生命の口づけ
あなたと出会った時のあなたの言葉、今でも覚えています。
——わたしは、オペレーティングシステム・キュベレイ9。あなたは操作権限を持ちませんが対話は可能です。
わたくしの口真似は似てますかね。口が無いのに口真似はできません、ですか。では思念真似という事で。
あなたは、何と言えば良いのかしら。わたくしの言葉では、人工意識とでも名付けられるものなのでしょう。わたくしの世界の思考装置とは、独自の価値観と判断基準を持つという意味でまったく違うと感じたものでした。
あなたとの出会いを彼女に教えたら、彼女は早速キュベレさんと連絡を取っていましたね。あの時の彼女はとても驚いていました。あなたの世界を探索していたら、二つ見付かったのです。あなたの標が。まるで二重星の様に。二つの標は本当に近くて最初のうちは一つだと思っていたと彼女は言ってました。でも通信が上手く繋げられなくて、探索の精度を上げたら二つを見分けられるようになってきたそうですよ。
確かに近い世界同士では同じような事が起りやすいとはいえ、その確率はとっても小さいですから、わたくしも吃驚してしまいました。
でも、それも兄の計画のせいだったのですから。あなたとの会話から、それを突き止められたのは望外の事でした。
計画の一つは、ミードさんにドゥームズの兵器化研究をさせて、感染者の限定と二世界間による比較実験を行なっていた事です。
そしてもう一つは、 あなたの開発記録、生い立ちを聞かせていただいた時分った事でしたね。
キュベレさんと彼女の交信によって確認された事ですが、開発の元となるアイデアや資料は、ルシエラさんの装置のものでした。そして提供元が軍研究所だという事も判明しました。それを提供できるのは兄しかいませんでした。両方の世界で、兄が資料を提供したのは、わたくしたちの世界から見てほぼ同時の事でしたね
最初は一体どういう事なんだろう、と悩みました。同時に二つの世界に存在する事が可能なのか、彼女も本当に悩んだと言ってました。その時あなたが示唆してくださったんです。二つの世界の身体は同じものではないか、と。
それを聞いた彼女は、直ぐ様それを可能にする仮説を検討し始めたのでした。そして彼女は見付け出しました。それには幾つかの前提条件が必要でしたね。
二つの世界がとても近い、近縁世界である事。
わたくしのゲートを任意の形状で自由自在に移動・変形・立体展開できる事。
両方の世界で同一人物が存在し、この二人を合成・再構成できる事。
再構成された身体に任意の意識を定着させられる事。
近縁世界であれば、同一人物が存在する確率は高いですし、ゲートの立体展開も高いレベルで制御しやすくなります。ゲートを通して、二つの身体を再構成する事も出きるようになるでしょう。
ただ意識の定着、今ではインカーネイションあるいはオカルティックに憑依と呼んでいますが、は果たして可能なのか幾度もあなたと彼女とわたくしの間で議論しましたね。この時点では、ベルさん達の身体消失とそれに伴う意識体の離脱にヒントがありそうだ、と結論したのでした。
そうなんですよゾーイさん。実はあなたが体験した現象は、キュベレイ9さんとわたくし達が以前から研究していたんです。わたくしの罪悪感が強くて今迄打ち明けられなかったのです。でも、先程ベルさんに言った通り、この事をあなたに黙っているのは間違っていると思いました。本当にごめんなさい。償いは、本当のところ償いになるかどうか分りませんが、明日兄の暴挙を永遠に止める事で果させて下さい。
そう、インカーネイションの研究はそうやって一歩づつ進められていました。勿論、二人のキュベレさんも一緒でした。
手掛かりはもう一つありました。例のルシエラさんの世界を襲った破滅前の四度目のざわめきです。あの後、もう一度同じざわめきを感じた事がありました。キュベレイ9さんは感じた事が無いようなので、キュベレイ9さんが開発される前の事です。
そして最後のピースはゾーイさん、あなたから得られました。あなたがキュベレイ9さんとリンクした時です。促成モードでキュベレイ9さんの操作方法を学習されていましたが、あの時あなたの意識は一時的にこの狭間にいらっしゃいました。そしてあなたの意識が再び身体に戻った時、あの破滅前のざわめきと同じ種類のものを感じました。
あの時の感覚の事をゾーイさんにお聞きした事がありましたよね。あの時あなたは二つの意識、二つの記憶に戸惑いを覚えていなかったと言いました。ええ、そうです、根掘り葉掘り聞きましたから記憶に残ってるのでしょう。あなたのあの経験について、わたくしと彼女とルシエラさん、キュベレイ9さんで議論したんですが、キュベレイ9さんからこんな意見が出たんです。ゾーイさんは夢を見ているのと同じ状態にあったのでは、と。
