かぐら骨董店の祓い屋は弓を引く

矢が射抜く一輪の花

背後に迫る影④

うそだろう。

　そんなことがありえるのか？

　いや、ありえなくはない。

　会議室を出た弦音は何度となく自問自答を続ける。

　でも、そんなそぶりは全くなかった。

　むしろ、他の女の子たちがさわいでいる中で、彼女だけは興味なさげにしていたではないか。

　でも、さっきの彼女は明らかに秋月を意識していた。

　秋月を亮と呼んだときの彼女の口調は嫉妬をおびていなかったか。

　何度問いかけても答えがでるわけがない。

　弦音はすっきりしない気分をかき消すかのように頭をクシャクシャにした。

　いやいや

　待てよ。待てよ。

　いままではフェイクだったのか。

　興味がないとみせかけて、実はずっと恋心を抱いていた。

「あっ、でも、そうだよなあ。亮太郎が江川を好きだとはかぎらない」

　そう言い聞かせるものの、どうもモヤモヤする。

　この苛立ちをどうすればいいのだろうか。

　このまま、自分は終わりを迎えてしまうのだろうか。

　足は自然と弓道場へと向かう。

　時刻は一時半。

　すでに部員たちの姿はないはずだ。

　13時きっちり終了するのがわが部。居残り練習するものはいない。だから、いくらたっても弱小だと呼ばれるのだ。

「あれ？」

　弓道場のほうから音がしてくる。

　もう13時過ぎている。部員たちが残って練習をしているはずがない。それなのにシューッと矢が放たれる音。的に当たる音が聞こえてくる。

　そういえば、だれかがいっていた。

　矢を放った時の音だったのか。的に当たったときの音なのか。

　はっきりと覚えていないが、それを『ツルネ』というらしい。

　自分の名前と同じ呼び方をすると知って、なんとなく自分に合うのではないかと高校に入学するとすぐに入ったものの現実は違っている。

　あきらかに名前負けをしているものだ。

　音が響く。

　けど、いい音だ。

　弦音はそう思った。

　弓道を始めてわずか一年足らず。そほど詳しくないのだが、感覚的にいま弓を引いている人はけっこううまいのではないかと思った。

　堂々たる音、

　けど……。

　おかしい。

　だれもいないなはずだ。

　果たしてだれか来るいっていたのだろうか。

　少し考えたのちに先輩の言葉を思い出した。

　最近、弓道場で幽霊が目撃されること。怪奇現象が起こっているという噂だ。

　部員の中にも何人か遭遇したことがあるらしいが、あいにく弦音には経験はしたことはない。

「幽霊がでるそうよ」。

　生まれて17年。霊といった類とかかわった経験もないし、自分に霊感というものがある可能性はない。

　一度ぐらい見てみたいと思ったころもあったが、もう高校生もなって夢物語のような話を信じるほど純粋ではない。

　けれど、今回は違う。目撃情報がいくつもあるというのだから、もしかしたらという気持ちがある。一度、後退した。すぐに足を進め、扉を開ける前に一度深呼吸をした。

　ゆっくりと扉を開く。すると、靴が3つあることに気づいた。

　一つは弓道部の顧問だ。

「先生？」

「コーチしてくれ。うちの部の」

　顧問の的場先生の声だ。だれかに話しかけているらしい。

　靴を脱いで、そっと射場のほうを覗くと、的場先生と教頭先生。そして、もう一人男がいた。

　長身の男は困惑しているようだ。

　だれだろう。ここの生徒ではない。

　先生でもない。

　でも、どこかで見たような気がする。

　弦音はよく見ようと一歩前へと踏み出した。

　その足音に気づいたのだろう。

　3人がこちらを見る。

　弦音の体はバランスを崩して後方へと倒れそうになるが、どうにか踏みとどまった。

「やあ、杉原くん」

　相変わらず人懐こい笑顔を浮かべながら、的場先生がこちらへと近づいてくる。

