独身貴族はバーでハイボールを作る
「とりあえず、ジントニックに炭酸水を混ぜたものを頼む」
「……それは合いそうね。わかったわ。やってみる」
いわゆるジンソニックというカクテルだ。
ジントニックに炭酸水を加えるだけなので、炭酸の加減はわからないだろうが形にはなるだろう。
「俺はハイボールを頼む」
「私もそれで」
「……ハイボールって?」
この世界で炭酸水割りは浸透しておらず、ハイボールという飲み物は存在しない。
前世の名称を引き継いで俺がそう呼んでるだけなので、エルシーにはわからない。
「ウイスキーの炭酸水割りだ。上昇する泡を見立てて名付けた」
「へー、そんな意味があったのか」
これも前世にあった一つの節に過ぎないが、これが一番わかりやすいだろう。
「……なるほど。いい名前ね。ウイスキーの銘柄はどうする?」
前世の居酒屋ではハイボールと注文すれば、飲みやすくブレンドされたものが炭酸水で割られて出てくる。が、様々な銘柄が揃っているのが大人のバーというものだ。
格式高いところだとハイボールなんてございませんなどと言われたりもする。
エルシーに銘柄を尋ねられるのは当然だ。
「ジルク、この間飲ませてくれた奴はなんだっけ?」
「ロイヤルだ」
王国でも最高グレードに位置するウイスキーで、フルーティーな味と香りが特徴的だ。
主に富裕層の贈答品として使われることの多い酒でいい値段がする。
が、高ランク冒険者として活動しているエイトとマリエラが気にする値段でもないだろう。
「……ロイヤルならあるわよ」
王冠を模したスリムボトルを引っ張り出すエルシー。
流石の品揃えだ。
「じゃあ、ロイヤルの炭酸水割りを二つで」
「……わかった。炭酸水を扱うのは初めてだから拙いところは容赦してちょうだい。その代わり値段は無料でいいわ」
「別にそこまでしてもらわなくても……」
「……不完全なお酒を出してお金を貰うのは、私の矜持に反する。ただ、それだけ」
遠慮するマリエラであるが、エルシーはきっぱりと言った。
「わかった。それじゃあ、ご馳走になります」
エルシーのバーテンダーとしての矜持を理解したのか、マリエラは納得したように頷いた。
「待っている間はこれをつまんでおいて」
「おお、燻製だ!」
「エイトとジルクがいつも食べてるってやつよね? 私、食べるの初めてかも!」
エルシーが差し出したのは燻製の盛り合わせだ。それぞれの小皿には燻された枝豆、チーズ、ナッツ、サラミが載っていた。
炭酸水を使うのでいつもより作るのに時間がかかるからだろう。
ちょうどお腹が寂しかったのでダイキリを呑みながら、燻製料理をつまむ。
「んん! 本当に美味しい! 知ってる味なのに違った味! すごく新鮮!」
「だろう? こっちの枝豆もいけるぜ?」
はじめて食べる燻製料理に感動しているマリエラに、オススメを勧めるエイト。
見つめ合う二人の視線は実に楽しそうだ。
「どうしたジルク?」
「今のところは仲が良いなと思っただけだ」
「今のところは余計」
そうは言うが、この先も人生は長い。二十年、三十年という遥か先まで仲良しという保証はない。日本でも結婚したカップルの三割がすぐに離婚していたほどだ。
エイトとマリエラであっても、この仲の良さが永遠に続くとは限らないだろう。
「可愛い嫁と一緒に過ごす時間も中々に悪くないぞ? どうだ、ジルクも結婚してみないか?」
「やめろ。俺をそっち側に引きずりこもうとするな」
「既婚者を悪い側みたいにしないで」
「俺にとってはそうだからな」
マリエラにじっとりとした視線を向けられるが、俺にとってはまさに悪い側なのだ。
睨まれようとも意見を変えるつもりはなかった。
俺がこういう人間だと理解しているからか、エイトは楽しそうに笑い、マリエラは呆れた顔をした。
独身者と既婚者の意見が混じり合うことはない。
会話を切り上げた俺は燻製枝豆をつまみながら、カクテルを作っているエルシーに視線を向ける。
氷の入ったグラスにジンを注ぎ、絞ったライムを入れる。
