独身貴族はバーでみぞれ酒を堪能する
いつも通りずれて置かれている立て看板の位置を修正すると、地下へと続く階段を降りていく。
扉を開けて中に入ると、清涼な空気が俺を迎えてくれた。
前回は氷魔法が散布されていたせいで湿気がすごかったが、今回はそのようなことはなかった。
「ちゃんと涼しいな」
端には小型のクーラーが設置されており涼しい空気を排出していた。
俺の作った魔道具はきっちりと仕事を果たしているようだ。
「……話題のクーラーをあなたが売ってくれたお陰よ」
カウンターにいるエルシーが涼やかな表情をしながら礼を言ってくる。
以前は暑さと湿気でどこかげんなりしている様子だったが、クーラーで店内が涼しいお陰かカッチリとシャツを着こなし、背筋もピンと伸びていた。
「自分のためだ。気にするな」
エルシーのバーには定期的にお酒を楽しみにきている。
頻繁に通う場所が暑苦しいのは困るからな。
クーラーを設置してもらうのは自分が快適に過ごすためだ。
決してエルシーを喜ばせたいなどという意図があってのものではない。結果として自分のためなのだ。
「……そういうことにしておくわ」
などと告げると、エルシーは苦笑しながらいつもの定位置となるテーブルにチェイサーを置いた。
そういうこともなにも、自分のため以外の意図はないのだが。
まあ、別にそんなことはどうでもいい。店内が涼しいのであれば文句はない。
席に座ると早速注文をする。
「フローズン系のおすすめを頼む」
「……わかったわ」
いつもならその日の気分に合わせて指定することが多いが、氷魔法を得意としているエルシーなら任せた方が面白い。
「あと適当におつまみも頼む」
今日は仕事に夢中になって何も食べていなかったからな。
お酒を呑む前に胃袋に軽く食べ物を入れておきたい。
「……わかった。とはいっても、あなたに燻製のつまみを出しても面白くないわね」
燻製ピーナッツの入った瓶に手を伸ばしかけていたエルシーが、ふと動きを止めた。
「まあ、俺が作って卸しているものだからな」
燻製のつまみがお酒に合うものならともかく、いつでも自分で作って食べられるものをお店で食べたいとはあまり思わない。
「……別のにするわ」
ピーナッツの入った瓶を棚に戻すと、エルシーはカウンターの奥へ引っ込んだ。
つまみを用意するには少し大仰だなと思っていると、奥の方から醤油の香りがした。
醤油ベースの煮込み料理か?
エルシーはホムラとも繋がりがあるので醤油を持っていてもおかしくないが、バーにはやや不釣り合いな香りだった。
疑問を思いながら待っていると、エルシーがお皿を持って戻ってきた。
「……赤魚の煮付けよ」
お皿の中には煮汁に浸かった赤魚と大根、ししとうがあった。
まさかの和風のおつまみが出てきたことに俺は驚く。
「随分と違う方向の食べ物が出てきたな」
エルシーは簡単なつまみこそ出すものの、あまり手の凝ったつまみなどを提供しない。
このバーではこういった食べ物は食べられないとばかりに思っていたが……。
「……夕食として作っていたものだから」
「なるほど」
どうやらお店のフードではなく、プライベートでの料理だったようだ。
しかし、和食か……頼んだのはフローズンのお酒なので恐らくカクテルが出てくるだろう。
さすがにフルーティーなカクテルと煮付け料理は会わない。
まあ、悪酔いしないために頼んだので酒のつまみとは別であると考えておこう。
「……安心して。お酒もこれに合わせたものにするから」
そんな俺の心境を見抜いたのかエルシーがクスリと笑いながら冷蔵庫へ向かう。
「ということは清酒か?」
「……正解」
微笑を浮かべながらエルシーが持ってきたのは分厚い透明な瓶だった。
「……よく見ていてちょうだい」
彼女は瓶を慎重な手つきでこちらに持ってくると、冷やしたグラスへ清酒を勢いよく注いだ。すると、清酒がグラスに注がれた瞬間に凍り付いていく。まるで雪が舞うようだ。
冷凍温度にまで冷やすことでできるシャーベット状の清酒。
「みぞれ酒か!」
「……よく知っているわね。極東人でもあまり知っている人はいない飲み方だって彼から聞いたけど」
「たまたま知っていただけだ」
「……そう。博識なのね」
別にそこまで興味はないのかエルシーは特に追及することなく、空になった瓶を片付けた。