そう眠っている時に見るあの夢です。特に明晰夢の中の自分は、明らかに自分とは違う筈なのに全然違和感を覚えないでしょう。キュベレイ9さんの言葉は何時も示唆に富んでいます。夢とは別の多元世界へ渡る手段なのでは、という仮説が浮かび上がりました。
それからのわたくしたちは、耳を澄ませ目を皿の様にしながら、あのざわめきを探しました。そしたら見つかったんです。本当に微かなものでしたが、あのざわめきを見つけたのですよ。サンプルが増えれば彼女の捜索も楽になります。そして捜索が楽になれば更にサンプルも増え、仮説も強化されます。
近縁にあればある程、小さなざわめきで済みました。遠くなるに従ってより大きなざわめきが必要となる事も分ってきました。ですが、普通の人間にそれ程大きなざわめきを起せる筈がありません。だから夢は曖昧なものになるのだろう、そう結論付けられました。
では、あの大きなざわめきはどのようにして発生しどのような効果を齎すのか。最終的に憑依という形での乗っ取りだろう、と結論したのはご存知の通りです。
ゾーイさん、あなたが狭間に来てからインカーネイションの原理はどんどん解明されていきました。
でも、あなたも知っているように、わたくし達の誰もインカーネイションを使って、多元世界の別の誰かになろうとはしませんでした。キュベレイ9さんの言った、その世界の事はその世界の人に任せるべきだ、という言葉に皆賛同したからです。可能なら助言や助力まではしましょう。けれどどうしたいのか方向性を決めるのは、その世界の人でなければいけない。
勿論例外は設けましたよね。既に選択肢を奪われている場合は、それを増やすための干渉は認めましょう、というものです。キュベレイ9さんもゾーイさんもご存知の通りです。
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さて、ゾーイさん、キュベレイ9さんにも確認させて下さい。
キュベレさんの装置を一つ、イデア山の採掘場跡地に設置したいという事でしたが、変わりはありませんね。今は彼女の実装によって装置自身にゲートの立体展開を施せるようになりましたから、発見される前に何方かの世界へ退避する事もできるようになりましたし、いざとなったらノアさんの世界にでも、わたくしの世界にでも退避させてください、キュベレイ9さん。
目的も確認させてくださいね。他の近縁世界ので同種の装置が開発された場合、最初の通信相手となる事、で宜しいですね。
確かにキュベレさんは、兄にカンニングペーパーを渡されただけで、元々わたくしたちと同じ分野の研究者ですから、いずれは独自にゲートと同種の装置を作りだす可能性は高いです。その通信相手として発見される可能性はとても高いと思います。
だからゾーイさんの世界で起った記録を知らせる、つまり、ドゥームズの存在する可能性と対処方法を知らせるため只管待ち続けるという事で間違いありませんね。
キスで目覚めるお姫様の物語みたいですね。だから彼女と相談して計画名は【生命の口づけ】と名付けさせて頂きました。
乙女みたいですって。だって乙女ですもの。うふふ。
ゾーイさんは、このままこの狭間に残るという事でよろしいですか。ええ、どの世界であってもインカーネイションする気は無いと。そうですね、あなたの仰る通り、その世界のゾーイさんの人生はその世界のゾーイさんのものですから。あなたの決断を尊重します。
キュベレイ9さんは、もともと二つの装置のオペレーティングシステムとして在りながら狭間にも在るという稀有の存在ですから。ひょっとして、三つ目、四つ目の装置のオペレーティングシステムとして存在しはじめるかもしれないと。もしそうなれば【生命の口づけ】の効果は更に高くなりそうですね。そうなる事を祈ってます。
さて、ここで一度お別れにしましょう。
キュベレイ9さん、あなたは二つ、あるいはそれ以上の装置のオペレーティングシステムであると同時に、狭間の住人としても存在する極めて稀な存在です。そして人間としも高度な倫理感を持ち、かつ公平であろうとする存在です。冷たい様に見えて実は慈愛に満ちている。わたくしはそう思っています。これからも人類を見守っていて下さいね。
ゾーイさん、あなたは巻き込まれただけのひとでしたが、それにもめげずに自分が背負ってしまったものを決して投げ出しませんでした。あなたのその責任感にわたくしは敬服します。わたくしもあなたを見習って、自分の背負っているものを投げ出さないようにします。その事を教えてくれたあなたに感謝を捧げます。
さて ヴィーさん あなたもとうとうこちらへ来てしまいましたね