「ちょうどよかったよ。こっちにおいで」

　的場先生は強引に弦音の手を握ると、男の元へと連れていく。抵抗する暇もない。

　彼の前に突き出された。

　高い。

　秋月や的場先生ほどではないが、小柄な弦音よりも頭一つ分は高そうだ。

　弦音は自然と見上げる体勢になる。

「彼は部長の杉原弦音くん」

「えっと……」

　男から視線を向けられ、弦音は戸惑う。

「そうだ。杉原くん。君の腕前みせてやってくれないかい」

「は？……っていうか、だれですか？」

「ああ、そうだったね。彼は有川朝矢君っていって……」

「有川朝矢？」

　だれだろうか。

　どうもピンとこない。

「だれっすか？」

　弦音は的場先生のほうを見る。

「あれえ、話さなかったかなあ。弓道を志すものは知ってないといけないよ」

「そういわれても……。俺は高校から始めたし……」

　さほどはまっているわけでもない。

　弦音が困惑していると的場先生の眼が輝く。もう三十路にもなるのに子供のようだと弦音は思う。

「彼は弓道界の星だよ。なにせ高校時代は三年連続のインターハイ出場。毎回好成績をのこしているんだよ。三年生では全国優勝している」

　誉められたためか、彼は照れくさそうに自分の頬をポリポリとかいている。

「そんな彼に教えてもらえば、きっと君でもうまくなれる」

「先生……。普通に下手といってませんか」

「そんなことない。そんなこと……。君にも期待している。君はコントロールはいいんだ。もう少し練習すればうまくなるさ」

「先生。勝手に話進めないでくれます？おれ、やるといってませんよ」

「ええ、そうなの。てっきり承諾したのかと思ったよ」

「どうしたら思えるんですか？僕は仕事できただけですよ」

「仕事？」

　弦音が怪訝な顔で教頭を見る。

「あんなインチキ業をするよりも身になると思うけどなあ」

　インチキ業の言葉で、朝矢の表情が変わる。

「それはどういう意味だ」

　朝矢は腕を組んで的場先生を睨みつける。的場先生のほうは特に臆するわけでもない。

「そうでしょ。妖怪とか霊とかいるわけではないでしょう。教頭も生徒のたわごとに付き合うのはバカバカしいですよ」

「しかし……げんに……」

　教頭は戸惑う。

　まあ、普通の反応だろう。見えないものにとっては、霊といった類は戯言かなにかに聞こえてしまうのだろう。

　たとえ、先ほどまで茶を嗜んでいた〝徳川家康″が的場の頭を突いていたとしても気づきもしない。

『しかし若いのに夢がないのお。これでは天下統一などできんぞ』

　だれも天下統一しようとは思っていない。

『この男は癇に障るのお。ほれほれ、こうしてやろうか』

“家康”は的場先生の髪を引っ張る。さすがに痛みが走ったのだろうか。頭を押さえながら、後ろを振り返っている。

　その様子を‟家康”は愉快そうに笑う。

　一体、この爺さんはなにをしているのだろうかと、朝矢が胡乱げに見る。

「とにかく、どうかな？とりあえず、うちのレベルを見てほしい。彼はうちの部員のなかで一番うまいんだよ。みせてやってくれる」

　一番うまい。

　そういわれて悪い気はしない。

「ほら、見せてやりなさい」

「えっと……」

　弦音は戸惑った。

「いいから、いいから」

　弦音は的場先生に引きずられ射場に立ち、半ば強引に弓を持たされた。

　どうしようか。

「さあ。早く。早く」

　なぜか的場先生が急かす。

　弦音は有川朝矢のほうを見る。彼はとくに表情を変えない。黙ってこちらを見ている。

　なぜか教頭までもが期待の眼差しを向けている。

　いったい自分になにを期待しているというのか。

　とにかく射ろ。

　的場の眼が脅迫してくる。

　これやらないと帰させてくれそうにないな。

　仕方なく弦音は弓を取ると構えることにした。

