見てない、見てない、私は見てない
さて、決戦まであと三日と迫った頃――
互いの陣営(※大げさ)は、残り少ない時間を最大限に利用するべく、計画を立てていた。
フランは、自室にこもり「決戦の日までは、何人たりとも私の部屋には入らないでください」宣言をした。
その際のフランの気迫に両親も妹も、若干引き気味で、頷いた。
もっとも、その3日前の追い込みの途中でも、
アデラインは「仕上がりはどうなのよ」と、堂々と様子を見に通っていた。
フランの障害物はすでに、北の辺境伯へと身柄がおくられている。
わずか数日で根を上げて、
父へと泣き言の手紙を何通もよこしてきているらしいのだが、
今回ばかりは父も手紙は読み捨てているらしい。
こうして、静かな環境でフランは最後の仕上げとばかりに、黙々と針を動かしている。
「負けられない!!」
というのは、フランだけではない。
ローランドも追い込み状態なので、珍しく執務から離れている。
「数日の間は登城を控えたい」と、上司である宰相に直談判した。
宰相はローランドがアレクシアンであることを知る数少ない人物で、
最初は難色を示したが、妻から、
「弟の結婚はそこにかかっている」と説得されてしまい、
特別休暇を許したのだ。
ローランドはそうして与えられた時間を刺繍に全て費やしている。
その集中力に侯爵家の人間達も驚いているくらいだ。
ローランドにとっては、実は負けても勝っても、不利益はない。
けれど、はじめて刺繍で誰かと競い合うのが新鮮で、かなり本気モードだ。
そんなこんなで、迎えた当日は、
勝負にふさわしいのかは謎だが、朝から晴れ渡る青空で、
新緑を抜ける風が爽やかな日だった。
今日のこの日。
フランにとっては、負ければ恐怖のダンスが待っている。
(大変気の毒ではあるが、実は勝ったとしてもアレクシアンはローランドなので結婚一直線なので別な意味での勝敗はついている)。
間もなく社交シーズンの終わりなのだが、
つい先日、グリンフィールド家よりフランのドレスは侯爵家で用意すると通達がきて、
両親は恐れおののいた。
しがない伯爵家に申し出を断れるはずもない。
一方でフランも別な意味で恐れおののき、
(グリンフィールド家からのドレスなど受け取れません!! 決して受け取りません)
「負けられない戦いがそこにある」とばかりに決意をみなぎらせていた。
侯爵家からドレスを受けとると言うことは、結婚まっしぐらだ。
一方で、ドレスを送ると宣言するからには、
マダムアレクシアンの勝利を確信しているかのようで、
フランとしては自尊心がかなり傷ついた。
「まるで、私の負けが決まっているようだわ」と、心中穏やかではない。
鈍いと言われがちなフランでも、それくらいは分かる。
「確信」だ。
(つまり、負けると思われている…)
心中穏やかとは言えないまま、フランは、公爵家(宰相家)に足を踏み入れた。
刺繍対決用に用意された部屋には、ふたつのテーブルが置かれていて、
今から、そこに二人の刺繍がそれぞれセットされることになっている。
マダムアレクシアンの作品はローランドが代わりに持ち込んでいた。
直接、マダムアレクシアンに会えることを楽しみにしていたフランは、
内心では残念におもったものの、アレクシアンの大作を見られる期待は大きい。
(どんな作品かしら…何をモチーフにしたのかも気になるわ)
そのとき、大ぶりのフリルが特徴的な薄桃色のドレスを身につけた王女様が、
侍女と護衛を連れて表れた。
「お待たせ致しました。今日の日をとても楽しみにしてましたのよ」
王女の軽やかな声とは裏腹に、場が一挙に緊張する。
フランは静かに息を吸い、背筋を伸ばした。
視線の先、まだ何も置かれていないテーブル。
そこに並ぶのは、自分の刺繍と相手の刺繍。
この数ヶ月間の努力とそして勝敗。
まず、マダムアレクシアンの作品が、テーブルに広げられた。
広がった瞬間、感嘆の声を一番最初に出したのは、やはりフランだった。
色とりどりの花に、
金や銀で刺繍された蝶が舞い飛んでいる様には、
今にも飛び出してきそうなほどの躍動感。
花びらを口にくわえて羽を広げる鳥たちの囀りも聞こえてきそうだ。
土台の青い布が、青空を模して一体感もある。
「なんて素敵なの!!」
フランは自分の作品そっちのけで、立ち上がって拍手を送る。
負けられない戦いはどうした、
フランと突っ込みたくなるほどの賞賛は、周囲すらドン引きさせるほどだ。
その中にあって、ローランドだけは小さくガッツポーズをしていたが、誰も気づいていない。
「いいから、あなた、恥ずかしいから座りなさい」
と、フランを無理矢理席に座らせたのは、アデラインだった。
彼女は今日の対決に「心細いでしょうから、一緒に行ってあげるわ」と、
