美しい花には棘がある④
彼女に出会ってから、どれほどの時間がたったのだろう。
そんなに時が流れたわけではない。
江川樹里。弦音がこの山有高校に入学したその日。教室の中に彼女がいた。友達と楽しそうに笑っている彼女の姿がまぶしく思えたのを覚えている。
一目ぼれ。
そんな言葉がふさわしいのかもしれない。弦音は一瞬でくぎ付けになったのだ。もちろん、そのころはまったく自覚はなかった。同じクラスでいつの間にか仲良くなった友達にすぎなかったのだ。
二年でも同じクラスになった。
樹里は「またあんたと同じクラスなのお」と嫌味ったらしく言ってきたのだが、別に彼女は嫌が停るわけでもなかった。
弦音のほうはというといまにも踊りたくなるほどにうれしかったのだが、それを口に出すわけにもいかず、「その言い方しなくてもいいだろう。俺だって好きで一緒のクラスになったわけじゃないよ」と言い返した。
すると、「その言い方のほうがひどくない」と彼女はむくれみせるがすぐに笑顔を浮かべていた。
ああ、かわいいなあ
内心そんなことを考えながらも笑うなと拗ねてみたりする。
そして、一学期が終わろうとするころに文化祭実行委員についてのクラスでの話し合いが行われた。
立候補がいなかったためにくじ引きということになったのだ。
最初に当たりを引いたのは弦音だった。紙切れに書かれた『あたり』という文字に絶望感を
を覚えたのはいうまでもない。
肩を落としていると、
「ああ、私当たっちゃったわ」
樹里の声で弦音は顔を上げて彼女のほうを見た。彼女は助けを求めるかのように麻美へ視線を向けていた。
「じゃあ、当たった人は手をあげてくださーい」
学級員の言葉で弦音と樹里が手ほ上げた。、
「げっ、なんだ。杉原とかあ」
一瞬、樹里といっしよに文化祭実行委員ができるということを喜んだ弦音の心に彼女の言葉がぐさりと貫いてくる。
「そ……そんな言い方ひどくねえ?」
「だって、杉原ってたよりないもの」
「樹里。そんなことないと思うわよ。一応、男の子だし……」
「一応はないよね。西岡……。フォローになってねえ」
「一応はいちおうよ」
そういいながら、麻美は弦音のほうへ近づくと耳打ちをする。
「もう少し、男にならないとね。そうでないと、振り向いてくれないぞ」
その言葉になにも言えなくなった。
頼りない人間。
そのことは自覚しているつもりだ。
家では妹に「しっかりしなさい」と言われるし、部活でも部長という立場でありながら、後輩にいいところを見せることができないでいる。
部長になったのも、ただ三年生が引退して、二年生が弦音しかいなかったからにすぎず、いまいち的に当たらない弦音の矢を見ている後輩から言わせれば、「先輩にならっても。僕らがうまくなるわけじゃない」と言われてしまうという具合だ。
樹里に対してもどうも空回りしているじ、このまま気持ちを告げたら振られてしまうのも目に見えいる。
男見せないと、彼女に振り向いてもらえないことなんて、言われなくてもわかっていることだった。
届かないんだ。
手の伸ばし方のわからない弦音には、彼女の手をつかむ手段をしらない。
「助けて……」
声がする。
彼女の助けを求める声。その声ははっきりと自分の名を呼んだ。
あの花の化け物に飲み込まれそうになったときに目に入ったのがたまたま自分だっただけなのかもしれない。
他の誰かだったら、その名を呼んだのだろう。
自分だからならいい。
他の誰でもない。
助けてほしいと願ったときに彼女の脳裏に最初によみがえるのが自分だったらよいのにとさえ思う。
けど、いまはそんなこと考えている場合ではない。
彼女がいる
彼女は確かに助けを求めているのだ。
「江川」
弦音は叫んだ。
蔓にからまれて飲み込まれてしまった彼女を助けようと、化け物のほうへと駆け出そうとした。しかし。それを阻むかのように蔓が弦音に襲い掛かろうとする。
