独身貴族は感心する
以前訪れた北区にある屋敷にやってきた俺は、執事であるノイドに案内されて屋敷を歩いていた。
「急に押しかけてすまない」
貴族の家を訪ねるには事前に手紙や使いなどを向けて、事前に約束をとっておくのが礼儀だ。午前中に使いを出して連絡を入れたが、まさかその日の午後に会えるとは思っていなかった。
「いえいえ、ジルク様の訪問であれば、アルバート様も大歓迎ですので」
廊下を歩くノイドの表情は実ににこやかだ。
ビジネス的な繋がりができたとはいえ、すぐに予定を空けて会ってくれるとはアルバートは俺を気に入ってくれているようだ。俺がその厚意に応えられるかは疑問であるが。
などと考えながら歩いていると、以前と同じ応接室に通された。
「やあ、ジルク殿」
室内に入ると香ばしいコーヒーの香りがした。
ソファーに腰かけているアルバートは手動ミルを手にし、コーヒー豆を挽いているようだ。
「お久しぶりです、アルバート伯爵。本日はお忙しい中、急な来訪を受け入れて頂き感謝いたします」
「ああ、そういう堅苦しいのはいい。私とジルク殿の仲ではないか。とりあえず、腰を下ろしたまえ」
「では、失礼して」
アルバートに促されて俺はソファーへと座る。
前にルージュとやってきた時は茶色い牛革のソファーであったが、今日は黒い牛革のものへと変化している。家具の移り変わりが激しいな。
だが、このソファーも実に座り心地が良い。
「ジルク殿、私が作るものになるがコーヒーでもどうだね?」
「お願いします」
どうやら俺にコーヒーを振る舞いたいのだろう。
無邪気な表情しながらの提案に俺は頷いた。
「私の仕事が取られてしまいました」
「いいじゃないか。ジルク殿が来た時くらい私に振舞わせろ」
どうやら俺以外の時は、基本的にノイドがコーヒーを淹れているようだ。
相手は俺であるからか二人ともとてもリラックスしている。こちらとしても堅苦しい空気は苦手なのでとても助かる。
やがて、アルバートが豆を挽き終わり、抽出器を使ってコーヒーを注いでくれた。
「さあ、飲んでくれたまえ」
「では、いただきます」
アルバートが差し出してくれたティーカップを手に取ると、まずは香りを楽しむ。
「……うん?」
そして、香りの違和感に気付いた。
いつもロンデルのところで仕入れているコーヒー豆はしっかりとした苦みとコクがあり、酸味は控えめだ。ハーブなシナモンのような上品な風味がある。
しかい、アルバートが淹れてくれたコーヒーには強い酸味とコク、甘い香りがあり、根本的な香りが違うように思えた。
「ロンデルの喫茶店で使っているコーヒー豆とは違いますね?」
「さすがはジルク殿、正解だ。このコーヒー豆はロンデルの仕入れている豆とはまったく違うものだ」
俺がそう尋ねると、アルバートは嬉しそうに語る。
前々からコーヒーに興味を持っており、流通ルートを開拓していると聞いていた。
さすがは大貴族。もう違うルートで豆を仕入れているのか。
その辺りが少し気になるが、出されたコーヒーを飲まずに尋ねるなど無粋だろう。
香りを堪能すると、俺はカップに口をつけた。
いつも飲んでいるコーヒーよりも少し強い酸味とコクが感じられ、ほんのりと甘い。
「率直な意見が聞きたい。味はどうだね?」
アルバートとの地位の差を考えれば、適当に美味しいと言っておくのがいいのだろうが、真っすぐにこちらを見据える茶色い瞳はそんなものを望んでいなさそうだ。
「私やアルバート様は飲み慣れているので平気ですが、一般の人のことを考えると、少し酸味が弱い方が良いかと。焙煎度合いを変えるか、他の種類と混ぜてみることで味の調和を図った方がいいかもしれません」
「やはりジルク殿もそう思うか。ありがとう、実に参考になった」
俺がそのようにハッキリと意見を言ってみると、アルバートは満足したように頷いた。
特に俺の意見で気分を害した様子はないようだ。
会話が一区切りつくと、俺とアルバートはじっくりとコーヒーを味わう。
「ところでジルク様、本日のどのようなご用件だったのでしょう?」
「あっ……」
ノイドに声をかけられて俺はここにやってきた本来の目的があったことを思い出す。
アルバートが新しい豆を使ったコーヒーなんてものを出してくるから、すっかり味わうことに夢中になっていた。
