独身貴族は縛られない
『異世界ではじめる二拠点生活』書籍1巻が発売中です!
よろしくお願いします。
「ジルクはこの後どうするんだ?」
湖から王都に帰還し、ギルドで依頼の達成報酬を受け取るとエイトが尋ねてきた。
「バーに行くつもりだ」
「行きたいけど今日はこの辺にしておくかな……」
などと言う割には名残惜しそうにしているエイト。
「マリエラの存在を理由に行動が制限されているな。結婚した弊害がもう出ているぞ」
「くっ、それを言われると痛いが、嫁と一緒に過ごす夜もいいものだからな。よし、決めたぞ! 俺は家に帰る!」
彼の口から放たれた言葉は、どこか自分を言い聞かせるようなものであった。
エイトはくるりと踵を返して帰路につく。
後ろを振り向ければ誘惑に負けてしまうと思っているのか、やたらと急いでいるようだった。
「そうか、残念だ。今日はエルシーに炭酸水を渡して、美味しいカクテルを作ってもらう予定だったのに」
エイトに聞こえるようにわざと呟いてみせると、ピクリと身体を震え、足が止まった。
そして、次の瞬間にはこちらに振り向いて、つかつかとやってくる。
「ジルク、家に帰ろうとしている既婚者にそういう事を言うのは卑怯じゃないか? そんなの絶対に美味しくて楽しいに決まってるだろ! やっぱり、俺もバーに行く!」
さすがは元自由人。楽しそうなことに対する理性が低いな。
マリエラと過ごす夜の時間はいいものではなかったのか。
結婚したというのにカクテルに負けてしまうマリエラが哀れだった。
「冗談だ。今日のところは炭酸カクテルをやらないでおいてやるから帰れ」
結婚したばかりの旦那を深夜まで連れ回したと知られれば、マリエラに不興を買うのは目に見えているからな。
「本当だな? ちゃんと俺がいる時にやるんだぞ?」
「わかったから早く帰れ」
炭酸カクテルさえなければ、理性が無くなることはなかったのだろう。
俺がそのように言うと、エイトは今度こそ帰路についた。途中で名残惜しそうに二回ほど足を止めて振り向いたのは見なかったことにしてやった。
「それにしても既婚者というのは面倒だな」
結婚する前のエイトであれば、迷わずについてきていた。
しかし、それはマリエラと結婚して同居することになって、これまでのようには行かなくなった。
結婚したばかりとなれば、旦那が夜遅くまで遊んでいることをマリエラは良しとしないだろう。
多少の自由時間には目を瞑ったとしても、結果として彼女のストレスや不満になることは間違いない。
それをエイトもわかっているからこそ、自分の本当のやりたいことや、行きたいことを我慢する。
結果としてエイトの自由は奪われ、必然的に選択肢は狭まってしまうのだ。
さらにその被害はエイトだけにも留まらない。
エイトと時間を共にする仲間や友人にもそれは広がる。
俺が引かずに誘っていけばエイトは多分バーにきただろう。しかし、それをマリエラが知れば、当然俺のことを良くは思わないはずだ。
最愛の旦那との時間を奪っていい顔をする嫁はいない。
必然として既婚者の周囲にいる独身者は、相手の生活環境にまで配慮してやる必要があるのだ。煩わしいったらありゃしない。
「やっぱり、独身が最高だな」
ただバーに行くというだけでこれだけの面倒事があるのだ。
この先、何十年もそのような縛りを受けるなど俺には到底耐えられない。
「独身の俺は自由だ」
改めてそのことを実感した俺は、意気揚々とバー『アイスロック』に向かうのであった。
●
「いらっしゃい」
薄暗い階段を降りて扉を潜り抜けると、いつもと変わらぬ涼しげな声が響き渡る。
バーに来るには時間が早めなせいか、店内には他の客はいないようだ。
一人でゆったりできることに小さな喜びを感じる。
カウンターの右から二番目の席が俺の中での特等席。
何故そのような中途半端な場所なのかと言われれば、この角度が酒を作る工程が見えやすいからだ。
エルシーもここが俺のお気に入り席とわかっているのか、そこにコースターを先に置いていた。
「……香ばしい匂いがする」
席に着くとエルシーが微かに鼻を鳴らしてそう呟いた。
「臭かったか? 消臭してきたんだが……」
昼間にたくさん燻製していたからな。店に入るマナーとして、消臭してきたのだがまだ匂いが残っていたらしい。
さすがに燻製の香りをプンプンとさせた状態では居座る気にはならない。
「嗅覚が鋭い種族でもなければ気付かないレベル。だから、気にしなくていい」
「……そうか」
「それよりも燻製ってなに?」
帰ろうとするも、エルシーがそのように尋ねてくる。
いつもは基本的に無表情な彼女だが、燻製については興味を示しているように見える。
若干言葉が前のめり気味だ。
そのことに驚きながらも、とりあえず浮かせていた腰を下ろして説明する。
「……乾燥させた樹皮を燃やし、その煙で食材を燻して風味をつける。そんな調理法があったのね」
「この辺りではやられていない食べ方だな」
「具体的にはどんな味?」
「少し食べてみるか?」
ちょうど手元には昼食の残りがある。それをつまみにしながら酒を呑もうと思っていたところだ。
「いただくわ」
そのように提案するとエルシーが収納棚から小皿を取り出す。
俺はマジックバッグから取り出した燻製品をそこに盛り付ける。
昼間に作ったオークキングのステーキの燻製、スカイサーペントの燻製だけでなく、つまみとして追加したチーズやミックスナッツなんかもだ。
