独身貴族は思い出す
「待ってたぜ、ジルク!」
休暇を貰った翌日。出勤すると工房の中の待合室に魔道具店の店主であるバイスがいた。
コイツがいると工房内の温度が五度くらい上がったように感じるので大変暑苦しい。
「クーラーの予約開始日に休暇とは偉い身分じゃねえか」
「貴族であり工房長だからな。実際に偉い」
皮肉をサラリと流すと、バイスがぐぬぬと悔しそうな顔をした。
「それで朝早くから何の用だ?」
「予約が殺到してクーラーが足りねえ。もっと作ってくれ」
またそれか。
今回は大勢のオヤジ共を連れてきていないようだが、毎回せっつかれると辟易とする。
「ルージュ、今の段階でどれほど予約が来ている?」
「現段階で大型が八十、中型が百四十七、小型が二百ね。予約開始二日目でこれだからもっと増えると思うわ」
各魔道具店から上がってきたであろう予約数の書かれた書類を渡しながら言う。
「前に言っていた数の二倍以上じゃないか」
「あくまであれは予約してくれる人の最小値よ」
そういえば、そうだった。
あくまで個人的な問い合わせで来たのが二百件というのであって、それが最大値ではない。
予約開始の情報を聞きつけて、ふらりと予約をしにきた者もいるだろう。
俺がカタリナに教えてやった楽団員の分の予約もあるだろうし、こちらが想定しているよりも増えるのは当然だった。
「んん? やけに病院からの注文が多いな」
予約表を見てみると、王都の病院や治癒院などの施設からの注文もきている。
貴族や商人などの注文が多い中、病院などの施設もそれなりの割合で混ざっていると目立つな。
「あっ、私が入院していた時にお医者さんにクーラーのことを話したから」
「ルージュさん、入院しながら営業もしていたんですか!?」
「だって、ああいう場所にこそクーラーに需要があるって思ったから。体力の弱った患者にとって暑さはそれだけできついのよ?」
俺も他人のことは言えないが、入院中にも関わらず営業をするとは、とんでもないワーカーホリッ
クだな。
身体を休めろといった時に、営業をしていたのは叱ってやりたいが、大口の顧客を集めたのは大きな成果だろう。
もっともこれだけ注文が多いと素直に喜べないが、
「王族の方にも百台卸すことになっているし、最低五百台以上は必要ってことになるわね」
「ご、五百!? ……今ってどのくらいの数ができていましたっけ?」
「大型は六十五、中型が百十、小型八十だな」
おそるおそる尋ねてくるトリスタンに現在の生産状況を告げた。
「……半分しかないじゃないですか」
「今のペースで生産をして発売当日に用意できるのは三百台くらいかしら?」
「そういや、新人を二人入れたんだろう? もう少しペースアップできねえのか?」
バイスがチラリとパレットやイスカを見ながら言う。
工房にやってきた時に挨拶をしたのだろう。
「あいつらは戦力にならん」
「そ、そうか」
バッサリと斬り捨てると、バイスはそれ以上言ってこなかった。
魔石加工や魔力回路の設定、素材加工といった基礎が未熟な以上、あいつらにできることは少ない。
「で、結局どうするのジルク?」
「……営業担当としてはどう思うんだ?」
あまり過度な労働はしない主義であるが、工房の利益に大きく貢献するなどのメリットがあるならば、作業ペースをもっと上げたり、個人的に帰宅してからも作業する価値はある。
「夏中にすべての予約客に行き届かせるのは難しいと思うけど、コーヒーミルとは違って利益率も大きいし生産が上げられるのなら頑張る価値はあると思うわ。予約客のほとんどは貴族だから、ここで
恩を売ることもできる。それに早く広まれば、価格も落ち着いて平民の人でも買えるようになるから」
最後の言葉はルージュの個人的な思惑ではあるが、まったく違和感はなく至極真っ当な意見だ。
「なら、少しだけ生産ペースを上げるか」
「へへ、そうこなくっちゃな!」
「バイスさんのお店には優先的に卸させていただきますね」
「さすがはルージュちゃん! わかってるね!」
バイスとルージュがにっこりと笑い合う。
