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私が町田涼平と“付き合う”ことにしたのは、ただの腹いせからだった。
誰に対する腹いせかって?
もちろん私を振った元彼の柳瀬樹と、その浮気相手の平川美亜だ。
✱✱✱✱✱
「岡崎さん」
あまり大きくない声で私の名を呼びながら、あまり早くない速度で駆け寄ってくるひょろりとした青年。
人波をうまく躱すことができないのか、もたつきながら私の前までやってきた。
「ご、ごめん。電車、ちょっと遅れちゃって……」
無地の半袖シャツはオーバーサイズすぎる。黒いジーンズ、履き潰したような黒いスニーカー、黒い斜めがけの鞄。とりあえず寝癖は直しました、というくらいのもっさりしたナチュラルすぎる黒髪。
「待たせちゃったよね……?」
申し訳なさそうに私を見下ろすのは、町田涼平だ。
汗で前髪が貼り付くおでこに大きな赤ニキビが目立っている。
「ううん、全然! 私もちょっと遅れたんだ」
私は満面の笑みを見せた。
「ありがとうね町田くん、今日付き合ってくれて、ほんと助かる」
町田くんは少し拍子抜けしたように一瞬黙り、目を逸らして「そう? いや」と口をもごもごさせる。ちらっと私を見て、また視線を足元へ逃がす。
「……すごい、ちゃんとしてる」
「え?」
町田くんは落ち着かないように自分の首筋をさする。
「岡崎さん……髪とか、服とか……」
雑踏の音に掻き消されそうな声だ。
「そりゃあ、“デート”だからね」
町田くんは少しぎょっとしたみたいだけど、予約時間まであんまり余裕がない。
「それじゃ、さっそく行きましょー」
「あ、まずはどこへ……」
「まずはー、髪!」
“デート”、とはいえ、手をつないだりはしない。
というか、そんなスキンシップは今後もない。
だって私達は、いうなれば「取引上の関係」だから。
でも町田くんは、すぐ人混みに押し流されてしまいそうな人だ。
だから私は彼のTシャツの裾を少し掴んで引いて、美容室へと連れて行った。
✱✱✱✱✱
「──なにそれ樹、どういうこと?」
私の声は、体に沸き上がってくる怒りのわりに、弱々しく少し揺れた。
大学近くの駅付近。
それなりの駅周りには必ずあるチェーンのカフェに、私と樹はいた。
「だから」と、申し訳なさそうというよりも面倒そうに、樹は頭を掻いていた。低い声で続ける。
「他に好きな人できたから、別れよって」
「誰それ」
「……平川。平川美亜」
別の学部の同じ2年の女子だ。
直接喋ったことはないが見たことはあるし、ほんわかした可愛らしさで人気がある。モデルみたいなこともやっているらしい。
「てかもう付き合ってるから」
「は? いつから」
「先月、半ばかな」
思い出すように天井を見上げる樹の顔を、思いっきり引っ叩きたくなった。
先月末は樹の誕生日だった。バイトで貯めたお金で、樹が欲しがっていた高級ワイヤレスイヤホンをプレゼントしてあげた。
その時からもう平川美亜と付き合っていたと?
ていうか今その鞄についてるケース、私があげたイヤホンじゃん。
頭が真っ白……いや、むかついて真っ赤に染まる。
「……マジでないわ」
「ごめん」
さらりとした茶色の前髪の奥から、二重の大きな瞳で私を見る。
こんなときでも樹の顔には一瞬見惚れてしまう自分の面食い度合いに嫌気が差す。
「……平川さん、可愛いから?」
その言い方は、自分でもわかるくらい卑屈だった。
「いや、それだけじゃないけど……」
樹はごにょごにょ言っているけど、可愛いが主な理由なのは間違いない。樹も見た目で人を選ぶところがあるからだ。
私だって自分の容姿に自身がないわけじゃない。努力もしてる。でもどう頑張ったって、平川美亜のような天然美人には敵わない。
「あのさ、悪いのは俺だから。平川は悪くないから。そこは、勘違いしないでほしい」
「いやそんなの知らない……」
「とにかく、これでおしまいってことで。ほんとごめん。今までありがとう」
樹は早くこの場を去りたそうに立ち上がった。
「ちょっと樹……」
「つばさには」
急に名前を呼ばれて不覚にもどきりとした。
「俺なんかより、もっといい相手がいるよ」
お決まりのようなそんな台詞を吐いて、「じゃあ」と樹は出口へと向かっていった。
一人、席に残される。
これが漫画や小説なら、目の前の氷の入った水をあいつ顔めがけてぶっかけたりするのかもしれない。
でも……
現実でそんなことできるわけないでしょ。
周りの客に、今の私たちのやりとりが聞こえていたのかはわからない。
私はただ振られても動じない……むしろあんなやつはこっちから願い下げだという涼しい顔をして、アイスティーを飲み干した。
でもグラスを置く手は少し、震えていた。
✱✱✱✱✱
無糖……いや、さすがにお腹が空きすぎている。
微糖。いや、今くらいは砂糖たっぷりのジュースでも許される?
