独身貴族は悪友の工房に向かう
ブレンド伯爵の屋敷から工房に戻ったが、どうにもやる気が出ない。
朝からバイスの相手をし、喫茶店問題に頭を悩ませて、ブレンド伯爵に屋敷に訪れたりと今日は慣れないことをやり過ぎたようだ。やはり急に無理をするのはよくないな。
「少し早いが今日はこの辺りで切り上げるか」
まだ外回りをしているルージュとトリスタンには悪いが、先に帰ることにしよう。
疲れている時に無理をしていいパフォーマンスはできない。長く仕事を続けるためにはしっかりと休むことも重要だ。
自宅に帰ることにした俺は手早く荷物を纏めて工房を出た。
「……そういえば、エルシーへの礼がまだだったな」
今日の夕食はどのような献立にしようかと考えていると、不意にそのことを思い出した。
エルシーには清酒の売っている貴重な店を教えてもらった。そのお礼となる品をまだ渡せていない。
借りは個人的に早く返したい派だ。思い出してしまったとなると放置はしたくない。
炭酸水を樽くらいの量で渡してやろうかと思っているが、さすがに樽に炭酸水を入れてしまってはすぐに炭酸が抜けてしまう。しっかりと栓のできる容器に入れるのが望ましいだろう。
ペットボトルなんて便利な容器はないので、しっかりと栓のできる入れ物といえば、やはり瓶だ。できればポーション瓶のような密閉性の高いものがいい。
それをたくさん持っている人物といえば、錬金術師でありイリアの夫でもあるルードヴィッヒだ。
「この時間ならあいつもいるだろ」
空を見上げるとまだ太陽の位置は高く、夕方にもなっていない。
イリアの尻に敷かれているせいか早めの帰宅を義務づけられてはいるが、この時間帯であればまだ工房で働いているだろう。
踵を返した俺は西区にあるルードヴィッヒの工房へと向かう。
中央区を経由して西区へと入り、しばらく進んでいくと淡黄色のサンドストーンを積み上げ、黒い屋根をした四階建ての建物が見えた。
建物の周りには広い庭があり、それを囲うようにぐるりと塀が建っている。
ここはルードヴィッヒの家族が経営する錬金術師の工房だ。
ルードヴィッヒをはじめとする多くの従業員が働いており、貴金属の精錬や加工、ポーションや薬の生産、研究と幅広いことを行っている。
魔道具師と同じく、よほどのことがなければくいっぱぐれることのない専門職のエリートだ。
敷地の入り口に向かうと、そこには槍を持った二人の警備人がいる。
「ジルク=ルーレンだ。副工房長を呼んでくれ」
「副工房長は二人おりますが?」
まったく、ここの工房はどうして副工房長が二人もいるのか。
「ちゃらんぽらんの方だ」
「承知しました。少しお待ちを」
警備の一人が軽く頭を下げると、工房内へと入っていく。
どうやら今ので通じたらしい。工房内でのルードヴィッヒの評価がわかるものだ。
程なくしてさっきの警備人がルードヴィッヒを連れて出てきた。
仕事中だからいつもの私服ではなく、錬金術師の証である黒ローブを羽織っている。
「おいおい、ちゃらんぽらんな方って言い方がおかしいんじゃないか?」
「警備人にそれで通じることが問題だろう。日頃の言動の賜物だな」
俺が言い返してやると、ルードヴィッヒが警備人を睨んだ。
しかし、警備人は特に気にした風もなく鋭い視線を向けて、槍でコンと地面を叩いた。
「ま、まあいい。とりあえず、中に入れ」
ルードヴィッヒはどもりながらそそくさと工房の中に入って行く。
こういうヘタレなところも昔から変わらないな。
広々としたエントランスを抜けると、ルードヴィッヒと俺は廊下を歩く。
一般的な錬金術師の工房では販売スペースもあることが多いが、ここは生産や研究を重きに置いているためにそういうスペースはまるでない。研究機関のような雰囲気だ。
「それにしても、ジルクの方からやってくるだなんて珍しいな。今日は何の用なんだ?」
「密閉性の高い瓶を分けてほしくてな。お前のところの工房なら大量にあるだろう?」
「別にそれはいいが、一体何に使うんだ?」
「炭酸水をエルシーに贈るためにな」
「なにぃ!? お前、エルシーさんを狙っている――って、お前に限ってそんなことはないか」
女性に贈り物と聞けば、誤解されそうではあるが長年つるんでいるルードヴィッヒはそんな勘違いもしない。反射的に俺の肩を掴んだが、すぐに思い直したようだ。
