29 息子の夢
次の日。
タッグ戦開始三時間前から、闘技場は昨日よりも熱狂していた。
彼らのほとんどが、初戦を楽しみにしているのだ。
トーナメントのタッグ戦の相手は、開会式に厳正な抽選で選ばれる。
つまり、二日目の初戦の組み合わせは本当に偶然であった。
S級の戦闘、モルディオの一年ぶりの登場、新星グレイとの対決など、観客にとってこれ程嬉しい組み合わせはなかっただろう。
予想通り、足の痛みは退かなかった。
作戦を実行する為に、グレイ戦が終わるまで人目を避けなければならない。
その為、セヴィスは準備で登校する候補生たちより早く、闘技場に来ていた。
早朝の闘技場に祓魔師や候補生はいない。
観客は三十人程度だが、一番気をつけないといけないのは場所を取る為にいる報道陣だ。
彼らに見つかると、クレアラッツ全体に足を痛めていることが曝される。
とにかく足を引きずっていることが報道陣に見つからないように、自分の席につかなければならない。
席にさえついてしまえば、後は寝ていればいい。
自分の席の後ろには、ちょうどカメラに入らない柱がある。
入り口からそこまで辿り着くのは面倒だった。
最初は老人に変装しようと思ったが、変装に使った服や髭を席に持って行くのは不自然だ。
それに変装を解くところを一般人に見られたら終わりだ。
この時間、シンクは市場に行っていていない。
モルディオは作戦の準備をしている。
ハミルなど作戦を教えられない出場者は駄目。
事情を話せて、かつ快く引き受けてくれる人物を探した結果、ミルフィに手伝ってもらうことになった。
本当は変装してシンクに服を預けるという方法がよかった。
だがミルフィはフレグランスの正体を知らないので、変装できなかった。
「本当に大丈夫?」
「ああ、後はグレイ戦の時に強い痛みが来なきゃいい」
そう言って周囲に誰もいないことを確認すると、セヴィスはフードを取って車椅子から降りた。
柱までフードを被ったまま、ミルフィに車椅子で押してもらう。
これが仕方なくとった面倒な方法だった。
この車椅子は、闘技場の入り口に予め置かれていたものだ。
「やっぱり足のこと、審判に言った方がいいって。もしグレイに負けたら、ただの負け惜しみになるよ」
ミルフィはフードを車椅子に置くと、心配そうな表情をした。
そんな彼女を見ている時、いつも身体中に熱が走る。
「グレイがやったっていう証拠はどこにもないんだ。だからグレイから解毒剤を奪い取るまで、負けるわけにはいかない」
「そうだけど、やっぱり心配だよ」
「お前は、俺が負けると思うのか」
「そんなことないよ。だって、あたしが今こうしてるのも、勝つための作戦なんでしょ?」
「ああ、そうだな」
「頑張って。終わったら、レストランでパーティーだよ。楽しみにしてて」
今日パーティーをする話など、初めて聞いた。
だが、不思議と嫌な気はしない。
「そうだ、セビってどこか行きたいところとか、ない?」
「突然どうしたんだ?」
「何か自分にご褒美を用意すれば、頑張れるってアルジオさんが言ってたから」
考えたことがなかった。
だが、答えはすぐ浮かんだ。
「両親の故郷だ。ルキアビッツはあくまで二人の逃げた場所で、故郷じゃないからな」
「それって、どこ?」
「わからない。その町が存在してるかも分からない。だから両親の故郷があるっていう希望に賭けてみたいんだ」
「セビの両親のことだったら……グロウが知ってるんじゃない?」
とミルフィが言った途端、頭の中で何かが落ちた。
「そうか、グロウなら」
セヴィスは痛みを忘れて考える。
落ちた何かは、きっと蟠りだ。
グロウを探る利点を、今、やっと見つけた。
「でも何で?」
「俺にもよく分からない。でも、今思った。もし故郷があるとしたら、俺にも祖父や祖母がいるかもしれないだろ。例え祖父母がいなくても、町があるなら、俺もそこに住みたいって思えるんだ」