フランの刺繍対決に付添人としてやってきたのだ。
自分が注目を浴びていると気がついたフランが、
顔を真っ赤にしてペコペコと頭を下げる。
そして、次に広げられたフランの作品も、
マダムアレクシアンに勝るとも劣らない渾身の作品だった。
完成品を一度は目にしているアデラインも再び、目にすると、やはり感嘆の声が漏れる。
布の四方のティーカップに天使達が紅茶を注いでいるモチーフだ。
そのデザインの斬新さもさることながら、
天使達の両方の翼が銀糸や金糸を織り込んだ、
七色のグラデーションに刺繍されている。
これには、王女も「なんて美しい天使たちなの」と感激の声を漏らしたほどだ。
ローランドも喉の奥まででかかった賞賛の声を無理矢理飲み込む。
フランの刺繍を初めて見たときから思っていたが、
彼女のアイデアは斬新で目を見張るものがある。
これほどの作品を見られたのだから、
刺繍対決は無駄ではなかったと独りごちるローランドである。
一方で、二つの作品を並べられた王女はだんだんと苦悩の表情を浮かべた。
そう、これは対決なのだ。
どちらか勝者を決めなければならないが、とてもではないが決めきれない。
この場にいた誰もが同じ意見に違いない。
王女は二つのテーブルに広げられた作品を何度も何度も行き来して、
手にしてみたり、また、置いては眺めたりを繰り返す。
誰もが固唾をのんで見守っていると、王女が深くため息をこぼした。
「申し訳ないけれど、私には決めきれないわ。だって両方素晴らしくて、両方とも持って行きたいのだもの」
その一言で、この場の刺繍対決はあっけなく引き分けになった。
にもかかわらず、翌日、バンキンス伯爵家にローランドからフラン宛てに大きな箱が届けられた。
丁度、アデラインが午後の紅茶に訪れていた時で、
前日の刺繍対決について話していたまさにそのときだった。
箱を見つめたまま硬直しているフランを見て、アデラインが声をかける。
「ちょっと…何をしてるのよ」
「………」
視界いっぱいに広がるのは、淡い光をまとったようなドレス。
柔らかな生地に、繊細な刺繍。
「これ……マダムアレクシアンの刺繍だわ」
指先が震える。
触れるのも躊躇うほどの完成度。
昨日、自分が心の底から賞賛した、あの作品と変わらぬ完成度。
(どういうことなの……)
理解が追いつかない。
後ろから、呑気な声が飛んできた。
「届いたのね、ドレス」
振り返ると、アデラインが覗き込んでいた。
「これを送ってくるってことはつまり——」
さすがに鈍いフランにも事情が飲み込める。
「つまり…これって……ダンスのお誘い…」
「普通は婚約者に送るものよ」
「……外堀が、埋められている気がするのだけれど……」
「そうでしょうね」
アデラインは即答する。
「私は何も了承していません!!」
「でもドレスは届いているわよ」
「受け取っていません!」
「開けてるじゃない!」
「見ただけです!!」
食い気味に否定して箱の蓋を閉める。
しかし数秒後、再びそっと箱を開けてドレスを取り出す。
「……マダムの刺繍は見事だわ」
「そうでしょうね」
アデラインは呆れ半分でフランを見つめる。
フランはしばらく黙ってドレスを見つめていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……負けてないのに、勝負は引き分けだったのに……」
フランは次の瞬間、きゅっと唇を結ぶ。
そして何かをひらめいたのか、にっこりと笑う。
「あ、そうです。これはつまり、次の勝負ということです、きっと」
「何を言ってるの、馬鹿なの? 侯爵家が威信にかけて送ってきたドレスよ」
アデラインが声を張り上げる。
「いい? よくお聞きなさい。マダムアレクシアンはグリンフィールド家のお抱えで、グリンフィールド家以外の人間の刺繍は一切しないのよ。そのマダムが刺繍をしたドレスを送られたと言うことは、婚約者認定に決まっているでしょう」
「そのドレスを送ってくるということは、私がこのドレスを着る前提で話が進んでいるということ……なんてこと…」
フランのあまりの憔悴ぶりにアデラインも口を噤む。
あのローランドが婚約者で何が不満なのかアデラインには一切理解できない。
と、同時に、あのローランドにここまでされてもまだ、
もがいてるフランが別の生き物にみえてきて面白い。
次の瞬間フランが、にこりと笑った。
「着なければいいだけです」
「何を言っているのよ、無理に決まっているでしょう!!」
即答された。
「え、ローランド。あなた、フランにあのドレスを送ったの」
「はい。何か問題でも」
質問される方が心外だと言わんばかりに返答されて、さすがのルイローゼも押し黙った。




