04.王族と婚約
これはグレイシアが聖女の任を下ろされる数日前の出来事。
男は跪き言った。
「お願いします父上。グレイシアとの婚約を破棄させてください」
一瞬で場が静まり返る一言。
その一言に一家の未来を揺るがすほどの意味が含まれている。
それほどに男の言葉は問題視されるものだった。
「どういうつもりだリュカ。我がノーブル家の実権を守るための聖女との婚約、それを破棄したいなどと……まさか他に好きな女でも?」
「そんな不純な動機ではありません! 俺はただ……」
リュカは言葉を詰まらせた。
聖女との婚約は云わば政略結婚。国王の息子としての使命を放棄したいというのだから、並大抵の理由では受理されるはずないと息子も理解しているはず。
それでも意を決したのか、リュカは拳を強く握りしめて言った。
「俺は……あの筋肉ダルマだけは愛せない……!」
確かに並大抵の理由ではない、並より遥か斜め下の理由だった。
王として何から指摘すれば良いものかと大きくため息をつく。
「お前、聖女以前に女性に向かって筋肉ダルマって……」
「では父上はあれを見て何も思わないのですか! 自身をガチムチに強化し、最前線で戦うなど女を捨てているとしか思えない所業! あれが聖女? バーサーカーの間違いでしょう……」
息子の必死の訴えに対し、父もその言葉を否定できなかった。
小柄な女性の体躯が倍以上に膨れ上がり、悪鬼羅刹のごとく敵を蹴散らす姿に覚えがあったから。
「あー……うむ。しかし魔法を使わなければ普通の清楚な女性ではないか」
「それは建前で戦場の彼女こそが本性です。そして婚約破棄を決心したのはそれだけじゃない。聖女が前線で戦うことについて口論に発展したときの一言が原因なんです……」
「なんと言われたんだ?」
「『お前も筋肉ダルマにしてやろうか』と……」
「……うむ」
「ですからあの女との婚約だけは無理です。そんなことになれば筋肉が強くなったとしても胃に穴が空きます」
「そ、そうか。しかしそんな馬鹿げた理由で婚約破棄なんて……でも筋肉かぁ……」
国王としては息子の言い分など無視するべきなのだろう。
しかし息子が不憫に思えて仕方なかった。
人生の伴侶が筋肉で、自分もまた筋肉に侵されかねない相手だなんて。自分だったら耐えられるかどうか……。
「リュカよ」
「……はい」
「すまなかった。お前がそこまで思い悩んでいるとは知らなかった」
「! では……!」
「婚約破棄は許そう。ただし、次の婚約は絶対に受け入れてもらう」
「あの女じゃなければ誰との婚約でも構いません!」
「では私は聖女の……ルベリオ家の父親に話をつけてくる」
◇
「というわけなのだが。どうにかならないだろうか」
「どうにかって……」
さっそく行われたノーブル家とルベリオ家の対談。
婚約破棄させていただきたい、と言伝を渡すとルベリオ家はすぐに相談の席を設けてくれた。
「リュカ殿下はうちのグレイシアと結婚したくない、ということですね?」
「ああ、どうしても筋肉は嫌だの一点張りで……」
「うーん……まあ僕でも筋肉と結婚するのはちょっとなぁ」
「分かる。自分の妻が筋肉だなんて想像するだけで……」
「一応確認したいのですが、ノーブル家として殿下と聖女の婚約を成立させたいという意思はお変わりでない?」
「もちろんだ、聖女との結婚はノーブル家には必須……だと思っていたが……」
王族として必要な聖女との政略結婚。
しかし息子が聖女との結婚を拒否してしまえばどうしようもない。
諦めるしかない……そう考えていたのだが、
「ではこうしましょう。グレイシアには聖女を辞めさせます」
「ん? そんな勝手に決めて良いのか?」
「仕方ないことです。元々グレイシアは聖女に向いていなかった。支援魔法の使い手が自ら戦場に出てしまうなんて」
「そうか……しかし問題となる代わりの聖女はどうする?」
聖女がいなくなるのは国としての問題、そのことは聖女の父親も理解していたらしく、その回答も用意していた。
「それは妹のフェリシアにやらせます」
「妹? その子も神から魔法を授かっているのか?」
「いえ普通の女の子です。リュカ君の婚約相手としてもその方が良いのでは?」
それは願ってもない話だった。
魔法を持つ聖女ではまた息子が筋肉にされると怯えるところだが、普通の女性であればそんな心配もない。
だが普通の女性だからこそ別の問題も浮き彫りになる。
「それはそうだが……魔法が使えないのに聖女を名乗らせるのは流石に不味いのでは?」
「バレやしませんよ。どうしても魔法が必要になったらグレイシアにフォローさせますから」
「ルベリオ殿がそういうのであれば……息子の我が儘に付き合わせてしまって申し訳ない」
「とんでもない。我々は最早家族も同然なのですから」
「ありがとう……」
こうしてグレイシアの聖女解任および婚約破棄、同時にフェリシアの聖女就任および婚約成立が決定した。
この世界の男の多くは美意識が高く、筋肉は美しさから遠いものという偏った考えを持っています。
作者に筋肉質な女性を非難する意思はありませんので悪しからず。