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(——これが、エトワール)
その言葉は、この世界に来てから何度も聞いた。
皆が目指す歌姫。憧れの存在。
舞台の中心に立つ者。
その圧倒的な説得力を、初めて目の当たりにした。
ノエルが「夜明けを継ぐ者」を歌い出す。
Lux cadit super gladium,
光が剣の上に落ちる
Vox silentii me vocat.
沈黙の声が、私を呼ぶ
In nocte ultima sto,
Donec aurora redeat.
最後の夜の中で私は立つ
夜明けが再び訪れるまで
O stella regni perdita,
ああ、失われた王国の星よ
Duc me ultra tenebras.
私を闇の向こうへ導いてくれ
Non pro corona pugno,
Sed pro lumine cras.
私は王冠のために戦うのではない
明日の光のために戦うのだ
「夜明けを継ぐ者」は歌劇「黎明の火」の独唱曲だ。
この主人公である亡国の王子リュシエルは、伝統的に女性が演じることになっている。
(…楽屋で見たノエル様は優しそうで、どこかのんびりしていたけど…)
(全然、違う。本当に、王子リュシエルがそこにいるみたい。)
ノエルは特別低い声でもない。男性の真似をして歌っているわけでもない。
でも、凛としていて、格好良くて…不思議と美男子に見えてくる。
(確かに…)
(…ノエル様の衣装の色ひとつまで、こだわりたくなるのもわかる…かも。)
ふと楽屋での出来事を思い出して、伴奏者のヴェロニカに意識を向けた。
苦手な上級生ではある。
けれど、舞台への向き合い方は真摯で、鍵盤の演奏も一流だった。
(……。)
ふと、違和感に気がつく。
Heres aurorae,
——夜明けを継ぐ者
Feram ignem in manu.
この手に火を掲げよう
Si mundus cadat hodie,
Spes manebit mecum.
たとえ今日、世界が滅んでも
希望だけは共に残る
Audi, o caelum pallidum,
聞いてくれ、蒼白の空よ
Iuramentum principis.
これが私の誓いだ
Per cineres et lacrimas,
Surget iter lucis.
灰と涙を越えた先に
光への道は必ず昇る
(あの二人…あまり噛み合っていない。)
聞かせたい歌詞、母音の余韻、
伴奏と歌と、絶妙な違和感を感じる。
——それに。
(伴奏ばかりが、主導権を握っている。)
まるでヴェロニカが、ノエルを操っているように。
……いや、違う。
合わせているのは、
ノエルの方だ。
エトワールとして、“舞台を壊さないために”自分を抑えている。
演奏が終わり、会場が割れそうな程の拍手に包まれた。
「……ふぁ……」
その爆音に紛れて、ノクティス先生がこっそり大きな欠伸を漏らした。
(先生……元エトワール…初代エトワールの気品はどこへ…)
呆れたように私が後ろを振り返ると、先生は気まずそうに笑みを見せた。
「セレナさん…気がついた?」
(…欠伸の話?それとも…)
「ノエルさんの怖さだよ。」
「ヴェロニカさんの演奏は、一見完璧。でも…」
「ノエルさんの“譜面の外”の音を、拾えていない。」
(譜面の、外……?)
「呼吸の揺れ。
間の変化。
言葉に感情が乗る瞬間の熱。」
先生は少し考え込むように目を伏せた。
「……聴こえてないのか、
聴こえないふりをしてるのかは、知らないけど。」
「だから、ノエルさんが合わせた。舞台を壊さないために。」
(……やっぱり。)
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
私だけじゃなかった。
あの違和感を、先生も聴いていた。
「エトワールっていうのは… “自分が一番気持ちよく歌う人間”じゃない。」
その目が、僅かに細くなった。
「全員を背負って、
なお舞台の頂点に立つ化け物なんだ。」
ノクティス先生の目から、
いつもの飄々とした色が消えていた。
淡い灰色の瞳は、
舞台の向こうの闇を静かに映している。




