30 ウナギとハリネズミ
「確か一昨日の放課後に、ハミルがみんなに彼女の話をしたんだな」
一昨日。
その日は確か、モルディオとレンの『宝石』の話をして、グレイに会った。
その時モルディオを除くクラスの男子が全員いなかった理由がこれか。
ハミルが自分とモルディオを呼ばなかった理由はなんとなく分かる。
この二人の共通点は『ミルフィを知っていること』だ。
モルディオが未来を読めることも理由にあたるだろう。
「ハミルがミルフィさんを好きだったのは、お前も知っていたはずなんだな。それを知っていて……最低なんだな」
「違う、俺はハミルより先にミルフィを知ってた。ハミルがミルフィの話をするようになったのは、彼女が店で働き始めてからだ」
「ミルフィさん、抵抗してたんだな。お前が嘘ついてるのは明らかだ。ひどい奴だな」
「嘘じゃない」
「セビはハミルのことを分かってやれる奴だと思ってたんだが、見損なったんだな。あんな嘘までつくなんて」
「嘘じゃないって言ってんだろ」
そう言って睨みつけると、ランドは畏怖したらしく、一瞬だけ申し訳なさそうな表情をした。
ハミルがミルフィを気にしていたのは知っていたが、こんな嘘をついているとは思わなかった。
だがハミルを問い詰めるのはまだ早い。
ハミルには話を盛る癖がある。
ハミルの話でランドが勝手に彼女だと妄想した可能性もある。
「それだったら、ハミルが嘘を言っていたってことになるんだな」
こればかりはハミルに聞かないと分からない。
ミルフィが浮気するとは思えなかった。
そう思うのは、そう信じたいだけだからだろうが。
「ハミルは俺に彼女がいるとか言わなかった。だから俺はハミルの嘘かお前の勘違いだと思う」
「それじゃあ聞かせてほしいんだな。セビ、お前はどういう経緯で彼女が好きになったんだな?」
ここは正直に言った方が、後が楽だろう。
だが全て話すわけにはいかない。
実話に少し嘘を加えて、セヴィスは話す。
「俺は昔、倒れてた彼女を助けたことがあるんだ。それで最近悪魔討伐でラムツェルに行った時に偶然会った。彼女は俺に恩返しをしたいからって、他の男とは一切付き合ってなかった」
「その話が本当なら、すごい偶然なんだな」
ランドは感心した様子で頷いた。
「彼女の両親は亡くなっていて、彼女も生活に困ってた。だから俺があの店を紹介したんだ。店長とは知り合いだったしな」
「ふーん、じゃあ最後に一つ。彼女とキスしたか?」
「何でそんなこと聞くんだ」
「あの時、他の男子が同じことを聞いたら、ハミルはしてないって言ってたんだな」
「ああ……でも彼女が俺にした。俺からじゃない」
「分かった。さっきのミルフィさんが笑ってたところを見たら、お前はやっぱり嘘ついてないんだな。オレはお前を信じるんだな。でも、同じくらいハミルも信じてるから、後で聞いてみるんだな」
ランドはバッグからパンを取り出し、大きな口で貪り始めた。
この大きなパンが、彼の朝食らしい。
「そういえば、お前何でこんな時間に来たんだな? オレはいつも一番に来て、モルディオが二番目なんだな。でも今はモルディオでさえ来てない時間なんだな」
口にパンを含みながら、ランドは聞いてきた。
「家に記者が来て鬱陶しいから早めに出てきたんだ」
「それは多分昨日寝坊したからなんだな。サキュバスのことはもう聞くこともないと思うんだな」
「そうだな。俺もサキュバスについてはさっぱりだ」
***
時計塔が九回、鐘を鳴らした。
それよりも大きな観客の歓声が、闘技場に響き渡る。
「ではこれより第二十回、クレアラッツエクソシストトーナメント、タッグ戦二日目を始めます!」
二日目となると、ジョフェン=エルクロス学園長の挨拶はない。
地面に背中をつけた回数が二人合わせて三回、またはペアのどちらかが気絶すれば勝利という簡易なルール説明の後、試合はすぐに始まる。
