


「それなら大丈夫です。あともう一つ、ギルドでですね…………」


 手早く説明する。


「…………」

「まあそんな具合で、協力を取り付けてきました」

「…………」

「え、エマさん?」


 やっぱり不味かったか?

 確かに、一人の独断でやってしまったのは問題だ。


「そんな方法もあったのね……」


 だが、予想していた叱責とは違う言葉が発せられた。


「え?」

「確かに、もうここの施療院はこれ以上街の人を入れられそうになかったの。

 そうすると、治った人から順に家に戻ってもらおうかと思ったのだけれど……」

「そ、それはダメです!」

「そうよね、この状況で外に帰すのも、気が重くて……。

 本当に助かったわ」


 なんと、感謝されてしまった。

 全く大した事はしてないのに。


 むしろやったのは勝手な行動だし、話を進めてくれたのはさっきの謎のお爺さんだ。


 取り敢えず、他の情報についても伝えておいた。

 具体的には冒険者ギルドに張られた『緊急任務』、あとはその内容から、外の空気や水が危ないという事。


「なるほど、すると外に出るのは尚更危ないのね。

 水は溜めてある水瓶とかから使うとしても、外に出るのは獣人の方以外は危険、か……」

「ですね」

「ありがとうヒカリ君、私は一通り診察が終わったら、今の事を他のシスターと話し合って来ます。

 そうしたら、フランのお爺さん達はもう院の手伝いをしてくれてるけど、君はフランの所へ行ってきたらどう?」


 はい、と答えると、エマさんはまた忙しなく元の仕事へ戻っていった。


 おれも院の入り口から離れ、人をよけるようにして奥へと向かう。

 あまりに施療院はごった返していて、真っ直ぐ目的地に着くのは難しそうだった。


 ゆっくり歩くついでに、少しまた考えてみる。


 これで取り敢えず、指示された事と思いつく手はは全て尽くした。


 皇宮のクエスト内容では、水がどうのと書いてあったからな。恐らくフランさんも井戸から汲んだ水桶でああなってしまった……、というのは想像にかたくない。

 フランさんはおれと話していた時にはもう、熱が出ていたのかもしれないな……。


 注意すべきなのは、水と、あのどうみても危険な色をしている空、つまるところ外気。


 それならば、ここを含めた街の幾つかの施療院と各ギルドの支部が街の人達を保護してくれれば、中に居る人はおおよそ安全だろう。


 それにエマさんは、暫く安静にしておけば、体内の魔素は放出されて治ると言っていた。

 少なくとも閉ざされた建物に居れば、『魔素過剰摂取』の人の病状は進行しないはずだ。



 だが、それだけだ。



 こうして室内でじっとしているだけでは、何も変わらない。

 寧ろ事態は悪くなる一方だ。


 思いだせ。

 もうこの際役に立つならコンビニ本の情報でも良い。

 前に読んだパンデミック系の本はどんな内容だった?

 話の中でどんな事が起きていた?


