03話
「久保くん、昨日はありがとう」
「いや、俺も暇だったからな」
「それでなんだけど、はい、これあげるわ」
「コーヒーショップのクーポン券? 田村と二人で行けばいいだろ?」
「ついこの前も行ったのよ、券を貰う前日に」
おぅ、それはなんともタイミングが悪いことだ、とにかくくれるのならありがたく貰っておこう。
これを姉貴に渡してもいいし、沢村先輩に渡してあくまで先輩から誘った体を装えば関係が一歩前進! はしないかもしれないが有効活用はしてくれることだろう。
俺はもう一度同じような失敗をしないためにすぐ教室をあとにした。
「あ、久保先輩」
「お、藤原か」
しまったあ! この子だけには会いたくなかったのだが……。
「田村か? 多分まだ部活に行ってないと思うぞ?」
「違います。ところでそれ、タ○ーズのクーポン券ですか?」
「ん? あ、んと、えと……よく分かんないな」
「ほら、そこに書いてあるじゃないですか店名が」
「え? あ、本当だな」
さっきはただ単にコーヒーの写真が印刷してあったからコーヒーショップなんて口にしていただけ、だけど改めて見たらどうやらそのようだった。
「あ、これやるよ」
「え? 貰えないですよ」
「いいからっ、若い子とか女子とかの方が得意だろ? 俺、こういう店に行ったことないから恥をかくと思うんだよな。だからはい、受け取ってくれ」
よく考えたら沢村先輩に渡したらそれはもう侮辱をしたのと同じだろう。
別の男から渡された券を使って意中の女子を誘うなどありえない話だ。
もっとも、沢村先輩にとって姉貴が特別な相手なのかどうかまでは知らないが。
「あれ、二枚ありますよ?」
「だったら仲のいい人間を誘えばいいだろ?」
「嫌味ですか? 友達がいないって言いましたよね?」
「なら母親とかさ」
一回も見たことすらないけども。
母親か、案外美女! とかだったりしないだろうか。
ま、美女でもなんでも、会ったところで受け入れてはくれないだろうが。
「母はいません」
「あ……悪い」
「もういいですから二人で行きましょうよ。注文なら私がしてあげますから、なにかごはんを食べたいということでしたらサンドイッチとかもありますしね」
「へえ、詳しいんだな」
「お父さんとの待ち合わせでよく利用するんです」
わざわざ父と待ち合わせ? 最近流行りのパパ活というやつだろうか。
いや、そんなことはないよな、ということは別のところで暮らしているということなのかもしれない。
とにかく了承して俺達は移動を始めた。
ショップに着くまで会話は相変わらずなかった。
着いたら俺は席に座って彼女に注文を頼む。
その彼女を見ていても仕方がないから窓の外を眺めていた。
十一月下旬ということもあって外は既に薄暗い。
形的には連れて来られた感じだが、きっちり送っていかないと危ないだろう。
「どうぞ」
「おう、さんきゅ」
温かいと言うより熱いコーヒーは冷えた体によくしみた。
苦くて、だけどちょっと甘いコーヒーをちびちび飲んでいると、
「あの、ありがとうございます」
なんか急に感謝をされて困惑した。
「いや、こっちこそ藤原がいなかったらこんなところに来られてないしな」
チケットだって無駄になっていたかもしれないし。
まあそうなる前に、姉貴に渡していただろうけども。
「今日のこれだけじゃなくてカル○スを買ってくれたこともですよ」
「はは、藤原は優しいんだな」
「なんでですか?」
「普通は金を返した時点で終わりだろ? なのに律儀に何回もさ」
「お金って大切じゃないですか、他の人からすればたかだか百二十円だとしても私にとっては違うんです」
「困窮、しているのか?」
聞いてからやっちまったと後悔した。
俺に聞かれた瞬間の彼女の顔が印象的だったから。
「そうかもしれませんね、お父さんは毎日頑張って働いてくれていますけど色々と足りなくて滞納するときもありますよ。だからこういう場所に行ける機会も少なくなっていたので……すみません、乞食みたいなことをして」
「……父さんとは一緒に暮らしていないんだろ?」
「はい」
「一人、か?」
「そうですね。一人っ子ですからね」
パパ活とか変なことを想像した俺をぶん殴ってやりたくなったが流石にそれは奇行がすぎる。
「なあ、藤原さえ良ければ俺の家に来るか?」
だからかわりの案をぶつけてみることにしたのだが、
「すみません、そういうことはできません」
ある意味、彼女はどこまでも真っ直ぐだった。
俺はまた後悔してコーヒーを飲んで誤魔化すことにした。
苦くて内でうぇと吐いてみたが改善はせず。
「だけどお揃いですね、お互いに一人で」
「田村に聞いたのか?」
「はい」
田村が適当に言ったんだろうな、変な風に誤解をしていたし。
無駄なことを教えるなよ、どうせ踏み込むこともなく終わる関係なんだから……って、踏み込もうとしたお前が言うなよって話か。
「私、一人でも悲しくならなくなってしまいました」
「……そうか」
じゃあなんで俺といるんだ、なんて自意識過剰なことは言えない。
一人でも悲しくならなくなった、か。
田村や渡部が話しかけてくれなくても平気でいられるだろうか。
それになんだかんだであの二人の友達にまで良くしてもらえるときもある。
というか、例え血が繋がってなくても姉貴だっている。
あれ、だけど友達がいないのを気にしているんじゃなかったけか?