「当然だ。ただ美味い酒が売っている店を紹介してもらった礼だ」
「というか、炭酸水ってなんだ?」
「それは後で見せてやるから早く案内してくれ」
「わかったわかった」
いちいち口で説明するよりも見せた方が早いからな。
納得したルードヴィッヒに付いていって階段を上り、一番奥へと進む。
「ここがポーション瓶の保管庫だ」
ルードヴィッヒがスイッチを押すと、天井につけられた魔道ランプが灯った。
室内にはいくつもの棚が並んでおり、そこには収納ケースの中に収まったポーション瓶が置かれている。
様々な液体や用途に合わせてか形は多種多様だ。装飾のされたデザイン重視のものから、携帯性を重視された細長いものまで色々ある。
「できれば大きいものがいいんだがあるか?」
「それならこっちにあるぞ」
希望を伝えると、ルードヴィッヒは移動して一つのケースを取り出す。
五百ミリリットルくらいの大きさで炭酸水を入れるにはピッタリだ。
「もっと大きなやつもあるが……」
「いや、この大きさで十分だ」
炭酸水は量が減ってしまうと炭酸ガスが抜けやすくなってしまう。そのために使い切りやすいこのサイズがいいだろう。
容器となる瓶を決めると、俺はマジックバッグから【泡沫の酒杯】を取り出す。
「『湧け』」
発動キーワードを呟くと、金色の酒杯から炭酸水が湧き出してきた。
「ぱちぱちとした水が出てきたぞ。これも宝具か?」
「そうだ」
ルードヴィッヒの言葉に頷きながら、酒杯に沸いた炭酸水を瓶に移していく。
すぐに栓を閉めると、そのままマジックバッグに収納。それをひたすらに繰り返していく。
「なあ、これってどんな液体なんだ?」
「天然ガスを含んだ水だ」
「……それ大丈夫なのか?」
言葉を選んで言ったつもりだが心配の声をかけられてしまった。
確かにこう聞くと、ヤバい水のようにしか思えない。
「大丈夫だ。そのまま飲んでもいけるし、酒やジュースで割っても楽しめる」
「ふーん、ちょっとだけ口にしてもいいか?」
興味があるのだろう。ルードヴィッヒが小さなポーション瓶を渡してきたので、そこに炭酸水を注いでやる。
ルードヴィッヒは色をじっくりと眺めた後、瓶を口にした。
そして、すぐに吐き出した。
「おい」
「すまん。口の中に広がる刺激が知ってる毒と似ていて、つい反射的にやってしまった」
思わず冷たい視線を向けるが、ルードヴィッヒは申し訳なさそうにしていた。ふざけたりしていたわけではないようだ。
「師匠に毒の知識を叩き込まれてな。わざわざ口の中に含ませて、毒の判別をさせるなんて鬼畜だよな」
俺も冒険者活動をするに当たって、毒についての知識は仕入れているが、そこまではしていない。森で獲った素材の中に、未知の毒性素材が混じっている場合もある。
目や知識だけでなく、そうやった感覚で危険を察知する術は持っていても損ではないだろう。しかし、進んでやりたいと思えるかと言われると別だ。
「錬金術師も大変なんだな」
「まあ、ここまでやる奴はほとんどいないけどな」
ルードヴィッヒがやってきた体験が一般的というわけではないようだ。
普段はへらへらした調子のいい奴であるが、それなりの苦労があって今の地位にいるようだ。
「さて、改めて飲ませてもらおう。うん、口の中が噛みつかれるような感覚だが、不思議と爽快感があっていいな!」
「だろう?」
最初はしゅわしゅわとした刺激に驚いていたようだが、すぐに慣れたようで気に入ったようだ。
「瓶は全部やるから俺にもちょっと分けてくれ。あと家のお土産に持って帰りたい」
「わかった」
ルードヴィッヒの提案に文句はなかったので、彼が欲しがった量の炭酸水を入れてやる。
それと同時に炭酸水を保存する際の注意もする。
常に冷蔵庫で保存しておくこと。保存する時はできるだけ逆さにして置くこと。開けたらできるだけ飲みきること。衝撃を与えると噴き出すことなど。
「クソ苦いポーションもこれを混ぜれば少しは飲みやすくなるかもな」
「そんなバカな実験をするよりも根本的な味の改良をしてくれ」
ポーションは魔法を使わずに怪我を治したり、身体に様々な恩恵を与える便利な道具であるが、非常にまずいのが欠点だ。
「……努力してはいるんだけどなぁ」
ルードヴィッヒの遠い目を見る限り、ポーションの味が改善されるのはまだまだ先のようだ。