 なんなら他に、ゲームでも良い。

 ゾンビとかウィルスとかその類のヤツだ。


 それらと照らし合わせて、必死に今の状況を整理してみる。


 感染性こそ無いものの、誰もが罹る危険性がある『魔素侵蝕マソシンショク』。

 『魔素侵蝕』は症状が重くなれば生命を脅かす、らしい。

 つまり、既に罹っている人は外に絶対出せない。

 室内で籠城のようにして過ごさなければいけない。


 また、インフラも完全に機能していない。

 そもそも街がこうなった原因は水、川にあるらしいから。

 水も食料も溜め置きのものしか使えないから、周りの家から物資を集めるにしても限界がある。

 これが数日も続けば、いずれ兵糧攻めになる。


 そうなると、更に問題が生じる。


 『ストレス』だ。


 周りを見ると、不安げに互いに顔を見合わせて地面に座り込んでいる人々が居た。

 その近くには、必ずと言っていいほど横たわって眠る人がおり、苦しげな表情で紫色の瘴気を滲ませている。

 恐らく家族なのだろう。


 ……非常にマズい環境だ。


 ただでさえ人がぎゅう詰めになった施設で何日も置かれ、その上食料も底を尽きるとなったらどうなるか。その先に待つものはあまり想像したくない。

 自分たちの身に起こっていることも判らないままでは、しかも身内に被害が出ているとなれば、不安は高まる一方だ。


 そして密閉された空間では不安は、伝播する。


 『魔素侵蝕』はTウィルスのように周りに感染する物では無いらしいが、そのうち不安がそれに代わって感染してしまうだろう。パニックだ。


 また、この事態の原因だが、クエスト内容では、街の北にある湖が原因と書かれていた。

 だがしかし、肝心の皇宮はあの討伐隊の募集をかけたきり、動きが無いらしい。


 すると、ケビンさんやグストさんといった騎士達が調査隊を編成して湖の方へ向かう、といった事もまだ行われていないのだろう。

 動きが遅い、というより向こうも混乱しているのかもしれない。


 つまり、まとめると。



 都市は現在機能していない。



 必要物資の補給は出来ない。



 患者を放置する事も絶対に出来ない。



 施設から普通の人が出るのもマズい。



 行政機関である宮殿も動く気配なし。



 …………。


 こんなの不幸な出来事なんてレベルじゃ無い。

 絶望的だ。悪い夢みたいだ。


 そしてその中でも。


 とても幸運なことに。

 ――――ある意味ではぶっちぎりで不運なことに。


 おれは、被害に遭わずに『済んでしまった』。


 どうすれば良い?


 周りの人が苦しんでいて、自分だけが無事だ。


 一体おれは、何をすれば良い?


 そうぼんやりと考えていた時、近くでうぇええーーん、と声がした。

 目的の方向とは反対側の端に来てしまっている。

 そこで、子どもが泣いていたのだ。


 その側には横たわる女性。顔立ちが似ているから恐らく母親だろう。


 子どもの周りには他に知り合いらしき人が見当たらなかったので、一番近かったおれがそちらに向かった。


 小さな子の前でしゃがみ込む。

 そして、出来る限りの優しい笑顔を作り、問いかける。

 目標はめざせフランさんだ。

 あのほにゃっとした表情を見習う時だ。


「どうしたの?」

「おかあさんが、おかあさんが……」


 泣きじゃくりながら言う。

 やはり子ども一人では不安だったのだろう。

 親が倒れていれば尚更だ。


「きっと、お母さんはすぐに治るよ。

 それより男の子なんだから、こんな所で泣いちゃダメだろ?」


 これは事実。

 ちょっと前まで外に居た人やさっき運ばれて来たファンキーさんより、取り巻く瘴気が薄いからな。

 苦しそうな表情もしていないし、魔素の侵蝕もきっと軽症で済んだのだろう。


「でも…………」


 それを聞いてもまだ涙ぐむ。

 だいぶ泣き虫なちびっ子のようだった。


 なんとも気概のない、おれが小さな頃は、上級生に絡まれても、母親に蒸発されて3日後マグロを一匹丸ごと背負って帰って来られても、露出狂の知らないおじさんに目の前でオープンザプライスされても決して泣かなかったぞ!


 と言おうかと思ったがやめた。

 言ったところで誰も得しない。


 むしろおれの方が泣いていい気がしてきた。


 代わりに、しゃがみ込んで少年に近付く。

 お母さんの病気を治すことなんてムリだけど、気分を紛らわせることくらいならおれにも出来るだろう。


「じゃあほら、ちょっと見てな?

 お兄ちゃんが今からスゴい事してあげよう、もうドッキドキのワックワクだよねってなるから!」


 間を取りつつ注意を引く。


 そして、右手をグーサインにして、親指を口で咥え……。


「さーて、この親指が……? ほぉい(そぉい)!!」


 左手のグーサインと素早く取り替える!!


 そう! 


 通称『なに……!? 親指が一瞬で伸びた、だと……!?』だ!

 名前長いな!!


 だが、この手品なら小さい子にウケることは必至!


 さしものちびっ子でもこれを見れば


「ぼくそれ知ってる。手をかえただけでしょ?」


 ダメだった。

 真顔のリアクションだった。


 涙なんて引っ込んで至極冷静に返された。


 おれの方が泣きそうだ。


 なんてこった……、少なくともヨシヒコには大好評、「おっ、おいなんだよソレ! ヒカリ、実はマジシャンだったのかよ!!」ってなったのに……!


 ちなみにその時のおれ達は高校一年生だった。


「ちくしょう、ならこっちは!?

 ホラ、親指が取れ」

「こうでしょ? うしろの手がみえてるよ」

「…………」


 ダメだった。

 むしろ、彼の方が上手かった。


 ちびっ子に見本を示されてしまった。


 そうさ! おれは不器用なのさ!!


「はあ……、早くおかあさん、なおらないかな……」


 泣くのをやめておれを養豚場から出荷されるブタを見るような目付きで見た少年が呟く。


 ま、まあ……泣き止んでくれたから結果オーライだよな……。


 別におれが涙ぐんでたりとかしてないし?

 らんらん、とか思ってないし?


「さっき言った通り、きみのお母さんはすぐに治るから、大丈夫だよ」

「でも、外に出たらあぶないんでしょ?

 シスターさんがいってたよ」


 口を尖らせて言う。

 一先ず、この子の注意は母親の安否から、外の状態へと移ったようだった。


 ……よし。

 これなら取り敢えず、もう泣く事はないかな?