届かない。
その前に自分が死ぬかもしれない。
恐怖が襲う。
救えない
あんなに助けを求めているというのに救えない。
「うわわわわわ」
弦音の口から洩れる声は悲鳴だ。
恐怖の声だけが響かせている。
そのときだった。
バイクのエンジン音が近づいてくることに気づいた。
同時にバイクの影が弦音のすぐ正面に現れ、弦音に絡みつこうとしていた太い蔓がちぎれていくのが見えた。
バイクが体当たりしたようだ。
蔓はそのまま地面へと落ち、砂埃ののように消えていく。
「ぎゃああああああ」
なんとも言えない悲鳴が蔓の落ちた場所から鼓膜を破るほどの音量で枇々木渉。
バイクが急ブレーキをかけると、180度回転して止まる。
「有川さん?」
バイクに乗っていたライダーがヘルメットを取ると、それを投げ捨てた。
その瞬間にライダーが有川朝矢だということを理解した。
朝矢は弦音を一瞥すると巨大花のほうを睨みつける。
無数の蔓が今度は朝矢のほうへと勢いよく伸びていった。
近づこうとする蔓は朝矢が腕を一振りした瞬間にちぎれて消えていく。
砂のように消え去る蔓の代わりにさっきまでなにも持っていなかったはずの朝矢の両手には二本の刀が握られていた。
「邪魔するな」
花から声が漏れる。どす黒く憎悪に満ちた少女の声。
樹里ではない。聞いたことのない声は、もう少し幼い感じがする。
本体が彼を見ている。
蔓がうねりながら彼へと延びていく。
「ねえ、トモ兄。それでいいの?」
すぐそばから声がした。
弦音が振り返ると、子供がすぐそばにいた。
弦音はぎょっとする。
「ああ、大丈夫だ。すぐに終わらせる」
「うん。まかせておいて。早くやっつけちゃってねえ」
子どもがのんびりした口調でいいながら、化け物を見上げる。
「ああ、そいつを頼む」
「いいよ。そういうことで、お兄ちゃん、逃げるよ」
「えっ? えっ? でも……」
子どもが弦音の裾を引っ張った。
「だめだよ。凡人がここにいても邪魔になるだけだよ。ほーら、安全なエリアに避難しないと」
「けど……。というか、君だれ?」
子どもがなにか含んだような笑顔を浮かべる。
「僕はナツキだよ」
「ナツキ?」
「そう。僕はとうさんのところのナツキ」
意味が分からない。
とうさんってだれだ?
普通に考えたら、この子供の父親。
そんなことはどうでもいい。
「そんなことできない。あそこには、あの中に江川がいるんだ。助けを求めている」
樹里がいる。
あの中に彼女がいるのだ。
助けを求めた。
自分に助けを……。
弦音は子供を振り切って、化け物へと駆け出そうとした。
しかし、蔓がそれを阻もうと襲い掛かる。
こんなものに邪魔されるか。
問答無用。
どうなってもいい覚悟で突っ込もうとする。
「お兄ちゃんじゃ、敵わないよ」
蔓が弦音に絡みつこうとする。
すると、ナツキと呼ばれた子供が自分ち蔓の間に割り込むなり、もっていたバットで蔓を思いっきりなぐった。その瞬間、蔓が怖気づいたように遠ざかっていく。
「うーん。まあ今の僕でもだめだけどね。払いのけるのが精々ってところかな」
ナツキがいった通り、蔓が再び迫ってくる。
「トモ兄、きりがないよ。早くやっちゃって……」
「ダメだ。あの中には江川が……」
「お前。ごちゃごちゃ、うるせえよ」
朝矢は蔓を蹴散らしていく。
「ようするにその江川ってやつを助ければいいんだろう?野風、飛べ」
直後、右に握り締められていた刀が狼の姿へと変わる。
それは弦音の眼にもはっきりと移った。
朝矢がその背中に乗ると、狼が蔓の上へと飛び上がる。
そのまま、花のほうへと駆け登っていった。
「なっ……なんだよ。これ?」
「あれはね。トモ兄のお供だよ」
「はい?」
子供が無邪気に笑う。




