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第十五話


 机の前に置いた紅茶のカップを手で遊びながら、コズエは渦巻く様に流れるカップ内の紅茶を見つめる。それも束の間、カップから視線を上げるとロッテにそれを向けた。

「……バスケの県大会決勝で負けてから、杏は勉強に真剣に取り組みだしました。先生もテストしたから知っているでしょうけど、あの子、頭自体は決して悪くないんですよ。まあ、要領は良くはないんですけど……体育会系ってあんなもんなんですかね? 愚直な努力っていうか、まあ真面目に取り組むんですよね」

「そうだな。最初のテストこそ今一つだが、二回目は十分な結果を残していた」

「真面目に勉強してますからね、あの子は。絵里香もそれぐらい――と、これは関係ないですね。まあ、取りあえずあの子は一生懸命勉強したんですよ。バスケに必死だった熱量を勉強に振り分けたから、物凄く成績は上がりました。学年でもそこそこ良い順位を取れる様になって……先生から、折が丘を受けてみないか、と言われました」

「折が丘とは……確か、この辺りで一番の進学校だったか?」

「です。通称、『オリコウ』。お利口、とも言いますね。まあ、正直小利口な人間の集まる学校です」

「辛辣だな」

「勉強、勉強ですからね、あそこは。本当の進学校はある程度自由な裁量があるんですけど……ま、それは良いです。ともかく、杏の成績の伸長を見た先生方は杏の為に折が丘対策までしてくれました」

「私立だったか、君の中学校は?」

「公立です。ですので、純粋なボランティアですね。まあ、若い先生でしたので熱意もあったのでしょう。ああ心配しないでください。若い、『女』の先生ですから」

「……何も言っていないだろう」

「そういう顔をしていましたので」

 クスクスと笑んで見せた後、コズエはその表情を真剣なそれに戻す。

「杏の成績はぐんぐん伸びました。それこそ、折が丘も夢じゃ無い程に。正直に言いましょう、私も今の杏なら受かると思っていましたから」

「……その口振りでは落ちた様だな」

「ええ。より正確には試験すら受けて無い、ですが」

「……試験を受けていない?」

 ロッテの言葉に、呆れた様に溜息を一つ。


「駅で胸を抑えて倒れているおばあさんを見つけて、救急車を呼んでいました。そのせいで試験には間に合わず、ですね」


「……それは」

「杏の好意は人としては正しいのでしょう。ですが、受験生としては明らかに間違いです。高校が人生を決めるとまでは言いませんが、それでも杏は自らそのチャンスを逃しました。中学校の先生は正しい事をした、と言いましたが見て取れる程の落胆だったんですよ」

「……」

「こういう言い方はあまり良くはないのでしょうが……杏は不幸な子ではないですが、それでも『運が悪い子』なんですよ。助けた行為自体はともかく、そもそもそんなおばあさんに逢う事が無ければ、試験会場には間に合っていたでしょうし……試験は水物ですが、恐らく合格もしていたでしょう」

「……そうか」

「部活動、それに試験とわずか数か月の間で二つの……そうですね、失敗です。その失敗を機に、杏は少しだけ変わりました」

「変わった?」

「考え方がです。今までの杏は仲間と協力し、目標を達成する事を喜びとする子でしたが……その日を境に、考えを変えました。即ち」


 ――他人と一緒に頑張れば、他人の足を引っ張ってしまうのではないか、と。


「……それから杏はあまり『頑張らなく』なりました。いえ、この言い方は語弊がありますね。頑張ってはいますが、『誰か』と『何か』をする事を極端に恐れる様になりました。部活動もそうですし、勉強もそうです。誰かが杏の為に動けば動く程、杏は本番で失敗をすると、そう思う様になりました。今回の演劇もそうです。主役を務めれば、きっと何処かで失敗すると……そう、思っているんでしょうね。だから、頑なに主役を嫌がります」

「……たかが高校の、それもボランティア部の部活で、か? 演劇部ならいざ知らず……言い方は悪いが、『この程度』でか? それは……少しばかり、気にしすぎではないのか?」