大学構内の自動販売機のボタンを押そうとする指が行ったり来たりしている。
いや、ダイエット中なんだから。
ぐっと決心してブラックコーヒーを選ぶ。
遠慮なくがこんと音を立てて落ちてきた冷たい缶を屈んで取り、立ち上がった。
瞬間、ふっと目の前が暗くなった。
──あ、やば。
貧血だ、とすぐにわかる。わかるけれども何もできない。
世界がぐるっと回って体が傾いて、何かに掴まらなきゃと適当に手を伸ばす。
「あ、危なっ」
小さな声と共に、誰かに腕を掴まれた。
眩んだ視界がぼんやりと像を結ぶ。
そこには、これと言って特徴のない男子。
……知らない人。
「す……すみません」
一度ぎゅっと目を閉じて開き、息を吐く。少し頭がクリアになる。
「あっ、だ、大丈夫、ですか。調子、悪そう……」
「あ、はい、たぶん貧血かなんかなんで」
自分の足で立とうとして、その男子学生は「あ」と慌てたように私から手を離した。
うん、大丈夫そうだ。
私は鞄を肩に掛け直し、「ありがとうございました」と軽くその男子に頭を下げて去ろうとする。
「貧血ならブラックじゃない方が」
早口に言われて私は振り返る。
「いいと、思うけど」とその男子はぱっと目を逸らした。たぶん、人と話すのに慣れていないタイプ。
「わかってますそんなこと。でも糖分取りたくないんで」
思わず喧嘩腰になってしまう。
樹に振られて、とにかく樹よりも素敵な相手を見つけて付き合って、樹を見返してやろうとそんなことを考えた。
とりあえず今より綺麗になれば物事は良い方に進むんじゃないかって安直に思って、これまた安直にダイエットしようなんて思って、手っ取り早く食事を減らしていた。
体に良くないのはわかっていたけど、そうしなければならないような、そんな気持ちに駆られていたのだ。
目の前のその人は、驚いたように固まってしまった。
──なんで私、この人にあたってるんだろ。
「……ごめんなさい」
「い、いや……こっちこそなんか、すみません」
全然悪くないのにあんまり申し訳なさそうにするから、少し笑ってしまった。
その人は自分も笑っていいのかわからないというような、困った顔をしている。
私はじっと彼を見た。
ちょっと肌荒れしていて、髪はもさっとして、服装はすごくダサいわけでもないけど、お洒落ではない。たぶん大学で何度もすれ違っているかもしれないけど、本当に見覚えがないくらいに印象が無い。
でも、よく見れば癖のない顔立ちをしてる。
輪郭とか、わりと悪くない。細いけど背も高めだし、服装とか髪型とかもっと変えたら……
見知らぬ人に対しても、似合う格好を勝手に想像してしまうのは私の癖だ。
その時、閃いた。
「あの私、文学部の2年の岡崎っていいます。岡崎つばさ」
「え、あ、俺……経済学部です。2年の、町田……涼平」
つられたように自己紹介してくれたけど、同じ学年だった。
「町田くん」
ずいと近づくと、町田涼平は少し後ろに引いた。
「急にこんなこと聞いてアレなんだけど……今、彼女っている?」
「なっ、いきなり何……」
「いる? いない? どっち?」
「いな……いないよ……」
それを聞いて安堵した私はにっこりと笑みを浮かべた。
「じゃあちょっと、協力してほしいことがあるんだけど。あ、町田くんにも悪い話じゃないと思うよ」
見るからに素敵な男子には既に素敵な彼女がいるものだ。
樹を超える彼氏をすぐに見つけて付き合うまでこぎつけるのは難しい。
それなら、隠れた原石を見つけて磨く方が手っ取り早い。
この人、人が良さそうだし。
──私の馬鹿げた頼み事も聞いてくれそうじゃない?
私はやっぱり安直に、そんな事を考えたのだった。




