恵吾と美咲の嘘。そして樹生12
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保育園の場所を恵吾に伝え、車が走り出すと、2人はずっと無言のまま、流れる目の前の景色をただただ眺めていた。
保育園にたどり着き、私が車から降りると、恵吾は何も言わずに一緒についてくる。
めぐみの容態が気になっていた私は恵吾の事をあまり気に掛ける余裕すらなく、2人は引き続き無言まま、保育園の中へと入った。
園内の保健室のベッドに赤い顔をして横たわっているめぐみを見た瞬間、私はさらに気持ちの余裕がなくなり、辛そうな息をしているめぐみの近くに慌てて駆け寄る。
「登園した時から少し普段よりも元気がなかったので、気にはしていたんですよ。一気に熱が上がったから、身体がだるいかもしれません」
保育園の保育士の話に胸が痛み、私は小さく「すみません」と返した。
保育士は登園した時からめぐみが元気のないことに気付いていたというのに、私はまったく気付けてなかった。1番気にかけなくてはならない娘の変化に気付けない自分に嫌気がする。
横になっているめぐみの頭を撫でる。おでこに乗せられた冷えピタがもうすでに暖かくなっていた。
「めぐみ……動けそう?」
虚ろな目をした娘に声をかけると、恵吾が「寝たままでいいよ。僕が抱いていくから」とめぐみの身体を軽々と横抱きで抱き上げた。
「お母さん。これ、めぐみちゃんの荷物です」
そう言って、めぐみの荷物を私に差し出した保育士は、恵吾とめぐみの顔を見比べて、何か言いたそうな顔をする。
その先の言葉にとても恐怖を感じ、「ありがとうございます」と荷物をすぐに受け取ると、私は恵吾を促して、急いで保育園を後にした。
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めぐみの容態は診察の結果、ウィルス性の風邪ということだった。高熱はしばらく続くため、自宅で安静に過ごすよう指示される。
解熱剤を投与して貰えためぐみは幾分だるさが楽になったのか、恵吾の腕に抱かれたまま、静かに寝息を立てていた。
恵吾の腕に抱かれて眠る娘を私は不思議な思いでみつめる。この風景がこの世に存在することがあるなんて思ってもみなかった。出来ることなら写真に収めたいくらい奇跡の時間。
「ママ……」
そのうち、めぐみが寝ぼけながらも私のことを呼んだから、私はその風景を忘れないように記憶の奥に刻み込んだ後、「ありがとう」と言って、恵吾からめぐみを受け取った。
恵吾の体温の温かさなのか、めぐみの熱の熱さなのか、腕に収めためぐみのぬくもりは胸の奥をじんわりとさせるほど温かい。
「娘の名前、恵美っていうんだね」
恵吾の声に振り返り、恵吾の手元を見ると、そこにはめぐみの健康保険証があった。
「でもさ。なんでその名前?僕の恵吾の『恵』と、美咲の『美』?」
「……っ!」
私は酷く動揺してしまった。
恵吾は私の表情を見て、パッと目を見開く。恵吾は明らかに察したという顔をして、私の目をジッと睨むように見る。
「まさか。やっぱり僕の子……」
「違う!」
恵吾は私の腕をつかみ、怖い顔をした。
「なんで正直に言わなかったんだ」
恵吾の大きくなった声に驚いて、恵美が目を覚ます。
「どういうことか説明を……」
「片瀬さん」
タイミングよく、受付の女性に名前を呼ばれ、私は目を覚ました恵美を抱きかかえると立ち上がった。
会計を済ませながら、恵吾の方を横目で見ると、恵吾は待合室の椅子に座ったまま、頭を抱えて項垂れていた。その恵吾の態度が私に嫌な予感すら呼び起こす。
私は恵吾に気付かれないよう、恵吾が下を向いている間に待合室から駆けるように立ち去った。
病院の入口前に停まっていたタクシーに急いで乗り込む。タクシーのドアが閉まる瞬間、「美咲!」と恵吾の声が聞こえた気がしたけれど、私は恵吾の方を振り向かなかった。
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恵美の熱は医者が言うように翌日も下がらず、世間はちょうど土曜日だったから、私はめぐみと2人、自宅でゆっくり過ごしていた。
寝室の布団で寝転んでいる恵美に絵本を読んで聞かせると、恵美はそのうち眠り始める。私は恵美を起こさないよう、そっとリビングへと移動した。
リビングのソファに放置していた携帯電話が振動していることに気づき、私は恐る恐る画面を覗く。画面には樹生の名前が表示されていたから、私は安堵して携帯電話を手に取った。
「恵美の調子はどう?」
塾の講義の合間に、恵美のことを気にして電話をかけてくる樹生の声は本当に心配そうで、不安にさせてしまうことを私は申し訳なく感じる。
「まだ熱はあるけど、大丈夫。笑顔もあるし、大好きなヨーグルトはしっかり食べたよ。今はお昼寝してる」
「そうか。それなら良かった。出来るだけ早く帰るからな。イチゴ入りのヨーグルト買って帰るよ」
「うん。ありがとう」
樹生との会話が終わって、通話終了ボタンを押すと、電話の履歴が表示された。嫌でも目に入ってきた恵吾の名前がこれまでの電話の着信履歴を通知する。
病院から逃げ帰った後、恵吾からの電話やメールの着信は続いていて、私はどうするべきか判断がつかず、無視することしか出来ていなかった。
恵美が恵吾の子供であることを私が認めない限り、恵吾は確信を得ることはできないだろう。
5年前の私は恵吾と樹生の両方と付き合っていたことになっていたし、健康保険証を見るまでは、恵吾も『恵美は樹生の子だ』と思ってくれているようだった。もし強制的にでも、恵美の父親を明らかにしたいということになるのだとしたら、DNA鑑定を申し出てくるのかもしれないけれど、応じなければいいだけのこと。
恵美の父親が恵吾だと判明したとしたら、恵吾はどうするつもりなんだろう。その答えが読めなくて、私はやっぱり逃げることしかできなかった。
恵美の様子を見ようと、私が寝室に足を向けた時、玄関の来客を知らせるチャイムが鳴った。インターフォンを覗くと緑色のキャップを被った男性が映り、「宅急便です」と答える。私はすぐさま、玄関のドアを開けた。
だけど、ドアを開けると、まったく予想外な背広を着た男性が立っていたから、身体を強張らせる。
「こんにちわ、片瀬美咲さん。服部です。覚えています?」
にっこりと微笑んだその顔は何日か前に、恵吾と行った料亭で食事を交わした弁護士の服部祐輔だと分かり、「話すことはありません」と玄関のドアを閉めようとした。すると、服部の手がドアをしっかりとつかみ、閉めることを阻まれる。
「逃げたっていいことないですよ?それに僕は美咲さんの味方のつもりです」
服部は表情を崩さす、優しい声を出す。
「味方?」
「この中に入っている書類、なんだと思います?」
ドアの隙間から、茶色い封筒が見えた。
「これは、美咲さんの戸籍謄本」
「なんで!」
「僕は依頼者のために動いただけですよ」
私が服部の持っている封筒を横取ろうとすると、服部は獲物を捕らえたような嬉しそうな顔をして、封筒を私の手の届かない位置へと追いやった。
「立ち話もなんだから、中に入れてもらるかな?」
そう言って、突然口調を変えた服部の笑顔に背筋が凍る。私は仕方なく、ドアを抑えていた手を離した。




