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馬車から降り、明日香は護衛兵に囲まれながらヘルヴァインの後ろを静かに歩いていた。馬車を降りてから歩きはじめてそれほど時間は経っていないが、この地の領主が目の前を歩いていることに気付いた人々がその姿をひと目見ようと足を止めている。その行動が波紋のように人から人へと伝わり、通りはあっという間に人の頭で埋め尽くされていた。
----めちゃくちゃ目立ってる…。
つい半月ほど前にナルキスに連れられてきた時はこんなことは起きなかった。そもそも護衛兵など連れていなかったから、誰が来たのかと視線を集めることすらなかったのである。
明日香は前を歩くヘルヴァインの後頭部を見上げ、目線だけを動かして周りの様子をうかがった。
----やっぱり領主って特別なのかな。そりゃそうか、ただの買い物にも護衛の人を連れてこないといけないんだもんね。
それにしても、と周りを警戒して歩く護衛兵の姿に明日香はどこか気恥ずかしさを感じた。護衛兵といえば、いわゆるボディーガードやSPのようなものだろう。そんなテレビの中でしか見たことのない人たちに、自分が守られる側に立つ日が来るとは思いもしなかったのだ。
フゥ、と息をつき、無言のままトボトボとついていくと、目の前に影ができたので立ち止まった。
「着いたぞ。」
「あれ、ここは…。」
護衛兵の一人が店の扉を開け、ヘルヴァインはさっさと店の中へと入っていった。チラと後ろを振り向き『ついて来い』と明日香に視線を向ける。明日香は軽く頷いてから気付かれないよう静かに溜息をつき、歩き出した。
----ナルキスさんは先に通してくれたのに…って怖い!こっちの世界のレディファーストに慣れてしまってる自分が怖い!
最初に声をかけてきたラシッドをはじめ、城内を歩いていれば道を先に譲ってくれたり、扉を開けてくれたり、荷物を持ってくれたりと至るところで『どうぞ』と言われた。最初は過度な親切だと遠慮していたものの、リムラから『男性が女性にすることは素直に受けるのが大人の女性の嗜みです』と言われて以来、そういうものかと受け入れた。
それが今や自分にとっても当然のことになってしまっていることに、言いようのない不安が押し寄せた。
----これぐらいがちょうどいい、か。
扉を押さえている護衛兵に微笑みながら頭を下げて店内に入る。こちらの意図を読み取ったのか、少しためらいがちに笑顔を返してくれた兵士に気をよくしつつ前を向くと、座った目を向けるヘルヴァインと目が合った。
----うわぁ、なんかまた不機嫌になってる。
馬車を降りて店に来るまでは普通だったのに、この短時間で何が起こったのか不思議で仕方がない。後ろで扉が閉まる音を聞きながら半目になってヘルヴァインのもとへ歩み寄ると、すぐ側に立っている夫人がニコリと微笑み明日香に声をかけた。
「アスカ様、こんにちは。あら、今日はそちらをお召しになったのですね。とてもよくお似合いですわ。」
「こんにちは、オリヴァーさん。先日はありがとうございました。」
「あら、そんな!いけませんわ、頭を上げて下さいませ。」
「夫人、今日はアスカの服を作ってもらいたくて来たんだ。それからドレスも何着か作ってもらいたい。」
「畏まりました。アスカ様のお身体のサイズは測ったばかりですから、生地選びからで十分ですわ。」
オリヴァー夫人は手を叩き、前回と同じようにズラリと生地を並べさせた。相変わらず美しい輝きを放つ商品の数々を前に、明日香はできるだけ地味なものはないかと視線を走らせた。
「そうだな…これとこれ、それからこれも見せてもらおうか。」
「え!?」
「うん?なんだ、どうした。」
「ヘルヴァイン様が選んでくれるのですか?」
「あぁ、そうか。すまない。君の好みもあるものな。好きなものを選ぶといい。」
「はい、分かりました。」
明日香は一歩前に出ると、ヘルヴァインが選んだものを見て思わず目を疑った。誰が見ても高級品だと分かるような上品な光沢のある生地が数束並べられている。緻密に織り込まれ、見る角度によって違う模様が浮き出るよう計算された生地まであった。
明日香は真っ青になった顔を素早く切り替え、オリヴァー夫人のもとへ足を向けた。
「あの、オリヴァーさん、この服と同じようなものをお願いしたいのですが。」
「あら、それでしたらあちらの棚から持ってこさせますわね。」
「はい、お願いします。」
オリヴァー夫人は前回のやり取りから明日香の意図を察したように頷き、くるりと背を向けた。高価過ぎず、それでいて相手の面子を潰さない程度の価格で、水に強くて丈夫な生地。とはいえ、今度は相手が領主であるだけにもう少し高価なものを持ってくるかもしれないという不安が脳裏をよぎった。
----あービックリした。あんな高そうなもの絶対ヤダ!