バースプーンを軽やかに動かし、ジンとライムを混ぜて冷やす。
炭酸水を手に入れてから自宅でもカクテルは作るが、やはり本職であるエルシーにはまるで敵わないな。ただバースプーンを回しているだけなのに美しいと思える。
ステアが終わると氷に当てないようにトニックウォーターを注ぎ、それから炭酸水を注いだ。
バースプーンで氷を下から盛り上げ、軽く混ぜる。
それから手の甲に少しだけカクテルを垂らし、それを味見。
本人的に納得できる味だったのだろう。頷くと、ライムの皮を浮かせた。
「……ジントニックの炭酸水割りよ」
差し出されるジンソニック。
完成された見た目の美しさを堪能すると、グラスを持ち上げて口をつけた。
ライムの華やかな香りが広がり、トニックウォーターの苦みを孕んだ甘みがやってくる。
とても爽やかな口当たりで非常に呑みやすい。
「……どう?」
「ちょうど良く甘さが和らぎ、ジンの風味も感じられる。いいバランスだ」
通常のジントニックは俺には甘すぎるので、炭酸水が加わった方が俺は好きだった。
「……そう、よかった」
率直な感想を告げると、エルシーは少し安心したように微笑んだ。
ジンソニックの作成が終わると、エルシーは速やかにハイボールの作成に移行する。
二つのグラスを用意すると、氷魔法で作り出した氷をいっぱいに入れて冷やす。
ロイヤルの瓶を開けて、琥珀色の液体を注ぐと混ぜる。
溶けて減ってしまった氷を少し足すと、慎重に炭酸水を注いでいく。
しゅわしゅわと炭酸が音を立てながらウイスキーがせり上がってくる。
色の変化が美しい。
バースプーンを氷の下に入れると、軽く起こして混ぜた。
それからジンソニックの時と同じように手の甲に垂らして味見をする。
しかし、エルシーは少し眉を寄せた。
ハイボールはウイスキーと炭酸水の二種類しか使わない。単純なお酒だ。
ウイスキーと炭酸水の割合が重要となり、味の誤魔化しが効かないので難しい。
本人なりにこの味は違うのではないかと疑問を抱いてしまったのだろう。
「はじめて炭酸水を使うんだ。俺たちは気にしないぜ?」
「ええ、飲ませてちょうだい」
「……ありがとう」
バーテンダーのプライドとして提供するか迷ったようだが、エイトとマリエラの言葉を聞いてハイボールを差し出した。正直な感想を聞いて活かすことにしたのだろう。
マリエラとエイトは軽くグラスを持ち上げて視線を合わすと、そのままハイボールを呑む。
「わっ! ウイスキーなのに呑みやすい!」
「くうっ! この爽やかな喉越しが最高だな!」
ウイスキーがあまり得意ではなかったマリエラはハイボールの呑みやすさに驚き、既にハマっているエイトは嬉しそうにごくごくと呑んでいた。
「……ハイボールの感想はどう?」
「いいと思う! 私、ウイスキーはそんなに得意じゃないけど、これなら飲みやすくて美味しいって感じられる!」
炭酸水で割れば飲み口がとても柔らかなものになり、お酒のあまり得意ではない者でも楽しむことができる。炭酸水で割ることの大きな利点だろう。
「……エイトは?」
「うーん、これでも十分美味しいが、前にジルクが作ってくれた奴の方がさっぱりして好きだったな。ウイスキーと炭酸水の割合がちょうどよかった」
エイトの率直な感想を聞いて、エルシーの視線がこちらに向く。
「……作ってみて」
「俺は客なんだが、それでいいのか?」
「……炭酸水に関しては、あなたの方が使い慣れている」
まあ、炭酸水を持ち込んだのは俺だ。清酒の礼に少しくらいレクチャーしてもいいだろう。
まだ早いせいか俺たち以外の客もおらず、店主であるエルシーが良いと言っているのだし。
席を立ちあがった俺は回り込んでカウンターの内部に入っていく。
いつもは客側として座っているので、こちらに立つのは新鮮だ。
「おっ、新しいバーテンダーが入ったぞ!」
「ほら、新人君。お客に挨拶して!」
カウンター内に立つと、エイトとマリエラがはやし立てるよう言う。
こいつら、もう酔っているのか?