 それなら、おれの役目は終わりかな。



「あーあ、ゆーしゃさまがいたら、こんなのすぐにかいけつしてくれるのになあ……」



「――――――!!」


 危うく声を上げそうになるのを堪えた。


 何気なく言った幼い子の言葉に、不意打ちぎみにに出てきたその単語。

 やたらとその単語だけが、おれの耳に残った。


「……ゆ、勇者?」

「お兄ちゃんしらないの? すごいんだよ、ゆーしゃさまって!!」


 そして少年は呆然とするおれをよそに。


 むかしむかしにこの世界を救った勇者はどんなに凄いのか、カッコ良いのかを目を輝かせて身振り手振り熱っぽく語る。


 きっと美化も入ったその話は、隣の母親から童話として読み聞かせてもらった物語なのだろう。

 それは輝かしい活躍、勇猛果敢な人柄、どんな危機でも解決してしまう偉人(イジン)の英雄譚。


 彼はさっきの表情とは一転、とても楽しそうな表情になっている。


 だが、それと対照にこちらの表情は暗くなっていくのが自分でも判る。


 おれ自身は見えないが、恐らく酷い顔をしているだろう。

 胸が、あるいは首が、締め付けられるようだ。


 その時、エマさんがこちらにやって来た。


「あ、エマさん!」


 先にちびっ子の方がそれに気付く。

 彼女はおれを見て、それから彼を見て、不思議そうな顔をした。


「こちらから泣いている子が居る、と聞いたので……」

「ないてなんかいないよ、ぼく!」

「あら。そうね、トリー君は良い子だからねー。

 それじゃあ良い子にしてるトリー君には、このアメをあげちゃおうかな?」

「うん! ほしい!」


 きっと泣く子をあやすために持ってきたのであろう、アメを一つ渡すエマさん。

 甘い物はどの世界でもご機嫌直しに優秀なアイテムであるようだった。


 ちびっ子ことトリーくんはそれを嬉しそうに受け取って、すぐさま口に放り込む。


「ヒカリ君、フランにはもう会った?」


 疲れている様子を見せずにそう話すエマさんは、強い人だと思う。


 その点おれなんかは駄目だ。

 これで、嫌な話題から逃げられる、なんて思ってしまった。


 さっきまで泣いていた少年に、またな、と言うのが精一杯だったのだ。



 おれは歩くところも無いくらいに街の人々がひしめき合う中を、ゆっくりと歩く。

 人にぶつからないためにゆっくり歩いている、なんて言い訳にもならない。

 歩みが遅いのは、別の理由。


 さっきのトリーくんの言葉を考えていたのだ。


 もちろん『ゆーしゃさま』の事。


 『勇者』。


 異世界に、おれは勇者として魔法陣から召喚され、地球から飛ばされてきた。

 この国の皇帝という民のトップに立つ地位の人にも『勇者』として扱われた。


 勇者としてばれ、勇者と呼ばれた。


 でも、施療院に居る少年の言う『ゆーしゃ』はおれではない。


 こんな所で立ち竦んで、うだうだと悩んでいる人間を、勇者だなんて誰も呼ばない。

 ステータスも正式な武器も心構えも無い宮殿からも放逐された人間を、勇敢な者だなんて誰も思わない。


 本当にここで、この事態を解決してくれそうな人を挙げるとすれば、それはおれを除いた他の三人の元の世界の日本人だ。


 語歌堂さん、優也、平野くん。


 『勇者補正』を持っている彼女達なら。

 こんなへぼなんかよりは余っ程、英雄足る資質を持っていることになる。


 ただ、今のところ彼女らの居る宮殿からは、何の音沙汰もないけれど。


 それとも。


 おれが行くべきなのだろうか。


 宮殿からの解決案が出ない今、街を救わなければならないのだろうか。

 クエストにあった強大な魔物を倒しに行かなければならないのだろうか。


 ……そういや、もしかするとおれのステータスにある運の悪さは、周りの人や物にまで影響を及ぼしたりするんだろうか?


 それで、街の人がこんな目に遭わなきゃならなかったのか?


 得体の知れない病気に罹り、苦しまなきゃいけなかったのか?


 ならヒカリ、簡単だ。

 自分のまき散らした不幸の責任を取って、北に向かうべきだ。


 強力な魔物が出るが、それでもお前が戦え。


 自分で起こした事態なら、自分で収拾をつけるしかないだろ。


 だから…………!


