第四十三話 どちらが教官なのか
気がつけば、朝日がアルトを照らしていた。
内門の内側は、ひどく静かだった。
昨夜の、あの地獄が嘘のように。
私は壁に背を預けて、座り込んでいた。
隣には、ティル。
拳に乾いた血を付けたまま、膝を抱えて何も言わない。
私も、何も言えなかった。
なにかを言う資格など、もう私にはなかった。
いや。
そんなもの、はじめから私にはなかったのだ。
内門の壁の上に、兵士たちが集まっていた。
外を見下ろしている。
私も立ち上がって、そこへ向かった。
足が勝手に、そうさせただけだった。
壁の外。
占領された、市街地。
そこに、ゼーラントの兵が溢れていた。
だが。
奴らは、民を殺していなかった。
武器を捨てた者を縛りもせず、ただ座らせている。
広場には、大きな鍋が据えられ、湯気が上がっていた。
炊き出しのようだった。
ゼーラントの兵が、フェルゼンの民に、食事を配っている。
「……どういうことだ、ありゃ」
兵士の一人が、呟いた。
「なんで、昨日まで殺し合いをしていた相手に、飯なんか食わせてやがるんだ」
誰も答えなかった。
内門の中を、振り返った。
こちらには、炊き出しなどなかった。
負傷者が、手当も受けられず、うめき声をあげている。
逃げ込んだ民が、隅で身を寄せ合っている。
ふと、ターニャの顔が浮かんだ。
こちら側で姿は見ていない。
おそらく逃げなかったのだろう。
ターニャなら、怪我をしている人間を見捨てて、逃げたりはしない。
訓練所でも、魔素酔いの者が出るたびに、私に釘を刺しに来た。
誰よりも、他人のことを思いやれる人間だ。
私と違って。
「……ここに食料は備蓄してあるのか?」
私は、隣の兵士に尋ねた。
「いや、ここにはなにもねえよ。もともと、外壁で敵を止める想定しかしてなかった。物資はすべてあちら側だ」
「……そうか」
たしかに、ここに追い込まれた時点で、我々の敗北は決まったのも同然だ。
あとは、ここで餓死するまで耐えるか、一か八かの突撃で逃亡を図るかだが。
どちらにしても、ほとんどの者は死ぬことになる。
民も含めて。
なら、私たちはなんのために戦ったのだ。
なんのために、子供たちを戦場に立たせたのだ。
答えの出ないことばかりが、頭の中を支配した。
貴族の区画のほうからは、肉を焼く匂いが漂ってきていた。
兵たちの顔に、はっきりと何かが浮かんでいた。
怒りとも、諦めともつかない、冷たいもの。
昨日、ティルの中から溢れ出たものが、静かに根を張りはじめていた。
ヴィクトルが、兵の間を回っていた。
「耐えるのだ。機は必ず来る」
そう言って回っていたが、その声に力はなかった。
兵士たちも、もう信じてはいなかった。
そんなものは、来ない。
誰もがわかっていた。
ヴィクトル自身が、一番わかっているように見えた。
「……フリード。無事だったか」
ヴィクトルが、私のところに来た。
「どう、でしょうか。目の前で、教え子たちを死なせてしまいました」
私は、自分の中にあるものを、正直に言った。
「……そうか。俺も似たようなものだ。部下を大勢死なせてしまった」
ヴィクトルは少し黙って、それから続けた。
「そればかりか、アルトを守る任を与えられながら、民を見捨ててここに逃げてきた。俺には、皆を率いる資格などなかったのだ」
「……」
ヴィクトルはそう言って、その場を後にした。
私には、彼の気持ちがなんとなくわかった。
私自身も、彼と同じなのだから。
私は兵士の中に、クルトの姿を探した。
東門にいたはずの、あの男を。
だが、どこにもいなかった。
内門に、退いてこなかったのか。
それとも――。
何人かに聞いて回ったが、誰もクルトの行方を知らなかった。
生きているのか、死んだのかもわからない。
あの男に限って、あっさりと死ぬはずがない。
そう信じたかった。
そのときだった。
「……フリード教官」
声をかけられた。
振り返ると、キリアンが立っていた。
生きていた。
だがその顔は、まるで別人のようだった。
キリアンは、私の前に立つと、深く頭を下げた。
「……すみませんでした」
なぜ、謝るのか。
わからなかった。
「西門にいた、訓練生たち。俺がついていながら……全員、死なせました。俺はまた、あなたの教え子を守れませんでした」
西門の訓練生。
私は思い出そうとした。
誰を西門に配置しただろうか。
どんな顔の子たちが、いただろうか。
なにも出てこなかった。
名前も。
顔も。
人数も。
私が送り込んだはずなのに。
私が死なせたはずなのに。
浮かぶのは、あの門で死んだラルフと。
ゾフィーの隣で泣いていた、ルイーゼ。
その二つだけだった。
「教官……本当にすみません」
キリアンがもう一度、頭を下げた。
違う。
謝らなければならないのは、私のほうだった。
私が、あの子たちを送り込んだのだから。
なのに、私は。
その子たちの名前を、一つも言ってやることができなかった。
「……すまない」
やっと、それだけが口から漏れた。
誰に言っているのかも、わからないまま。
キリアンは、また教え子を守れなかった、と言った。
過去にも、あの訓練所の卒業生を守ろうと戦っていたのか。
いや、そんな話をしていた気がする。
再会したあの酒場で、キリアンが言ったことを思い出した。
訓練所で教わったことなど、何の役にも立たない、と。
私の教えは、無意味だと。
私は名誉を説いて、子供たちを戦場へ送り出した。
そして、名前の一つも覚えていない。
どちらが、教官だったのだろうか。
内門の外では、湯気がまだ上がっていた。
敵が、フェルゼンの民に飯を与えている。
内門の中では、兵士たちが冷たい目で、貴族の屋敷のほうを見ていた。
私はただ、その両方を見ていることしかできなかった。