　弓を構え的に狙いを定める。

　そして、握っていた矢を離した。

　矢はまっすぐに的へと向かっていく。的を貫くかと思いきや、的を外れて後ろの安土へと突き刺さる。

　やっぱり、外れた。

「はい。もう一回ね」

　的場先生がいう。

「はい？」

「もう一回だよ。杉原くん。ほーら」

　再び矢を放つが、的に届く前に矢道（中庭）の芝生に突き刺さる。

　またか。

「大丈夫。ほらほら。いつもの調子でいこう」

　いつもの調子ってなんですか？

　これがいつもの調子ですけど……

「大丈夫。君ならできる。君は期待の星だ」

　どういう誉め言葉だ。

　どこが期待の星だ。

　わけのわからない期待を寄せられて、弦音はしかたなく再び矢を放つ。

　やはり届かない。

　くそお

　だんだん意固地になっていく。

「今度こそ」

　気づけば、何度も矢を放っていた。

　何度目かで何とか的へと当たるが、外れるギリギリライン。

　まっすぐ中央には突き刺さらない。

「あれれ。うまいはずだよ。たしか……。杉原君が一番……」

「いやいやいや。それ木原のことかと……」

「ああ、そうだった。そうだった。すまないねえ。君はダメダメだったね」

　先生の言葉に見えない矢が頭を突き刺してきた気分だ。

「お前……」

　先ほどまで黙っていた朝矢が口を開く。

「お前、硬すぎだな」

「え？」

「しかも雑だ。基本がなってねえ」

「えっと……」

　弦音は困惑する。

「一応。基本は教えているんだけど、この子はまったくできないんだよ。コントロールは抜群のはずなんだけど……。どうしてかなあ」

　また弦音の頭に矢が突き刺されたような感覚。

　いったいこの先生はいつまで弦音を蹴落とすつもりなのだろうか。

　もう切れていい？

　切れていいのか？

「でも、君がコーチしてくれたら、もしかしたらこの子の才能が開花するかもしれない」

　どうにか、この青年を口説こうとしている。

　けれど、まったく切迫感がない。

（あのくそ店長みたいだ）

　朝矢は、店長のいつもの能天気な顔を思い浮かべた。

「どうかな？やってくれないかい？」

『朝矢殿。野風殿のお帰りじゃ』

　朝矢の視線が横にそれる。そこには、白銀の狼の姿があった。

「考えさせてもらいます」

「そうだね。急には無理だね。わかったよ」

「……。失礼します」

「有川さん。謝礼は？」

　弓道場から立ち去ろうとした朝矢に教頭が慌てて呼び止める。

「謝礼は‟店”に持ってきてください。そういう決まりなので。では失礼します。あと、そいつに才能あるとは思えないな」

　弦音は弓を下ろし、朝矢を見る。

「お前、いつからやってんの？」

「え？」

「弓道……」

「えっと、高校入ってすぐ」

「一年か。それほどしてまったく的に当たらないじゃ無理じゃないか？まあ、遊び程度ならいいだろうけどな。試合は向いていない」

「そんなこと……。言われなくても」

　弦音はむっとする。

　わかっている。

　いやでもわかる。

　どうして、こんなにもコントロールが効かないのだろうか。

　服のせいか。

　弓のせいか。

　なぜこんなにもコントロールが悪くなるのか。

　向いていると思った。

　でも、言われるまでもない。向いていない。

　それでもやりたいと思ったから、やっているのだ。

　才能がないから、試合に勝つことにこだわっているわけではない。

　それでも、会ったばかりのやつにいわれると腹がたって仕方がない。

　いつの間にか、朝矢が道場から出ていく。

　弦音は弓を置くと、一言いってやろうと彼を追いかけた。

　その様子を楽しげに見ていた〝家康”の姿はいずこかに消え去っていく。そのことにも気づかない先生たちも道場を後にした。

　静寂だけが弓道場に残された。