「そっか。何か手がかりが分かったら、教えて。あたしも協力するから」
「何でお前が?」
「だめ?」
「いや、俺のことだからお前の得にならないと思って」
「あたしは、あんたのことをもっと知りたいから」
「……」
「それとあたし、セビの戦闘見るの初めてなんだ。楽しみにしてる」
「いつもとは違うけどな」
「じゃあこれ、戻してくるね」
ミルフィは背を向ける。
その腕を、ほとんど無意識に掴んだ。
「えっ何?」
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
そう言って、セヴィスは手を離す。
「そう?」
ミルフィはもう一度背を向けた。
別れるのはほん少しの間だけなのに、熱が一層増した。
足の痛みを忘れそうな程、身体が熱くなった。
痛む足で一歩踏み込んで、強く抱き寄せる。
振り向いた彼女の顔が吐息のかかる距離にあって、思わず首筋に手を掛けた。
「セビ……?」
柔和な眼差しで見つめられて、身体中がもっと熱を帯びた。
「あれから、何か変なんだ。いつも身体が熱くなって……」
「えっ……?」
「つらい……もう、我慢できない」
腕の中に、僅かな抵抗を感じた。
自分からするのは二回目だろうか。
いや、初めては水を飲ませただけだから違う。
唇が触れる前に、彼女は自分の腕を解いてこちらに身体を向けた。
「それはだめ、おかしくなるよ」
彼女の言葉の意味を考えず、両腕を掴む。
今度は確かな抵抗が感じられたが、本当に嫌がっているようには見えなかった。
それに、抵抗されると余計に力を込めてしまっていた。
「どうしたの。らしくないよ」
「ああ、悪い……」
セヴィスは手を離し、目を逸らした。
なんとなく、恥ずかしかった。
「駄目だよ、あたしは所持者だから」
ミルフィが離れてくれたおかげで、何かを欲しがろうとする本能を抑え込むことができた。
自分はどうかしている。
そうとしか思えなかった。
「それ、関係あるのか?」
「あるよ」
所持者に何の関係があるのだろう。
もしかして、この奇妙な熱と悦楽が関係あるのだろうか。
とりあえず、今はグレイ戦のことを考える時だ。
「ミルフィ」
「なに?」
「……手伝ってくれて、ありがとう」
「ううん、こちらこそありがと。あたしを頼ってくれて、嬉しかった」
と笑顔で言って、ミルフィは車椅子を押して来た道を歩いていった。
それを見届けてから、セヴィスは柱から表に出る。
『あっ』
そこにいたのは同じクラスの大男、ランドだった。
ランドは申し訳なさそうに俯き、両手の人差し指を首の前で擦り合わせた。
「オレ、見てしまったんだな」
ランドは顔を上げ、正直に答えた。
「そうか」
こんな場所で彼女を抱き寄せた自分が悪い。
ランドを咎められる立場ではない。
セヴィスは足を庇う為、背もたれを飛び越えるようにして自分の席についた。
「セビって、意外と大胆なんだな」
ランドはセヴィスの隣にある自席に座って、頭を搔いた。
「さすがに肝抜かれたんだな」
ランドは聞いている方も恥ずかしくなるような話をしてくる。
こんな場所でやってしまったのだから、自業自得だ。
「一つだけ聞かせてほしいんだな」
「何だ」
「オレの勘違いだと信じたいんだが、まさかあの人の名前、ミルフィって」
「何でお前がそれを知ってるんだ」
セヴィスはランドの言葉を遮った。
ランドがミルフィを知る機会などなかったはずだ。
「じゃあセビ、お前最悪だな」
「は?」
「ピンクの髪と巨乳で美人。ハミルの彼女と特徴が一緒だったから」
「ちょっと待て。ハミルの彼女ってどういうことだ」
言われたことが心外だったので、セヴィスはいつもより大きめの声で言った。