「そうです。そして、それが尚の事この問題を厄介にしています。良く考えて下さい。『たかが』ボランティア部の部活ですら、杏は主役を嫌がるんですよ? これって、先生が仰るように、気にしすぎです。どう考えても正常ではないです。明らかに異常なんですよ」

 責任感云々の問題ではない。『気にしすぎ』なのだ。

「……私が心配しているのはそこです。今までは良い。ですが、これから先大学、そして社会人として生きて行く上で『人と協力』するという事が出来ないのはどうかと思います。親しい私達にすら遠慮をする様な子が、赤の他人と関わって遠慮しない、なんてこと、有り得ると思いますか?」

「……思わんな」

「一生裏方を務める、というのも方法の一つでしょうが、個人的にはあまり好ましくありません。杏はもっと表に出ても良い。もっと、楽しく生きても良い。それだけの価値が、あの子にはある」

 まるで、姉の、或いは母の様に。

 そう言ったコズエの表情は慈愛に満ちていた。

「先日、先生にお話ししたでしょう? 『私は別に、杏と先生の恋愛を止めない』と」

「ああ」

「先生なら或いは、という思惑もあります。貴方は優秀な人でしょうし」

「なぜ分かる?」

「……普通、否定しません?」

「私が優秀かどうかは私が判断する事では無いからな。君が優秀だと思うなら、君の中での私は優秀な教員なんだろう。その様な姿を君に見せた記憶は無いが」

「絵里香の点数見れば大体わかりますよ、そんな事。まあ、それはともかく……先生なら、杏がどれほど先生に気を使って、先生から距離を取ろうとしても、そんな杏の壁や溝を易々と乗り越え、或いは飛び越えて行けるのではないか、と思っているからです」

「体よく利用するつもりか?」

「言い方が悪いです。WIN-WINでしょう?」

「……まあな」

「だから私は先生に期待しています。願うなら、杏の考えなんか全部ふっ飛ばしてくれたらな~なんて思ってます」

「……なるほど。分かった、善処はしよう」

「よろしくお願いします。それでは私はこの辺りで失礼しますね」

 そう言って頭を一つ下げ、コズエは鞄を手に取りドアまで歩みを進める。そんなコズエの背に、ロッテは声を掛けた。

「一つ、イイか?」

「はい? なんでしょうか?」

「先程、杏ならば折が丘高校も受かっていただろうと言っていたが……君はどうなんだ? こういってはなんだが、君の成績の方が杏より一段も二段も上だ。折が丘も受かっていたのではないか?」

「そうですね。実際、折が丘も受かってましたし」

「……ならば、折が丘に行けば良かったのでは?」

「別に折が丘だけが高校ではないですから。天英館女子だって、望めばどこの大学にだって行けるカリキュラムは組んでいるでしょう? ならば、わざわざ折が丘に行く必要はありませんよ」

「行くつもりが無かった、という事か?」

「杏が受かっていれば考えてもいたでしょうが……ああ、でもまあ、絵里香を一人にしておくのも気兼ねするんで、きっと天英館女子に来てたんじゃないですかね? 杏と絵里香なら、絵里香の方が心配ですし……杏はまあ、一人でなんとかできる子ですし」

「……母親だな、まるで」

「せめて姉と言って貰えません? まあ、杏も絵里香もいない折が丘なんか行くぐらいだったら、皆が居る天英館の方がよっぽど良いですよ。高校のランクなんて大学受験ではなんの役にも立ちませんから」

「そうか? そんな事は無いと思うが」

「それはカリキュラムが充実している、という話でしょ? 生徒に自主性があって能力が高ければ、高校のカリキュラムなんて大差ありません。何処で勉強しても一緒ですよ。ま、それなら友達のいる天英館女子でしょ、って感じです。それに……知ってました?」


 わたし、結構寂しがり屋なんですよ、とにっこりと微笑んで一礼、今度こそコズエは部室を後にした。



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