……まあどちらにしろ踏み込む必要はない。
そうか、とか、なるほどな、などと言っておけばいい。
「だからどうでもいいんです、普通に学校に通えれば。高校を卒業したら自分の力でお金を稼いで家を出るんです」
そういえばうちの高校はバイト禁止か。
一歩間違えれば自分も同じような立場になっていたかもしれない。
「それにお金は…………ば貰えますから」
だが、どうやら想像は間違っていなかったらしいな。
けれど俺はなにも言わなかった、言えなかった。
金の工面をしてやれるわけじゃない、無責任になにかを言うわけにもいかない。
「帰るか、送るよ」
「……すみません、ここに来たのは予定があってですね」
「そうか。それじゃあ今日はありがとな、じゃあな」
飲み物代はクーポンだけで払えるみたいなので店から出た。
「さむ……」
すっかり夜になった外は、実に色々な意味で寒かった。
翌日の放課後。
なぜだか無性に掃除がしたくなって一人でしていたときのこと、
「偉いじゃない、掃除をして」
親友の恋人に話しかけられ一旦手を止めた。
「渡部か、田村はいいのか?」
「努はバスケにばかり夢中だもの」
「ははは、あいつらしいな」
デートの最後にバスケコートに行ってプレイ、なんてこともありそうだ。
「ねえ、藤原葵ちゃんって知ってるでしょ?」
「ああ、まあな」
「その子と深く関わってあげてくれないかしら」
「……どうして?」
あの少女にとってそれは必要のないことにも思うが。
「関わっているのなら色々と聞いたでしょう?」
「いや、ほとんど聞いてないな、あおいって名前なのも初めて聞いたくらいだ」
「そう……」
「もういいか? もっと綺麗にしたいんだよ」
自分の心を綺麗にしたい。
あんなことを聞いてしまった自分をだ。
大体、なんであいつはあんなことを俺に言った。
あんなん聞かされたって、こっちはなにもしてやれないのに。
それだけではなく“汚い”とすら思われかねないのに。
「努に頼もうかしら」
「は? 渡部、自分がなにを言っているのか分かっているのか?」
「別にいいじゃない、えっちなことをするわけではないのよ?」
「じゃなくて! 田村は渡部の彼氏だろ!?」
「そこは努とあの子次第よ」
話になんねえ。
そりゃバスケに夢中になるわけだ。
他の女子と浮気とも取れる行為を放っておけるなんてな。
おまけに性行為がないからなんだよ、金銭のやり取りが発生したら駄目だろ。
どうせ男の大半なんて「やれるかな?」なんて下心を抱いているに違いない。
下手をすれば散らされて終わりだ。
仮に彼女が既に処女を消失しており非処女だったとしてもあまり状況は変わらない――って、こういう思考をしてしまうところが正に男って感じなのか?
それに俺が彼女を内心でだけとはいえ汚物扱いしたのになにを偽善ぶっているんだか、分からないな。
「男も馬鹿だが藤原も馬鹿だな」
「お金に困ったことがないからそんなことが言えるのよ」
そうか、特に不自由なくあの人が育ててくれたからな。
確かに理解はできない、するつもりもない。
「なるほどな。ま、そういうことがなければ近づいて来ないわな」
「そうね」
「そうねって酷えな」
そのとおりだから否定はできないが。
「事実そのとおりでしょう? あなたの周りには努くらいしかいないじゃない」
「それならどうして渡部は来てくれているんだ?」
「あの子の役に立てると思ったからよ。でも、駄目みたいね」
「悪いな、力になってやれなくて」
……俺も情に流されて「家に来るか?」なんて馬鹿なことを言った。
それじゃあまるで変わらないじゃないか、下衆な奴らと。
だからこそ俺は教室の掃除をして綺麗にしたかったんだ。
偽善なのも自己満足なのも分かってはいるが、忘れたかったのだ。
「もうこの件について言うのはやめるわ」
「あれ、近づいて来てはくれるのか?」
「まあ、なにかが減るわけではないもの」
時間は確実に減っていくがいいのだろうか。
だけどなにもここで言わないということは、いいんだろうな。
「優しいな渡部は、変なところもあるけど」
「ふふ、余計なお世話よ。そろそろ帰りなさい」
「渡部は?」
「努のところに行ってくるわ」
そうやって渡部は田村を愛しておけばいいんだ。
藤原は自分で上手くやるだろう。
俺も一人暮らし生活を上手くやっていければそれでいい。