ハミルの前に座っているチェルシーは、せわしなく周囲を見回している。
もうすぐ試合が始まるというのに、グレイが来ていないのだ。
「全く、初戦だっていうのに随分余裕……」
ハミルの隣にいるモルディオの言葉が途切れた。
後ろにいるセヴィスが何時間も前から寝ているからだろう。
「一回に出場する祓魔師は、前に出てください」
モルディオが立ち上がる。
その様子を見たハミルは、首を傾げた。
彼の手にあるはずの、細剣がない。
最初は忘れたのかと思ったが、彼の席にそれらしきものはない。
「待たせたなー子猫ちゃんたち!」
モルディオに聞く間もなく、後ろからグレイの声が聞こえた。
すぐに女子の悲鳴に近い歓声が会場を包む。
「わりぃわりぃ、俺様テンション上がってなかなか眠れなくてよ。で、起きたら寝坊ってわけよ!」
トーナメントで寝坊。
世間的にはセヴィスが先駆けだが、実際はグレイが初めてだ。
グレイは観客の中年からすばやく煙草を奪うと、それを寝ているセヴィスの頭の上に落とす。
セヴィスが避けたことによって、それは彼の制服に落ち、僅かな吸殻を残して地面に落ちた。
「せいぜい楽しませてくれよな、ウナギくん」
楽しそうにグレイが言う横で、セヴィスが咳き込んでいる。
以前、セヴィスは煙草の匂いが苦手だと言っていた。
家に来た時も、煙草を吸っているミストに対して嫌悪感丸出しだった。
「このクソハリネズミが」
グレイは女子たちにウインクと投げキッスをすると、チェルシーと一緒に階段を下りていく。
その先では、既に素手のモルディオが立っている。
歓声はどよめきの声に変わっていた。
これはおそらくグレイが寝坊したことではなく、モルディオが素手で来たことに対する声だろう。
「大丈夫なのかな、あいつ」
ハミルはぼそっと呟いた。
足の痛みはまだ退いていない、とモルディオが言っていた。
それどころかまともに歩けないレベルらしい。
本当に大丈夫なのだろうか。
「そのブレザーは何だ? ウナギの真似か?」
前のリングからグレイの挑発が聞こえてくる。
その言葉を聞いて、ハミルはもう一つの違和感に気づいた。
いつもシャツのボタンを一番上まで留めるようなモルディオが、ブレザーのボタンを開けていた。
だが開いているのはブレザーだけで、それ以外はいつもどおりだ。
「武器はどうした? 随分俺様をなめてやがるな?」
「せんぱいこそ、彼をなめてますよね。あんな小細工で、S級を潰せると思わないでください」
小細工という言葉に、周囲の候補生たちが顔を見合わせている。
ハミルにも、何のことだか分からなかった。
「グレイ、必ず殺してやる」
「いつも以上におっかないんだな……」
ランドを始めとする、事情を知らない候補生たちは完全に引いている。
セヴィスがここまで怒りを露にするのは滅多に見られない光景だ。
しかし、あの足でどうやって階段を下りるのだろうか。
そんな心配は無用だった。
立ち上がったセヴィスはその場から跳躍し、グレイの前に着地した。
無駄に空中で二回転したせいか、再び歓声が上がった。
いつもより低く感じたのは、右足を使わずに飛んだからだろう。
「おおー、さすがS級は違うなぁー」
グレイは笑いながら手を叩いている。
褒めようという気が一つも感じられない。
「……」
この位置からではよく聞き取れなかったが、セヴィスは何かを言って、ナイフのワイヤーを両手で引っ張った。
手にはめてあるグローブが、彼が本気であることを示している。
「ハミル、セビとグレイは何かあったのか?」
と、隣に座る男子が聞いてきた。
「おれにも分からねえ。何であいつ、あんなにグレイを嫌ってるんだよ。確かにグレイはうぜえけど、あいつが殺すまで言ったら相当だぞ」
ハミルはリングに立つ四人を見ながら答えた。




