36話 打ちのめされる
魔女エマヴィス・リティスの領域。その机の上に寝かさせるようにしてミズキが転送されていた。
穴が開き、汚れたボロボロの服が先ほどの惨劇を思い起こさせる。
「おかえりなさい、ミズキ。何か収穫はあったのかしら?」
ベッドから起き上がったリティスが、黒のドレスローブを揺らしながらこちらに歩いてきていた。
「何もありませんよ」
ミズキは振り向きもせず、一言そういうと鏡に向かって歩き始めてしまう。
「服が大変なことになっているわ。前の猫ちゃんでもいいし何か作ってあげるから少し待――」
ボロボロの服を見たリティスが慌てて止めようとするが、待っていてと言い切る前にミズキは鏡の中へと消えてしまった。
『森の都』へと戻ったミズキは再び『燐光樹回廊』へと向かった。無言のままに歩き魔物を探していると、感覚に違和感が生じた。
近くに魔物が居ることは確実で、周囲を警戒していると樹の陰から現れる。それは仮面をつけたヒヒのような魔物だった。
この森に生息しているものにしては小柄ではあったが、その大きさはミズキの五倍はくだらない。
ミズキは重心を落とし長柄戦斧を握り締める。相手が動く前に距離を詰め切りかかった。
その一撃は避けられ後ろにあった樹の幹が粉砕された。巨木が音を立てて倒れ始める。魔物は両手に炎を作り撃ち出してきた。
ミズキは長柄戦斧を横向きにして熱量が圧縮された炎弾を打ち払う。辺りが爆炎で包まれ、炎の壁から飛び出したミズキが長柄戦斧を振るっていた。
渾身の一撃が叩きつけられる。
反応の遅れた魔物は胴体が両断され、光の粒子となり消えていった。
素材を回収していると巨大な岩石の塊が現れた。その大きさは先の虎よりもはるかに大きい岩塊だ。
頭のない人型で、全身を細かい六角棒のような岩が針山のように覆っている。
巨岩のような両腕が振り下ろされた。地面が粉砕され、途方もない衝撃により木々が倒れ粉塵が舞い上がる。
吹き飛ばされたミズキが木に叩きつけられていた。巨岩が腕を振るえば何本もの大樹をなぎ払い、倒れた木々が大地を揺らす。
重質量の足はそれらを等しく踏み潰していく。振られた足が眼前へと迫っていた。
かろうじて防ぐが、蹴り飛ばされると同時に長柄戦斧が弾き飛ばされてしまった。
倒れたミズキに両腕が振り下ろされ、その衝撃は全てを破砕した。
*
転送されたミズキは打ちひしがれていた。見上げる天井はいまだ見慣れることはなく、自分がこの世界にとって異物だと思い知らされる思いだった。
疲労の色が濃くしばらく動こうとしなかったが、やがてのろのろと起き上がる。その表情に常の明るさはなく、うつろな瞳は虚空を見つめる。
リティスのほうを見れば今は寝ているようだった。ミズキはここで寝る気にはなれなかったのか、鏡の中へとゆらゆらと歩いていく。
『森の都』は赤い光が照らす夜となっていた。家のベットへと潜り込み泥のように眠るが、鐘の音に目を覚まされる。
起き上がるも窓から見える外はまだ暗い。
「…………」
眠気の所為か、まぶたが半分閉じたままぼーっとしている。おもむろにベッドから降りると洗面所へと向かう。
じょうろに水をくみながら鏡に映る自分の顔は、目つきが悪く疲れきった顔だ。
いったい何をやっているんだろうとミズキは自己嫌悪におちいっていた。
ジャラックの話を聞いてからというものの、急に悲しくも悔しくなり、怒りのままに突き進み無茶をしたからだ。
けれど、本当はただただ悲しかったのだろう。苦しくて、どうにかしたくて、長柄戦斧を握り続けた。
少しでも強くなりたくてがむしゃらに振るっていた。しかし結果は散々だった。これ以上ないほどに打ちのめされてしまっていた。
どうしても気分は落ち込んでしまうし、絶望すら感じてしまう。なぜ、自分がここに居るのか。どうして。その思いだけが募っていく。
こんなことでは今は亡き両親に顔向けすることなんてできない。
つらいときに思い出すのは死ぬ直前に残した父親の言葉だ。
今でも一字一句違わずに思い出すことができる。
『ろくにかまってやれなくてすまなかった。私なんかが言えた義理ではないかもしれないが。けれど、これからは自分らしく生きるんだ。母さんもそれを望んでいるはずだ。瑞樹……』
つらいときにだけ思い出すなど、なんて都合がいいのだろうか。今はとてもではないが、自分らしく生きているなど言えない。
(父さん……)
自分は、どうすればいいのか。瞳に涙をたたえるが答えなど出ようはずもない。
せめて泣くなと自分に言い聞かせ、木へと水をそそぎ続ける。
そのとき、ミズキの頭に一枚の葉が乗った。
見上げると鐘を付けた木は無言でたたずんでいる。どこか励ましてくれているようにも感じた。
なんとなくだが、元気出して、泣かないで、そう言っているように思えたのだ。そのことで感情が溢れ、とうとう泣きだしてしまう。
顔は涙にぬれ、思いの奔流が治まるまで声を押し殺して耐え忍ぶ。漏れ出る嗚咽と、葉のこすれる音だけが聞こえていた。
感情の波がだいぶ治まってきたとき。
足音が聞こえた。