「おお、そうだ。ノイドが言ってくれねば、新しいコーヒーの試飲会のなるところだった。まあ、私はそれでも構わないがな」
同じく気付いた様子のアルバートが愉快そうに笑う。
それもそれで悪くはないが、きちんと聞いておきたいことがある。
ティーカップをソーサーの上に載せ、テーブルの上に置くと俺は居住まい正した。
「アルバート様の考えておられる喫茶店の出店については、いつ頃を計画されておりますか?」
「ふむ、どうしてそれが気になるのかね?」
片眉を器用に持ち上げて尋ねてくるアルバート。
急に事業の詳細な計画を尋ねられれば、相手の思惑が気になるのは当然か。
俺はミルの発売によって起きているコーヒー豆の品薄や、ロンデルの喫茶店の混雑状況をアルバートに説明する。
「ふむ、それとなく興味がいくように動いてみたが、まさか発売して半日も経たないうちにそこまでの状況になるとは……」
やはり、こうなることを狙っていたようだ。
しかし、この状況はアルバート自身も予想以上の結果となっている様子。
「ロンデルの喫茶店が混雑とはおぞましいな」
「休日はあそこでモーニングを食べながらゆったりするのが楽しみなので困りましたね」
アルバートだけでなくノイドも残念そうにしている。
どうやら俺たちの思っていることは同じようだ。
「ですので、早急にアルバート様の喫茶店を出店していただきたいなと」
「出店に関しては既に中央区の店を抑えている。少し内装を整える必要はあるが、バリスタさえ育てばすぐに出店できる状態だ」
「コーヒー豆の入荷については大丈夫なのですか?」
喫茶店がすぐに開店できることは素晴らしい限りだ。動きが速いのは素晴らしい。
しかし、肝心のコーヒー豆の仕入れが心配だ。ロンデルの喫茶店のようになってしまっては目も当てられない。
「ロンデルの持っている窓口を紹介してもらっている。それとはもう一つ別のルートがあってな」
「……新しい取引先ですか?」
「いや、違う」
俺が推測の言葉を述べると、アルバートは少年のような笑みを浮かべた。
「実はこのコーヒー豆は、私の領地で栽培したものなのだ」
「本当ですか?」
「ああ、大分前から領内での栽培を試していてな。ようやくそれが身を結んだのだよ」
てっきり新規のルートを開拓していると思っていたので、これには驚きだ。
「ジルク殿の指摘する通り、まだまだ難点はあるが改良を重ねて提供していくつもりだ」
「それを狙っていてのコーヒー文化の普及でもあったのですね」
「趣味とはいえ、結構な額を投資している。それなりに回収もしないとノイドや妻に怒られてしまうからね」
肩をすくめておどけたように言うアルバート。
後ろに控えているノイドにっこりと笑った。
コーヒー好きな貴族だとは思っていたが、これを見越しての動きだったとは。
さすがに大貴族となると視野が広い。それにきっちりと新規事業の投資も行っている。
「さすがはアルバート様ですね」
前世でいくつもの企業を見てきたのでわかるが、投資を行わない企業はゆるやかに衰退していく。常に目先の利益だけを追い求めるだけではダメなのだ。
しっかりと新しい事業に投資をして、社会貢献をしていかなければいけない。
それは領地経営にも通じることだと思う。
「そうは言うがジルク殿もかなりの投資をしているではないか。魔道具でこれだけ稼いでいるんだ。安泰じゃないのかね?」
どうやらアルバートは俺が個人的に投資していることも知っているようだ。
俺は魔道具の製作だけでなく、領地にある特産品の生産、薬草の栽培、素材となる魔物の畜産なんかにも手を出している。
「魔道具でいつまでも稼げるとは思ってないですから。新しい魔法技術が発展し、魔道具が不要になっては一ソーロも稼げない。なんて情けないことにはなりたくありませんので」
今は魔道具で稼げたとしても、その先も魔道具だけで稼げるとは限らない。
「若いのにそこまで考えられているとは本当に大したものだ」
「恐縮です」
独身は自由であるが故に、生きていく責任も全て一人で追わなければいけない。
いざという時のために身を守るリスクヘッジは大事だ。
「ともかく事情はわかった。ロンデルも協力してくれることだ。私の方でも喫茶店の開店を急いでみることにしよう」
「ありがとうございます」
喫茶店の話が終わると、俺とアルバートは二杯目のコーヒーを飲んでまったりした。