オリヴァー夫人が近くにいた従業員に指示を出し、明日香が安堵の息をついたところで低い声が店内に響いた。
「アスカ、同じような服でも生地は良いものを選べ。」
「ですが普段着るものですから。」
「だからこそだ。毎日肌に触れるものなんだぞ。それとも…」
ヘルヴァインは腰を屈めて明日香の耳元で囁いた。
「領主に恥をかかせるつもりか?女の服も満足に買えない男だと。」
「え!?そんなつもりは…」
----ちょっ…近い!そして圧が怖い!
ヘルヴァインはスッと身体を起こし、無表情のまま明日香を見下ろした。顔を真っ青にしながら目を泳がせている明日香など目に入らないかのように、抑揚のない声を出した。
「分かったらこっちの生地から選べ。夫人、他にも生地を見せてほしい。やはり私も一緒に選ぶ。」
「まぁ…フフ、畏まりました。」
「あの、ちょっと、あぁー…。」
視界の端でリムラの苦笑する顔が映る。いつの間にか目の前にドレスのサンプルを並べられ、明日香は心を無にして一番シンプルなデザインを指さした。
*
「では、仕上がりましたらご連絡致します。ドレスには少々お時間をいただきますが、お服の方は七日後とひと月後に分けてお届けに上がります。」
「分かった。もし荷物が多くなりそうだったらこちらから荷台と部下をよこすから遠慮なく言ってくれ。」
「お心遣いありがとうございます。」
「うむ。アスカ、行くぞ。」
ヘルヴァインは明日香に声をかけてすぐに踵を返し、馬車に向かって歩き出した。
「はい…。」
相変わらずの無感情な声に溜息が出るものの、今はまともに返事ができない。着せ替え人形のように次々と身体に生地を当てられ、あまり違いの分からないドレスの説明を延々と聞かされ、どれが気に入ったかと選ばされ、寒い時期の為にと羽織ものまで肩にかけられ続けたのである。さらには靴も必要だといって、わざわざ靴職人を店に呼んで足のサイズを測らせた。足を入れるだけのブーツとは違い、細かく測る必要がある分、計測にも時間がかかる。
労いの言葉もなく、用事を済ませたらさっさと歩き去る大男に文句をぶつける気力すら残っていない。明日香は目を伏せ、広い背中を視界から追い出すだけに留めた。
明日香はオリヴァー夫人に感謝の笑顔を向けて軽く頭を下げてから歩き出した。そのすぐ横にリムラが寄り添っている。いつもなら選んだ生地やドレスの感想を楽しそうに話す少女も、明日香の疲れ切った表情と遠く前を歩くヘルヴァインとの距離を見て口を開こうとはしなかった。
----暑いな… 。ヤバい、肌が焼けちゃう。あれ…なんか、ちょっと…。
明日香は手をかざして日影を作り、俯いて顔を隠した。もう秋とはいえ、まだ夏の暑さが残っているせいか、頭がグラグラとして真っ直ぐに歩けない。朝から続く緊張と疲労で身体が重くなり視界がかすみだした時、ふと暑さが和らいだことに気付いて顔を上げた。視線の先には、先ほど扉を開けていた護衛兵の心配そうな顔があった。
「大丈夫ですか?なんだか顔色が…ご気分が優れませんか?」
「え?あ…大丈夫です。すみません。」
「いいえ。急に陽射しが強くなりましたからね。馬車に着くまで私の影に入っていて下さい。辛くなったらすぐにお声をかけて下さいね。」
「ありがとうございます。」
明日香が控えめにお礼を言うと、護衛兵はニコリと微笑んで前を向いた。さりげない優しさが落ち込んだ気分に潤いを与えてくれる。明日香は胸に沁みる感動を噛みしめながら護衛兵の横顔に声をかけた。
「あの、私はアスカ・タチバナです。あなたのお名前は何ですか?」
「え?」
シンと静まる空気の中、突然の質問に目を丸くする護衛兵の表情に明日香は首を傾げた。しばらく見つめ合ったあと、男はハハッと顔を崩して胸に手をあてた。
「私はネクター・バイランと申します。」
「バイランさんですね。私、何か変なことを言いましたか?」
「いえ、失礼致しました。我々はあなた様のお名前を存じておりますので、自己紹介をして下さったことに驚いてしまったのです。私のことはネクターとお呼び下さい。」
「そうでしたか。ネクターさんとお話しするのはこれが初めてでしたから、つい言ってしまいました。」
明日香が恥ずかしそうに笑うと、ネクターは目を細めて見下ろした。
「私のような一介の兵士にはもったいないお言葉です。言葉といえば、とてもお上手になられましたね。毎日頑張っておられるのがよく分かります。」
「本当ですか!?」
コクリと頷くネクターを見て、明日香は思わず声が弾んだ。受験生の頃でもここまで勉強しなかったと胸を張って言えるぐらい、毎日朝から晩までずっと言葉の勉強をしている。それもこれも、ヘルヴァインから京香についての話を聞くことと、日本に帰る手段を見つける為だ。
今の明日香にとって言葉が上達していると褒められることは何よりも嬉しいことだった。
----ネクターさんていい人だなぁ。
互いに微笑み合い、ネクターの影に入ったまま停車所へたどり着くと、空気を押し潰すような鋭い低い声が明日香の耳を貫いた。