 …………。


 嫌な方向に思考が偏ってる。

 これは、良くない。


 そして、のろのろと歩いていても遂に着いてしまった。

 施療院の石のベッドの中でも、奥に近い場所。


 その手前の床に敷かれた毛布には、苦しそうに目を閉じて眠る栗毛の女性。

 毛布越しにも紫色の瘴気、魔素が取り巻いているのがハッキリと判る。


 おれは、彼女の近くに座って、石畳の上に胡座あぐらをかいた。

 隣に置かれた二つのイスには誰も居ない。


 ここだけ妙に、喧騒が遠かった。


 そういやお祖父さんとお祖母さんは、シスターの手伝いに入っていたんだったな。


 額に載っていた濡れタオルを取ると、だいぶぬるくなっていた。

 近くにある水桶に浸してから絞り、また額に載せなおす。

 この水は、院内の水瓶から取ってきたものと聞いているから、大丈夫だろう。


「………………」


 これが、おれがゆっくり歩いていたもう一つの理由。


 フランさんに、会いたくなかったのだ。


 ……いや、違う。


 おれに、合わせる顔がなかったのだ。


 昨日までの穏やかな表情は、今は見る影もない。

 彼女もまた、魔素侵蝕の影響を受けているから。


 でも。


 なんでフランさんがこんな目に遭わなきゃいけないんだ?


 誰でも罹りうる病気なら、運勢値(ラック値)が0でダントツに不運な、おれが罹れば済む話じゃないか。

 なんで彼女なんだ?


 おれのシャツなどの洗濯を朝早くからしていたがために、水に触れる機会があったからだろうか。

 じゃあ尚更、おれの所為じゃないか!


 既に起きたことを悔やんでも意味がないのは判っているのに、それでもそう考えるのを止められない。

 なんだか、こうして自分だけが無事なのが申し訳なくて。


 せめて苦しさが薄まるようにと、ふとフランさんの髪に手をやり、撫でる。


 たぶん、優しいお祖父さんやお祖母さんなら、小さい頃のこの人がカゼなんかをひいた時には、こうしたかも知れない。

 おれにその資格があるかは判らないけど。


「ん、う…………」


 と、本当に表情が和らいだ。


 眉間によっていたしわが解けたのだ。

 心なしか、ほんの少し血色も良くなっている。


 そのまま、薄く目を開く。


「ふ、フランさん?」

「…………ヒカリ?」


 上げようとした声を慌ててひそめ、呼びかける。

 ついでに手を素早く離しておく。


「ここがどこか判りますか!? 今は、」

「……大丈夫、なんとなく判るからー。

 外が大変なことになってるんでしょう?」


 やんわりと留めて、先に言う。

 消耗した状態でも相変わらず勘というか、察しの良い人だ。


「きっとすぐに外も元に戻りますから、フランさんは自分の静養に専念してください」

「そうねー……」


 なんの根拠もなくそう言って、彼女を安心させようとする。

 こうでもしないと、この人は起きようとしてしまうだろう。

 施療院にいる患者の中でも、症状は重い方なのに。


「……じゃあ、これだけ。ほらー」

「……ん?」


 はい、と毛布の下から腕を出して、麻布の切れ端を手渡された。

 よく見れば近くには、インクを付けて書くタイプのペンが置いてある。


 近寄って受け取ると、フランさんは無理して微笑んだ。

 そして、おれの頭に手をぽんと置く。


「街の東の門を出て、道をずっと歩いて行きなさい。

 もちろん魔物には注意して、ね?」


 ……いきなり、何の話だ?


「それで着く街の砦に行って、『レイクーンに言われて来た』って伝えてね」

「え、い、一体どういう意味で……」

「そうしたら、その砦にしばらく置いてもらえるはずだからー……」


 けほん、と咳き込む。


 ようやく合点が言った。

 つまり。



 逃げろと言っているのだ、おれに。


「…………判りました」



 心配をかけたくない気持ちから、言葉が勝手に出る。


 それを聞いて、フランさんはおれの頭を撫でていた手を離した。


「うん、いい子いい子ー。

 やっぱり小さい弟は素直でなくっちゃ……」


 いや、おれは弟じゃないです。

 しかも二十歳だし……。


 ――――とは、返せなかった。


 だってもう、フランさんはまた眠ってしまったから。


 昏睡状態に戻ってしまったから。


 次に目覚めるのは、いつになるかも、判らない。


 緩慢な動きで、受け取った布きれを見る。

 そこにはインクで簡潔に、こう書いてあった。



 『の者はレイクーン家の重要な客人である。そちらのティルシールドの砦にて保護して戴きたし。     フランシスカ・レイクーン』



「…………」


 受け取ってしまったものは、もう見なかったことには出来ない。



 この絶望的な状況下。

 ここで待機していても、変わることのない環境。





 だから、決めなければならない。




『たたかう』べきか。




『にげる』べきか。


 

嫌な夢ほど現実になりやすいのです。


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