まあ、バイスはあんな怖い見た目をしているが営業上手で、店の規模に比べて他店よりも予約の入りが多い。
そんな彼に少しくらい便宜を図るのはおかしなことではないだろう。
その辺りの采配はルージュに任せてあるので俺からは特に文句はない。
「ぐえー、ということはまた忙しくなるんですね」
「生産数が上がれば給料アップだ」
「ジルクさん! 俺、頑張ります!」
そう言うと、トリスタンはころりと態度を変えて作業に戻った。
金でテキパキと動く奴は実に扱いが楽でいい。
●
クーラーの生産スペースを上げることに決めた俺は、その日から素早く作業を進めることにした。
ちなみに予約数は初日、二日目、三日目と過ぎるにつれてやや落ちてきてはいるが、それでも絶えることはない。
が、俺とトリスタンが生産ペースを上げていることによって、ちょっとずつ予約数との格差は減りつつある。
新たに魔道具を開発し、設計することに比べれば俺にとってそこまで重労働ではない。
一から魔道具を設計することと違って、生産作業は同じことをなぞるだけだ。
ひたすら、生産作業というものに没頭していればいい。
そうやって今日も作業をしていると、いつの間にか窓の外の景色は暗くなっており、工房内は魔道具の光が灯されていた。
ルージュとサーシャはいつの間にか帰宅したのだろう。
既にデスクにはいなくなっていた。
工房内に残っているのか俺とトリスタンと新人二人だけだった。
作業室の空きスペースには十二台の中型クーラーが並んでいる。これが今日の成果だ。
コーヒーミルと違ってそもそもサイズが大きい上に、内部構造も複雑だ。
魔石や素材の加工にも時間がかかるし、生産に時間がかかるのも仕方がない。
「後は家でやるか……」
大型や中型と違って、小型クーラーはサイズが小さいので家でも作ることができる。
そういうわけで、小型の方は家で作っているのだ。
「トリスタン、小型クーラーの素材は加工できているか?」
「はい、そこのデスクに載せているものは終わっています」
トリスタンの傍にあるデスクを見ると、そこには小型クーラーに必要な魔石などの素材が置かれていた。
俺が家で作業を進めるのがわかっているので、こっちの加工をやっておいてくれたようだ。
「ジルクさん、ちょっといいですか?」
加工された素材を丁寧にマジックバッグに収納していると、トリスタンが妙に真剣な顔で話しかけてきた。
「なんだ?」
「イスカとパレットについてなんですが……」
「期日は伸ばさない」
「ッ! なら、少しでいいんでアドバイスだけでもしてあげられませんか? 二人とも行き詰ってい
るみたいなので」
「それはお前の役目じゃないのか?」
新人の面倒はトリスタンに任せている。
だとしたら、それを行うのはトリスタンの役目だ。
「そうしてあげたいんですけど、俺って他人に説明をするのが下手で、二人に上手く教えてあげられないんです」
だろうな。トリスタンは良くも悪くも感覚的だ。
自分の中で理屈として消化していないものを、他人に理論的に説明することはできない。
「でも、ジルクさんならしっかりと理屈で教えるのも上手ですよね?」
「さあな。俺は他人に何かを教えるなんてことはしないからな。それくらい――」
自分で何とかしろと言いかけた時に、ふとアルトとの言葉を思い出した。
『彼らが甘いことを言って努力を怠ったのなら送り返しても構わない。でも、彼らはまだ見習いなんだ。少しだけ長い目で見てやれないかな? 頼むよ』
クーラーの生産ペースを上げることに集中していて、すっかりと忘れていたな。
アルトに頭を下げて頼まれていたんだっけか……。
弟に頼まれたことだ。少しくらいアドバイスくらいしてやるべきか。
新作はじめました!
『スキルツリーの解錠者~A級パーティーを追放されたので【解錠&施錠】を活かして、S級冒険者を目指す~』
https://ncode.syosetu.com/n2693io/
自信のスキルツリーを解錠してスキルを獲得したり、相手のスキルを施錠して無効化できたりしちゃう異世界冒険譚です。