「……この肉って、もしかしてオークキングとスカイサーペント?」
「ああ、エイトが持ってきたから、そっちも燻製にした」
「高ランク冒険者が集まるとロクな遊びをしないわね」
呆れたかのような言葉であるが、エルシーはクスリと笑っていた。
男二人で贅沢な魔物肉を使って燻製なんてロクな遊びじゃないからな。
エルシーは燻製品の匂いを嗅ぎながらもフォークでオークキングの燻製ステーキを口にした。
味わうように目を瞑り、もぐもぐと小さな口を動かして呑み込む。
「これ……いいわね。香りが強いから赤ワインが合いそう……だけど、辛口の清酒もいける気がする」
「ここには清酒があるのか?」
前世でいう日本酒。極東との国交は開拓されたばかりで、それが市場に出回ることはほとんどない。
国交が安定するまではまだ仕入れることはできないと思っていたが、エルシーの口ぶりを聞く限りでは手に入れているような。
俺が尋ねるとエルシーは、バックバーに並べてある酒瓶の奥に手を入れて、細長い木製の箱を取り出した。
蓋を開けると、そこには透明な緑色の瓶があり透明な液体が入っている。
「あるわ」
どこか誇らしげな様子でカウンターに乗せてくるエルシー。
まさか清酒があるとは思わず、俺は驚いてしまう。
「呑ませてくれるのか?」
「いいつまみを持ってきてくれたお礼にね」
そう言いながらエルシーは小さな清酒用のグラスを二つ用意してくれる。
突然、清酒を呑めることになった俺は落ち着いた様子を装っているが、心の中で大はしゃぎだ。
まさか、ここで清酒が呑めるとは。以前、呑んだのは四か月ほど前。それも一口なのでまともに呑んだとはいえなかった。
それなのに目の前ではなみなみと注がれている。これに興奮するなというのが無理な話だ。
「銘柄と種類はなんだ?」
「銘は『春の恵み』で種類は確か大吟醸酒って言っていたかしら?」
大吟醸酒は米、米麹、鋳造アルコールを原料としている。吟醸酒との違いは、精米歩合が五十%以下であることで色沢が特に良好だ。
きっと燻製とも合うに違いない。
清酒の注がれたグラスを持ち上げ、エルシーと軽く目を合わせて乾杯の意。
清酒の香りを堪能し、一口。
口の中にするりと入ってきた清酒。お米独特の風味や甘みが口の中で広がった。
その後にキリッとした辛みが駆け抜ける。
「辛口ながらも米の旨みを穏やかに感じられていいな」
「ええ、私もこれがお気に入り」
スッとグラスから口を離したエルシーは、いつもより顔が柔らかい気がする。
バーテンダーをやっているだけあって本質的にお酒が好きなのだろうな。
そのまま俺たちは清酒を味わうようにチビチビと口に含む。
この味が酷く懐かしく無限に呑めてしまいそうだ。
しかし、そのままで呑み切るのは勿体ない。当初の目的通り、持ち込んだオークキングの燻製ステーキと一緒に味わう。
オークキングの強い肉汁と旨み。そこに重なる燻製の風味。
やや強過ぎるともいえる旨みを、燻製がまろやかに包み込んでくれている。それでいて旨みが引き立っているのだから、こちらも最高だ。
そして、それを清酒と一緒に流し込む。
燻製肉の旨みと清酒が混ざり合い、単体で呑むのとは微妙に違った味の変化を感じた。
「うん、やっぱりこのお酒とも合う」
「ああ、いけるな」
エルシーと俺はそのような感想を漏らすと、互いに話すことなく黙々と清酒と燻製料理を味わう。
美味しいお酒と料理を楽しむのに会話はいらない。
互いにそれがわかっているから無言の空気に包まれようとも気にならなかった。
……可哀想なエイトだ。今日ここにやってきていれば、お前も極上の酒にありつくことができたのにな。
既婚者の事情に振り回されている最中の元独身者のことを思い出して、俺は心の中で哀れんだ。
燻製肉を噛みしめながら清酒をチビチビやっていると清酒が無くなった。
すると、すかさずエルシーが清酒を注いでくれる。そのことに深く感謝だ。
「……燻製料理はどこで売ってる?」
「どこにも売ってないだろう。俺の手作りだからな」
少なくとも燻製料理を知っている人には出会ったことがないし、それらしいお店が出たなどという情報は耳に入ってはいない。市場で燻製された食材も見たことがないので、現状では王都では手に入らない代物だろう。
「お店で出したいから売ってくれる? 勿論、こんな豪華な食材を使わなくていいわ」
エルシーからの申し出に俺は驚く。まさか、そんなことを言われるとは思っていなかったからだ。
「構わないが条件がある」
「清酒の仕入れルートね?」
既に俺の思惑はお見通しのようだ。
俺がこくりと頷くと、エルシーは懐から小さなメモを取り出して、ペンで何かを書き始めた。
「北西区画の道具屋商店街の裏に『東屋』っていう小さなお店があるわ。ホムラという店主に私からの紹介だと言えば、売ってくれるはずよ」
エルシーからのメモを受け取ると、東屋の具体的な場所とエルシーのサインが入っていた。
どうやらこれを頼りにその店に向かえば、清酒を売ってくれるらしい。
「わかった。明日にでも行ってみよう。作ってほしい燻製はなんだ?」
「他にどんなものが作れるか教えて」
俺は燻製をつまみにしながら清酒を呑み、ゆったりと燻製料理について説明した。
面白かったら★★★★★面白くなくても★で応援してくれると嬉しいです!