前世の知識として知ってはいたが、こうやって呑むのは初めてだ。
味わいが気になってすぐに手を伸ばしたくなるが、まずは悪酔いしないように煮付けを食べよう。
赤魚を箸で突くと、しっかりと煮込まれているお陰かすぐにほぐれた。
柔らかな身を丁寧にすくいあげて口に運ぶ。
赤魚の身はとてもふっくりとしており、口の中でしっとりと溶ける。
臭みはまったくなく煮汁がよく染み込んでおり、ほんのりとした甘さの赤魚との相性は抜群だった。大根にも煮汁がしっかりと染み込んでおり、ししとうの苦みともよく合う。
「美味い」
やや甘辛さが強いのが実に俺の好みだった。
刻まれたショウガがほんのりと香りを主張してくるのも実にいい。
「……ゆっくり食べていると溶けるわよ」
「そうだった」
思ってもみないクオリティのおつまみが出てきたことや、空腹だったこともあり、つい食べることに夢中になっていた。
本命はみぞれ酒だ。
胃袋を落ち着かせた俺はグラスを手にして香りを楽しむ。
「穏やかな香りだな」
樹木を思わせる穏やかな香りだった。
少し香りを堪能すると、グラスを傾ける。
シャリシャリとしたいつも呑んでいるものとは違う口当たり。清涼な香りが鼻孔を突き抜けた。
濃厚な味が口の中で広がり、甘み、酸味、苦みへと変化していく。
「スッキリとしていて美味いな。なにより口当たりが面白い」
カクテル系のフローズンを呑んだことはあっても、清酒のフローズンなど初めてだからな。
冷やした清酒はたまに呑むが、たまにはこういう飲み方もいい。
「凍らせてもあまり風味は損なわれないんだな」
「……純米酒だから風味は損なわれにくい」
「なるほど。冷凍するのに合った清酒を厳選しているというわけだな」
俺の言葉にエルシーはしっかりと頷いた。
冷酒や熱燗にするようにみぞれ酒にも合う種類の清酒があるようだ。
みぞれ酒を口に含みつつ、ほんのりと温かな赤魚を食べる。
すると、みぞれ酒の余韻と煮汁の濃い味が混ざり合って変化した。
純米酒だけあって濃い味付けの料理との相性も抜群だな。
「普通に料理もできるんだな」
前に市場で遭遇したのである程度の料理ができることはわかっていたが、ここまでちゃんとした料理ができるとは思っていなかった。
「……エルフは寿命が長いからできないと不便」
「確かにそれはそうだな」
エルフは人間よりも遥かに長い時間を生きる。当然食事をする回数も多いので自炊くらいできないと困ってしまうのだろう。
「……美味しい?」
「ああ、美味い」
「……よかった。ちゃんと作ったものを振舞ったのは久しぶりだったから」
しっかりと頷くと、エルシーは安堵の息を漏らした。
顔にはあまり現れていなかったが料理の出来栄えを心配していたようだ。
「確かにここではつまみになるものしか置いていないな。料理は出さないのか?」
これだけ美味しい料理を作れるのだ。お酒に合う料理を作れば、もっとお酒の注文が入るのではないだろうか?
「……前は簡単なものを作って出していたけど、バーテンダーは私しかいないからお酒が作れない。それに料理を出すとお皿を回収したり、洗ったりとバタバタとするから」
「確かにそれはそうだな」
「……私は美味しいお酒を出すことに集中したい」
珍しく饒舌なエルシーに少し面食らってしまったが、そこには彼女なりの考えや仕事に対する芯のようなものがハッキリとしていた。
バーテンダーであり、経営者であるエルシーが確固たる決意を持っていっているのだ。
そこに同意を示そうが、否定を示そうが彼女の考えは変わらない。
客である俺は黙って頷くだけでいい。
「……でも、お酒に合うつまみの探求もサボりはしない」
エルシーはそう言いながら棚からいくつもの瓶を取り出した。
そこには魚や貝といった海鮮系の干物がいくつも入っていた。
「干物か」
「……オスーディア海洋国から仕入れた」
「隣国からか」
オスーディアとはうちの国の隣にある海洋国だ。
内陸の多いうちと違って、オスーディアは大きな海に広い範囲で面していることもあって水産業がかなり盛んだ。
王都で流通している海鮮食材よりも遥かに質と種類も豊富だ。
みぞれ酒と一緒に食べたら間違いなく美味しいだろう。
「……食べる?」
エルシーの問いかけに俺は即座に頷いた。