「泥酔している客は追い出すぞ」
「ひっどい! 接客もバーテンダーの仕事のうちでしょ!」
「知るか」
ぶーぶーと文句を言うマリエラを無視していると、エルシーが新しいグラスや氷を用意してお膳立てしてくれる。
とはいっても、特に特別な作り方があるわけでもない。ちょっとした調節が違うだけだ。
グラスいっぱいに氷を入れると、バースプーンを使ってかき混ぜる。
氷が溶けると少し水が出てしまうので水を切り、目分量でロイヤルを注いでいく。
「俺が作るハイボールの量は自分の指一本と半分。エルシーなら二本分くらいだろう」
説明しながらバースプーンで混ぜて、減ってしまった氷を追加。
エルシーはウイスキーの量を確かめるようにグラスに自分の指を当てていた。
美味しいハイボールを作るための余念がないな。
それから氷の隙間から炭酸水を丁寧に注いでいく。
「ウイスキーが一、炭酸水が三、あるいは四くらいの比率だ」
「……そこは人の好みってやつね」
あとはバースプーンを軽く入れて一回転させ、氷を持ち上げれば……。
「ハイボールの完成だ」
「えっ? ちょっとジルクさん、お酒作るの手慣れ過ぎない? 本物のバーテンダーみたいなんだけど」
「家でも酒は作っているからな」
前世と今世の経歴を合わせると、それなりに長い時間は作っていることになるだろう。
色々なバーテンダーの教えてもらった知識や、ネットの情報などを加えての独学だが、それなりに様になっている自信はある。
自分の分も合わせて四人分を作ると、皆が一斉にハイボールを呑む。
「ああ、やっぱりこのバランスが俺は好きだな」
「うん、私もこっちの方が好きかも!」
エルシーの手前喜びづらそうにしているが、マリエラもこっちの方が気に入っているのは明らかだった。くぴくぴとグラスを傾けている。
「……美味しいわね。明日からうちで働く?」
そして、エルシーはというと、ハイボールを少し呑むと真顔でそんなことを言ってきた。
「さすがにそれは勘弁してくれ」
できれば俺は作る側よりも、作ってもらう側の方が好きだ。
所詮、独学が長いだけのアマチュアだ。しっかりと学んできたプロの作る酒の方がいいに決まっている。
「……冗談。でも、職に困ったら雇ってあげる」
「もしもの転職先候補として入れておこう」
できればそんな未来はこなくていいが、保険は多いに越したことはない。
「……炭酸水の湧き出る宝具ね。私もダンジョンに潜ろうかしら」
「おっ、銀嶺の――なんでもない」
エイトが笑いながら何かをしようとしたが、エルシーに睨まれて口を閉じた。
いつもはこういった踏み込んだ言葉を口にしないのだが、続けてお酒を呑んでいたこともあって気が緩んでいたらしい。
多分、昔はエルシーも冒険者だったのだろうな。これだけ卓越した氷魔法があれば、二つ名くらいついていてもおかしくはない。
が、興味本位で踏み込む必要もないので気にしないことにしよう。
カウンターから席に戻った俺は、自分で作ったハイボールで喉を潤す。
ウイスキーの甘みとコクが炭酸と混じり合っており、とても飲みやすい。
「……炭酸水も燻製料理と同じで売ってもらうことはできる?」
「俺の空いているタイミングでよければ」
「……ありがとう。それでお願い」
どうせここには何度も足を運ぶんだ。そのついでに持ってくるだけなら大した手間ではない。
「ハイボール、お代わり!」
「あっ、でももう炭酸水がないわ」
エイトがお代わりを申し出るが、俺が渡した炭酸水の瓶はほとんど空だ。
「安心しろ。今日の差し入れはまだまだある」
一ケース二十本入りのケースをマジックバッグから取り出すと、エイトとマリエラが嬉しそうな声を上げた。
「……他にも炭酸水で作りたいカクテルがあるから呑んでくれる? 勿論、お代は結構よ」
「やった! バーで飲み放題だなんて贅沢だわ!」
その日はエルシーの作ってくれた炭酸カクテルをたくさん呑むことができた。




