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38.嘘

 その日の夜。

 恋乃丞のスマートフォンに着信があった。

 陽香からだった。


「どないした?」


 恋乃丞は何の気なしに応答に出たが、しかし陽香はしばらく無言のままだった。回線の向こうで彼女は、妙に息を殺している。その沈黙の中に、思い詰めた様な気配が漂っていた。


「……あのね、恋君。今からちょっと、出て来れる?」


 しばらくして陽香が漸く搾り出してきた声が、そのひと言だった。

 電話では話せないことなのか――恋乃丞は内心で小首を捻りながら、ひとまずOKの返事だけを口にして、すぐに出かける準備へと入った。


(わざわざ、何なんやろな)


 どうにもよく分からない。

 が、無駄に待たせる訳にもいかない為、恋乃丞はスウェットジャージにベルトポーチだけをぶら下げて家を飛び出した。

 向かう先は近所の児童公園だ。

 まだ時間は然程に遅くないものの、女子ひとりをあんな薄暗い場所でひとりにするのは憚られる。先に行って待っておく方が良いだろう。

 そうして陽香よりもひと足早く辿り着いた恋乃丞は、ブランコに腰を下ろしてぼんやりと街灯を眺めていた。すると程無くして、陽香も姿を現した。

 パーカーにホットパンツという軽装だったが、剥き出しの太ももが妙な色気を放っていた。


「あ、御免ね恋君。急に呼び出したりしちゃって……」

「気にすんな。んで、話って何や?」


 恋乃丞は早速切り込んだ。陽香とは小さい頃から気心が知れている。今更前置きなど不要だろう。

 陽香はゆっくりと隣のブランコに腰を下ろし、しばし俯いたまま無言を貫いていた。

 どうにも、様子がおかしい――恋乃丞は陽香の端正な横顔をじぃっと見つめながら、彼女が口を開くのを辛抱強く待ち続けた。

 時折、夜の散歩やジョギングで汗を流す近所の住人が公園内を通り過ぎてゆく。

 それらのひとびとの気配が遠退いたところで、陽香は漸く口を開いた。随分と意を決した様な、真剣な表情だった。


「あのね……私、恋君にだけはどうしても、誤解を解いておきたくて」

「誤解?」


 恋乃丞は眉間に皺を寄せた。

 何か誤解する様なことなどあったのか。恋乃丞には今ひとつピンと来なかった。


「私ね、確かにこの三年の間に何人かのひとと付き合ったけど……でも、ただ一緒に居ただけで、何も無かったんだよ」

「何もって、何がや?」


 陽香がいわんとしていることが、よく分からない。恋乃丞はますます怪訝な表情を浮かべて陽香の気まずそうな面を見つめ続けた。


「だから、その……私、キスもまだ、したことがなくて……」


 意外な告白が飛び出してきた。

 複数人の男と付き合っていた女が、そんなことがあり得るのか。俄かには信じられない話だった。


「だって元カレ達と付き合ってる時でも、いつだって恋君の顔が頭の中にあって……だから、どうしてもそういう気分っていうか、そういう雰囲気になれなかったっていうか……」


 陽香は一体、恋乃丞に何を伝えようとしているのか。さっぱり意味が分からない。

 キスをしたことが無かろうが、セックスをしたことが無かろうが、そんなことはどうでも良い。どこまで進んだかどうかなどは、余り意味が無い。

 恋乃丞にとって重要なのは、陽香が他の男に心を許したという、その一事だ。それ以外は然程に重要ではなかった。


「いや、あのな陽香……キスがどうとか、処女がどうとか、そういう話はどうでもエエねん。俺にとって重要なのは、お前が他の男に心を向けたという事実があるか無いか。単純にそれだけや。付き合ったってことは、少なくともその時点ではその彼氏に心が向いてたってことやろ? 別にそれが悪いことやとはいわんし、そもそもそんな気にする様なことか?」

「……御免ね、恋君。私、やっぱりサイテーな女だった……こんなに恋君のこと傷つけておいて、ホント、今更だよね」


 陽香の声は涙に濡れていた。


「私、ずっと嘘ばっかりついて、そのたびに恋君を傷つけて……こんな私が恋君のことをどうこういうなんて、ホントおかしいよね」

「俺、何か騙される様なことなんてあったか?」


 恋乃丞は丸太の如き豪腕を組んで、尚も首を傾げている。

 陽香は面を上げて、恋乃丞に視線を向けた。その瞳に、後悔の念が滲んでいた。


「私、恋君をブサメンだっていっちゃったよね……あれが最初の嘘。私、そんなこと全然思ってもいなかったのに、友達に茶化されて、それが恥ずかしくて、心にも無いこと、いっちゃった……」


 この告白は流石に衝撃だった。

 陽香のブサメン評が、今の恋乃丞の美醜の基準を決めたといって良い。それが今、根底から覆されてしまったのである。驚くなという方が無理であろう。


「あと、それから……私に告白してきた先輩を恋君がやっつけちゃった時、私、怒ったよね……あれね、別に私の初恋がどうとか、そういうの関係無かったんだ」


 これもまた、恋乃丞にとってはのっぴきならない話だった。

 あの事件への罪悪感が、空白の三年間を生んだのだ。それが今になって、ひっくり返されようとしている。


「私ね、恋君がいつもは私の気持ちなんて全然気づかない癖に、あんな時だけ私の為にって暴れ出したのが、何だか腹立っちゃて……どうしてその想いを、私の気持ちに応える方向に使ってくれないんだって、それに対して怒っちゃって……」


 この時点で恋乃丞の脳内には幾つもの疑問符が浮かんでいた。

 正直、理解が追い付いていなかった。


(何や陽香……こいつ、何いうとんの?)


 整理が必要だ。

 恋乃丞は、深呼吸を繰り返した。

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